体が―――――ひどく重い。
けれど、決して不快な感覚ではない。
あるべき場所に戻ってきたような、そんな重さだった。
「―――――。」
どうやらまだ視力は回復しきっていないらしい。
部屋は薄暗くて、どこに何があるのか全く分からない。
ここが何処なのかも分からない。
「やあ。おはよう。どうかな、数十年ぶりの生の空気は。」
声が聞こえる―――――
誰だ……?
そう思って目を凝らす。
かろうじて見えるのは、デスクライトの小さな明かり。
そして光を遮るように、そこには“誰か”がいた。
「…………うん。その様子からすると、後遺症はないようだね。
おめでとう。君を長年蝕んでいた病は、たった今、完治した。」
―――――なんだ?
この人は……
この男は、何を言っている――――?
「―――――。」
駄目だ。口を動かない。
指一本すら動かせない。
体の動かし方を忘れてしまったかのようだ。
「さて。気持ちよく眠っていたところを無理矢理起こされ、さらに体を動かすこともままならない。
今の君はさぞかし混乱していることだろう。
本当にすまないと思っている。だが私には、君の力が必要なんだ。」
男は言葉を紡ぐ。
「“アムネジアシンドローム”。それが君を蝕んでいた病の名前だ。
記憶障害を起こし、最後には死に至る脳症。
それに犯された影響で、今の君には殆ど記憶がない。そうだろう?」
………本当に何を言っているんだ、この人は。
そんなはずはない。
そんなはずは―――
「………!」
―――待て。
そもそも自分は、なんでこんなところにいるんだ?
ここはどこだ?
この男は誰だ?
いや、それよりも―――――
俺は一体、誰なんだ―――――?
「理解したようだね。
でも、心配する必要はない。そのために私がいるんだ。
今から君にこの世界について説明する。心して聞いておくことだ―――――岸波白野くん。」
この時。
名前を持たなかった自分は、「岸波白野」というひとりの人間になった。
―――――いや、それは断じて違う。
この名前は決して与えられたのではない。初めから持っていたものだ。
家族を失い、友人を失い、記憶を失い―――――こんな、未来の果てに取り残された。
そんな人間が唯一持っていたモノ。
もう覚えていない遥か過去。
かつて自分は歩みを止めて、長い眠りについたのだろう。
きっといつか、また歩き出すために。
………今がまさにその時だ。
薄暗い部屋。
デスクライトの光。
白衣の男。
コールドスリープから目覚めた自分。
未来永劫、この景色を忘れることはないだろう―――――
◆
地球を観測する目、“ムーンセル・オートマトン”。
それが空に浮かぶ天体―――――“月”の正体だと男は言った。
はじめは地球の生命を記録する、ただの観測機に過ぎなかった。
しかし、観測機であるならばフェアでなければならない。
観測するのならば、見えない部分があってはならない。
結果、ムーンセルは全てを見通す能力を必要とし、おびただしい進化を遂げる。
観測から監視、果てには星の運営すら把握する演算器へと姿を変えたのだ。
「星の運営すら把握する。言い換えるとそれは、“願いを叶えることができる”ということだ。」
そう男は呟いた。
………確かにその通りだ。
仮にAという結果を望んだとしよう。
すると地球の全てを知るムーンセルは、Aという結果に至るための方法を無数に提供してくれる。人道的なモノから非人道的なモノまで、ありとあらゆる手段を。
いわばソレは、巨大なスケジュール管理表。
すぐに願いが叶うことはないが、必ず望む結果を得ることができるということだ。
「だがそれも過去の話だ。
既にムーンセルと地球の繋がりは断たれている。
空に浮かぶあの天体はもはや観測機ではなく、ただの星に過ぎない。
かつてはムーンセルを巡って幾度となく戦争が勃発したそうだが、それもまた過去の話。
今はコレの時代だ。」
そう言って男は、懐から何かを取り出した。
それは、一枚のカード。
カードには、弓を携えた一人の騎士が描かれていた。
「インフィニット・ストラトス―――――通称、“IS”。
女性のみが装着可能な、飛行パワードスーツだ。」
パワードスーツ?
いや、どうみても一枚のカードにしか見えないのだが……
「今のコレは待機状態でね。装備を量子変換することで、普段はこのように手軽に持ち運ぶことができる。
…………これを、君に託したい。」
「―――――!」
な………!
―――――いや、待て。
この男はさっき、“女性のみが装着可能”と言ったはずだ。
なら、男である自分は装着不可能なはず……
「ISが女性専用だというのなら、男の自分には使えない……そう思っているのなら、それは間違いだ。
公式では、ISは世界で467機しか存在しない、ということになっている。
これは468機目。女性だろうが男性だろうが、他の人間には使えない。君専用のISだ。」
岸波白野専用のIS……。
何故だ。
どうしてこの男はそんなことをした?
わざわざ男性の………コールドスリープ状態だった男性のために、何故、どうして―――――?
