五条美城は白サギ嬢   作:アランmk-2

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あけましておめでとうございます。
今年も『五条美城は白サギ嬢』をよろしくお願いします。



早坂の情緒は乱高下

 同じ言葉でも言う人が違えば受け取る印象は大きく変わる。

 早坂がそんな匿名掲示板のネタスレの前振りみたいな事を考えていたのは朝の休憩の時だった。

 

 例えば早坂はよくつるんでいる駿河や火ノ口に「ぶっ飛ばすぞ」と凄まれてもハイハイと言った物だろうが、これが恋人の五条美城にでも言われよう物なら泣きながら平謝りするに違いない。

 例えば「どしたん? 話し聞こうか?」なんて美城に言われたなら、早坂は恋人の優しさに心打たれて『しゅきぃ……』と巨瀬エリカみたいな反応を示しただろうが、チャラ男に言われたら透けて見える下心に迷いなく侮蔑の感情を向けるだろう。

 

 というか向けていた。

 

 

「愛」

 

 呼ばれたのは自分の名前。

 秘密裏でも誉れ高き四宮従家の早坂に一人娘として生まれた自分の名前である。

 たった二つの音節からなる短い響きには、不思議と気分を明るくさせてくれる魔力が籠って……

 

 

「何かチョーシ悪いみたいじゃん? 話聞こうか?」

 

 くれるはずなのだが、今呼んできたのはその魔法を使える人ではなかった。

 珍しく余裕を持って登校した早坂が一番に出会ったのはテンプレみたいな事を言って近づいてくるチャラ男であった。

 茶髪に染めた髪に着崩した制服。ワイルドといえば聞こえはいいが、下品と言ってもいいような男である。

 お前じゃねえ座ってろ。

 

「えー。どしたし? 別にそんな事ないけど~」

 

 馬鹿馬鹿しいと思わなくもないが、しかしこういう手合いしか持っていない情報もたまにあったりするので、学園の広範な情報を集めている早坂はちゃんと相手をした。こんなのでも一応小学校から入ってきている“純院”の生徒だ。

 家はそれなりに上手くいっている金属工業の会社だが、この秀知院では平均より下と言った所だろうか。それを隠すためかは知らないが殊更派手な遊びに人脈と手を付け、彼はスクールカースト上位の立ち位置にいる。

 

「いや、分かってっからさ。五条と喧嘩したらしいじゃん」

 

 さすがこういう手合いは耳が早い。だが別に喧嘩したワケではない。声を大にしてそこは反論したかった。

 耳の早さにおいてのみ早坂は感心していると潮目と見たのか目の前の男子は素早く話を続けてきた。

 

「まー五条はイイやつだけど彼氏としてダメっしょ」

「え~、そう~?」

「だって愛まだバイトやってんじゃん。服とかアクセ欲しーって」

 

 次に何を言うか九割方分かった早坂ではあったが、ここは『見』に回る。

 

「俺なら愛にバイトなんかさせないけど?」

 

 あはは、とお世辞に愛想に色々取り繕った笑いを浮かべて彼の言葉を受け流した。

 言うぞ言うぞ、絶対言うぞ、そら言うぞ。某人気ファンタジーRPGの父親みたいな言葉が口をついて出てきそうだったが、何とか堪えた所である。これがアーロンだったらすぐに言っただろう。シンはジェクトだ。

 

「五条ってデカい家なのにケチ臭いよな。彼女のアクセ代くらい出せって。やっぱそういうのは男が出してやるべきじゃん。バイトの時間分暇出来た方が愛も嬉しいっしょ?」

 

 せっかく早坂にナギ節が訪れたのに引っ掻き回すような事を言う男だった。

 事情を知らなければそう思うのも無理はないが、彼女の『バイト』はこの国の頂点とも言っていい四宮家から受けている仕事なのだ。

 それに彼の言う『ケチ臭い』五条美城との関係も大きな一歩を踏み出した所で、今が一番楽しい時なのだから貶されると腹が立つ。金髪の下で青筋がピキッていた。長女だから耐えられたけど次女だったら耐えられなかった。もしこれが白銀を馬鹿にされたかぐやならあっさり馬脚を現したに違いない。

