五条美城は白サギ嬢   作:アランmk-2

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白の光と金の日々
早坂愛は付き合いたて


 中身のない空っぽの容器が地に落ちて、からんと音を立てて残響を残すように、どこか空疎に私の名前が響いていた。

 

「愛」

 

 という一般的にはポジティブな言葉に背を向けるような生き方をしてきた。

 連綿と紡がれる人類史に於いて、その言葉は常に人と共にあってきたというのに、 愛、だなんて御大層な響き、嘘をついて誤魔化して、裏切って騙して、仮面をかぶって引き籠る私には皮肉のようにも思える。

 

「愛?」

 

 ママは何を思って私にこの名前をくれたのだろう。【人を愛すな、成らばは無い】という四宮家の三箇条を知らないはずがないあの人が。

 子供に期待する事をよせたと言うなら、やはり分からなくなってくる。早坂家は長らく四宮家に仕えてきた従家の一つで、その薫陶をたぶん私と同じように幼少から受けて来たママが、実らないと分かっている名前を子供に植えるだろうか?

 

「あーい?」

 

 ……なんですかうるさい。

 人が真剣に物事を考えているというのに。

 私の内心なら、私の言う事を聞いてよ。

 

「残念、私は愛の心ではありませんから」

 

 え?

 

 

「さあ、起きてください」

 

 暖かい温もりにくるまれていた体が急に軽くなった。そしてなくなった温もりの分だけ寒さが体に圧し掛かるように私に襲い掛かってくる。

 

「う……寒い……」

 

 自分でも驚く位の惰弱な呻きが思わず口から零れて――誰かいる――と思った瞬間に全ての甘えたあれこれは吹き飛んだ。

 私はこの四宮別邸で歳は一番下だが立場は一番上にいる。そんな私の部屋に入ってくる人間は、どうしてもという用事が出来たかぐや様か、緊急事態である事を知らせに来た誰かだ。

 前者なら従者の務めとして無様をさらせないし、後者であるなら責任者としてこれまた無様を晒している場合ではない。

 

「何かありました……か?」

 

 責任感と覇気をまとって跳ね起きた私は、まず第一に状況確認と思って聞き返す。が、主人にしろ、使用人にしろ、剣呑な雰囲気でここにいるだろうという予想は、

 

「何かありましたか、ですか? ふふふ、愛がお寝坊さんだって事でしょうか」

 

 そんな呑気な言葉に裏切られた。

 

 半ば呆然と見つめていたその人が勢いよくカーテンを開けると、寝起きの眼に突き刺さるような朝日が部屋の中に入ってくる。

 暗かった部屋は一気に閃光に白んで、鬱々とした心を叱咤するように明るさで満ちた。

 

 そして、その光に溶けてしまいそうな美しい白髪の人物が、私を光のような笑顔で見つめている。

 

「み……美城? なんで……?」

 

 美しい白髪、澄んだ赤い瞳、ともすれば女の子に……というより女の子にしか見えない私の恋人の、五条美城がそこに立っていた。

 

「なんで、とはご挨拶ではありませんか。せっかく私も愛に会えると喜び勇んでやってきたといいますのに」

 

 心底嬉しそうな笑顔のままで、目の前の美城は平然とそう言葉にした。

 恥ずかし気もなくこんなセリフを言える人を私は彼以外に知らない。という事はつまり、目の前の人は美城で間違いなさそうだ。

 

「さあ早く横浜に行きますよ。愛の考えた予定を全部こなすと言ってしまいましたから。やっぱりですね、せめて朝から行かないと間に合わないと思います」

 

 彼の口にしたデートの予定は、私が密かに考えていた横浜デートプランだろうか。だとしたら完璧なプランニングにけちを付けてくるとは美城のくせに何事だ。

 ……いや、ちょっとだけ忙しいプランとは思わないでも無いですよ? でもそこは恋人なんだから頑張って欲しいと言いますか……。

 

「どうかしましたか、愛?」

 

 きょとん、とまん丸な目がショーケースに並ぶルビーより美しく真っ赤に輝きながら私を覗き込んできていた。

 

「ああ、そういえば言ってませんでしたね」

 

