秘書艦足柄と提督の秘密 作:d1199
場所は変わりまして食堂で御座います。
厨房からは荒々しくもリズミカルな包丁の音が届き、蓄音機からは素朴なれどパワフルな流行歌が流れ、そして舌鼓を打つ艦娘たちで満ちておりました。
堅苦しく油臭い鎮守府に於いて、数少ない憩いの場で御座います。
戦闘が無くとも、演習・演習・演習と激務をこなす艦娘達にとって、食事がひとときの安らぎになるならばそれは、当然の事でありましょう。
「あー、腹減ったー」
お腹に染みる匂いに引かれて、また二隻やって来たようです。
”お食事処”と言うのれんを潜り、現れたのは摩耶と龍驤でありました。
「今日の献立はカツカレーかー。足柄の腕は良いんだが、毎回だと飽きるぜ」
「摩耶。食事当番変わったらしいで」
食堂は、厨房区画とテーブル区画で、仕切られているのでありますが、その仕切りと言う壁には、二つの白い名札がぶら下がっておりました。
片方は、頼って良いのよと言わんばかりの頼もしさ。
もう片方は、もう下がって良いかと上目遣いで訴える、いじらしさ。
この二隻の正体は、敢えて説明するのも憚れる幼女艦、雷と潮で御座います。
壁掛け型の扇風機にそよがれながら、摩耶と龍驤は、その名札を尻目にテーブルに腰掛けます。
「当番が変更? 何かあったのか?」
「足柄も今や秘書艦やからな。色々あるんやろ」
三人寄れば姦しいとは言いますが、ここは賑やかと言う事に致しましょう。
ご覧下さい。
隼鷹を始めとする艦娘のはしゃぎっぷりなど、特筆モノであります。
「第三回牛乳一気のみ勝負~~~!」
「「「わー」」」
「赤コーナー! 今日こそ本気を見せるか!? 駆逐艦〈デストロイヤー〉=電!」
「長身なのです! 素敵なのです! 頑張るのです!」
「青コーナー! 行方不明の常習犯! 提督泣かせの軽巡〈ライトクルーザー〉=多摩!」
「さすらいのミルクソムリエの銘は伊達じゃないにゃ!」
「両者見合って~はっけよい! のこったのこった!」
「「「それ一気! 一気!」」」
隼鷹が仰る日の丸扇子のリズムに乗って、多摩と電は、大ジョッキになみなみ注がれた牛乳を、お腹にグビグビと注ぎ込むのであります。
勝負に賭ける意気込みは凄まじく、息継ぎすら忘れている様です。
少し離れたテーブルで、その様子を生暖かく見るのは、摩耶と龍驤でありました。
「あの二人は、何ヒートアップしてやがるんだ?」
「電がクールビューティに成れるか成れないかが、何時の間にか、多摩とのミルク勝負になったらしいで」
「クールビューティーねえ」
一進一退の鍔迫り合い。
その均衡を破ったのは、観客ですら無い厨房の潮でありました。
「雷さん。その、すこし、いい?」
「いつでも! 分らない事があったらどどーんと聞いてね!」
「この捕虜は、どうしたらいいのかな」
「捕虜?」
『ちゅー』
「ねずみーーーーっ!」
厨房から届いた雷の悲鳴は、食堂どころか鎮守府を揺るがす程でありました。
「んにゃーーーーーっ!」
多摩は宿敵〈=ねずみ〉を求めて戦線離脱。
「電の本気を、本気を、見るの、見る、はにゃあーっ?!」
電は牛乳の飲み過ぎ〈オーバークール〉で、そのままひっくり返りました。
摩耶と龍驤は粛々とメニューを開くのみ。
「クールビューティは暫くお預けだな」
「そやな」
ここで少々のうんちくをお許し下さい。
昔から、猫が船の守り神として大事にされてきた事を、ご存じでありましょうか。
その役目は、猫が鳴くと時化〈しけ〉という迷信めいたモノから、食料を荒らすネズミ退治という実利まで、多岐に渡ります。
猫が乗っていない船は保険が下りなかったと言うから、驚き以外の言葉がありません。
正に神。
厨房ではその多摩〈かみ〉が、伝統の戦いに挑んでおります。
「キシャー!」
「多摩は落ち着かないとダメよ!」
神が相手ならば、雷が必死になるのも無理からぬ事でありましょう。
方や電はと言うと、食堂でひっくり返ったままでありましたが、神との戦いに挑んだのならば無理はありません。
介抱だと電のお腹をさすっていた不知火は、口から吹き出た牛乳噴水でビタビタです。
「不知火に落ち度でも?!」
無理からぬ事で……はないかも知れません。
そんな賑やかな鎮守府の食堂に、ふらりと陰が現れました。
最初に気づいたのは龍驤、続いて気づいたのは摩耶、三人目は生憎とございません。
その陰とは足柄でありました。
「おぅい、足柄~! 姉妹仲良くも良いが偶にはウチらと一杯どうや~?」
二人の手元にあるのは麦の飲み物でありますが、麦は麦でも麦茶で御座います。
アルコールは二〇歳を過ぎてから。
「――えちゃんどこ?」