 

 とにかくこの目の前のチャラ男の口車に乗る気は毛頭ないのだから断る以外にありえなかった。あとはどうやって断るだが……。

 

 

 

「愛?」

 

 頭を悩ませる早坂に向かって響いた音は、自分の名前だった。

 今みたいにギャルを演じて、完璧な従者を演じて、その裏で……な自分の全てを明らかにしそうな声で、思わず彼女は音がした方向を見た。

 

 キラキラと朝日に溶けて消えそうなほどに白い髪と白い肌、着ている学生服の黒がはっきりと現世に影を落としている事を知らせてくれる不思議な見た目の、早坂の恋人と言う事で名が通っている五条美城である。

 まず彼は人好きのする笑みを浮かべると男子の方を向いて朗らかに声をあげた。

 

「おはようございます、高木くん」

「お……おう」

 

 美城の挨拶に男子は少したじろぐような素振りで応じた。さすがに今まさに口説こうとしていた女の子の彼氏に挨拶されると気まずいようだ。頭を掻いて誤魔化そうとしている。

 その様子を一瞥すると今度は早坂の方を向く。彼はまん丸でぱっちり二重の瞼を瞬かせて、ふっと微笑んだ。

 

「愛」

 

 その柔らかい微笑みのまま、彼はもう一度恋人の名前を呼ぶ。

 

「おいで」

 

 羽で撫でるように柔らかで軽やかな声。

 その声を聴いた瞬間、話しかけてきた男子への言い訳だのは完全に頭から抜け落ちて、美城の言った事以外はどうでもよくなった。

 あっという間に彼のそばに行くと、控えめに学ランの袖をきゅっと摘まんだ。

 

「おはよ、みぃ」

「おはようございます」

 

 青い視線と赤い視線が絡まるように見つめ合うと、二人は楽しそうに笑って、早坂は美城の横に体を寄せた。

 

 あっけに取られた高木とかいう男子はポカンとした表情を解けないまま早坂を見ていて、噂に聞く所と目の前にある実態に理解が追いつかない様子だ。もしくは男の娘なんて物に目当ての女が首ったけな現実を受け止められないのだろうか。

 知った事じゃないけど、と早坂は内心で思い、ワンチャン狙ってたであろう男子に現実で頬を叩いてやる事にした。

 

「……ってワケだから。心配アリガト」

 

 おちゃらけた中にも冷たい気持ちを乗せた言葉はしっかりと横っ面を叩いたようで、何とも言えない顔をして黙る男子がそこで立ち尽くす。

 もう言葉も態度もいらないだろう。そう思った早坂はどこか行こうと隣の彼の手を握って催促した。

 

「ありがとう美城。助かったよ」

 

 あそこから角をいくつか曲がって人気の少ない所に出ると、こわばりを解くように息を吐いて助けてくれた彼氏に感謝した。平気とは思っていたが、付き合ったフリの頃から告白はされなくなっていたので久しぶりの事に緊張していたようだ。

 

「いえ、大事な話でなかったようで安心しました」

「まあ彼にしてみれば大事な事だったかもしれないけどね。美城より俺に乗り換えないかーなんて言われたし」

「駄目ですよ愛。高木くんは最近彼女さんと別れてしまって新しい恋を探していますから、愛みたいな可愛い女の子はすぐ狙われますよ?」

「どうりでね。でも、そっか……。ふふふ」

 

 リラックスした様子で話していた早坂は、何かに気が付いたように急に笑い出した。おかしいと言うより嬉しいと言うべき顔でクスクスと肩を震わせる。

 

「どうかしましたか?」

「いや、『おいで』だって。……くふっ」

 

 笑ってはいけない、とある年末の番組くらい思うのだが、彼が見せてくれた雄姿を思うとちょっと無理という感じであった。何とも彼にそぐわない。

 

「困っていた愛が笑顔でこちらに来てくれましたから、言った甲斐はありましたね」

「へえ。何ですか? 急に私の事がそんな大好きになりましたか?」

 

