五条美城は白サギ嬢   作:アランmk-2

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早坂の可愛さバレてきたな……



早坂愛は考えたい

『このままではいけない』

 

 この頃の早坂愛の胸に去来する想いであった。

 何を、と聞かれれば、ここ最近甘え癖が付いてしまっている事である。

 理由はもちろん恋人の五条美城のせいだ。

 

 あの北海道のそのまた北端にちらつき始めた細雪が人の形を取って南下してきたような少年が優しいのはいつもの事なのだが、だからこそ彼の『いつも』に寄りかかり気味な自分を早坂は自覚せずにはいられない。

 

 例えば数日前、流行っている少女漫画『今日は甘口で』をかぐやと読んだのだが見事主従ともどもドハマりしてしまった事がある。結果、恋愛で頭がいっぱいな少女漫画シンドロームを発症し、思い返すも恥ずかしい行動の数々を彼に取ってしまったのだ。

 

 そんな早坂を心配した美城は、

『今日の愛、なんだか変ですよ。……熱でもあるんですか?』

 そう額をくっつけてきて、顔の近さに真っ赤になった早坂を、

『顔が赤いですね。やっぱり熱でしょうか。少し保健室で休んできた方がいいですよ』

 と言って保健室に連れて行き、ベッドに横になった彼女を下校時刻になるまで手を握っていた。

 という、まさに少女漫画みたいな事を彼にさせてしまい、「うちの彼氏かっこヨ。好き」と限界化したオタクみたいにしばらく内心荒れ狂っていた。

 

 前に行ったマッサージによる効果で早坂にかける優しさが恋愛に傾いているのなら目論見は成功……と言いたい所なのだが、相変わらず美城は他の部活などにちょっかいかけて、困った事態に首を突っ込む行動力を備えた優しさは変わらない。

 現に今日もバトミントン部で一番強い一年生が先輩達は弱すぎるから練習相手になってくれ、という、いやもうお前ら頑張れよとしか言えない頼みを聞きに体育館に向かっている。

 

 まあ、皆が美城に甘えがちだから私くらいは何かしてあげないとね……と早坂は内心独りごちた。後方彼女面が板についていた。彼女だけど。

 このままではいけない、とはそういう事である。

 少しばかり彼に報いる事があってもいいだろう。

 だから自分は美城の事を知らなければならない、と思うのだ。

 

「お待たせ早坂さん」

「やっほー巨瀬ちん。今日はありがと~」

 

 そのための道のり第一歩として、早坂は巨瀬エリカを呼んでいた。

 今回は友人としてではなく、マスメディア部の一人としてどうしても欲しい資料があったので協力を仰ぐ事にしたのだ。正直紀かれんでもどっちでもよかったが。

 

「早速で悪いんだけど、頼んでた映像ってあった?」

「ええ。ばっちりあったわよ。秀知院が団体競技で大会上位に食い込む事なんてほとんどないから、録画してた人も多かったみたい」

 

 エリカを呼びつけた理由とは、ある競技の映像を提供してもらう事だった。

 

「ホント助かったし~。ウチ、サッカーなんて全然見ないからさ」

 

 サッカーである。

 五条美城が以前通っていた学校で何をしていたか、本人に聞けば自信満々に『帝様のサッカーのお手伝いをしておりました』と答えてくれた。

 そんな訳で彼が一年身を捧げたサッカーを通して、彼を知る第一歩を始めようかと思うのだった。

 幼馴染の四条眞妃や『姐さん』に知っている事をペラペラ話してくれそうな鹿苑こがねに聞けばもっと簡単だっただろうが、それは何となく負けた気がするので最終手段にとっておく。

 好きな人の事くらい自分で知ろうとしないと。そんな使命感に似た思いで早坂はエリカからDVDを受け取った。

 

「ねえ早坂さん。それ今から見るなら一緒に見ていい?」

「え? 別にウチは構わないけど……どしたし?」

 

 早速試合の内容を見ようと小型プレイヤーを用意し始めた所に、エリカが少し遠慮がちに声をかける。本音を言えば一人でさくっと見たい所だが、彼女のおかげで直接サッカー部の誰かに声をかける手間を省けたのだ。彼のいない合間を縫って男を連れ込む浮気妻みたいな事をしなくて済んだのは早坂の精神衛生上にもよろしかったので、頼みを聞くのはやぶさかではない。

