五条美城は白サギ嬢   作:アランmk-2

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おそおそ更新申し訳ありません。
そして久しぶりの更新なのに大友視点という狂気。
私なりの解釈を込めて書きましたので楽しんでいただけたら幸いです。



大友京子が気づいたら

 初めて足を踏み入れた高等部の敷地は、中等部と同じような雰囲気をまといながら、すこしクラシックな校舎が大きく違いを主張していた。

 たぶん日本で一番お金がかかっている校舎を見上げて、『ああ、もうちょっと勉強してたらなあ』とか考えるけど、あの時の私はそれどころじゃなかったから意味のない仮定だと思う。

 私、大友京子にとって中学三年の時期は失意に足を取られた一年間だったから、もうちょっと勉強しても高等部に一歩進めなかったんじゃないかな?

 ……は~あ。

 

 

「京子~!」

 

 秋の空は鮮やかにブルーだけど、丁度反対の意味でブルーになっていた私に元気な、そして聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。

 

「京子! 久しぶり!」

 

 パタパタと駆け寄ってきた背の高い女の子が、クリクリのお目目をこっちに向けながら元気一杯に手を振っている。前会った時と変わらないポニーテールが、犬が嬉しそうに駆け寄ってくる様子に似ていた。

 

「ひさしぶり! こがねちゃん!」

 

 私はさっきまでの憂鬱も吹き飛んで、やって来てくれた友達に笑顔で返事をした。

 鹿苑こがねは秀知院に通っていた時に仲良くしていた友達の一人で、バレー部の主将をしていた事もあるスポーツ少女だ。

 ちょっと夢見がちな子で、雪みたいに真っ白な“ミシロさま”という人に仕えているんだと妄想たくましい事を話してくれたりもする。皆半笑いで聞いていたっけ。

 

「なんか再会早々変な事考えてない?」

「え“っ!」

「ほらぁ」

 

 しまった。よからぬ事を考えていたら顔に出ちゃったみたい。

 

「……えへへ」

「美城様の話ししてる時の顔してたよ」

「まあこがねちゃんも若かったってことよ」

 

 なんだっけ? ああいうの世間では中二病とか言ったりするらしいけど、まあ結構な人がかかる病気らしいし、こがねちゃんがかかってもおかしくないかな。

 

「……もしかして未だに疑ってる?」

「逆に聞くんだけど、まだミシロさま設定生きてるの?」

「ふっふっふ、遅れてるなあ京子は」

「え? なになに?」

「他の皆はとっくに受け入れたのに」

「……そういえばいつの間にか皆いる前提で話してたね」

 

 電話とかメッセージを送り合っている中でそういう空気になってはいたけど。皆が大人になっただけかと思えば、やけに自信満々なこがねちゃんを見るとそんな感じでもない気がする。

 

「なんと私についてきたら特別に美城様に会えるんだけど」

「えぇ~本当に~?」

「行けば分かるから。ほら、出発―」

「ちゃんと案内してね。私、高等部来るの初めてなんだから」

 

 

 ◇

 

 

「二年B組……。ミシロさまって一個上なんだね」

「ささ、会っても腰ぬかしちゃダメだよ」

「抜かさないよぉ」

 

 やっぱり同じ学校だからなのか大して中等部の頃と変わらない構造の建物を案内してもらうと、二年生の教室が入っている階のB組の前でこがねちゃんの足は止まった。

 誇らしそうな顔で言う彼女に否応なしにハードルはガン上がりだけど、さてどんな人なんだろう。

 

「失礼するっす美城様」

 

 あー、そうそう。こがねちゃんって先輩を前にするといかにもな後輩喋りになるんだった。おかげでこの子先輩受けがかなり良くて、主将に選ばれるのも先輩の全会一致だったらしい。もちろん面倒見が良くてバレーの腕もあっての事だけど。

 

「しつれいしま~す」

 

 先に進んだこがねちゃんに続いて二年生の教室に入って行くと、ぽつんと世界から切り取られたみたいな白い輪郭線が浮かんでいた。大理石で出来た石像のように存在感があって、美術館にでも置いておきたい。

 

「わぁ……」

 

 秋日を向こうに輝く白い髪がふわりと動くと、それが生き物だとようやく理解出来た。

 細い顎に細い首、華奢な肩が小柄に見せるけど、160は超えてそうだ。

 室内だというのに鼻梁の上に乗っけていたサングラスを外すと、信じられないほど透き通った紅い瞳が私を見てきた。

 