 あまりの近さに一瞬言葉に詰まった私に、何か納得したように頷いた彼は近さの種類を変えて来た。

 跳ね起きたとは言えまだベッドにいる私に対して、身を乗り出して近づいている美城は膝を曲げてそれをベッドに乗せて体を支える。身を乗り出した体勢のまま私の体のそばに手をつくと、今にも押し倒されそうな恰好になってしまっている事に否応なしに気づかされた。

 たっぷり時間があって拒否しないという事は私も……いや! いやいや、まだ早いって。

 

「愛」

 

 常識と倫理と自分の所感とが激論を交わしている隙に、美城はもう一歩踏み込んでくる。一歩というより、一手。その手は顔のそばにあった。

 顎の先につうっと指を這わせてきたかと思えば、そのまま右手で私の頬を触ってきて、少し上を向かせられる。どんなに色恋に疎かったとしても、こうなったら誰でも同じ結論に至るだろう。確信を深めるように、白魚のような指という例えさえ相応しくない白百合の花びらで出来たような親指が、私の唇をなぞる。

 

 そんな、起き抜けにすぐなんて……ちょっと待——

 

「――――」

 

 

 

 

 

 

 ……ピピピピ!

 

「……夢」

 

 夢見は最高だったけど、寝起きは最悪な気分で私はゆっくりと目を開いた。

 

 いや、まあ途中からおかしいとは思っていたんですけどね?

 美城が本物なら、日の光が大の苦手な彼が朝日を取り込むためにカーテンを開けるはずがないですし。

 そもそもデートプランの話なんてまだしてないですし。

 

「……夢?」

 

 寝起き最悪な頭はろくな事を考えない。もしかして、私にしては過分に幸せな論を結ぶ事が出来た美城との関係も夢だったかも……

 

「ん……赤い?」

 

 その時私の目が何か赤い物を拾った。ぼんやりと滲んだような赤は、そこそこの大きさをもって部屋の真ん中に鎮座しているようだった。

 じっと目を凝らして見ようとしても、何故か焦点を結ばずにぼんやりしたまま。あっ、としょうもない事に気が付いた。

 

 眼鏡をかけないと。

 

 さっきまでの光景が夢である証左の一つとして、あの時の私は眼鏡をかけていないのに世界をはっきり見る事が出来ていた。コンタクトをしたまま寝た訳でもないでしょうし。そんなずぼらな性格はしていない。

 長年の労働による酷使ですっかり落ちてしまった視力を支えるための眼鏡を耳に引っ掛けると、ぼやけていた視界が一気にクリアになる。

 

「……くすっ。そうですよね。ちゃんと証拠を貰いましたからね」

 

 ベッドをゆっくり降りると、部屋の真ん中に置いたテーブルに近づいた。

 そして、そこに置かれている花瓶に差された花を、きっと緩み切った顔で見つめていたに違いない。

 

 美城が付き合う証拠としてくれた、赤いバラがそこに咲いていたから。

 

 夢でない事を確かめるように一本一本大ぶりで花びらのしっかりした真っ赤なそれを数えた。

 花には花言葉がある。私が高説垂れるまでもなく常識だとは思うけど、本数にも花言葉がある事は知られていないように思う。

 両方の手で指折り数えて全ての指を使っても、まだ花瓶にはもう二本差さっていた。

 つまり十二本だ。

 

 バラの花十二本の花言葉は【私と付き合ってください】。

 

 自分が五条美城という男の子と付き合っている何よりの証拠を確かめると、最悪な寝起きは吹き飛んで、私は意気揚々と身支度を始めた。

 清楚清廉なかぐや様と真逆のギャルを演じるためにするお洒落も、それ自体が嫌いな訳ではないけれど、好きな男の子のためにすると思えばより一層力が入るというもの……ですよね。

 

 

 

 

 

「頼んでいた物は用意できましたか?」

 

 朝の業務を済ませた後、登校の車に乗る前に厨房に顔を出した。

 五十近くの料理長は突然の私に驚いた様子もなく、淡々とした口ぶりで仕事、というより私の個人的なお願いの完了を告げてくる。

 

「もちろんです。どうぞ」

 

 水色のチェック柄の包みに巻かれた弁当箱を料理長は手渡してきたので、そっと受け取り鞄の中に収めた。

 頼みというのはなんて事のない、弁当に詰めるご飯を丁度いい感じで冷ましておいて欲しい、という物だ。

 過去に三ツ星を取ったこともある料理長に頼むほどの事ではないが、私も私で業務があるので分担だと思って、たった茶碗一杯分の粗熱を取って貰っていた。

 