 

「相手の高校って前に五条くんが通ってた所なんでしょ?」

「じゃないとウチ、サッカーなんて見ないし~」

「と言う事は眞妃の弟の帝くんが一緒にいるってことよね」

「そだね~。帝サマがいたから向こうの高校にわざわざ行ったらしいし。で、それが~?」

「だから見ておこうかなって」

 

 あはは、と照れくさそうに頬を掻きながらエリカはプレイヤーのまだ黒い画面に目線を落とした。まさか、と驚いた早坂。恐らくかれんもこの場にいたら同じような事を思っただろう。

 何せ世界の構成エレメントの一つはかぐや様であると素面で言えるかぐや狂が、男に興味があるような素振りを見せたのだから。ノストラダムスの大予言には二十年ばかり遅いではないのか。もしくは空が落ちてくるのではないか。世界崩壊の予感をここに覚えるのだった。

 

「そ……そうなんだ。意外~」

「そうだ、早坂さんも一緒の高みに来ない?」

「た、高み……? なんて?」

「それを説明するためにはまず銀河(かぐや様)の状況を知る必要があるわ」

「……少し長くなるの?」

 

 サム8語録が早坂にリアルな危機感を抱かせ始めていた。あの冗長な割に大した事は言っていない言葉は、過剰装飾な長ったらしい文面に慣れた彼女でも辛めな部分がある。

 

「まずかぐや様は四宮家のお人でしょ?」

「そうだね」

「次に眞妃の四条家は四宮家から別れた家でしょ?」

「うんうん」

「だからかぐや様と眞妃って似てる所があるじゃない」

「まあそーだね」

「薄目で見たら眞妃はけっこうかぐや様なの」

「うん……うん?」

「で、眞妃には双子の弟くんがいるわよね」

「帝サマね。……みぃが大好きな」

「薄目でみたら男体化したかぐや様みたいなんじゃないかしら」

したら!?」

 

 エリカの繰り広げた論理展開は簡素な物であったが、だからこそ度し難かった。修飾がないだけに素材の狂気が生きていた。スナック感覚で味わえる地獄を口にねじ込まれたかと錯覚するほどに魂が理解を拒んでいる。

 

「論理のぶっ飛びがパないんだけど!」

 

 かぐやは四宮家という助走から始まった論理展開は、男体化という彼方へ着地した。パウエルもびっくりの跳躍を見せている。この論理の跳躍力があればエリカはパリ五輪でメダルを狙えるかもしれない。

 

「まあまあ、ちょっと聞いてよ」

「もーやだぁ……。ちょっとで済むのそれ?」

「この前、校内新聞で『今日あま』って漫画が紹介されて読んだんだけど」

「あ、巨瀬ちんも読んだんだ」

「早坂さんも?」

「うんうん! 面白かったよねー」

「まあ今の話ではそれは横に置いておいて」

「置いちゃうんだ」

「そう! 置いておくの!」

「びっくりしたぁ。急におっきな声出さないでよ~」

「少女漫画を読んで恋したい気持ちに溢れてた私は、運命の相手なら拾ってくれると思ってハンカチを落としたの!」

「……で、かぐや様が拾ったってわけ?」

 

 その事を思いだすと平常心という物が失われるようだった。エリカは恍惚とした表情で宙を見上げて「かぐやしゃましゅきぃ……」となっていた。

 こんなのはかれんと合わせたマスメディア部コンビを相手取っている時にはよくある事で別に今更気にしないのだが、ここからどう考えたら”飛”んでしまうのだろう。

 

「やっぱりかぐや様は運命の女神……」

「うんうんよかったねー」

 

 早坂は狂気から心を守るために耳の機能を六割減しながら、プレイヤーにディスクをセットして準備を整える。

 

「少女漫画をきっかけにちょこちょこ読みだしたんだけど、漫画って色々あるじゃない」

「だねだねー」

「その中でも『TSしてても推しは推し』って作品は人間の魂について考えさせられる作品だったわ」

「フッシ!?」

 