「本当に存在したんだ。アルビノ白髪赤目男の娘……。こがねちゃんの妄想じゃなかったんだね」

 

 ひそひそ隣の元クラスメートに大分失礼な事を言いながら、私は飽きないように五条美城という人物を見つめ続ける。

 芸術家が大理石の一番白い所から切り出したみたいな肌の白さと髪の白さで、なだらかな顎のカーブや鼻のラインに目じりの下がった優しい目元の何から何まで見事と言うしかない。女の私でも素直に可愛いという言葉が出てきてしまう。

 その間にお返しとばかりに美城様もこっちを見つめ返した。

 

「初めまして。五条美城と申します」

 

 不意に……じゃなくて当然の事だけど、目の前の先輩が挨拶をして私に小さく頭を下げた。

 

「えっと、挨拶が遅れてすみません。大友京子です。こがねさんとは長らくお付き合いをさせていただき……」

 

 

 先輩に先に挨拶させてしまった申し訳なさと、あまりに非現実的な存在が自分を見ていると思うと変に緊張してヘンテコな挨拶を返しちゃった。

 なんだかいたたまれないような物を感じながら次の言葉を感じていると、ふふっと目の前の真っ白な先輩がおかしそうに笑う。

 

「こがねと付き合ってるんですか?」

 

 俗世から切り離されたような人から出てきたのは、そんなひどく俗っぽい言葉だった。

 

「ち、違います!」

 

 慌てて私は先輩の言葉を否定する。こがねちゃんは好きだけど、その好きは友情の好きだから勘違いされたら困ってしまう。

 

「まあまあ。私は別に恋愛対象でない男性から告白されて困ることもしばしばですが、それはそれとして同性愛に理解はある方ですよ?」

「だから違うんです!」

「こがね。あなたの春に咲く花は百合の花だったみたいですね」

「え……ちょっと、京子……そんな急に言われても困る……っていうか……」

「何でちょっと満更でもない感じなの!?」

 

 ぽっと頬を赤らめたこがねちゃんが恥ずかし気に私を見て来た。そんなんじゃないよー、と必死になって説明し出すと、くすくすと言う笑い声をあげて先輩は笑顔になっていた。

 

「からかってますか!?」

「ふふふ。すみません。あまりにもこがねから聞いてた大友さんと違った物ですから、緊張を解いてさしあげようかと」

「変な緊張しましたよぉ……」

 

 先輩の冗談のおかげで変な汗がダラダラ流れちゃったんですけど?

 おかげでこの人がどんな人か分かった気がするけど。

 神秘的な見た目とは裏腹に、だいぶ面白い人みたいだ。こがねちゃんめ、美城様を美化してそういう事は言わなかったからなあ。

 

「まったく。京子らしくなかったっすよ今のは」

「私だって初対面の先輩に畏まるくらいの頭はありますよー……」

「その頭がちょっとだけ試験に活かせたら良かったっすけど」

「もー!」

 

 ふんすと怒って見せると二人はおかしそうに笑った。なんだか釈然としない感じもするけど。

 

「大友さんは今日友人の応援に来られたのですよね?」

「当然っすよ美城様。京子と私達は固い友情で結ばれてるんすから」

「それもありますけど」

「え、他にあるの?」

「私、今は女子高に通ってるんですけど、出会いが全然ないんです。今日体育祭来たのも荻野くん……あ、中学の時付き合ってた彼なんですけど、その人と復縁ワンチャンないかなって思ったのもあったりして……」

「はー不純。私達の純情を返すっすよ」

 

 こがねちゃんが怒ってるけど、さっき怒らせてくれたのはこれでお相子だよ。みたいな感じで見ると察したみたいで、何とも言えない顔をした。

 

「大友さん」

「は……はい。なんでしょう?」

 

 見咎めたのか何なのか、少し緊張したような声で先輩は私を呼んでくる。怒った? 確かに見た目的に潔癖そうだからこういう話題は嫌いなのかも……

 

「完全に興味本位で聞くのですが、今でも荻野という方をお好きなんですか?」

 

 と、思っていたら結構ぐいぐい来た。

 

「好き……うーん、そうですね」

「なんと言いますか……そうでもなさそうですね」

「まあ一年近く前の事ですからねぇ。でも一年経ってまた会おうとしてる私偉くないですか? こんなん織姫ですよ」

「ちなみにですけど、大友さんの通う学校近くの明宝高校のサッカー部のキャプテンと知り合いで、紹介してあげますと言ったらどうします?」

「え、前の都大会二位の強豪校のキャプテンで、卒業後はプロに内定していてルックスもイケメンな彼ですか!? ぜひ」

「こらー!荻野はどうしたー!」

「こがねちゃん……大人になるって悲しい事なんよ……」

「こいつこういう女だったな……」

 

 心底呆れたような目でこがねちゃんが見てくる。こういう女、だなんて名誉棄損がひどいんじゃないかな?