 半分笑いながら、嬉しい事を言ってくれた美城を少し揶揄するような言葉で応戦した。

 他の男子と話しているところに出てきて『おいで』なんて、少女漫画で付き合いだしたカップルがやるような事だ。『こいつ、俺のだから』まで言ってくれたら早坂の脳内乙女ビンゴが揃って好感度がもう一段階上がる所だった。もう三段階くらい上がったら家を出て五条の嫁になる覚悟が固まるまである。

 

「はい」

「え?」

 

 切り返したと思ったら鉄砲で撃たれたような真っすぐな答えが返されて、早坂の開いた口から何の思慮も無い返事が漏れ出た。

 

 

「その通りですよ。愛がちょっかいかけられていると知れば、居ても立っても居られなくなったのです」

「ちょ、ちょっと待って」

 

 忘れていた……訳ではないが、五条美城は好意を表に出す事にためらいの無い人物だった。どこかの誰かさんに爪の垢を煎じて飲んで欲しいくらいである。早坂の心労が三割減る事だろう。

 とにかく、彼が言葉を口にするのなら、きっと真っすぐな物であるに違いないのだ。続く言葉に期待と共に、ある種の恐れすら抱くような心地であった。

 

「あなたは私の恋人ですから」

「ぁぅ……」

 

 予測できても回避不可能な170キロのストレートのように、ど真ん中に突き刺さる文言だった。彼らしく柔らかな物言いであったが、言葉の意味する所は『こいつ、俺のだから』みたいなものである。くらくらと揺さぶられた心は、好意の段階が上がったのを早坂も自覚した。

 

「ふふっ。分かってくれましたか?」

「……はい」

「よかった」

 

 優しくはあるが、どこか有無を言わせないような口ぶりに、早坂は『美城って実は結構俺様系?』と不思議と胸を高鳴らせた。優しさと強引さの相反する物を兼ね備えたメドローアみたいな男である。

 

「今日は……」

 

 揺れ動く心で危うく美城の言葉を聞き逃しそうになった早坂はすぐ意識を横に戻した。

 

「ボランティア部の活動はしないでおこうかと思います」

「……何で?」

「少し自分を見つめ直す時間が必要かなと」

「そんな夢見がちな若者みたいな事、美城でも思うんだ?」

 

 自分の裁量で好き勝手出来るボランティア部の活動を楽しんでいる彼が、そんな事を思うなんて珍しい。そういうのは目的も何もない人間が、現実逃避のためのおためごかしに言う言葉と早坂は思っていた。酷い言い草である。

 

「ですが、それにはある方の協力が必要なのです」

「そうなの? 誰?」

 

 そう言う美城の言葉は、北海道だかインドだかにやたら自分探しの旅に出かけそうな軽薄さとは違って具体的な算段が立っていそうだ。空回りする計算に付き合うのも慣れてはいるが、どうせなら自分の努力が結果を生み出すような物事に付き合いたい。

 

「もちろんあなたですよ、愛」

「……? ……えっ?」

 

 赤い瞳が自分を見つめているのと、その持ち主が自分の名前を呼んでいるのと、それぞれ一瞬遅れで気が付いた早坂は、理解の足りないおバカのように右に左に小首をかしげて、そしてようやく『私の事だ』と気が付いた。

 

「意味が良く分からないんだけど……」

 

 どちらかというと、藤原や眞妃の方が向いている気がする。

 

「昨日のアレがありましたよね」

「アレ……? ……っ!」

 

 昨日、そして言葉に表すのを少しためらう出来事、といえば体育倉庫でキスをしてしまった事以外に無いだろう。唇を撫でたあの柔い感覚を思いだして早坂は思わず頬を赤く染めた。

 

「あ……アレは美城が勝手に……!」

「そうです。私がしたくなったから勝手にしたんですよ」

 

 乙女のファーストキスを奪っておいてこの開き直りであった。その態度に文句の付け所は様々あったが、早坂もされた物事自体は嬉しかったので否定する事など出来はしない。

(……また“勝手に”してくれないかな)

 むしろそんな風に思うのだ。

 

「そこに至ったいきさつを深めていきたいと思っているのですから、愛がいないと始まりませんよね」

「……そうですね」

 

「“二人きり”で考えましょう?」

 

「……そうです……え?」

 

 さらりと飛び出した発言に頷きかけて、何かとんでもない事を言われている事態に一瞬遅れで気が付いた。

 

 

 二人きり……?