 早坂は驚きすぎて変な声が飛び出した。ちょっとフシギダネであった。

 

「かぐや様が美しいのは事実。……だけど姿形に惑わされるのは本物の敬意ではないんじゃ……。偶像崇拝するのではなく、そのをお慕いしないとかぐや様ファンとして未熟なんじゃないの、って思ったの」

「コワー……。え、やめてよそんなスピリチュアルった話。最近夜になるの早いんだから」

 

 怪しい宗教の勧誘に出会った時のような恐怖が身を包んだ。

 何言ってんだこいつ。魂とか言い出しましたよ。怖……。

 

「身の回りの人がTSした世界に行ってもかぐや様への思いを保つための予行演習として一緒に見ましょ」

「いやー、重いし重いし意味分からんし。それ一身に負わされた帝サマの気持ちになってあげてよ」

「五条くんのお手伝い力を一身に受けてたんだから平気なんじゃないの?」

「……だね!」

 

 一瞬考え込んだ早坂は、やっぱりどうでもいいかと放り投げる事にした。決して美城の献身を一人で受けていた、というけしからん四条帝はどうでもいいとかいう理由からではない。無いったらない。

 

「じゃあ再生~」

 

 ぐだぐだしたアレコレを放っておいて再生ボタンを押した。キィィ……とディスクが回る音と小さな排気音がプレイヤーからすると、少し間をおいて画面が表示された。

 

『今年もピッチの上を駆け巡る高校生たちの夢舞台が始まります。本日は全国高校サッカー大会地区予選、港区立高校対秀知院学園の模様をお伝えいたします』

 

 予選だからカメラがあまり入っていないのだろうか、画角が少ない気がする。実況アナウンサーも新人だろう、慣れていない雰囲気が画面越しにも伝わってきた。

 

「早坂さん、眞妃の弟くんってどの子?」

「たぶん一番前にいる子じゃない? ほら今真ん中でボール触ってるちょっと茶髪な方」

「かぐや様(仮)が芝の上を駆けてらっしゃる……?」

「もう好きにやれだし~」

 

 ちょっと薄目になりながら画面を見ているエリカは無視する事にした。彼女にしてあげられる事は何もない。本人が満足するまでテキトーにあしらっておけばいいだろう。

 

「って、スタメンにみぃいないじゃん。飛ばすよ~」

「待って早坂さん!? 今いい感じでかぐや様の印象にダブらせてるからそのままにして」

「……え? じゃあこの試合フルで見んの?」

「……」

「無視!」

 

 かぐやの事になると信じられない神経の高ぶりを見せるエリカが、その思いを一点に注いでいるのだから集中力も相当の物だろうか。

 早坂は少なくとも九十分この映像に時間を費やす覚悟を決めた。決めざるを得なかった。途中で変に止めるとエリカが何か怒りそうだからである。たぶん見ている物の魂のステージが違った。悪い意味で。

 

 

 〇

 

 

『試合は後半三十分を超えました。スコアは現在港区立が1点、秀知院が2点。港区立は苦しい展開が続いております。交代のカードをどこで切ってくるか、重要な終盤の局面です』

 

 思っていたより競った試合展開に、早坂は結果を知っていてもハラハラし始めた。

 美城がいる方、港区立は前半の早いうちに帝が得点を挙げたはいいが、それ以降最低でも二人にマークされて思うような攻撃をさせてもらえない状況が続いていた。

 対して秀知院はサッカー部の当時一年生エースの渡辺神童を中心とした攻撃陣が上手くはまり、前半四十二分に左サイドから挙げられたセンタリングを神童が決めて一点。後半二十六分にペナルティーエリア外から神童のミドルシュートが突き刺さり二点目という内訳でリードしていた。

 

「このままだと負けちゃうんじゃ……」

「何言ってるの巨瀬ちん。こっからみぃが出てきて逆転するんだから」

 

 見る前はなんやかんや言っていた二人は素直に応援し出していた。それが秀知院でない事にサッカー部員が聞いたら嘆いただろうが。

 