 

 

「冗談はさておき、一年の天の川を越えて復縁しようと思ったほどの荻野くんとどうして別れてしまったのですか?」

「そりゃもう石上って奴のせいですよ!」

 

 やけにこじゃれた言い回しを先輩がしてきたけど、別れたきっかけを思いだすと今でも大きな声が出てしまう。

 

「ほう。それは、どんな事があったのでしょう?」

「あいつ、ある日いきなり荻野くんをぶん殴ったんです。『こいつは誰かが殴らなきゃいけない』とか『分かってくれるよな』とか変な事を言う奴でした」

「石上……と言うと、石上優という人の事でしょうか?」

「そうです! なんだ知ってるじゃないですか」

「有名ですから。悪名と言ったほうがいいかもしれませんけど」

「あいつ、高等部に上がれたんですね」

 

 言葉が尖っていく自分は楽しいものじゃないけど、石上と聞くと怒りの感情に引きずられてしまう。殴ったあいつが高等部に上がれて、殴られた荻野くんが上がれていないのはどう考えてもおかしい。

 付き合っていたと言う事を差し引いても怒るのは当然だと思う。

 

「彼について言えば大友さんにとって更に面白くない事がありますね」

「何ですか?」

「彼、生徒会役員なんです。会計」

「そ……そんな馬鹿な事ありますか!? 秀知院高等部の生徒会って言えば、特権階級みたいなものですよ! いい大学に行くのだって簡単。集まる人望をお金に出来たら十億は下らないって話の」

 

 よその学校に行って分かったけど、秀知院の生徒会は格が違う。他校が会社で言えばせいぜい係長くらいの地位なのに、秀知院生徒会はそれこそ社長くらい権力と言ってもいい。その分仕事は大変だそうだけど、だから皆から尊敬されて、同時に恐れられている。

 そんな所に石上が?

 

「……藤原千花という人を知っていますか? 現生徒会の書記を務めています」

「藤原先輩ですか? もちろん知ってますよ」

「私は彼女と幼馴染でよく話もするのですが、『石上くんの事はちゃんと調べましたよ。調査レポートは生徒会室に置いています』と教えてくれた事がありまして」

「……まあ普通の事じゃないですか?」

「そうですね。『普通』の事です」

「??」

 

 美城先輩はやけに丁寧に普通という言葉を強調しながら、意味深に私達を見つめてきた。正直止めて欲しい。ただでさえ隣にいるだけで落ち着かなくなる見た目なのに、そんな目をされると変な緊張感に晒される。

 

「京子。そろそろ……」

 

 いたたまれなく……なった訳じゃないだろうけど、こがねちゃんがやけにこの場を離れたそうに袖を引っ張ってきた。

 

「ん? どうしたの? 先輩とご飯食べるんじゃないの?」

「姐さんが用事を終えてこっち来るから、早く皆の方に行こ?」

「……姐さん?」

「カノジョってこと」

「ええ!? この先輩カノジョいんの!?」

 

 こんなかわいい顔しといて!?

 嫌だよ私だったら自分より可愛い彼氏と一緒に歩くの。相当な自信家なんだろうな彼女さん。

 

「そうです。実は私、彼女いんです」

「ちなみに……」

「金髪碧眼でとっても可愛らしい子です」

「ヤバ」

「ヤバいでしょう」

「ちょっと!馬鹿なこと言ってないでずらかるよ」

「こがねちゃんそれ完全に悪役のセリフ」

 

 とか言ったけど、確かにさっさと出て行った方がよさそう。姐さんとか呼んでるこがねちゃんはともかく、初めて会った私なんかが一緒にいて良い事は一つもないだろうし。

 

「大友さん」

「はい?」

「今日はお会いできて嬉しかったです。少しばかりですが、あなたの人となりが分かったような気がします」

「あ……いえ、私の方こそ。こがねちゃんの妄想は妄想じゃなかったって分かって、長年のつっかえが取れた気分ですよ」

「ふふっ。それはよかった。では、またお会いしましょう」

「はい」

 