「「へ?」」
足柄はなんと言ったのでありましょうか。
面食らった龍驤と摩耶は、食堂の一画を指すのみで御座います。
呆けた顔で、ユニゾンで。
龍驤と摩耶と言う歴戦の艦艇が、ふらふらと立ち去る足柄を、ただ見送るのみなど尋常では御座いません。
「摩耶。聞いたか。今の」
「あたし、飲み過ぎたかも」
繰り返しますが、麦茶で御座います。
◆
ここから先の説明は、慎重に慎重を重ねねばならないでしょう。
その足柄は、あっちにふらふら・こっちにふらふら、椅子の脚ににつまづいたり、誰かの肩にぶつかったり、いつものテンションが嘘の様であります。
異常さを感じ取ったのでありましょう、食堂の賑やかさが、波紋の様に連鎖的に収まっていきます。
何時しか食堂から喧噪が完全に消え去っておりました。
俯き、前髪が垂れ、表情が見えない。
唇は、きつく閉じられたまま何も語りません。
「足柄?」
妹のらしからぬ振る舞いに、流石の妙高も戸惑うばかり。
その戸惑いを破ったのは、カランと落ちた誰かのスプーンの音でありました。
足柄の長い髪が突然バサッと開くと、更には身体が震え始めたので御座います。
その様は、怖さの余り身の毛もよだつと言わんばかりでありますが、怖いは怖いでも少々違っておりました。
「お”ね”え”ちゃぁぁぁぁあぁぁぁん!」
何とびっくり足柄は、妙高の膝に縋り付いたではありませんか。
当人の妙高は驚きを隠さず、同席の那智・羽黒・周囲の艦娘に至っては完全停止状態です。
それどころでは無い足柄は、頬どころかまぶた・鼻・耳まで真っ赤に染めあげ、口元・目頭が隠れる程にしわくちゃにしております。
その姿は赤子以外言いようがありません。
ただただ無防備な悲しみと無垢な助けを求める姿に、日本海軍重巡洋艦妙高型一番艦・妙高、あらゆる理〈ことわり〉を吹き飛ばし、一世一代のお姉ちゃんモード発動で御座います。
なでなで、とも言いましょう。
「そう。大変だったのね。でも偉いわ。できる事はしたのでしょう?」
「でんびょうが~」
「それで出来ない事が分って助けを求めるなら立派よ」
「い”っばいい”っばいれ”~」
「うんうん、足柄は頑張った。もう大丈夫よ。おねえちゃんに任せなさい。ほら、もう泣き止んで。ね?」
「えぐえぐえぐ」
三度、摩耶と龍驤で御座います。
「足柄の奴、幼児化してないか?」
「あれで通じるとは流石妙高やな」
「那智・羽黒。付いてらっしゃい」
「分りました」
「はい」
「おい。那智・羽黒。何をする気だ?」
「詳しい事は分らないが、事務処理の様だ。足柄の援護をする」
「失礼しますね」
食堂の艦娘達は、妙高型の抜錨を、ただ見送るのみであります。
「那智と羽黒も大体分かってた、って?」
「流石長女、が正解やったな」
あのプールではなく、あの部屋で御座います。
長テーブルに積まれた書類の山が体現するのは、無慈悲・暴力・非道。
妙高は、多少の気後れを精神力で押さえ込み、つかみ取った伝票の束を、パラパラと流す様にめくり出しました。
し終わると、今度は山の中程に挟まっていた束をつかみ出し、またパラパラとするのであります。
何をしているのだろうか、那智と羽黒は、黙って見ていつつも怪訝そうにしております。
そうこうしているうちに、妙高はあちらこちらから書類の束を引き抜きました。
法則性がありそうでありません。
実はこの妙高、高度な戦術を駆使しているのであります。
実験にはデータ取りがつきものですが、そのデータ取りを規則的に行うと共鳴を起こし、真実とは異なった結果を、得てしまう場合があります。
妙高は、その共鳴を防ぐ無作為サンプリングによって、仕事総量を計算していたのであります。
恐るべしは三大秘書艦の一隻。
【データサンプリング終了・演算開始】
妙高の頭脳がトップギアに入ります。
妙高コンピュータ略して妙コン、臨界運転開始〈フルドライブ〉。
カシャカシャチンという少々間の抜けた音が鳴るやいなや、今度はギリギリという関節がきしむ嫌な音が鳴り始めました。
間近で聞く那智と羽黒の心中察するに余り有ります。
微笑み大黒・心は阿修羅、鬼の妙高がそこに立っていた。
「那智、羽黒」
「「は、はい!」」
その威圧に、二隻は襟を正すさずにはいられない。
「この鎮守府の艦娘〈こ〉を全員連れていらっしゃい。可能な限り」
「全員、ですか?」
「あの。皆には他の仕事もありますが」
「これは提督の指示よ。つまり最優先……だから、早くしなさい!」
「「はいっ!」」
ここに彼女たちの長い戦いが始まったのであります。
「足柄は、おねえちゃんとお仕事の準備をしましょうねー」
「ふぁい~」