 二人きりと言う事は、私と美城が、あの誰も来ないような所にある空き教室で一緒にいるって事で……。

 つまり、昨日の状況とおんなじ……?

 

 

 彼女らしくもない、ゆっくりと一段ずつ踏みしめるような考えが、結論という頂点に達すると、今度は耳まで真っ赤になって耐えられないようにうつむいた。

 期待に早鐘を打つ心臓を、なんて浅ましいと止めてしまいたくなるが、鼓動の度に好きという気持ちを送り出す心地よさは抗えるような物ではない。それに、せっかく彼がどういう事か彼女も分からないが好意を溢れさせてくれるのだから、それを浴びるほど飲んでからでも死ぬのは遅くない気がする。

 

「ね、愛」

「……はい」

 

 蚊の鳴くような弱弱しい声で、早坂は美城の提案に頷くのである。

 彼のため。彼のため。そう言い訳しながら放課後の予定を固めつつ――

 

 ——やっぱり、期待しているのも事実だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死ね死ねビーム!」

 

 偶然通りかかった生徒会会計が、我々が知るより一か月早く妬み嫉みを凝縮させた光線を放っていた事を彼らは知らない。

 

 

 

「伊井野。どうなってるんだ風紀委員の仕事は」

 

 放課後の生徒会活動での事である。

 どちらかと言うと受け身人間な石上優が、自他ともに相性が悪いと思っている伊井野ミコ相手に論議を俎上に載せたのは。

 

「何よ歩く校則違反。そんなに隠し持ってるゲームを取り上げられたいの?」

「何度も言わせるな生徒会室は治外法権だぞ」

「この棟から一歩でも出たら没収ね」

「……置いて帰ろうかな」

 

 ……弱い……あまりにも。

 

「……そうじゃなくて、不純異性交遊は違反じゃなかったか? まあ守ってる奴なんていないけど」

「二つ一緒に答えるけど、そうね」

 

 ミコの視線は白銀の下に集まっていった。釣り目だが大きなせいでくりっと円らな印象を与える彼女の目は、今は鋭く剣のように生徒会長を貫いている。

 昨日備品のチェックのため、普段使われない体育倉庫も合わせて生徒会総出(何なら外部のボランティアも利用して)で向かった。だが白銀とかぐやだけが異様に遅く、探しに行ったミコが倉庫内で白銀がかぐやを押し倒している場面を目撃し……不純異性交遊厳罰化の必要性を改めて感じていた所だ。

 

「何故そこで俺を見る」

「くずめ!!」

(もうやだー死にたーい)

 

 その事を持ち出されれば鬼もチワワに負けるのである。白銀は内心涙目でミコの言葉を聞き流すよう努めていた。

 

「会長なにかあったんですか?」

「いや、気にするな石上。それより、どうしてまた異性との交遊を咎めようって話になったんだ?」

 

 石上がサッカー部やバスケ部はカップルが多いから部費削減、と提唱した過去は白銀の記憶にしっかりと焼き付いているので驚きはないが、なぜ今になってその主張を掘り返してきたのだろう。

 

「……美城くんと早坂先輩ですよ」

「存在が校則違反と歩く校則違反パート2……」

「お前先輩の事をそんな風に思ってたのかよ」

「だって五条先輩は違反項目を特例で10個見逃してもらってるし、早坂先輩の……特にネイルなんて校則違反も甚だしいんだから!」

「ネイルって違反だったのか……」

「あまりにも美城くんが早坂先輩を綺麗綺麗と褒めるからフツーに良いのかと思ってました」

「そんな訳ないでしょう!」

 

 以前かぐやがネイルをしていた事を白銀は思いだしたが、藪蛇だろうと口に出すのは止めて石上の議題の全容を聞く事を優先した。

 