『ここで監督動きました。11番竹地選手を下げて13番の五条美城選手を投入です』

 

「やっとみぃ来た! がんばれー」

 

 ようやく馴染みのある名前が出た事で早坂のテンションは上がった。ワクワクしながらベンチから飛び出す選手に目をやる。

 

「え、みぃ?」

 

 画面に映った選手の姿に虚を突かれた思いになった早坂は、そういえば彼が転校してきた当初、サッカー部の部員が美城に絡みに行った場面を見た事が無かったが、今この画面を見て納得した。

 見た目の特異さを隠すためか、日光対策のためか、あるいはその両方か。美城のいで立ちは、肩より下の黒髪に、日に焼けたような浅黒い肌をしてサングラスをかけている。今とは似ても似つかない見た目をしていた。この人物と今の真っ白な美城を結びつけるのは難しいだろう。

 

「これ五条くん? なんか……今と全然雰囲気ちがうわね」

「わざとに決まってるでしょ~。日焼け対策に帽子的な何か被ってファンデ肌に塗ってるんだし。みぃが日焼けできるはずないんだから」

 

 見た目はアレだが、顎のラインや華奢な体躯は早坂も良く知っている物で見間違えるはずがない。

 

 ……何だ今のお前の身体の事はよく分かってるぜみたいな言い方。まだ私は空の蒼さも知らないし美城の乳首の赤さも知らないのに。あのセクハラメイドが言うには大層綺麗なピンク色だそうだけど。

 

「ここまでして帝くんのために出るのね。さすが五条くん。従者の鑑だわ」

「……もう普通に試合見ちゃってるじゃん! 長々言ったの何だったの!?」

「サッカー薄目で見てたら誰が誰だか分からなくて……。かぐや様はかぐや様なんだし、もういいかなって」

「返して! ウチの時間を返してよ!」

「……って言って返ってきた人いる? いないでしょう?」

「やかましいし!」

 

 なに魂のレボリューションを試みようとして諦めてるんだこの女は。ふつふつと怒りが沸いてくるが、確かにガッツリ小一時間サッカーを見た結果は返ってこないのだ。エリカの頬を摘まみながら自分を納得させて、お目当てのピッチに立つ美城を見つめた。

 帝に一言二言耳打ちすると彼とは逆サイドの前線に走って行く。美城の話によるとシュートを決めて秀知院の都大会出場を阻んだらしいが、早坂もその全容がどんな物なのかは知らない。彼も恋人が特にサッカー好きではない事から詳しく話さなかったのだろう。

 

 今美城が加わった港区立は、早坂が見ている画面でいうと右側へ攻めていく立場だ。手前側に帝がいて奥側に美城がいるツートップの攻撃陣形、いわゆる4-4-2の形を取っていた。

 対して秀知院は残り少ない時間を防御に充てるようで、センターフォワードの神童を一人前線に出して後ろ目に陣を敷いた。二人は帝のマークに使うのでシステムには加われないが、それでも四人のディフェンダーと三人のミッドフィルダーをそろえた守備的な陣形だ。

 

『さて前線のメンバーの変更が攻撃にどう変化をもたらすか。注目です』

 

 自軍の中盤からボールを貰った美城はゆっくりとドリブルを開始した。アナウンサーの言葉ではないが、早坂は彼を注目する。それ以外が目に入らなかったというべきか。

 稲光を誰にも捕まえられないように、美城はするすると面白いように前線へ抜け出して行ったのだから。

 上がってきたMFを左右に振って開いたスタンスの間を通して一人抜き、リフティングのように蹴り上げ頭上を飛ばして二人抜き、軽やかにターンしたかと思えばいつの間にかDFの前に出る三人抜きを見せる。逆サイド側一人を残して三人のDFが美城の前に出てシュートコースを塞ごうとするよりも早く、彼は誰もいない逆サイドにクロスボールを上げた。

 このままラインを割るか? と逆サイドに残っていたDFが一瞬甘えた次には、マーク二人との追いかけっこを制した帝が抜け出している。まずいと思った瞬間には、帝の蹴り足がボールを蹂躙した。

 

 ドン!!

