そこはかとない緊張が走る。灰音はゆっくり口を開いた。
「──馬鹿なんですあの愚弟は!」
灰音の声は存外低く、少女のような見た目とは裏腹にしっかりと変声期を終えた少年の声だった。
それを一番初めに思い、次に言った内容に驚く。
「お金だなんだってくだらないことに固執して勝手に自分の人生台無しにして自滅して、それでなんで僕が責められなくちゃならないんですか! 僕だって──僕だってただのうのうと生きてきたわけじゃないのに! 被害者ヅラはどっちですか、あの馬鹿! ばかばかばか! アホ! かたつむり!」
絶句する私とエーミール。
灰音は肩で息をしつつ、袖口で涙をぬぐった。
「……このように、僕はとても口が悪いんです。放っておけば誰かを傷つけて加害者になってしまう。だから……このスピーカーを通して語彙をしぼって話していました。僕は、絶対に加害者にはなりたくないから」
「……のうのうと生きてきたわけじゃない、っつったな」
「はい」
「お前は何かの被害者なのか、灰音?」
「……」
ず、と鼻をすすり、兎のように赤く腫らした目で灰音はエーミールを見る。
「……父は力を、母は金を求める人でした」
「……」
「父は魔術師として優秀な家系の極楽寺の娘だった母を金で買って娶った。母は財力を求めて鮫島家に嫁入りした。利害の一致での結婚でした。そして僕が生まれ、くれあが生まれた」
「……」
エーミールは黙って聞いている。
なんとなく居心地が悪いが、とりあえず私も黙って聞くことにした。
「……くれあは、正直魔術師としては中の上、良くて上の下といったところでした。僕は……」
「天性の才能を持って生まれた、と」
「……恥ずかしながら」
「変に恥ずかしがってんじゃねえよ。逆に嫌味だぞ」
「そうですね。すみません。……父はもう母とくれあに興味を示さなくなり、やがて離婚しました。僕は鮫島家に、くれあは極楽寺家に引き取られて。その後は生き別れです。会うことも話すことも、一切の関わりを絶たれた状態でした」
……言っては悪いがありふれた話だ。
いや、ありふれたというより理解できると言うべきか。登場人物の誰の思考回路も分かる。私は力にも金にもそれほど関心はないが、想像は容易い。
「……その後くれあは、あの喧嘩のときさんざんわめいていた話のとおり、変な宗教の御神体にされて血液を売られていたみたいですね。それもつらかったと思います。不幸に値する半生でしょう」
「そうだな」
「僕は……魔術師としての訓練を受けていました。体をいじられたり、薬を打たれたり、儀式を受けさせられたり。お父さんは訓練だと言っていたけれど、あんなの、僕に言わせれば拷問です。本当に痛かったんです。毎日毎日痛くて苦しくて、泣いても叫んでも血へど吐いても許してもらえなくて……」
灰音は小さく笑った。
「僕、痛覚と味覚と左耳の聴力が一切ないんです。毎日の『訓練』で脳の回路が切れてしまって。でも魔術師としては……それなりの器になれたのでしょうね。そのおかげでキャスターさんに体を貸すくらいはできるようになりました」
「……父親のことはどう思ってるんだ、お前」
「当然嫌いです。憎いです。殺してやりたい。でもやらない。僕は加害者にはならないって、体が汚れて壊れた以上心だけは綺麗であろうと、そう決めたので」
そのおかげでくれあにはそっぽを向かれてしまいましたけどね、と灰音は自嘲した。
「……あの」
言おうかどうか迷ったが、ずっと黙ってぼんやりしていればまた話を聞いていなかったと勘違いされるかもしれない。私は軽く手を挙げて口を開いた。
「くれあくんが君を拒絶した時点で、不本意であっても君はくれあくんに対して加害者になったってことにはならないのかな……これはただの推測に過ぎないし、部外者の私が言って良いものか分からないけれど……くれあくんは認めてもらいたかったんじゃないかな。お説教じゃなくて、ただ黙って頭を撫でてほしかっただけなんじゃないのかな。いや頭を撫でるっていうのは慰めの例えであって実際に頭を撫でてほしかったかどうかは分からないし決して断定する意図はないんだけど」
「あーもう良いもう良い。静かにしてろ久堂。まあともかく、俺も概ね同意だ。世の中は加害者と被害者の二元論で語るには複雑すぎる。不器用な生き方だな、お前もくれあも」
「……」
灰音はそっとうつむき、しばらく考えるような仕草をしてからもう一度顔を上げた。
「……今からでも、やり直せるでしょうか」
「お前にその気がありゃあな。くれあ、あんなツラしてるがエミリが令呪で俺を殺そうとしたとき真っ先に俺を庇った。自分の身を呈して、な」
「……」
「大事にしてやれよ。良い弟じゃねえか」
「……はい……っ!」
また瞳いっぱいに涙を溜め、頷く灰音。
──あ。
私はなんとなく思い出した。ずっと握りしめていたジグソーパズルのピースの嵌る場所が、不意に理解できたかのような感覚だった。
「……」
──私は、久堂紘平ではない。