 最後まで嘘みたいな白い美貌に笑顔を浮かべたままの先輩に、何となく名残惜しい気分になりながら私は教室を後にした。

 廊下を歩きながらこがねちゃんの過去の言動を振り返れば、不思議と納得する所もある。

 確かにあれだけの綺麗な見た目に凛とした声で愉快な人とくれば、崇め奉るのも無理ないだろうな。

 

「ねえこがねちゃん」

 

 昔からの疑問が一つ解けたけど、また新たな疑問が出て来たので聞いてみた。

 

「なに?」

「石上が生徒会って本当なの?」

「そう。高等部上がってすぐ」

「一年進学即抜擢って超天才か超パワーのコネがないとできんよね」

「コネ……は知らないけど。今の生徒会長って外部生だから誰もコネなんか無いし」

 

 だったら、単純に知らなかったのかな?

 それで見込みのある後輩を取ったら、たまたま石上だったっていう……。いや、ないか。別にあいつってすごく成績が良い訳でもないし。

 じゃあ何で?

 

「石上の捜査資料が生徒会室にあるって美城様は言ってたな……」

「それって普通見れなくない? 先輩は変に普通を強調してたけど」

「普通じゃ見れないよ。けど、この学校の普通なら見れるって事」

「もうちょっと優しく……」

「前の生徒会長の、生徒会室は全ての生徒に開かれるって方針を今の白銀会長も引き継いでるの。だから秀知院生なら誰でも普通に行きたい放題」

「威厳がないなあ。漫画みたいな権力持ち過ぎ生徒会なカッコよさがいいのに」

「私ちょっと行ってみようかな。京子も来るでしょ?」

 

 どうしてあんな事をしておいてのうのうと学校生活を送れているのか、確かに気になるけど。

 

「ねえ。石上って午後の予定なんかある?」

「応援団の応援合戦があって、それで終わりだけど」

「応援団にまで参加してるんだ」

 

 ほんと、何から何まで癪に障るやつだ。

 

「ごめん。ちょっと石上がどんな様子か見てやりたいから任せていい?」

「いいけど。じゃあ資料持ってくから後で合流しよ」

 

 こがねちゃんの提案に頷いて、私は友達が待っているグラウンドの方に向かって行った。

 

 

 ◇

 

 

『もしかして』

『私達……』

 

『『入れ替わってる~!?』』

 

 

 赤組応援団の風野団長とつばめ副団長がそう言うと、赤組は大盛り上がりだった。

 

「つばめ先輩かっこいいー!」

 

 私も盛り上がっている一人なんだけど。

 だって子安つばめ先輩は可愛いし頼りになるし、憧れの先輩だ。そんな彼女が見慣れない学ラン姿でエールを送っている姿に盛り上がるなって言う方が無茶じゃない?

 

「フレ! フレ! 赤組!」

 

 しっかりとそろったキレのある動きで演技を決める度に、周りと一緒になって盛り上がろう……としたら、後ろに嫌な人影が見えて心がスッと冷めていくのが自覚できた。

 団長が、つばめ先輩が制服を取り換えたのはあんなに面白いのに、どうしてあいつがやっているとムカつくんだろう。

 

 応援合戦が終わった後、あいつが一人になった所に一言言ってやろうと出口ゲートの方に行くと、やけに楽しそうな人達がいた。

 

 藤原先輩と、伊井野さんと、『氷のかぐや姫』こと四宮かぐや先輩だ。あと知らない男子もいる。美城先輩から藤原先輩は生徒会役員と聞いていたから、この人たちは生徒会だと分かって、じゃああの男子は生徒会長なのかな?

 

 

 その輪の中で、あいつは……石上は笑っていた。

 

 私は誰とでも仲良くなれると思っていたし、人の事は結構分かっているつもりだった。けど、どうしても分からない事もあるって、分かりたくない物事もあるって知った。

 

「石上くん? ずいぶん楽しそうにやってるんだね」

 

 あんなことをしでかしておいて楽しそうに出来る性根なんて、一生理解出来なくていい。

 

 信じられない物を見る目で私を見た石上は、すっと熱を失ったように固まって、もともとどこを見ているのか分からないような目が焦点の合わないように揺らいだ。弱り目のあいつを見ていると、教室の真ん中で人を殴っておいて自分を正しいと言い訳するような石上はどこに行ったんだ、とも嫌味を言いたくなる。どうせなら嫌われ者を貫いてればいいのに。

 

 期待外れみたいな気持ちで石上を睨みつけて、私はそこを立ち去った。

 

 