「石上が言いたいのはそこじゃないだろう。続けてくれ」

「はい。今日の朝に二人が会話してるのを聞いたんですが…………うぅっ」

「泣いた!?」

「な、なにがあったのよ……」

「今日ボランティア部で二人っきりですねってイキイキした顔で言うんですよ!? 早坂先輩もまんざらでもない感じで。……僕には何もないのに」

「私怨じゃねーか!」

「そうです。私怨です。しかしそれは悪い事でしょうか?」

「悪いに決まってるだろ!」

「伊井野はどう思うんだよ。あの存在が校則違反の事を」

「石上。あいつアレでも先輩だぞ」

「そうね……」

 

 かなり個人的な感情による問題提起である。白銀としてはいずれかぐやに告白させた時にそういう決まりがあると困るので、是非とも突っぱねて石上に涙を呑んでもらいたい所だ。交際の厳罰化が進んだらこの後輩の事を恨んでしまうかもしれない。

 私怨じゃねーか。

 

「五条先輩って見た目と態度が柔らかいから皆けっこう言う事聞いてくれるのよね……」

「あーあー。いつ伊井野さんはそんな物分かりが良くなったのかなー!」

「石上言ってる事クズその物だぞ」

「好きにさせた方が学園を綺麗にしてくれるから……」

「何お前先輩をアクアリウムのエビみたいな感覚で見てるの?」

 

 およそ先輩に向けるべき視線ではなかった。

 

「仕方ないでしょ!」

「いや仕方なくはないだろ」

「だって下手に突っついたら『愛と婚約をしましたのでこれで不純な付き合いではありませんね』とか言い出しそうだし」

「うーん……言うか言わないかなら言うなぁ」

 

 突拍子もない言葉にも思えるが、何となくあの五条美城なら言い出してもおかしくないという不思議な認識が白銀と石上の両者にもあった。というか彼が言わなさそうなセリフはあるのだろうか。今度の暇つぶしに議題に上げてもいいかもしれない。

 

「ちょっとちょっと……え?シロちゃん結婚するんですか?」

「小ボケでしょうが。マジに取らないでくださいよ」

 

 かぐやと話していた藤原が非常に気になる言葉に釣られてふらりと話の輪に加わってきた。彼女はラブ探偵を自称する夢見る乙女であるので、惚れた腫れたの話に目がない。

 

(どうして藤原さんの興味を引くような事を話題に出すのよ石上君!)

 

 白銀をやんわりと避けていたかぐやは、急に藤原が白銀のそばに行ったきっかけを作り出した後輩に文句を身勝手の極みが如くぶつけていた。石上はぶつけられた殺気に、寒気を覚えている。

 

「寒……!逃……否……死」

 

 どこぞの念能力者みたいな死の淵に立たされていた。

 

「違いますよ藤原先輩。石上が五条先輩と早坂先輩に当てられてつまらない事を言いだしただけです」

「な~んだ。石上くん他の人を羨んでるだけじゃダメですよ~。ねえ、かぐやさん」

「……そうですね。精神的に向上心の無い者は馬鹿とも言いますし」

「百年の時を超えて夏目漱石が沁みてるやついるぅ? いねーよなぁ」

 

 いる。

 

「……とは言いますがね、あの二人の境遇を羨んでる人は多いらしいですよ。藤原先輩だっていいなあって言ってたじゃないですか」

「それはまあ……えへへ」

「笑って誤魔化さないでください」

「十年越しの再会というシチュエーションは一貫校の私達には想像し辛いですから、憧れも一入なのでしょうね」

「女の子は運命って言葉に弱いですから。ねーミコちゃん」

「わ、私は別に……」

 

 かぐやは意図しない所で白銀の机に集まってしまったが、普通に話せている事実にふと安心した。昨日の夜に体育倉庫であった出来事を早坂に話した時は異常に心配されたが、己をきちんと律していれば嬉し恥ずかし体育倉庫イベントを経た後でも平気な顔をして会話が出来るのだ。後で自慢してやろう。