「では私は登校しますので、今日の業務は連絡した通りに」

「委細承知いたしました」

 

 マイスターとさえ呼ばれた天才料理人が、十七の小娘に頭を下げる異質な光景が目の前にある。とはいえ、彼はたくさんの人に美味しいと言って貰うよりも、料理を極めたいと思っている職人気質の者なので何でも一流がそろうこの環境に満足しているそうだけど。環境が揃う限り小娘に頭を下げるくらい平気なのだろう。内心舌を出しているかもしれないが、四宮雁庵や黄光に内心毒づいている私よりまともか。

 

 思ったよりも時間を使った事に焦って車へ駆け出した。

 遅刻常習犯の私は今更遅刻が一つ増えたくらいでどうと言う事は無いけれど、でも遅刻したら朝の休み時間に美城に会えないという危機感の下に少しでも早く登校したかった。

 

「早坂がお弁当って珍しいですね」

「男だろ」

 

 ……聞こえていますから。

 今月の給与査定を楽しみにしておくことですね。

 

 

 

 

 

 四宮には様々な敵がいるけど、差し当って私の敵はこのたび会計監査に選ばれた伊井野ミコだと思う。これが類を見ないほどに真面目ちゃんで、学校経験がほとんどない美城なんてアニメか漫画に出てくる風紀委員みたいですって大喜びするくらいに希少な人間だ。

 ありがたい事に今日は校門に立っていないので、注意してくる風紀委員に『ごっめ~ん。次から気を付けるから、今日は見逃してくれない? ね♡』とか媚びて規律違反を見逃してもらいましたけど。

 てか彼氏いるんだからこんなことさせんなし。

 

 ロスなく服装検査を超えたはいいけど、朝の予鈴が鳴るまで十分しかない。

 このまま美城に会えず仕舞なら慌ただしく別邸を飛び出した意味もなくなる。

 まあ、彼に会いたいと思って会えない事なんてありえないけど。

 

「おはよー。ねえねえ、みぃどこにいるか知らない~?」

 

 とりあえずそこら辺を歩いている軽い知り合いを捕まえて聞いてみた。

 

「はよー。えっと五条くん? なんか茶道部に連れてかれてたよ」

 

 はい特定完了。

 何しろ美城は美人でアルビノな上に俗に言う男の娘だ。滅茶苦茶目立つ。目立つったら目立つ。正直外見的な見地に立って言えばかぐや様よりも目立っている。

 今回は知り合いに聞いたが全く交流の無い人に聞いても『〇〇にいるよ』と教えてくれるに違いない。

 

「茶道部がみぃに何の用事だし」

「さあ?」

「ふーん。ありがと、ちょっと行ってみる」

「うん。じゃねー」

 

 軽く手を振って別れると、速足で茶道部の部室へと向かった。

 茶道部といえばちょっと微妙な内部事情を抱えているので少し心配だ。分家問題で争っている真っ最中の名家それぞれの令嬢が、よりにもよって同じ茶道部にいるのだから。変な争いに巻き込まれてないといいけど。

 

 秀知院学園は日本のトップに立つ人間を育てるという気風の下に、自国の文化を知る一環として茶道の授業などもあり、敷地の奥には茶室の入っている小屋が建てられている。

 茶道部の主な活動拠点でもあった。もちろんこれも五条建設が建てた物だ。

 草庵風の建物は質素に見えるが、掛けられた手間は質素とは程遠い。漆喰の白の美しさなど語るまでもなく、更に言えばここは茅葺屋根だった。

 無駄遣いと思うか、当時はお金があったんだなと思うかは個人に任せるとして、手間の具合は理解できたかと。

 

「ちょ……やめてください!」

 

 ……今の美城の声?

 

 長閑な光景には似合わない甲高い声が響いたかと思うと、加えてそれが知ってる声だったので二重に驚いて茶室に目線を送った。

 

「いいじゃない別に。減るもんじゃないし」

「そうそう。と言うより、もう時間ないんだから私達が手伝ってあげよっか?」

「だ、大丈夫ですから」

「そんな遠慮せずに」

「よいではないかー。よいではないかー」

 

 本当に何が行われているのでしょうか……?

