「灰音くん、どう?」
「寝てます。びっくりするくらいぐっすり」
エミリと小声でやりとりしつつ、宿直室に入る。扉もなるべく静かに閉めた。
一番手前のベッドに寝かされた灰音は微かに寝息を立てながら、微動だにせず眠っている。……首のスピーカーが外されて枕元に置いてあるが、それは『つけたまま横になったら苦しいかな』というエミリの気遣いだろう。
「灰音くん、よっぽど体力限界だったんだねえ……まあこんな状況だし……生きているだけ幸運だよね……」
「ほんとそのとおりです。よくぞ生きててくれたって思います……」
なんとなく。
なんの感情もなく、ただ手持ち無沙汰だったというだけで、灰音の黒髪を少し撫でてみた。日焼けのしていない真っ白な肌と相まって灰音だけがモノクロに見える。
私の手のひらの気配を感じたのか、灰音は少しうなって薄く目を開いた。
「あ、ごめんね起こしちゃ──」
った、を私が言い切る前に、灰音は自らの首元に手を当てて飛び起きた。
「っ、う、あ、うう」
言葉にならない声を漏らしながら枕元にあったスピーカーを引っつかむようにして取り、あわてた様子でそれを装着する。肩で息をしながら私とエミリを順番に睨むその目つきは、眠る前の灰音ともキャスターのサーヴァントとも違う、警戒心の強い野良猫のような目だった。
『……。』
「ご、ごめん……」
『……取り乱しました。こちらこそすみません。』
灰音のうなり声。言葉未満のものではあったが、確かに声が出ていた。……では、なんのためにあんなスピーカーを? それも外されただけであそこまであわてて。
『何かあったのですか。だから、僕を起こしたのですか。』
「いや、大丈夫。何もないよ。ほんとになんとなくちょっと触っちゃっただけ」
『僕みたいなのが性癖ですか。』
「誤解! 誤解! むしろなんかこう、親目線的な感じでちょっと撫でただけ!」
『……。』
灰音はしばらく私を睨んでいたが、やはりスピーカーを外されたときほどの圧はない。やがて少し口角を上げて、『冗談です。』と機械の声で言った。
『眠ったら元気になりました。ありがとうございます。』
「お礼ならエミリさんとエーミールくんに。ここの地下室はもともとこの子達の拠点だからね」
『そうなのですね。』
ベッドの上に正座に近い形で座って、灰音はエミリへ視線を移す。
『エミリさんは、ここでそこのサーヴァントを召喚したのですか。』
「え? ……うん、そう。もう少し奥に何もない部屋があったから、そこでアーチャーを召喚したの」
『触媒には何を。』
「特に何を触媒にしたってわけではないよ。そもそも物資がないし……」
『ではエミリさんに近い性質を持ったサーヴァントですね。』
「な、なんで急にそんなこと訊くの? 取り調べみたいで緊張するんだけど……」
『すみません。起き抜けの頭の体操に、アーチャーさんの真名予想をしようかと。』
その言葉を聞いたアーチャーは、あからさまに不愉快そうな顔をした。自らをまさぐられるのはあまり好まない性格のようだ。
とはいえ、私もアーチャーの真名については気になる。……まあ、セイバーの真名もそもそも私自身が何者かも分からないのだから、そんなことを気にしている暇はないぞと言われると言い返せないのだが。
エミリはそれでも何か答えようとしたが、代わりにアーチャー本人が口を開いた。
「私は確かに、我がマスターと似た性質を持っているのでしょう。それは認めます。しかしそれがなんだと言うのです? この際だから申しましょう。私は貴方方を信用してはいません。真名を明かす気もない。そして──」
アーチャーは不愉快そうな顔のまま、宣言するようにも吐き捨てるようにも取れる声音で言った。
「──そして、マスターに私と同じ運命を歩ませるつもりもない」
「……アーチャー」
エミリが牽制するように呼びかける。
「あなたは自罰的すぎるよ。私を守ろうとしてくれるのは嬉しいけど、もう少し協調性を持っても良いんじゃないかなって、私は思う」
「マスター。ご指摘は受け取りますが、貴方も貴方で楽観的すぎるかと」
「うう……気をつけます……」
アーチャーの声は穏やかだが、言葉や言い方にどうにもトゲがある。エミリはしょんぼりとしてしまった。もう少し優しく接してあげたって良いのに、と第三者目線で考えてしまう。
そこで、エーミールが部屋に入ってきた。ようやく彼も眠るのか、と思った、のだが。
「館内放送の機械が壊れてやがる。いちいち立ち上がって呼びに行かなきゃなんねえこっちの身にもなれっつーんだ」
第一声は文句だった。
「何か分かったの? お兄ちゃん」
「多少な。マップの拡張の成功と、お待ちかねの生体反応だ。サーヴァント一騎、人間ひとり」
「そうなんだ! 行かなきゃ!」
「そう言うと思った。あの馬鹿女と馬鹿ランサーにすでに先行させてる。お前らも行くなら行け」
『鮫島灰音、気合を入れて参ります。』
「お前は待機だバカすけ。果物ナイフで死ぬやつが調子乗ってんじゃねえよ」
『お口がわろしですね。』
「どうとでも言え」
伝えたぞ、と言ってエーミールは行ってしまった。
「行こっか、アーチャー」
「了解しました」
エミリがこちらを見る。私とセイバーもついてくると信じて疑っていないようだ。……もちろん行くには行くから構わないのだが、なんとなく、エミリもどこか欠落しているのかもしれないなと思った。
私に恐怖心が欠損しているように、エミリには猜疑心というものがないのかもしれない。その点においてはアーチャーと合わせてちょうど良いと言えるだろう。
『僕は頑張って応援しておきます。』
言って、灰音はベッドの上で跳ねた。マットレスがぺったんこでクッション性が皆無なベッドはこちらが焦るくらいに軋んで大きな音を立てた。
「灰音くん、ぴょんぴょんやめた方が良い気がする。ベッド壊れそう」
念のため注意すると、
『はい。ぴょんぴょんやめます。』
そう返ってきて灰音は大人しくなった。素直だがやはりマイペースな子だ。
「じゃあ、行ってきます」
言って、私とセイバー、そしてアーチャーとエミリは地下を出た。