 

 ボールの悲鳴が聞こえたかと思うと、空気を切り裂く断末魔と共にゴールに突き刺さった。

 

『ゴー――ル!! 決めました港区立! 厳しいマークを受け続けた四条帝のゴールで2-2同点です!』

 

「やったわね早坂さん」

「ね、巨瀬ちん。みぃ何人も抜いたもんね」

 

 キャッキャと女子二人で手を取り合って盛り上がる。

 早坂も美城がいる方が勝つとは分かっているが、単純に彼氏がカッコよく活躍している姿を見るのは気分が良かった。しかしただキャーキャー言うだけの浮かれ気分ではいけない。自分の知らない彼がどんな様子なのかを知るのが今日の目的なのだから。

 画面に目線を戻すと、ゴールを決めた帝に駆け寄って勢いよくハグする美城が大写しになっていた。メチャクチャいい笑顔だった。こんな笑顔は自分にも見せてくれた事が無いのに。

 とはいえここは冷静にどうして彼がこんなにも嬉しそうなのか考えなければ。……考えるまでもなく勝利に近づいたからだろうが。加えて心底尊敬する四条帝と一緒と言う要因も考えられる。

 

「早坂さん次のプレー始まるわよ」

「そういえば巨瀬ちんもういいんじゃない? かぐや様を薄っすら感じ取る作戦は終わったんでしょ?」

「それはそうだけど、でも友達と一緒にスポーツ観戦って結構面白いから、最後まで一緒に見ましょう」

「巨瀬ちん……」

 

 まともな事を言うものだ。……これでかぐキチ三平でなければもっといいのに。かぐやファナティックすぎるエリカの行動が、早坂の学校での心労の二割を担っている事をこの少女は知りもしない。ちなみに残りの内訳はTG部が五割かれんが二割、最後の一割はクラスの人間関係である。

 

「秀知院が端っこ二人を神童くんと並べたわ」

「攻めないとダメってことっしょ」

 

 秀知院側は相変わらず帝に二人つけたままで、神童を先頭に前線を押し上げ始めた。細かいパス回しでじわじわと前に攻めのプレッシャーをかけ続ける。

 しかし、細かいパスが増えると言う事はボールに触れる機会が増える事であり、それはミスが増えるというリスクも孕んでいた。実際にパスを受けた選手がトラップをミスして、相手に目前まで迫られ慌ててパスを出す場面が散見される。

 

「なんか危なっかしい攻撃——」

 

 早坂が感じた危険を口にした瞬間、それは来た。

 

 左サイドに上がったパスを受けたサイドバックが二歩先にボールを落とした――瞬間に、美城が息をつかせぬ速さでもってボールを奪い去ったのである。

 しまった、と思った瞬間には高速ドリブルでハーフライフを越えられて、あっという間に終盤の展開にもっていかれていた。門番役として後ろに残っていたMFが果敢にスライディングで奪いに行くが、分かっていたかのように跳んで躱される。

 ペナルティーエリアの前にDF達が壁を作って待ち構えるのと、逆サイドから再び帝が上がってきたのはほぼ同時だった。同じようにさせるか、と一瞬ゴールキーパーが帝からのシュートコースを確認し、視線を美城に戻した。

 小柄な美城が守備陣に阻まれて苦しそうな展開が続いている。小さいからあいつ見え辛いな、と思った彼が次に美城の姿を見た時、その足元にボールは無かった。

 奪ったのか。と思えたのは一瞬。必死に跳んだDFの頭から弓なりのボールがこっちへ向かってくる。キーパーに戻したのでは当然ない。美城がシュートを放ったのだ。

「高い。外れろ」という思いをあざ笑うかのようにゴールに鋭く落ちて来た。

 わずかに遅れた反応を取り返すように、必死に手を伸ばして飛びつこうとして……その数センチ先を残酷にも通り過ぎていく。

 そうなるように美城が蹴ったのだから。

 

『ゴー―ル!! 中盤ボールを取ってから一瞬でした! 途中出場の五条美城、見事なドライブシュートが決まりました3-2! 港区立逆転です!』

 

「え、ちょ、えっ! ねえ今の凄くない!?」

「スポーツコーナーとかで見るスーパーシュートみたいだったわね!」

 

