新約 鬼滅の刃   作:枢木リンネ

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かなり時間が掛かってしまいました。
仕事も忙しく、WGP店舗予選2nd Stageまで進出してデッキの調整などを行なっていたので書く余裕があまりありませんでした。
あと、投稿した話のほんのごく一部を訂正した関係で、新キャラが今回ちょこっとだけ登場します。
では、4話をどうぞ。


水と紫蝶と訓練

絶対安静の期間を終え、身体を動かす(夜中に病室を抜け出して屋根の上で瞑想はしてたが)事が出来るようになった義勇は入院着を着たまま、花柱であるカナエの継子であり蝶屋敷で働く隊士の一人、牛越ユリの数歩後ろを歩いていた。

昨日の昼過ぎ、病室に様子を見に来たカナエから、明日から機能回復訓練を行うからと告げられた。

なんでも、入院している間に鈍った身体を元の状態に戻す為の訓練だそうだ。

確かに一ヶ月間意識不明の重傷を負っていた為、身体中のあちこちが固くなって身体能力や体力がかなり落ちていた。

意識が目覚めた後、本当ならばすぐにでも此処を出て任務か鍛錬を行いたかったが、蝶屋敷の女主人とその妹によって半ば強制的に入院させられていた。

脱走することも考えたが、いかんせん相手は柱で義勇の事を少なからず理解している人物。

自分が脱走するだろうと予想しているに違いない。

そうなったら、間違いなく正座をさせられて説教されていただろう。

とりあえず、一週間おとなしく(瞑想は精神統一だから動いた内に入らない)ベッドの上で身体を休めつつ、全集中の呼吸・常中を行い、新陳代謝を活発にさせて回復に専念する事にした。

そして、話を聞いた義勇は機能回復訓練を受ける事を拒否した。

ここで訓練を行うより、さっさと退院して任務で鬼殺をした方が実戦感覚を取り戻すのに手っ取り早く、同時に鬼の脅威に晒されてる人々を守る事が出来る。

それにいつまでもここに長居していると、思い出したくない事まで思い出してしまうような気がしてならなかった。

それほど義勇には、カナエとしのぶの姉妹が眩しく見えていた。

当然、そんな義勇の我儘は通じるはずもなく、妹からは青筋を思いっきり浮かべた表情で睨まれ、姉からは背筋をも凍り尽かされるような笑みを浮かべらる。

まさに意識を取り戻した日と同じやり取りになったのは言うまでもない。

何されるか分かったものではない。

蝶屋敷(ここ)に入院した時点で、義勇が折れる選択肢しか残されてない。

 

「こちらです」

 

前を歩いていたユリに案内された道場には、既にカナエとしのぶの二人がいた。

 

「カナエ様、冨岡さんをお連れしました」

「ありがとうユリ。おはよう冨岡くん」

「おはようございます冨岡さん」

「ああ(おはよう)」

「ちょっと? 挨拶ぐらいちゃんと出来ないんですか?」

「(俺は挨拶をしたのに)なんでた?」

 

その言葉にしのぶのピキッと苛立ちを隠せずにいた。

どうやら冨岡義勇という男は私を苛つかせる才能が相当あるようだ、としのぶは思った。

実際、義勇の中ではしっかり挨拶したつもりでいるが、しのぶからしたら挨拶していないのと同じ。

そこから生じるズレは、しのぶの中でどんどん義勇に対して悪印象を与えていく。

一方、そんなやりとりを隣で見ているカナエは、内心穏やかではない。

 

(あぁ〜、やっぱりこうなっちゃった〜。冨岡くん、口数が少ないうえに出てくる言葉が誤解を招くような発言ばっかりしちゃうのよね〜。しのぶはしのぶでちょっと短絡的な性格だから、冨岡くんの一言一言が癇に障って余計怒っちゃうし…………誤解を解こうにも、今のしのぶに何を言っても聞いてもらえないし、冨岡くんは何を言ってるのか理解してくれなさそうだし、あぁ〜どうしたら良いかしら〜?)