 

 ◇

 

 

「京子」

「ん? あ、こがねちゃん。どうしたの?」

 

 何となくモヤモヤした、何となくすっきりしない感じでいると、校舎の方から現れたこがねちゃんが真剣な様子で声をかけて来た。心なしかいつも元気なポニーテールが逆立っている気がする。

 

「どうしたの?じゃないって。生徒会室に石上の資料取り行くって話忘れた?」

「そういえば。ごめん。石上に会ってすっかり忘れてたよ」

 

 多分生徒会なんだろうけど、先輩達に囲まれて楽しそうにしているあいつを見ると苛立つせいでポンと前にあった事を忘れちゃったみたいだ。

 

「しっかりしてよ。これで石上が生徒会に入って生徒の代表面してる化けの皮を剥げるんだから」

「あったんだ。見せて見せて」

「待って……、はいこれ。生徒会㊙レポート~」

「……こがねちゃん。今そういうふざける空気じゃないんだけど」

「しょうがないじゃん書いてあるんだから」

「あ、ホントだほわほわ雲が書いてて可愛い~。書いた人の女子力高~」

 

 A4サイズの紙をホチキスで留めた手作り感満載のレポートだった。表紙の部分には手書きで大きく書かれた『生徒会㊙レポート』の文字が踊っている。

 とても深刻な事が書いてあるとは思えない見た目をしてるけど……こんなのに美城先輩が意味深に呟くほどの価値があるんだろうか。

 

「じゃあ見よっか」

「うん」

 

 こがねちゃんがバレーで鍛えられた分厚い指で表紙をペラっとめくった。

 

 

 

――――――――――

 

 

 体育祭の競技は残り二つになって、最後のリレーの結果で赤白の優勝が決まるっていう接戦で最終盤を迎えている。

 最後の競技の一つ前もリレーで、その名も『団体対抗リレー』。

 体育会系と文化系の部活に分かれて、アンカーを応援団が務めるっていう、中等部にもあった人気競技だ。

 大体は応援団の顔である団長が走るんだけど……

 

「えっ。アンカー石上なの? 最悪じゃん」

 

「なんであいつが……」

 

「団長は?」

 

「石上?」

 

「ありえないー」

 

 盛り上がるはずのグラウンドは大ヒンシュクをかっていた。

 白組はきんじくん先輩が走るのに、赤組は風野先輩が怪我したからって代走に石上を選んだからだ。

 私もよく知っている声がグラウンドの真ん中の石上を責め立てていた。私と仲が良い友達ほどあいつを嫌っているから、知ってないとおかしいんだけど。

 

「あらあら。何とも針の筵ですね」

 

 遠巻きにその様子を見ていた私に、どういう感情が籠っているのか分からない声がかけられたのでそっちを振り返る。

 

「大友さんをひどい目に合わせたからでしょうか」

「美城先輩」

「はい。先ほどぶりですね」

 

 振り返って目に飛び込んできたのは目の覚めるような白い髪で、反射のレベルでその名前が出て来た。ただ、さっき会った時とは大幅に恰好が違った。

 

「な、何ですかその恰好?」

 

 真っ黒な甲冑みたいな装いに全身包んでいて、コスプレ感が凄い。暑くないんだろうか。

 

「これは団体対抗リレーに出場するための装いですよ。私、ボランティア部という部活の部長なので」

「先輩って何でそんな要素いっぱい積んじゃうんですか?」

 

 どこを目指してるのこの人。少なくとも可愛いの要素は男子にはいらないと思うんだけど。

 

「まあ私の事はいいじゃないですか。それよりも見てください」

 

 先輩がそう言って指さす先は、今まさに一年生の皆で石上を責めている所だった。ブーイングまであげている人もいる。

 

「いい気味ですか? 大友さん。あなたのみならず、荻野くんの学園生活をメチャクチャにした彼が責められている所は」

「……」

「皆、あなたのために怒ってくれていますよ。それにあなた自身も彼に言いたい事があるのでしょう? 怖いのでしたら私が付いていてさしあげます。何と言えば大友さんの気が晴れますかね。例えば……」

「やめてください!」

 

 なんて光のようによどみなく話す人だ。急き立てられるような気にさせて、どこか刺すような口ぶりに、私は大きな声を出して先輩の声を遮った。

 

「分かってて言ってたんですね」

「はて、何の事でしょう?」

「とぼけないでください」

 

 

「荻野くんが沢山の女の子と浮気してた事です」

 

 