 今度はパチパチと両手をエリカと合わせて喜んでから、高揚した気持ちのままで次に映し出される美城の様子を待った。

 そしてそこに映っていたのは早坂の知らない彼だった。

 いつもは口角を上げる程度の“お上品”な笑みしか浮かべない美城は、喜びを爆発させるように大きく笑っている。それでも喜びを表現しきれないように、腕を振り上げてそのまま高く掲げていた。

 ゴールを決めた反応としては普通の事かもしれないが、彼女が見ていたのはこんな事をしない彼だ。新鮮な驚きと共に、美城という人が内包する要素の一つを新たに見いだせた気がした。

 

 数分後、試合は4-2で港区立高校が強さを見せつけて勝利した。アディショナルタイム3分の間に美城が出したスルーパスに反応した帝が、身体能力の高さを見せつけたロングシュートを放ちハットトリックを決めた事で完勝したのである。

 が、そんな事は早坂にとってはもはやどうでも良かった。

 大切なのは五条美城は前に出る事が好きな人間である、という確信を得られた事だけだ。目立ちたがり屋、という意味ではなく、リーダーという意味で。

 二つのアシストと一つのゴールの様子を見比べればそれは簡単に分かった。

 

 正しく言えばそれは早坂だから分かった事だ。

 数日前彼女が自分でも言っていたように『人間観察は従者の基本』。そして早坂愛は超一流の従者である。

 客が唇を舐めた様子からワインを取り換えたり、手首の返し方一つで部屋の温度を調整したりするような異常ともいえる観察眼をもっている。それをもってすれば、二つの喜び方の違いから性格がどんな方向性を向いているかと言う事さえ理解できてしまうのだ。

 

 

 

「そろそろバド部に行ってたみぃが帰ってくる頃だから迎えに行こっかな~」

 

 半分本当で半分嘘の言葉をさも独り言のように早坂はつぶやいてみせた。

 そろそろ帰ってくるのは本当だが、まだ余裕があるはずだ。表の方から聞こえてくる運動部の声出しはまだまだ盛況である。

 

「じゃあ私マスメディア部に帰るわね。今日はありがとう。それ返さなくていいから」

 

 察しは悪いが気は回るエリカは『早く五条くんに会いたいんだろうなぁ』と素朴に思い、カップルにとっては邪魔だから立ち去ろうと自然に気を回した。かぐやが絡まなければこんなにまともな女子なのに……。

 

「巨瀬ちんもう帰っちゃうの? ……てかいいの?」

「いーのいーの。だってそれコピーだから。じゃ、五条くんによろしく」

 

 かれんは恋愛の事でやいのやいの言ってくれるけど、これくらいの気遣い私だってできるんだから。エリカは友人と貴重な体験をした事と、さりげない気遣いでクールに去れた事で気分を良くしながらマスメディア部に向かった。

 かれんに話してあげよーっと。そんな感じでウキウキである。

 

 

「さて……」

 

 エリカの足音が聞こえなくなったころ合いで早坂も腰を上げた。小型プレイヤーを鞄に収め、自分の鞄を持って行っている美城はここが使えなくなっても文句はないだろうと外に出てカギを閉める。

 スカートのポケットにそれを入れて、考え事をしながら校舎を歩き始めた。

 もちろん美城の事だ。

 

 思えば早坂は、彼の現実味の薄いほどに献身的な姿に惚れた訳だが……こんな裏切り者の自分でも受け止めて許してくれる人がいる、という具合に。

 しかし先ほど見た試合映像での、アシストした時と自らゴールを決めた時の二つを比べると、彼は身を捧げるよりも力を尽くす方が好みに感じられた。地盤に甘えない成長を志す社長などに見られる覇気にも似た雰囲気である。

 そこまで考えて、忘れていた訳ではないが彼が以前語ってくれた事を強く思いだした。

 

『私は私を諦めたいのですよ』

 