「なに、ただのデータ収集だ。
我々が作り上げた468機目のIS。
―――――
………要するに、実験体というわけか。
友人も家族もいない、孤立無援の少年。
成功すればよし。
万が一失敗し、不幸な事故が起こっても何も問題はない、ということなのかもしれない。
「―――――。」
「ふむ………そろそろ活性化するころか。
好都合だ。ならば、早々に初期化と最適化を済ませよう。」
◆
「はぁ…………はぁ…………」
おぼつかない足取りで、白衣の男の後ろを歩く。
なんとか五感全てを取り戻せたが、時間の感覚はまだ曖昧だ。
コールドスリープから目覚めて何時間経ったのか、いまいち分からない。
いや、何時間と思っているのは自分だけで、もしかしたら数日、数ヶ月単位で時間が経ってしまっているかもしれない。
「さあ、ここだ。」
男にそう促され、電動の扉の前に立つ。
扉が開くとそこは、かなりの広さのアリーナだった。
ここから全力でダッシュしても、向こう側の壁に辿り着くまで一分はかかるだろう。
「これを。」
男から弓兵のカードを渡される。
「これをアリーナの中央で展開してみてほしい。
方法は簡単。カードを掲げ、こう唱えるんだ。
―――――
そうすれば、あとはカードが応えてくれる。」
「……………。」
………どうする。
この男に従う必要はない。
ましてや、今から人体実験を行うというのなら尚更だ。
失敗すれば、自分はどうなるのか分からない。
けど―――――ここで駄々をこねて逆らっても、きっと無駄だ。
何故なら今の自分には、この世界で生きていく術がない。
今日という日を生き抜くために、ここは彼らの実験に乗るべきだろう。
―――――“解った”
そう意味を込めて頷いたあと、アリーナの中央まで歩を進めた。
カードを掲げ、意識を集、中―――――っ。
「………っ―――!――――………!?」
ドクンと心臓が唸る。
血圧が上昇し、体内に何かが走り抜けた。
………何かがおかしい。
まだ自分はカードを掲げただけで、何もしていな―――――…………っ!
「うっ………―――――!!」
得体の知れない吐き気。
カードに意識を傾ければ傾けるほど、それは如実に大きくなり、体内に血液以外の何かが走り抜ける。
「それが我々
君は魔術回路の本数こそ少ないが、質はいい。慣れれば不快感は感じなくなるだろう。」
少し離れた場所から男の声が聞こえた。
だがその意味は分からない。理解する余裕がない。
………いや。
理解する必要はない。
今はただ、このカードに込められた“誰か”の意識に手を伸ばす。
魔力が全身を駆け巡る。
味わったことのない感覚が、全身を駆け巡る。
「………―――――く、お―――――!」
それでもなお、止めない。
拒否反応を全て無視して、カードに意識を集中させる。
何かがあると確信したから。
この先に、誰かがいると確信したから。
その背中を追いかける。そう決意して―――――
「―――――
始まりの
「――――――――――あ―――――」
瞬間。
世界は白く染まった。
回復した感覚が一瞬にして溶ける。
視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚。
人間が持つ五感が順番に、確実にカットされていく。
かろうじて無事なのは左目の視力のみ。
色のない世界。
音のない世界。
匂い / 臭いのない世界。
すなわち、何もない死の風景。
その、奥に―――――
ただひとり、こちらに背中を向ける男がいた。
「――――――――――あ、ぁ」
色素の抜けた白髪と、対照的な褐色の肌。
赤い外装をなびかせ、男はゆっくりと、肩越しにこちらを見る。
『久しいな。いや、こちらは始めまして、というべきかな。』
この男は………誰だ。
面識はない。あるはずがない。
記憶を失っている自分が、この男を知っているはずがない。
だというのに―――――
その男は小さく笑みを浮かべながら、どこか親しげに自分を見ていた。
『サーヴァント・アーチャー、召喚に応じ参上した。宜しく頼むぞ、岸波白野。』
「っ………――――!!」
―――――気づいた瞬間には、赤い男は消えていた。
五感は一瞬で回復した。
世界にも色が戻り、元の無機質なアリーナが視界に広がっている。
代わりにいたのは、コールドスリープから自分を呼び覚ました白衣の男。
端末を操作し、何かのデータをとっているようだ。
………どうやら、先ほど見たあの男………それどころかあの白い世界でさえ、ただの幻覚に過ぎなかったらしい。
「初期化と最適化、一時移行は全て終了した。
どうかな。
「え…………あ。」
言われて、自分の体を見下ろす。
そこには、身に覚えのない装備を纏う岸波白野の姿があった。
腕部には赤いアーマー。
脚部には黒のアーマー。
細部こそ異なるものの、その色合いはあの白い空間で見た幻覚―――――アーチャーと名乗った男にそっくりだ。
機体名『無銘』
それが岸波白野専用機―――――468機目のISの名称だった。
“Fate/EXTRA”と“Fate/EXTRA CCC”の主人公のデフォルトネーム“岸波白野”は、“君の名白紙”のアナグラムだと聞いた。
で、
『岸波白野』→『君の名白紙』→『名前がない?』→『無銘!』
という感じで繋がった。
夢幻召喚はプリヤネタ。