 

二人には仲良くしてもらいたいという想いがカナエの中にある。

お互いの性格が災いして悪い方に捉えてしまう為、まともなコミュニケーションが成立していないこの状況。

どうにかしないと今後の関係にも影響が出かねない。

せめてしのぶが義勇の人柄を理解してくれれば良いのだが……。

カナエの心配をよそに、敵意剥き出しのしのぶと何故怒っているのか分かってない義勇の睨み合い(しのぶの一方的な)は続く。

これではいつまで経っても状況が変わらない。

 

(本来なら私かユリが冨岡くんの相手をやるべきなんだけど…………ここはしのぶに任せてみるのも良いかもしれない。そうすればしのぶも少しは冨岡くんの事、理解してくれると思う。それに冨岡くんと訓練する事でしのぶにとっても良い経験になるしね)

 

「それじゃあ冨岡くん。機能回復訓練を行いましょう」

 

思い立ったら吉日の如く、カナエは即座に行動を起こす。

 

「承知した」

「それじゃあまずは、固くなった身体を解さないとね」

 

笑顔で呟いたカナエは、何故か自分の腕をほぐし始めた。

 

「一週間ずっとベッドの上で休んでた分、かなり大変だと思うけど頑張ってね」

 

カナエの言葉に何とも言えない予感がした義勇は、カナエに導かれるまま道場の隅に敷かれていた布団に引っ張られた。

そして柔軟運動という名の関節技地獄が始まったのだった……。

その時の義勇の状態を間近で見ていたユリは同情の視線を送り、しのぶは後ろを向いて声を押し殺して笑っていたのだった。

それも涙が溢れるくらいに……。

 

 

 

******

 

 

 

「結構キツい運動だったけど、大丈夫?」

「…………問題ない」

 

柔軟運動から解放された義勇は少しヨロヨロになりながら歩いていた。

心なしか普段無表情な顔が少し弱ってるように見えた。

そんな義勇の状態を見ながら、しのぶはめちゃくちゃ煽り倒してやりたい気持ちで胸が一杯だったが、それは後で取っとこうと堪えていた。

なにせこれからが本番なのだから。

 

「冨岡くんはここでの訓練は初めてだから説明するわね。ここでは反射訓練と全身訓練の二つを行うわ。最初に行うのが反射訓練。そこの机の上に置いてある湯呑みの中には薬湯が入ってるの。それをお互いに掛け合うんだけど、持ち上げる前に湯呑みを抑えられた場合は湯呑みを動かせないわ」

 

カナエから訓練の内容を説明された義勇は机の前まで移動する。

 

「それじゃあしのぶ。冨岡くんの訓練の相手をお願いね」

「分かったわ。冨岡さん、よろしくお願いします」

 

やる気に満ちたしのぶは、キッと鋭い眼差しで義勇を見た。

そう、しのぶにとってこれから始まる訓練こそ、義勇をギャフンと言わせる絶好の機会だったのだ。

義勇が入院してからというもの、彼の言動一つ一つにしのぶは終始振り回され続け、事あるごとに苛立ちを募らせていた。

そんな彼に、姉であるカナエは何故か親しげに話し掛けていた。

任務で何度か組んだ事があるって話は聞いてはいるが、それにしては距離が近いように思えた。

実際、カナエから義勇に話しかける場面は見かけるが逆に義勇からカナエに話しかけることはない。

カナエは普段から凛とした佇まいで大和撫子然としたお淑やかな女性で、おおらかな性格の持ち主だ。

誰に対しても優しく寛容で、その笑みは慈愛に満ちていて、鬼殺隊士たちからは女神とさえ言われるほどだ。

しかも鬼殺隊の中でも男女問わず彼女を慕う者は多い。

妹のしのぶも身内贔屓なしでカナエは理想の女性像として一番だった。

まあ、たまにおっとりし過ぎてたり、持ち前の優しさ故に()()()()()()()()()()()()()()()を胸の内に秘めているが……。

そんな姉がこの男と話している事に対して、余計不快感と怒りが募らせていった。

大怪我をしても碌な治療を受けないで大好きな姉を困らせる人。

楽しそうに話している大好きな姉を無表情でほとんど反応しないでただぼーっと聞いてるだけの人。

この人にだけは負けたくない……。

今まで苛立たせた分、この訓練で痛い目に合わせてやると意気込んでいた。

 

「お前が相手なのか?」

「そうですけど、何か文句がありますか?」

「……大丈夫なのか?」

 

ピキッとしのぶの中で何かが切れる音がした。

今まで我慢してた不満が一気に押し寄せて、溢れ出てくる感覚だった。

 

「私が相手では不満ですか⁉︎ これでも私は姉さんの継子ですよ⁉︎」

 

不機嫌な表情を浮かべて義勇を睨んでしのぶは声を荒げる。

 

「私は全集中の呼吸・常中を既に習得してます! 蝶屋敷での訓練でも、上位の階級の隊士達の訓練相手もしてます! その傍らで姉さんからも直々に指導も受けてます! 他の隊士の方々と一緒にしないでください!」

「しのぶ、落ち着きなさい。富岡くんはそういう意味で言ったんじゃないわ」

「姉さんは黙ってて! これは私と冨岡さんの問題よ!」

 