 もっと恥ずかしいイベントを従者は経験している事をかぐやはまだ知らない。

 

「ん……? 四宮、髪に糸くず付いてるぞ」

 

 余裕かましていたかぐやに、何かに気が付いた白銀が席を立って近づいた。白銀は言葉通りに、かぐやのカラスの濡れ羽色な黒髪に付いていた糸くずをそっと取ってやる。

 

「あら……本当ですね。こんな物に気が付かないなんて、私ったら……」

 

 バタッ……

 

「……四宮?」

 

 かぐやの華奢な体がふらりと揺れたかと思うと、次の瞬間には彼女の体は床に倒れていた。

 

「四宮!!」

「かぐやさん!!」

 

 一番近くで見ていた白銀と、一番親しい藤原が真っ先に反応して傍に駆け寄る。服が汚れるのも構わずかぐやの横に座り込んで、彼女の様子を確かめた。

 

「大丈夫ですか! かぐやさん!」

「胸が……うぅ……」

 

 苦しそうに言葉を発するかぐやの顔色は明らかに良くない。

 

「石上! 救急車! 伊井野は保険医を!」

「今かけてます」

「は……はい」

 

 白銀の呼びかけに後輩二人は弾かれたように動き出した。

 

「保険医さんが来るまでにかぐやさんをソファに移動させましょう」

「そうだな。床に寝かせるよりはマシだろう」

 

 生徒会室に残った二人は、まずかぐやの安静を確保しようとする。柔らかいソファに移動させようと藤原は足と腰を持ち、白銀は背中を持って頭に手を添わせようと……

 

「ぅぐうぅ……」

 

 すると、かぐやは更に痛々しい呻きをあげて胸を押さえるのだった。

 天才とは言え医療に関しては素人の二人は、余計な事をしないように決めて、最低限頭の下にクッションを置くだけに止めておく。少しでも楽になってくれれば……と祈るような気持ちで藤原がそうしたのだ。

 

 やがて来た保険医がかぐやの容体を診ると、胸が痛いというかぐやの言う事以上は分からず、設備の整った病院で診てもらおうと当たり前の結論をサイレンが聞こえてくるまで待つしかなかった。

 

「かぐやさん……もともとあまり体が丈夫な方ではないんですよね」

 

 救急車に運びこまれていく四宮かぐやを生徒会室から見守る事しかできない。そんな状況で藤原はぽつりと呟くように言う。

 

「季節の変わり目には必ず体調を崩して休みますし……。かぐやさんのお母様も……確か心臓病で……」

「四宮……」

 

 中等部からの親友の言葉は重みを持って白銀の胸の内に沈んで行った。さりとて、今自分に出来る事は何もなく、ただかぐやの病状が大したものでない事を祈るだけであった。

 

 

 

 

 

 

 

「それは恋の病でしょう」

 

 ……

 よかったな白銀。お前の祈りは叶ったぞ。

 

「……それは何かそう呼ばれている心臓病などがあるのでしょうか?」

「いや。普通に好きな人にドキドキする感情の事です」

「お医者様でも御冗談を仰るのですね」

「冗談ではないのです」

 

 一時の小康状態になったかぐやを診た、世界の名医十選にも選ばれた過去もある田沼正造との会話が上である。ふざけているとしか思えない光景が広がっていた。

 かぐやの体調悪化の報を知らせるアラートを聞いて駆け付けた早坂愛は、あまりにもあんまりな会話に思わず顔をうつむかせる。

 

「でしたらなんですか!? 私は恋のドキドキで倒れて救急車で運ばれたと!?」

「はい。あなたのメイドさんが最初で最後の事例と思っていたので私も驚いています」

 

「そんなバカみたいな事私はしません! ……あれ? 何でしょう……うっ、頭がっ」

 

 それ以上いけない。

 

「早坂みたいな馬鹿な事例になぞらえないでください! 私は恋される事はあっても、恋に落ちるなんて無様な真似をするはずありません」

「そうやって人を貶めてポジションをキープしようとしないでくださいかぐや様。悪い所ですよ」

 