 彼が優しいのは嘘ではないが、その始まりは自分を負かす相手を生み出すことで、自分は上に立つ人間ではないと安心するためである。

 今の美城は諦めの境地に立つ事が出来たのかと言えば、もちろんそんな事はない。この話を早坂にした事が何よりの証拠だ。

 彼女としては諦めから始まった彼の行動と感情に絆されたのは少しだけ苛立つが、裏切りを強いられた諦めの中にいた自分が言うのはお門違いだろうと思っている。それに救われた訳だから。

 

 

 諦めを根底に漂わせたままでいるのは辛くないだろうか。少なくとも私は私の世界に纏わりつく諦めを無視して、嘘偽りなく美城と付き合うのはとても楽しいと思っている。言葉にすると簡単に見えるけど、心なんてこんな物なのだろう。

……つまり難しく考えるのは止めよう、と言う事か。シンプルに言えば、彼は一番とか主役とかになりたいだろうから、私がその舞台を用意してあげられたら喜んでくれるかも……。

 うん。こんなところかな。

 

 

 早坂は大まかな行動指針を得られた事で次の思考に移った。

 その舞台というのはどうするのか。ここに尽きる。

 一番手っ取り早いのは学園は直近に体育祭を控えているのでそこに向けて頑張る彼をサポートしてあげる事だが、もちろん体育祭は外で行われる。日の下に出られない美城にはきつい行事だ。

 きついどころか早々に美城は参加しないと言っているので、体育祭で彼を主役にしようという目論見は達成不可能である。

 いっそ自分で何らかの大会を開いてしまうのも次善の策か、と思う。しかし早坂には金があっても暇はない。これも土台から無理な思いつきに過ぎなかった。

 どうしようかな。かぐやの無茶ぶりにも数多応えた、冴える早坂の頭をもってしても答えはすんなり出てきてくれない。

 

「会長、体育祭の議事録漁ってたら振付カード出てきましたよー」

「そうか。ならそのまま使わせてもらうとしよう。振付を一から絵に起こすのは手間だろうしな」

「そうですね」

 

 思考の袋小路に行きついた早坂の耳に、ふとそんな声が飛び込んできた。このふんわりとした能天気そうな声と、どこか威圧する響きを持った声は、藤原千花の物と白銀御行の物に間違いない。

 踵を返してどこともなく行こうと思ったが、人と話すことで何か思いつくかもしれないと考えて、曲がり角を曲がる際にギャルをかぶり直し、無駄に楽しそうにターンした。

 

「あれあれ~。書記ちゃんに会長さんってば二人してどしたし~?」

 

 周りに☆を散りばめたような頭軽々空間を作り出しながら、真面目そうな会話をしている二人に話しかけた。

 

「早坂さんじゃないですか。あれ? シロちゃんは体育館でバド部と対決しているそうですけど、行かなくていいんですか?」

「まーウチはお留守番を託されたって感じだし。それより二人とも内緒話? なんか怪しーなあ」

「変な事を言うな早坂愛。俺たちはただ体育祭の資料を探していただけだ」

「へー。その会長さんが持ってる紙もそうなん?」

「ああ」

「見~せてっ」

 

 おい、と言って止める白銀の声を無視して、彼が持っていた紙をその手から抜き取る。ピラピラとはためかせながら目の前まで持ってくると、端の部分が焼けた少々古い紙の中に簡略化された人が踊りを踊っている様子が描かれていた。

 

「ソーランソーラン♪ って、これソーラン節?」

「そうなんです。今年の二年生全体プログラムはソーラン節ですよ」

「学年全体プログラムは得点に関係ないからな。気軽に楽しんでくれ」

「ふーん。会長さんは踊りに自信アリって感じ~?」

「まあ少なくとも苦手意識はないな」

「えっ……」

 

 藤原が凄い顔をして白銀を見つめる。彼女は何度も白銀のポンコツな部分を必死に矯正してきた経験から、彼のその言葉を微塵も信じる事が出来なかった。

 早坂さんが去った後に確認しよう……。藤原は白銀の秘密のために気を利かした。結果はもちろん皆さんご存じの通りである。

 

「どうせすぐに先生から発表されるだろうが、まだ秘密にしておいてくれるか」

「りょうか~い。ウチと会長さんだけの秘密……ってね?」

「おい変な言い方するな」

「というかナチュラルにハブられました?私」

「まあまあ。みぃなんか体育祭全ハブられだよ?」

 