今まで溜めてたものを吐き出すようにしのぶは吐き散らす。

カナエがしのぶの為を思っての判断が、まさかこんな形で裏目に出るなんて思いもしなかった。

 

「私では役不足だと思ったのかもしれませんが、その考えを絶対後悔させてあげますから!」

「いや、俺は別に……」

「行きますよ! ユリさん、審判をお願いします!」

「わ、分かりました!」

 

眉間に皺を寄せ、義勇の話を聞かずに不機嫌な表情で睨むしのぶ。

しのぶの態度に困惑するカナエ。

名前を呼ばれ、慌てて準備を始めるユリ。

少し離れた所で不安な表情で様子を見ているすみとなほ。

そして、この状況を無自覚で作り出しておきながら、何故しのぶがここまで怒っているのかまるっきり分かってない義勇。

道場の空気はピリッと張り詰めた重い雰囲気が漂っていた。

薬湯の入った湯呑みが置かれた机の前で両者が対面する。

 

「———始め!」

 

ユリの開始の合図と同時にしのぶは湯呑みに手を伸ばす。

湯呑みに淹れられた薬湯は、飲めば疲労回復、治癒力向上、基礎代謝促進など、様々な効能がある。

蝶屋敷で入院した隊士はもれなくこの薬湯を処方薬と一緒に出され、飲む事になる。

しかしこの薬湯、効果は絶大だがとてつもなく不味くて苦いという欠点がある。

『良薬は口に苦し』ということわざがあるように、口元に運んだだけで、独特な香りが鼻腔を突いて飲む者の顔を歪ませる。

そして、それを口に含んだ瞬間、舌の上を煎じた数種類の薬草の強烈な苦味が襲い、人によってはすぐに吐き出してしまう者もちろんのこと、飲むことを拒絶する者まで現れる。

ちなみに余談ではあるが、義勇も意識を取り戻してから毎日薬湯を飲んでいる。

特別にしのぶが直々に薬草を選別、調合して煎じて淹れられた義勇専用の特製超高濃度の薬湯を……。

飲んだ時の義勇の顔はまさに傑作だった。

しのぶはしてやったりって顔をして、義勇のあの顔を記憶から絶対忘れないだろう。

閑話休題。

反射訓練で使われる薬湯は隊士たちが飲んでいる物と違い、臭いがきつい物になっている。

訓練であっても、死と隣り合わせの任務を常に行う鬼殺隊士にとって実戦同様の緊張感を持って取り組むように作られた。

しのぶは己が力を過信していたわけではない。

入隊してまだ1年も経ってないとはいえ、蝶屋敷で自分より階級が上の隊士を相手にこの訓練を行ってきた。

反射訓練で負けた回数は数えられるほど、それも柱を除いた最高位の階級甲の隊士相手でもだ。

カナエもしのぶが勝つ度に褒めてくれる。

姉の言葉はしのぶにとって自信となって、より速く、より洗練され、どんどん実力を上げていった。

そんなしのぶには、一ヶ月間意識不明状態で一週間絶対安静を言い渡され、傷もまだ完全に癒え切ってない義勇が相手なら負けるはずがないと思っていた。

———はずだった。

しのぶが湯呑みに手を掛けるのと同時に義勇の手が湯呑みを上から抑えた。

そして次の瞬間、別の湯呑みに義勇の手が伸びて掴む。

 

(えっ?)

 

反射的にしのぶは持ち上がる直前でなんとか湯呑みを抑える。

しかし、しのぶの中で少なからず動揺があった。

湯呑みを掴むと同時に抑えられ、他の湯呑みが掴まれると持ち上がる寸前の所でなんとか抑える。

 

(う、嘘! 私が持った時にはもう抑えてる! それに何この速さ! 追いつくのがやっと……)

 

義勇の反射速度にしのぶは愕然とした。

今まで多くの隊士と反射訓練をしてきて、どの相手もしのぶの速さに最初から着いていけない者や着いて行くのがやっとの者が多かった。

怪我が癒えてしのぶと互角に渡り合える相手はいたが訓練初日、それも最初の訓練でいきなり苦戦することはなかった。

一週間前まで意識不明の重傷者を相手に……。

 

「くっ!」

 

しのぶは必死に食らいつく。

目を逸らしてはいけない。

集中力を切ってはダメ。

全神経を研ぎ澄まさないと。

余裕のない表情になったしのぶの額から汗が滲み出てくる。

呼吸も少しではあるが乱れてがある。

対する義勇は、呼吸を一切乱さず、まったく動じずにいつもの無表情な顔をしていた。

 

