(おばさまが言うよりは普通の顔してたけどね……)
四宮かぐやのお願いを聞いてあげる事にした四条眞妃は、昼休みに早坂に会いに行ったのだが、その時思ったのが上の感想である。
どんな感じで話したのか忘れた人は【早坂愛は求めたい】をもう一度ご覧ください(ダイマ)。
まあなるようになるでしょ。
思っていたよりは平気そうな顔をしていた早坂を今一度脳裏に思い浮かべながら、来る放課後に何を話すか少しだけ考え始めた眞妃は、
「こんちはっす」
「あ、こがねじゃーん」
という二つの声に振り返った。
一つはもちろん先ほどまで話していた早坂愛の物で、もう一つは五条美城を慕う鹿苑こがねの物だ。いかにもギャルな金髪娘に対して黒柴犬が姐さん姐さんと呼び慕う光景は、美城と早坂が付き合っているゴシップと共に面白おかしく人々に語られている。
「どしたし? ウチに何か用事~?」
「はいっす。どうしても聞いておかないといけない事があるっすよ」
「え~、なになに?」
「早坂先輩、美城様と喧嘩でもしたっすか?」
「え?」
眞妃からの物言いに次いで二度目の単刀直入な口ぶりに、はっとした表情を浮かべた早坂は一瞬だけギャルの面を外したように見えた。少なくとも眞妃には。
「いえ、昨日美城様から連絡があったっすけど、先輩にはきちんと敬うようにと言われたっす」
「それだけ?」
さすがに一流の従者である彼女は、こがねが次の言葉を放つ前には調子を取り戻して明るい笑顔を付け直していた。
「それだけっす」
「え? じゃあ何でウチらが喧嘩したってなるんだし」
本当に美城が言った事がそれだけなら、根拠が薄弱な気がする。そう思った早坂は少し考えて、やはり素直に口にした。
実際はそうなのだが。
と言うよりもそれよりひどい。
何せ別れを切り出されたのだから。
「だって“早坂先輩”と呼べって言ってるような物じゃないっすか」
「……あ」
確かにそうだ。少なくともこがねは、姐さんと言う言葉を目上の人が付き合っている女性という意味で使っている。ヤクザな用法であるが、見た目と性格のワンコらしさから考えると上下関係を重んずる彼女らしいともいえた。
そんな彼女だから上の言いたい事もよく分かる。きちんと敬意を払えと言われれば、様を付けて呼ぶ美城を除いて唯一先輩呼びしていない姐さんに思い当たるのは当然の帰結だ。
「早坂先輩、喧嘩しちゃったなら早めに謝る事をおすすめするっすよ。美城様はそうそう怒るような人じゃないっす。ちゃんと……早坂先輩? 聞いてるっすか?」
「う……うん、大丈夫。聞いてるし」
なんとなく無根拠に慕ってくれると勘違いさせてくるこがねだけに、すっとぶつけてくるあなたはもう姐さんではありませんという事実は早坂の胸に意外とキた。
「なら話を続けるっすけど、早坂先輩は……」
「ちょっと、急にこがねに先輩呼びされると違和感パないっていうか~」
「でも今は姐さんじゃないっすよね」
「早坂。よかった、目が覚めたのね」
次の瞬間、早坂にとってはそう思えるくらいの短さで、いつの間にか目の前に主人がいた。しかも、何やらやけに心配そうである。
「かぐや様?」
「そうですけど。……変な様子だと思ってはいましたがまさか頭まで変になっていないでしょうね」
「ずいぶんな言われ様ですね」
「当然でしょう。あなた、急に倒れたのよ」
「倒れた?」
御冗談を、と言葉にしようとした所で自分がかぐやを見上げている体勢である事にようやく気が付いた。頭から足先まで柔らかく下支えする物の存在にも。
確かに寝ているようだとそこでようやく気が付いた。
「それはご迷惑をおかけしました」
「私はいいのよ。一番びっくりしたのは鹿苑さんでしょうから。なんせ話していた相手が急に倒れたのですよ? 『早坂先輩が倒れたっすー』って。心中お察しします」
「こがね……『早坂先輩』……うっ頭が」
「本当に大丈夫かしらこの子」
突然ぶつぶつ言ったかと思うと頭を抱えだしたのだ。明らかに大丈夫ではない。