 気まずい思いが口を重くしつつも、どうにかそれだけは言う事が出来た。

 

「見たのですね」

「……はい」

「確かにあなたが言うように荻野くんは沢山の女性と浮気をしていました」

「……あんな写真まであったら疑いませんよ」

 

 こがねちゃんと見た手作り感あふれるレポートには、怪しげな建物に入っていく荻野くんと女の子の写真が何枚も張られていて、彼の女の子が私だけじゃない事を教えてくれた。

 

「大友さん。あそこに荻野くんがあなたの友人と一緒に歩いています。なんて声をかけましょうか」

 

 わざとらしく先輩は言った。私がどういう人間なのか測るように。

 

「それは……」

 

 忘れかけていた記憶の扉が開いて中を覗くと、そこにはあの鬱陶しい長い前髪じゃなくて、短髪の石上が当時気づかなかった真っすぐな目で私を見ながら言う。

 

『大友……こんなクズとは早く別れた方が良い』

 

「ねえ、こんなクズとは早く別れた方が良いよ」

 

 気が付けば私は彼と同じような事を言っていた。

 

「それを聞いた女の子は何て言うでしょう? 『キモイ』とか『ストーカーじゃん』でしょうか」

 

『「おかしいじゃんかよ!」』

 

 次に出て来た言葉が、昔の石上と全く同じだったことで嫌でも気づかされる。

 こういう事だったんだ。あの一人になりがちな石上という人が突然他人を殴ったりしたのは。

 あの中でただ一人、荻野くんの浮気癖を知ってたから私と彼を別れさせようとしたんだ。

 

「大友さん。これからリレーが始まります。どうか応援してあげてください」

 

 明らかに続けて何か言いたそうな雰囲気を出しながら、先輩は白髪の頭に真っ黒いヘルメットを被せて威圧感を纏いながら出て行った。

 あんな格好で走れるんだろうか、とか思ったのは小さな事で、静かになったここにはグラウンドに響く異様な雰囲気が不気味に聞こえていた。

 

 ある一人が嫌い、という、明らかな敵意。

 じゃあ何でその一人は嫌われているの、と言えば……彼が人を殴ったから、だけど。それは私のためなんだ。荻野くんっていう浮気男に分からせるために。

 今この学校では、私のために行動した人が嫌われて、皆はその人を嫌う事が正しいと思っている。そんな歪んだ状況が当たり前のようにあって、誰もおかしいとは言わないからずっと今の状況のままなのかも。

 

 いや、誰もおかしいと言わない訳じゃない。美城先輩みたいな人がきっと何人かいるにはいるんだろうけど、状況が良くならないのはあの人は当事者じゃないからだ。感情は上から押さえつけても上手くいかない。だから先輩は私に知って欲しかったんだろう。

 知った上で、私の意思で石上を許して欲しいって、そう期待したはずだ。

 

 だったら、私がしないといけない事は。

 

 

 

 ◇

 

 

 怨嗟のようなブーイングの真ん中に僕は立っていた。

 四方から聞こえるのは楚歌じゃないけれど、そこに滅びを喜ぶ気持ちがあるのは同じだろう。

 

「アンカー石上とかマジ下がる」

「勘弁してよ」

「ないわー」

 

 まったく。好き勝手言ってくれるよな。

 

 悪意の真ん中に晒されている自覚はあったけど、今の僕はこんな事で折れたり屈したりはしてやらない。

 頭にしっかりと巻かれた鉢巻を、会長が巻いてくれたそれは心配とか、大げさに言うと信頼とかそういった物を結び直した。

 

 どれだけ沢山の人に嫌われたって、一人でも分かってくれる人がいれば構わない。

 

「石上―!」

 

 押しつぶすようなブーイングの隙間を縫って、一人の女子の声が聞こえてきた。

 顔を上げると、僕の失敗の象徴である大友京子が競技場を区切るロープの前に立っていて、取り巻きのような女子二人とこちらを見ていた。

 悪いけど大友……

 

 

 

 

 

「頑張れー!!」

「……え?」

 

 悪意を持って言葉を投げかけられると思っていた僕は、大友のその言葉に目を見開く。

 恨まれていると、当然のように思っていたからだ。今ここで僕に悪意をぶつけてきている奴らの怒りの根源は、大友の僕を否定する感情から来ているからだ。

 

 それが、どうして応援みたいな事を……。

 

 

「ごめん! 私、全然知らんくて! 荻野くんがあんな人だったなんて! 許してって言わないけど、これだけ言わせて! ごめん!」

 