 白銀と藤原の両者はあっと絶句すると、神妙な面持ちになった。二人は基本的に優しい人なので不謹慎なネタにどこまで反応していいのか考えてしまったのだ。

 笑った後に『は?何笑ってんの意味わかんないウチの彼氏が参加できないのがそんな面白いの?』とかキレられたら主張の攻撃力が高過ぎて長男でも耐えられないだろう。

 

「……あはは、ごめんだし~。変な空気にしちゃった。じゃ、ウチそろそろみぃ迎えに行かなきゃ」

 

 いたずらに空気を重くしてしまった事を反省しながら、「クラスでみぃにそんな顔しちゃダメだからね~」と愛想笑いを浮かべながら言って早坂はその場を後にした。

 

 

 

 悲しみを無駄に増やしてしまった……。

 早坂は体育館に繋がる階段を下りつつ、そんな事を思う。それと共に、やっぱり美城の置かれた状況って結構きついなぁ、とも考えた。

 天真爛漫にも見える明るさと、系統的に藤原のギャグ属性を抱えつつ、笑って人助けを承諾するような優しさに忘れてしまいそうになるが、行事はほぼ全て参加できず体育も半分以上は教室に待機する彼の状況はとても笑えた物ではない。

 

 このままじゃダメだ。やっぱり私が何とかしないと。……結局最初の考えに戻ってる。

 

 たっぷり時間を費やして堂々巡りした事実に、さすがの早坂でも肩を落とす。

 やっぱり物言わせましょうか?金に。

 現ナマ転がす物騒な事を考え始めた。非課税の一千万円なら今日中に用意できますけど?と謎の自信があった。

 体育館に繋がる廊下をそのまま歩いていると、部活の声出しとは異なる雑多な声の響きが聞こえてくる。談笑だろう。どうやら部活の時間が終了したようだ。体育館と少し離れて並び立つ武道館と舞踊館の、舞の方からダンス部が出てきて早坂の横を通り過ぎた。

 

 ダンスだったら主役……センターとかに立たせてあげられるかな。

 

 何をしようと考えている中、とりあえずどんな物からでもヒントを得たいと視界に入った物事から脳内図式に当てはめていく。

 

 大切な事は、本当は前に出て頑張りたい彼に相応しい立ち位置があるかって事と、私がするんだから手間がかけられないって事と、何よりも楽しめるかって事。屋内で出来る事なのは前提として。

 ダンスだと異彩を放つ白髪はセンターの位置に相応しいと思う。顔役にはもってこいでしょ。私がしてあげたいという観点から言うと、舞踊館を借りるのは生徒ならそんなに難しい事じゃないから都合がいい。楽しめるかって言うと……彼にとって楽しくない事ってあるの?というレベルだ。

 じゃあダンスで案を固めたとして、やっぱり人は欲しい。人を集める口実と言うと……あっ、ソーラン節……ソーラン節だ。体育祭に出れない美城のために、ソーラン節の映像を撮ってあげたいとでも言えばカメラに見栄えするくらいの人数は集められるはず……。

 

「愛?」

「ひゃっ! ……ってなんだぁ、みぃじゃん。驚かさないでほしいし」

 

 早坂にしては珍しく周りに気を遣う余裕もなく、美城が近くまで来て声をかけるまで気が付かなかった。

 それだけ考えていると思って欲しい。誰に言うでもなく、心の内でつぶやく。

 

「ねえねえみぃ」

「何でしょうか?」

 

 美城のバド部あがりの汗をかいた体臭が早坂の鼻を刺すと、どういうわけか甘いような匂いがして彼女を無性にドキドキさせた。何を食べたらこうなるのか切に教えて欲しいくらいだった。

 もしかして私匂いフェチなのか、と自分を疑い始める前になんとか用事を思いだして口にする。

 

 

「みぃの事、主役にしてあげるからね」

「……はい?」

 

 

 本日の勝敗 なし(早坂愛 行動開始)

 

 




帝くんが通う高校の『港区立高校』はもちろん私がテキトーに考えた名前です。

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