「早坂、この際ですからあなたの不調が何なのか、医学的な観点からはっきりさせましょう」
「えっと、まだ頭が付いていかないんですけど……」
「ここをどこだと思ってるんですか」
「普通に考えたら病院ですよね?」
「そう。それも……」
かぐやの言葉に呼応したかのように扉がノックされた。話を一旦区切って、外に向かってどうぞと言うと、引き戸がゆっくり開いていき、壮年の男が姿を現した。
その姿に早坂は見覚えがある。ある、どころではなく折を見て主人が世話になっている人物だ。
田沼正造。
世界の名医十選に選ばれ、小児心臓バイパス手術の第一人者として知られるゴッドハンドである。
世界中から手術依頼が舞い込んでくるほどのスーパードクターの彼は、四宮家お抱えの医師という側面も持っていた。
本来なら疾患も抱えていない少女が一人倒れたくらいで駆けつけてくる人物ではない。かぐやが電話口で『私が倒れたと思って医者をよこしなさい』という言葉にはせ参じたのである。
「いつも利用してる病院の、最高の医師を用意しました。これであなたの不調も分かるでしょう。先生、はっきりさせてください」
…
……
「失恋の病ですね」
「……は?」
おっとり刀で来てくれた田沼医師は簡単に診察すると、早坂に向かってそう言った。
「えっと、それは新しい病気か何かでしょうか? シツィーレン病といった感じで」
人の話は聞く方の早坂ではあるが、さすがに唯々諾々と受け取る訳にもいかず、わずかな希望をもって反論する。他国の言葉がたまたま日本語に近い響きを持っただけだと。
「普通に失う恋と書いて失恋の病です」
だが現実は無情である。ところがどっこい夢じゃありません、やたら横顔が鋭角な賭博漫画のようなコココ笑いを現実が高らかに上げていた。
「た、田沼先生ほどの人でも冗談を仰るんですね」
「冗談ではないのです」
かぐやの脳裏に朝方眞妃と話した出来事がフラッシュバックする。やっぱり失恋じゃない!と自分をおばさま呼ばわりしてくる少女なら威勢よく叫んだだろう。
「つまり私は失恋ごときの悲しみでぶっ倒れて病院まで運ばれたという事ですか!!??」
「はい。失恋を苦に自分を傷つけて病院に運ばれるケースは偶にありますが、早坂さんのようなケースは初めてで少し動揺しています」
チラッと早坂は珍しく後ろに控えてくれているかぐやを見た。
スッ……。
(目を逸らした!?)
あの世間知らずなかぐやがバツが悪くなって目を逸らす事態が発生した事に、早坂は自らの立ち位置を理解した。医学史に残る珍事である。バチスタ手術やパーキンソン病のように自分の名前が医学用語として残るかどうかという瀬戸際だった。
あなたそれよっぽどですよ。
目を逸らす数センチの動きにはそんな意味が込められている。
「早坂さん、もう一度ここに来るまでの事をゆっくり思いだしてください」
「……ですが私、倒れた時の事をよく覚えていないんです」
「では倒れる前に覚えていた事で構いません」
そう言われても……。
早坂が覚えている範囲の事と言ったら、眞妃に放課後話しがしたいと呼ばれてボランティア部室を指定されたら彼がいない事を思い出して切ない気持ちになった事と、こがねの呼び方が姐さんから早坂先輩にランクダウンしていた事くらいだった。
「ふむ……。姐さんと先輩という呼び方に早坂さんはどんな違いがあると思いますか?」
「それは、姐さんは彼の身内と認められたという事で、先輩はただ歳が一つ二つ上という事ですが」
「それにショックを受けましたか?」
「そう……ですね。彼の世界の一員になれないような気がして……」
田沼医師は難しい顔をしてカルテに筆を走らせていた。一通り早坂の主張を纏めて一息入れる間に考えると、隣の看護師に小さく言う。
「見た目に反してとても彼氏さんの事好きなようだね」
「最近はクーデレっていうんですよ」
名医の姿か?これが。
早坂は目の前でとっても凡俗な事を言いだした人物に当然の疑問を抱いた。
別にクールぶってないし、何よりデレてないし!