 聞く限りでは完全にセクハラが強行されているようにしか聞こえませんけど。

 

 ……いやそうじゃなくて! 早く助けに行かないと。

 

 急いで小屋に飛び込むと上履きが三つ。美城と恐らく茶道部の人間二人の物だろう。

 奥の方からごそごそと衣擦れのような物音が聞こえてきて、私の彼氏に何してくれてるのと怒りすら湧いてきた。

 まどろっこしい事は止めて真っすぐ問題の部屋に向かい、スパーン!と行儀も何もない所作でふすまを開け放った。

 

「ちょっと!うちのみぃに何してるんだし!」

「え?」

「誰?」

「あ……愛!?」

 

 そこにいたのは推測通り三人の人物。美城と茶道部の部員二人だ。

 ちゃんと美城がいた事に一瞬ほっとひと心地つくが、次に彼の姿を見て驚愕と更なる怒りが噴出する。

 

「なにその恰好!?」

 

 美城が、紫色の大振袖に身を包みながら帯で止めていないためにそれが肩からずり下がり、シミやしわさえ一つもないような真っ白い首筋から肩口を惜しげもなく晒していたからだ。

 床に目をやると数分前までその役割を果たしていたはずの帯が地面に桜の川を描いていて、色っぽく脱ぎ姿を晒す美城は、夜の褥を共にする花魁の情景を一度だって見たことのない私にさえ想像させた。

 

 一言で言うとエッチだった。というか同じ姿をしても色気で負けるかもしれない。

 

「人の彼氏で何しようとしてんの!?」

 

 そういえばさっき最早時代劇ですら見ないお殿様みたいなセリフが聞こえてきたけど、こいつらが美城を剥いて悦に入ってるのだろうか。二人とも女子なんだけど。

 

「ただ私達は着物の素晴らしさを五条くんを通して伝えたかっただけで……」

「良い広告塔になってくれそうだったので……」

 

 彼女達は、自分は制服姿のまま畳の上に正座になって三つ指ついて頭を下げた。何流の茶道の下にあっても完璧な一礼で、何そこで茶道部の経験生かしてるのとムカつくくらいだ。

 

「じゃあ何でこんなエッチなお殿様相手にしたみたいな恰好してるんだし!」

「それは……」

「いや脱がしてるうちに楽しくなってきてね」

 

 ……確かに美城をひん剥くのは楽しそうだけど。

 

「……」

「ちょっとこいつ過去にやった恋人をひん剥く楽しみを反芻してますよ」

「やっぱ外国人って性欲強いんですかねえ」

「出てけし!」

 

 余計な事しか言わなさそうな茶道部二人を蹴り出して、またもスパーン!と勢いよくふすまを閉めた。過去にやった、とか言ってくれてるが、こっちはきちんと付き合いだしたのは数日前なんですけど?

 

「まったく……」

「あのー、愛?」

「なに?」

 

 邪魔者二人を蹴り出したある種の達成感で満たされながら美城の声に振り返る。よく分からないが彼は複雑な表情をしていた。

 たぶんすぐそばにあの二人がいるだろうからギャルのままでその真意を問いただそうとする。

 

「どしたんみぃってば。せっかくカノジョが来てタイヘンなとこ助けたげたのに」

「えっと、それはまあ、ありがとうございました」

 

 透き通る軽やかな見た目にそぐわない軽やかな喋り口の美城だけど、今日はいやに歯切れが悪い。

 

「ちょっとちょっと、ほんとにどしたん?」

 

「着替えますから、愛も出て行って頂きたいのですが……」

 

「あ、はい」

 

 朝に果たした邂逅は、床に脱ぎ捨てられた服のようにグダグダとした形で終わってしまった。

 せっかく急いで登校したのに……。

 

 

 

 

 こう言う日に限って移動教室、体育と授業の合間に余裕がなかったりする。少しでも一緒にいたいと思う心には少々きつい時間割だった。

 結局まとまった時間で会うしか道はない。四限目を終えた私は包みを片手に教室をさっさと飛び出した。クラスでよく話す二人は全て分かったような顔をして手を振ってきたので、厚意に甘える事にする。

 

「みぃいる?」

 

 教師が教室を出た、絶対に全員がいるタイミングでB組に顔をねじ込んだ。焦りすぎとか、かかり気味とか言われるかもしれないが、美城という人は放っておいたら自分から予定を重機で埋め立てているような人だから、機先を制しておかないと今朝みたいにどこかふらふら行かれてしまう。