「天邪鬼な子みたいだな」

「最近はツンデレっていうんですよ」

 

 もはやかぐやが緊急搬送された時の緊張感は田沼医師と看護師には全くなかった。真剣十代しゃべり場を見ている時の気持ちに一番近い。

 

 診察と評してかぐやの言葉を聞くところによれば、学校で特定の人間の事を考えると鼓動が早くなる。それで今日、髪に付いていたゴミを白銀が取ってくれて、頬に指が触れたタイミングで胸にキュンキュンとした痛みが走った、と言う事らしい。

 

「……それはね、恋だよ」

「違うって言ってるでしょう!? 絶対心臓の病気です! 今まで人生でここまで胸が苦しくなったのは初めてなんです!」

「じゃあ初恋なんじゃないかなぁ?」

「もう! 分からない人ですね!」

 

 言葉を重ねれば重ねるほど医師は冷静になっていき、それに対して怒るかぐやという永久機関がここに完成した。残念な事にこれから取り出せるエネルギーは『徒労』という二文字でしかないだろうが。

 

「かぐや様もう私学園に戻っていいですか?」

「早坂!? 何を言ってるの!」

「何って私、彼をほったらかしてこっちに来たんですよ? それなのに……」

 

 残念永久機関の受容体である早坂は、ずっしりと肩に徒労が乗っかっている気がした。

 言葉を濁した先を言えば、彼女はかぐやが白銀に髪を触られている同時刻に美城に撫でられて、かぐやが倒れた時に名前を呼ばれながらキスされていた、そんな事態である。幸せ絶頂の頃に主人の緊急事態で呼び出され情緒メチャクチャで駆け付けたのに『恋の病』ときた物だ。

 色々とアホらしくなってくる。

 

 早坂の話を聞いて、もしかしてと看護師は思った。彼女は以前早坂が失恋の病で倒れた時に田沼医師と一緒にいた女性と同一人物である。

 彼ってどんな人なんですか、と聞いて写真を見せてもらった事もあり、となれば当然、

「あのとっても可愛らしい彼氏さんの事?」

 それが気になってくるのは仕方がない。女性はコイバナがいつになっても好きなのだから。

 

「はい。そうですけど」

「その後どうなりましたか?」

「……いたって順調ですけど」

「君。あまりプライベートな事は……」

 

「先生少し黙っててください。世の中には男の娘との恋愛話からしか摂取できない栄養素が存在するんです」

 

 怒られた。

 看護師の圧に思わず世界的名医もしゅんとなってしまった。

 

「そうですね……」

 

 早坂は少し考えるような素振りを見せると、あまり間も開けずに語り出した。

 

「彼から……その……キス……されてしまいまして」

「は、早坂、それは本当?」

「冗談でこんな事言いません」

「で、どんな感じでしたかキスの味は」

「味……? ああ、そうですね。キスされかけただけでドキドキに倒れてしまうかぐや様は聞いておいて欲しいんですけど」

 

 詳細は知らないがフラれかけただけでぶっ倒れた早坂にだけは言われたくないかぐやである。しかし今は貴重な実地体験を得られる機会だ、という頭は働いたので黙って聞いてあげる事にした。

 

「ファーストキスはレモンの味、なんて言われたりしますが、キスって味がしないんですよ。代わりに彼の香りが鼻をくすぐるんです」

「そうなのね……」

「ちょっ……ダウトです。キスは直前に食べた物の味がしますよ」

 

 ここで経験者は語る。ちなみに彼女の初キスはソースの味がしたらしい。直前に立ち寄ったお好み焼き屋のせいである。彼氏に『かつお節の味がする。……初鰹?』と言われてクソほどキレた記憶が今なお息づいていた。

 

「キスするからちゃんとオーラルケアしてたんだろうね」

「そういう気遣いできる人は好印象ですよ」

 

「美城はそんな事しなくてもいいにおいする(確信)」

 