まあそれはそれで問題なのだが。だから別れる羽目にあったのではないだろうか。彼女がそのことに気が付くのはもう少し時が必要なようである。
「あなたの話を総合させてもらいますと、学校で彼と関係ある物事を思い浮かべると切ない気持ちになったり悲しくなったりする。間違いありませんか?」
「そうです」
「それで今日、彼と親しい後輩に先輩呼びされた事でつながりが断たれた気持ちになった。そうですね」
「……だからそう言ってるじゃないですか……」
ただの問診にもショックを受けたように早坂は急激に落ち込み始めた。それをみた看護師は必要な事とは言えデリカシーの無い言葉を放った田沼医師を責める。
「泣―かした泣―かした、せーんせに言っちゃーろ」
「なんでそう懐かしい響きで人を責めるんだね君は」
「こういう時は余計な事をせず話しを聞いてあげればいいんですよ」
「どしたん? 話聞こうか?」
チャラ男だった。
「お二人とも早くお帰りください。ここは私に任せて」
「そんな事を言われても困ります! こんなポンコツ早坂はいつまで続くんですか!」
「いいですか。失恋の特効薬は次の恋です」
「分かりました。早坂、次の恋をなさい」
「みぃより素敵な人なんていないもん……」
「と言ってますが」
「なんですこの真剣十代……」
看護師、微笑ましさと面倒くささが同時に沸き起こった。
なんでこんな十代の恋愛アドバイスまでしなければならないのか理解に苦しむ。ここはN〇K教育の収録現場だったろうか?
「特効薬ではないけど、薬を処方するという方法もあるね」
一瞬チャラ男になっていた田沼医師が落ち着きを取り戻して普通の医者みたいな事を言いだした。
「それですよ! で、どんな薬なんですか」
「一般的にはうつの症状への薬だね。眠くなる薬だけど」
「朝早い早坂にそんなの駄目じゃない!」
「脳波を計って活動低下領域に働きかける薬を処方する事も出来ますよ」
「今度こそそれです! 早速行きましょう。これ以上変な早坂は困りますから」
かぐやの鶴の一声でこの場の意思は決定されたようである。それでは、と短く言って田沼医師は立ち上がると、計測室がある方に先導するように歩いて行った。付き従うように看護師と、その後ろにかぐやが続く。
「いや本人の意思は?」
何故か取り残された早坂は、慌てて主人を追いかけたのだった。
◇
部屋に入ると一番に早坂は頭に機器を取り付けられた。技術の進歩なのか、テレビなどで見かける頭に鍼を受けたみたいな帽子ではなく、額当てのような金属板がぐるりと頭を一周する形の物だった。
医師と女性二人という状況だが、ダサい物はできるだけ身に着けたくない早坂的にも容認できる物である。
「この機械で脳波を計りますので、意思の力でどうこうできる物ではありませんが出来るだけ素直に考えてください」
「はい」
「先生。今の所正常な波形を示しています」
「始めましょう」
その言葉で検査が始まった。『あいうえお』を繰り返してくださいという物や、『は』から始まる物を思い浮かべてくださいと言った脳機能を測定する簡単な問答を繰り返す。これは言語流暢性課題などと大層な名前がついていたりする試験方法だ。
「何も問題は見受けられませんね」
「そんなはずありません。絶対どこかおかしいんですから。波の一つや二つ失っているはずです」
「だったらもう死んでるかな」
「とにかくもっとちゃんと調べてください」
「何でかぐや様がそんなに熱心なんですか」
「何よ早坂! 人に散々マウントとったかと思えば急にそれを止めて落ち込む使用人が傍にいる私の気持ちを考えなさい」
「そ……そうでしたか……。落ち込んでましたか……」
「あ、今急激に波が引きました」
会話などの脳を使う活動を行えば波が大きく振れるのだが、早坂は会話中にも関わらず恋人との別れを連想させる言葉で急激に脳の活動が低下していた。ドキドキするより厄介な症状である。
「その『彼』の存在がとても大きいですね。ちなみに彼氏さんの写真などはありますか?」
「もちろんありますけど」
フェイスIDでスマホのロックを外すと、ギャラリーを開いて彼の写真を何枚か表示させて田沼医師に渡す。
ブレザー制服を着ている白髪の美少女の写真。
何故か学ランに袖を通す白髪の美少女の写真。
「うわ、可愛い子。え待って……彼って『彼役』って事?」
看護師はちょっとしたインモラルな物を感じていた。仮に目の前の患者が同性愛者であっても失恋に苦しむ患者に代わりない訳だが……態々恋人の事を彼と呼び変える恋愛の闇を感じずにはいられない。
「君、滅多な事を言う物じゃないよ。この子は昔診た事があるね。彼は五条家の長男の美城君だ。だろう?」
「そう。そうですよ」
「私が初めて診た時、彼は三歳か四歳ごろだったかな。天使が来た天使が来たとナースセンターが騒がしかったね」
「今であの可愛さですから、小さい頃はもっと可愛かったでしょうね」
「そうだね。それに可愛いだけじゃなくて、とても礼儀正しい子だったよ」
「ふふっ、昔から彼はそうだったんですね」
「そうか……あんな彼ももう恋人ができる年ごろなんだねえ。歳をとるはずだよ」
「先生……」
「できてた、か」
「はぐぁ!」
早坂の彼……五条美城の昔話に花を咲かせていた田沼医師がしみじみ噛みしめるように過去形を口にする。過去形にされた女こと早坂は綺麗だなと思って聞いていた過去話の花にぶん殴られた形になり大ダメージであった。たぶんその花は回復アイテムと見せかけて殴ってくるRPGの敵キャラとかの類に違いない。
「脳波に異常な変化が見られます。これは『純愛本だと思って読んでいたら実はNTR本だった時』の脳波と丁度同じです」
「何でそんなサンプルがあるの!?」
「私の卒業研究でして」
「どんな趣味しているんですかこの病院の看護師は!」
モニタールームで波形を見ていた看護師に対してかぐやは騒ぎ立てた。何故医療従事者が積極的に脳を破壊しに行ってるのだろうか。人の心とかないんか?