 基本的に彼は誠実な人なので約束してしまえばそんな事は無く、一番に声をかければ一番に優先してくれるけど。(眞妃様を除く)

 

 それなら昨日の内に約束を取り付けてしまえばいいじゃないか、と言われればそれまでだけど、やっぱり……こう、『お弁当作ってきたんです』と言えばそれなりに驚いて嬉しそうにして欲しい欲求は私にもある訳でして。

 

「愛。どうかしましたか?」

 

 B組後ろの扉すぐそばに座っていた男子はさっさと美城を呼んでくれて、彼の『おい』と親指をくっとする仕草で美城はこちらに来てくれた。

 

「一緒にお昼たべよーよ」

「いいですよ。どこに行きましょう?」

「えっとね、来て来て」

 

 すらりとした美城の手を取って、二人きりになれそうな場所に向かって歩き出す。後ろから『ペッ』とか『ケッ』とか聞こえたが無敵状態の心境には何ら気に障るような事はなかった。むしろ下々の嫉妬が心地よい、と物語後半で格下にやられる敵みたいな事すら思う。恋人といられて嬉しいという純粋な喜びに比べてだいぶ屈折した喜びだった。我ながら性格が悪い。

 

 選んだのはボランティア部の部室だった。ここなら主な人の動きから外れているし日当たりも悪くて寒いので、態々こちらの区画に来る人は少ないからだ。ついうっかり偶然で乱入される心配はない。

 

「ねえ、美城。これなーんだ?」

 

 席を二つぴったりと付けて、隣どうしに座ってから、勘のいい彼の事だから当然気が付いているだろうけど、後ろ手に隠していた物を取り出して見せた。

 

「お弁当ですね」

「正解です」

「愛って普段お弁当でしたっけ?」

「違うよ」

「どうして今日はお弁当なんですか?」

「さあ? 考えてみて」

「私のため、とかだったら嬉しいのですが」

 

 にこりと朗らかな笑みを浮かべて美城は言ってのけた。

 勘が良いというのも困りものだ。それに、愛され慣れているというのも。

 普通の人なら照れもあって『自分のため?』だなんて思っても口にしないだろう。

 

「……そうだけど? 美城と一緒にご飯を食べたくて、わざわざ作ってきたんだから」

 

 狙いをすかされてこっちが照れる羽目に会う、なんて事を何回繰り返したか数えるのも億劫だけど、一度や二度ではないはずだ。

 予想を飛び越えてこられるのは楽しい所もあるけれど、基本的には心臓に悪いから止して欲しい。

 

「ありがとうございます、愛。では一緒に頂きましょう」

 

 包みを握った右手にそっと手を添えて彼は言う。

 すらりと伸びた白百合の花びらのような指が触れてくると、今朝見ていた夢の事を思い出して何だか意識してしまった。照れに染まった赤い頬が、もう一段と赤く色づく気がした。

 当然夢の中までは勘も働かない美城は不思議そうに見ていて、純白の彼に変な想像をしていた事に申し訳なさを感じる。

 バツの悪さを誤魔化すように包みを広げて、安物などありえない四宮家の漆塗の弁当箱をコトリと彼の前に置いた。

 

「さすがですね。お弁当箱すら芸術品みたいです」

「外身を吟味するより中身を味わって欲しいんだけど?」

「では失礼して」

 

 育ちを感じさせる丁寧な所作で美城は弁当箱を開く。その中身を見てわぁっと小さく声を上げてくれたので、冷静を装いながらも内心はガッツポーズだった。

 赤魚の西京焼きをメインに、色味に気を付けて焼いただし巻き卵と、形が崩れないよう色褪せないよう丁寧に作った煮物が、時間が経っても思い通りに綺麗なままでいてくれた。

 続けて二段目を開けると、今が旬の松茸をふんだんにあしらった炊き込みご飯が現れる。

 

「凄いですね。秋の幸づくしです」

「ふふん。こけおどしじゃないから、食べてみて」

 

 いただきます、と私に向かって言いながら箸入れに収められたこれも漆塗りの箸にそっと白い指を這わせて摘まみ上げると、一番目につく赤魚を半分に切り分けて小さな口に含んだ。