 それが嘘の気持ちで言っている言葉じゃないと、嫌になるほど分かってしまった。

 そうだ。大友京子っていう人間は、打算がないのか出来ないのか、空気を読まないのか読めないのか、素直な笑顔を浮かべているような人だった。

 今も打算なんて無いように、言葉通りにごめんなさいという顔をしていた。

 

「でもやっぱ殴ったのはやり過ぎだと思う!」

「うるせえばーか」

 

 生意気な事を言ったので会長からもらった伝家の宝刀で切ってやると、何故だか分からないけど、ニコッと失わないで欲しいと思った笑顔を僕に向けて、言った。

 

「走れー! 石上くーん!」

 

 

 ありがとう大友。

 

 もう後ろだけ振り返って生きていくのは止める。

 

 許してくれるなら、僕はきっと、もっと前を向いて生きていけると思うから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「ウソつき」

 

 日差しで熱を持った黒い衣装に気を付けながら、私は美城の着替えを手伝っていた。

 外身の熱さに反して空調の効いている中身は涼しいようで、汗一つ書いていない彼が黒衣と白髪のコントラストも激しく現れる。その逃げ場のない状況で私は一言だけ言ってやった。

 

「頑張った人に対して酷い言い草ではありませんか、愛?」

「真実を知らせるのは止めるって約束したはずでしょ? かぐや様怒ってたけど」

 

 四宮の令嬢、私の主人は特に嘘が嫌いなのだから、裏切られたと感じた彼女をなだめた私の苦労も知って欲しい。というか、そういう所に察しの行かない人ではないはずなのに。

 

 

「約束は違えていませんよ」

「じゃあ、大友京子のアレは何?」

「私が『荻野の犯した出来事の内、表に出してもよさそうな物』をまとめてレポートの体にして作った物を見てしまったのでしょう。ですから彼女は真実を知った訳ではありません」

 

 悪いと一ミリも思っていなさそうな顔で美城はハッキリ言うと、そうでしょう?と同意を求めてくる目で私を見た。一瞬納得しそうになると、さっきまで怖い顔で怒っていたかぐや様が脳裏に浮かんで正気に戻る。ここで流されてはかぐや様に何て言われるか。

 

「そう言うの詭弁って言うんだけど」

「愛。言葉はちゃんと使わないといけませんよ」

「じゃあ何て言うの?」

「虚言と言うのです」

「なお悪いし!」

 

 言いつくろうのかと思えば、むしろこちらの怒りに油を注いで来た。

 どちらかと言えば会計くんの心意気を尊重した方がいい、と思っている私は感情の流れに沿って美城に怒ろうとする。……けど、息をつくと彼の話の導線が見えてすぐに冷静になった。

 私の意思と正義感から怒っているのではなく、彼に怒らされていると分かったからだ。

 怒りに満ちた人間は思考が直線的になりやすい。美城なら思考の暴走列車を緩やかに曲げたレールに乗せて、自分の望む終着駅に向かわせる事だって出来るだろう。

 

「……で、よく知らない女の子頼りの作戦を何で実行したの?」

 

 それが分かった私は怒りを納めて冷静に美城に聞いてみた。

 思っていた反応と違ったのか、少し意外そうな顔をした彼だったがすぐいつもの笑顔に戻ってゆっくりと話し始めた。

 

「私が彼女を知っているか知らないかという所は、この際問題ではありません」

「何で? 知らないと詰めの会計くんを許す所に行くか分からないよ?」

「大友さんではなく、そこまでして守ろうとした優くんの人を見る目を信じて皮算用を立てたのですから。彼がそこまでする人なら、きっと素晴らしい人だろう、と」

「そう? 私には能天気なアホの子くらいにしか見えなかったけど」

「だから良いのではありませんか」

「どういう……」

 

「私の描いた都合のいい真実を素直に飲み込んでくれて、素直に動いてくれましたから」

 

 ふふっと嫋やかに笑う素振りとは裏腹な顔を美城は見せる。

 もしかして彼は大友京子に怒っていたのだろうか。荻野という嘘つきの吐いた都合の良い真実を飲み込んだその口で石上優を責めた彼女の事を。

 

「そう難しい顔をしないでください。私は大した事は考えていませんよ」

 

 考え込んだ私を気遣うように美城はポンと軽く肩を叩いてきた。長い時間考えていた訳ではないはずだが、いつの間にかあの七面倒臭いコスプレを一人で脱いでいて、彼生来の細い指が私に触れる。