「やはり失恋の病だね」
「ちょ、ちょっと待ってください。そんな惚れた腫れたなんて誰でもやっている事ですよね。病だなんて……」
「そんな、ではありません。失恋のトラウマはとても長く尾を引くものですから、しっかりとしたケアをして失恋を乗り越えなければ苦しむのは早坂さんですよ」
「……」
「今日はうつ病の薬を処方しておきます。うつと失恋うつは似た症状なので効果が期待できるでしょう。それでも失恋の傷が癒えないようなら失恋ケアをしたこともある心療内科医を紹介します」
「先生」
「人それぞれの恋愛があるように、失恋にも人それぞれの受け止め方がありますから、恥ずかしがらず失恋の相談に来てください」
「先生」
「なんだね」
「先生が失恋という言葉を口にする度に患者のバイタルが低下しています。今ほぼ死人です」
「嘘でしょ早坂!? 早坂―!!」
「……なにかとても悪い夢を見ていたような気がします」
「早坂、夢は人に話すと縁起が悪いそうだからその夢の事は今すぐ忘れなさい。あなたは過労で倒れて病院で点滴を打ってもらったの。いいわね」
「ですが」
「返事は?」
「……はい」
かぐやは使用人の名誉のためにも今日の事は墓までもっていく覚悟を決めた。
◇
「という事があったのもほんの少し前だと思うのですが」
かぐやは目の前で浮かれている使用人を見ながら、ほんの数日前の事を回想していた。
しっかりと薬まで処方されてしまった早坂に対して強い危惧を抱いていたが、眞妃との会話でヒントか勇気を得たのか、なんか美城とヨリを戻していたのである。
これは美城に近い人間でないと出来なかった事だろうと、珍しくかぐやが素直に他人へ感謝した出来事であった。
おかげで早坂は以前のように、いや、それよりももっと生き生きと働くようになってくれたのだから。
「かぐや様、今日ですね、みぃが私のために花束をプレゼントしてくれたんですよ」
「はいはい」
「しかもですね……赤いバラです! これ! どんな意味かご存じですか?」
「はいはい」
「もう、聞いてますか? かぐや様」
……しかし浮かれすぎじゃないかしら。
落ち込まなくなったのはいいが、今度は浮つきが過ぎてフワッフワになっていた。フワフワついでに自制の蓋も浮かび上がったのか、早坂の口から出てくる惚気が酷い事になっている。
以前と比較するとマウントが減った変わりに甘さ倍増といった感じだった。
「ねえ早坂」
「どうかされました?」
この増長を許しておくべきか否か。
仲直り出来て嬉しいのは理解できるが、従者として主人を先んじる事に思う所はないのか。参考になるかはともかく恋愛の先達を得るか、冷静な手足を取り戻すかを考え……
「それ詳しく教えなさい」
「……! もちろんです!」
結局かぐやは恋愛への興味に負けた。
その日、早坂の惚気話は主人が寝落ちするまで途切れなかったという。
本日の勝敗 かぐや達の勝利(早坂が元気になったため)
早坂と美城が本物の恋人になった所でこの二章は終わりとします。
三章はダダ甘い話をダラダラと書くつもりなので読んでいただけたら嬉しいです。