 もごもごと咀嚼する姿を見ながら、99の自信がどうです美味しいでしょうと得意気になるけど、たった1の不安が口に合わなかったらどうしようと言葉をしおれさせる。

 それを知ってか知らずか、こくんと飲み込むと微笑みながら美城は言葉の弦を震わせた。

 

「とても美味しいですよ」

 

 間近にある彼の顔を直視できない気持ちになりながら、気恥ずかしさを誤魔化すように頬を掻く。

 

「ありがとう……ございます……」

「こちらこそありがとうございます。愛も自分の物を広げてください。一緒に食べましょう」

「え? いや、弁当はそれ一個だけど」

「それでは……一緒に、ではないじゃありませんか」

「そうかもしれないけど、私はいいの。美城が美味しそうに食べてくれるだけで胸がいっぱいだから」

 

 ……なんて、ちょっと可愛い子ぶりすぎ?

 他の人がどうか知らないけど、少なくとも私は彼を見ている幸福感だけで体に充足感を覚えるのだから仕方がない。嘘を吐く意思とは関係ない所が感じるそれは、だからこそ本当だと思えて嬉しいんだから。

 

「ですが少しくらいお腹を満たしておかないと。特に愛なんて大変な仕事をしているわけですし」

「ありがとう。でも放課後は暇でしょ? そこで何か食べるから」

「……あ、そうだ。良い事を思いつきましたよ」

「それ本当に良い事?」

 

 美城は書記ちゃんに次いでカオス側の住人だと贔屓目な私でさえ思うのだ。良い事、がすんなりそのまま良い事だろうかと不安になった。

 

「はい。あーん」

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 ……良い事?

 ……いや、良い事には違いないんだろうけど。

 だって恋人が弁当からおかずを摘まんで『あーん』してくれているのだから。

 

「ほら愛、早く。煮物の端っこのほうからお出汁が垂れそうに」

「ちょっと心の準備させて」

「あー!困ります愛!早く早あー!」

 

 ぱくっと、私がもたもたしている間に先に美城が食べてしまった。

 

「もぐもぐ……だから早くと言ったのに」

「私は美城に食べて欲しいからいいんだけど。というか、普通『あーん』って女子からやる物じゃないの?」

「時代の変遷による攻守交替ということですね」

「全然違うけど」

 

 『あーん』を武術か何かと捉えているのだろうか。

 

「ではまだ私のバトルフェイズは終了していません。大人しくあーんを受け入れてください。ほら、この赤魚なんて絶品ですよ」

「知ってる」

「秋になって油を蓄えた身はしっとりしてほのかな甘みがあります」

「知ってる」

「では、あーん」

 

 何が『では』なんだろう。

 

 けど、鼻先あたりに突き付けられた西京焼きは焼けた味噌の香しい匂いを放っていて、自覚はなかった空腹が押し寄せてくる。

 

「……あむ……」

 

 自分の空腹と美城の押しに負けて『あーん』を受け入れてしまった。

 

「どうですか。……と私が言うのも可笑しな話ですね」

 

 確かに彼の言う通りだ。なにせその弁当を作った張本人なのだから。

 私が作ったんだから知ってるに決まってるでしょ、と軽口を叩くべきなのだろうけど、箸の先が唇に触れて期せずして舐るような形になった事実に頭がいっぱいだった。

 つまり……その……間接キス……と言う事だけど。

 

「愛。私はどちらかと言えば小食な方なのでお弁当は半分こしましょうか? この卵焼きなんて丁度いいですね。これは出汁ですか? それとも砂糖で味付けた甘い方ですか? 私の朝食に並ぶのは甘い方ですが、もちろんだし巻き卵も好きですよ」

「それは、良かった……けど」

 

 美城の口が軽やかに回りつつ、次なる一品を摘まみ上げた。鮮やかな黄色の卵焼き。それを、さも当然のように私の前に突き付ける。

 

「あーん」

 

 私はこんなに照れくさいのに、彼の方からはそんな感情は微塵も感じられない良い笑顔が向けられた。断るのも忍びなく……というより、恋人らしい事をされて嬉しい自分が断るなんてありえないので、彼にされるがまま受け取るだけだった。

 

 弁当箱が空になるまでの十数分、善意と好意に舗装された羞恥の極致へ通じそうな道を、彼の天使のような笑みと共にゆっくりと味あわされた。

 

 

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