 

「さあ行きましょう」

 

 それにドキリとする暇もないように、美城は手際よくサングラスに手袋と付けて外に出る準備をしていた。彼が閉会式には出るつもりだった事をようやく思い出す。

 

 次に瞬きして見た彼の姿は、もう外に足を向けている所だった。

 私が追いつけるくらいに緩めてくれていた足取りの彼に追いつくと、そのまま真っすぐ外に出る。

 

「京子! なにあれ!」

 

 校舎を出てすぐの正門の所で何か言い争う声が聞こえたので美城はふと足を止めた。

 京子、と叫ばれた名前の通り、そこにいたのは大友京子だった。少なくともこがねではない一年生に言い募られている。

 

「どうして石上を許すような事言ったの!?」

「私達ずっと京子のためにあいつの事許してやらないって思ってたんだよ」

「ごめん! 本当にそれは分かってるんよ」

 

 友人二人は中々の剣幕で大友に迫っているが、彼女は意外にも折れる気は無さそうだ。

 

「けど、嫌う理由が根っこから間違ってたらそれってイジメじゃない?」

「何言ってんの?」

「石上が荻野くん殴ったのは本当でしょ。京子も見てたんじゃないの?」

「見てたよ」

「じゃあ何で……」

「それも合わせて皆に言いたい事があるから、打ち上げ出させてもらっていい?」

 

 淀むことのない口ぶりは、なるほどあの会計くんが守りたいと思うだけの価値がある少女に思わせてくれる。その心意気をもう少し早く彼に向けてあげられなかったのか、と嫌味を言いたくなるが、この心境に至ったのは日傘を持って美しく佇む美城が約束破りギリギリを犯して大友京子に真実の一端を知らせたからだ。

 これでは会計くんの意思を尊重したかぐや様達が正しかったのか、彼の意思を無視してでも大友に知らせた美城が正しいのか分からなくなってくる。

 

「愛。そう難しい顔しないでくださいと言ったではありませんか」

 

 今の私はギャルの風体を纏って軽い笑顔を浮かべていたはずだが、どんな顔をしていたと言うのだろう。それとも観察眼に優れた彼だから分かった表情の変化なのかもしれない。

 

「大友さんは元カレの浮気を知って、糾弾した優くんにはそれなりの理由があったと反省して皆に謝る。大友さんは間違いを一つ正して、優くんは多少なりとも救われてめでたしめでたし。それくらいに思えませんか?」

 

 美城が手に持った日傘の影に私も隠れるくらい近づきながら、どこまでも軽やかに言った。

 確かに『めでたしめでたし』だろう。彼がやった事も『それくらい』で片付けられる物事かもしれない。

 ただ、それは誰も出来なかった事だ。

 石上優が信じた大友京子の善性を信じるという、とても簡単な事だというのに。

 

「あ、どうやらリレーが終わったようですね」

 

 思いを巡らしている私をあえて無視するように、美城は鳴り響いた号砲の方へ顔を向けた。秀知院とは言え他の学校の例に漏れずオッフェンバックの天国と地獄が流れていたグラウンドから大歓声が聞こえてくる。そのすぐ後に優勝組の色が付いた風船が空に舞い上がった。

 

 赤色の風船が。

 

「愛には悪いですけど、勝たせていただきました」

 

 美城は点に関わる競技には出ていなかったけど、クラスの友人が勝利して嬉しいようでにこやかに笑いながら勝利の舞を踊る風船を指さした。

 

「……そう、だね。みぃに負けちゃったな」

 

 彼にそんなつもりは全くないだろうけど、大友京子に吹き込んだ彼の組の赤い風船が空を浮かんでいるのに私は皮肉めいた物を感じてしまう。

 

 グラウンドに下りて応援団の面々と話している会計くんを見た時に、その思いは一層大きくなったのだった。

 

 

 

本日の勝敗  赤組の勝利

 

 






 大友って外部生の石上にも普通に接してるし遠巻きにされてる大仏にも優しくできるから悪い奴じゃないんだよな……。
 そう思ったので今回はこんな流れになりました。
 じゃあつばめ先輩と大喧嘩したのは何だったのと言われれば、尊敬する先輩から嫌いな奴の話をされたから反発したのかも、と私は仮定しています。
 大友自体はどうでもいいと言う方は、まあ石上からつばめ先輩への障壁が今回で一個減ったくらいに考えていただければ。

次回から文化祭に向けての話になります。どうにか週一更新に戻れるよう頑張ります。

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