「困りましたね。あの容姿を見せられたら強く否定もできません」

「骨の太さは男性なのに肩の細さや指のしなやかさはほぼ女性だからね。奇跡みたいな存在だよ」

「それでどっちが正しいんですか?」

「……会長さんは恐らく味する方でしょうから、かぐや様はソースかケチャップか出汁の味がするキスを覚悟しておいてください」

 

 何か言い方に投げやりな所があったのが非常に気になるかぐやである。あとついでに私の彼氏は特別なんだ感が端々に見えるのも気になる所でもあった。

 

「もし次そういうシチュエーションがあれば是非とも素直に受け入れていただきたい所ですが」

「ど……どうしてよ! その、いざ迫られると恐怖感があるでしょう!?」

「そっか、恐怖感をおぼえるんですね。私はいきなりされたからそういうの無かったんですよ。……いいなあ」

 

 最後の『いいなあ』には自虐風自慢が多分に含まれていたであろう。部活のOBがやって来て『え? 今あのメニューやってないの? いいなあ』と言ってくる昔俺非効率な練習もやってましたマウントがウザい感じによく似ていた。

 

「話に聞く限り結構男らしい部分もあるんですね」

「五条家の長男だからね。親御さんもきちんと教育してるんだろう」

 

 確かに存外リードするタイプなようだけど……。と、かぐやは思った。

 

「……やっぱり私学園に戻っていいですか?」

「いいわけないでしょう!? 話しの流れで言えば戻ったら絶対キスするじゃない!」

「いえ、そんな。私からはしませんよ、そんなはしたない事」

「そ、そうよね。いくら何でも」

「……私からは」

「何ですって!?」

 

 

 小声で言ったつもりだろうが、かぐやは聴覚過敏である。それくらいの小さな呟き程度、聞き逃すことはありえない。

 

「あなたこそ脳の病気か何かじゃないの!?」

「全然話にならない……。これだからキスもした事のないお子様は……」

「今メチャクチャ失礼な事考えてたわね!?」

「いえ、そのような事は………………………………全く」

「今の間が何よりの証拠よ!」

 

 かぐやと早坂の主人と従者である前提と、恋愛においては立場の上下が入れ替わる二つの複雑な要素を取り込んだ言い争いは、その後三十分は続いた。田沼医師にこの後の診察の予定がない事だけが救いであった。予定をキャンセルされた知事は泣いていい。多分〇池百合子ではないと思うが……。

 

 

 

 

 

「あの医者絶対にヤブ!」

 

 あの後でも結局『恋の病です』という結果しか告げてこない医師に対して、かぐやの怒りは増す一方であった。口を開けばヤブという言葉しか出てこない。

 

 あれは田沼正造と言って世界的な名医なんだ。

◆知らなかったのか……?

 

「……」

「こうなったらセカンドオピニオンよ! 別の病院に……!」

「……」

「早坂、何を黙ってるの」

 

「消えたい……」

 

「早坂!?」

「何であんなこと医者の前で言ってしまったんでしょう……あの病院は私も利用してるのに……もう行けないですよマジ最悪……」

 

 あの時はメチャクチャな情緒が余計な事を口走らせてくれたが、今冷静になって思い返せば絶対に病院で話す内容ではなかった事だけは確かだ。何でキスがすごかった事を赤裸々に言う必要があるのか。納得できる理由があれば是非聞きたい。三十文字以内で。

 『帰ったらまたキスしてくれるって浮かれ調子だったからです』(二十七文字)

 ……その通りだガリア―ド。お前の言ってることは全て正しい。

 

「かぐや様、恥は一か所に留めておきましょう? お願いですからこれ以上恥をばらまくような真似はよしてください」

 

 涙目になって恥ずかしがりながら、早坂は主人に強く強くセカンドオピニオンを使わないよう勧めた。

 恋の病という恥ずかしいポイントは早坂の彼氏語りで上書きされたので良かったが……いや早坂にとっては良くないが……これが他の病院に行けば、かぐやの恋の病というアホらしい話が純度100%で院内の噂になるだろう。

 それだけは避けねばならない。四宮の者は、弱みをみせてはいけないのだから。

 

 ……色々手遅れな気もするが。

 

 

 本日の勝敗 早坂の敗北

 

 

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