 

———勝負は、十手を迎えずに終了した……。

 

 

結果から言えば、しのぶの完敗。

自信満々で意気込んでいただけに、この敗北はしのぶにとって屈辱的だった。

それも薬湯をかけられるのではなく、頭の上に湯呑みを置かれたのだ。

正座をしていたしのぶは、手を膝の上に置いたまま固まって動かずにギリッと悔しさで歯を食いしばった。

悔しさと苛立ちが合わさった表情を浮かべていた。

一方、訓練を終えて身体の動きを一つ一つ確認する義勇は、やはり身体が鈍っていると実感していた。

そんな義勇にカナエは声を掛ける。

 

「それにしても、冨岡くんはやっぱり優しいんだね」

「……何がだ?」

「だって、しのぶに薬湯をかけなかったじゃない? みんな必死に訓練してるから、そういう人はいないのよ?」

 

鬼との戦闘において敗北は即、死を意味する。

ましてや鬼殺隊に所属する隊士のほとんどは、家族や大切な人を鬼に殺されている。

たとえ訓練でも、相手が女だったとしても、手心を加えず容赦なく薬湯をかけてくる。

 

「……普通ではないのか?」

 

その言葉にカナエはあら?と目を丸くして驚いた。

この薬湯をかけられたら臭いは服や皮膚、髪の毛にまで染み付き濡らした手拭いで拭いた程度では取れない。

しのぶは訓練以外にも蝶屋敷の業務がある。

患者の診察、薬の調合、病室の見回り、入院患者の食事の支度、シーツや入院着の洗濯、備品の仕入れと確認。

他にも多くの雑務をこなし、さらにカナエと共に鬼殺の任務にも着く。

他の隊士と比べても圧倒的に仕事量が多い。

訓練で薬湯を浴びた場合、一度身体に染み付いた臭いを取り除いて、襟詰を着替えないといけない。

義勇が入院している間も、規模の大きい任務が立て続けにあった為、多くの隊士が蝶屋敷に運ばれててんやわんやの状態がひっきりなしに続いていた。

カナエもしのぶも義勇の様子を見に来た時や怪我の経過を見る際も隠から呼び出しをされたり急患が運ばれてきた。

義勇はそんな状況を見ていたから、配慮してくれたのかもしれない。

いや、他にも理由がある。

カナエは義勇の優しさに気付いている。

しのぶに薬湯をかけるのが嫌だったのだろう。

 

『(蝶屋敷の業務が忙しいのに、わざわざ俺の為に時間を割いているのだから、余計な仕事を増やすわけにはいかない。訓練だからといって女の子に薬湯をかける行為は失礼だろう。それに女の子がこのような物を浴びたら誰だって嫌なのだろう? ならばかけないのが)普通ではないのか?』

 

一言にこれだけの言葉が込められてるとカナエは感じていた。

言葉足らずで誤解を招く発言の多い義勇だが、その中には確かな優しさがあった。

ちらっと義勇からしのぶの方に視線を向ける。

 

「…………」

 

明らかに不機嫌な雰囲気と表情をしているしのぶの姿だった。

怒りを堪えているのか少し震えている。

 

(違うのよしのぶ冨岡くんはしのぶのことを考えてくれたのよ! 今までの言動と態度のせいで今の言葉を悪い方に捉えちゃったの⁉︎ 確かに冨岡くんは目の光がないし表情筋も動かなくて圧倒的に言葉が足りないけど、ちゃんと他人への思いやりはあるのよ〜!)

 

さらっと酷いことを心の中で叫んでいた。

しかし口にしたところで、その言葉がしのぶに届くとは考えられない。

それが非常に歯がゆい。

そんな姉の思いなぞ知らないしのぶは……。

 

(普通ではないかですって? 私みたいな弱い人にかける意味も価値すらないって思ってるんですか? だから私の頭の上に……)

 

怒りで震えるしのぶの頭の上に、先程の訓練で義勇に置かれた湯呑みの薬湯の表面が波紋を広げて揺れていた。

 

「じゃ……じゃあ次の全身訓練に入りましょう?」

「頼む」

「…………」

 

気を取り直して次の訓練に移ろうとする三者三様の反応をする。

道場の隅で不安な表情をしてアオイとすみなほは見守っていた。

机を端に寄せて、道場の中央に義勇としのぶの2人が対峙していた。

 

「全身訓練は一言で言うと鬼ごっこ。道場全体を使ってしのぶが逃げるから、冨岡くんはしのぶを捕まえるの」

「今度は先程のようにはいきませんから!」

 

カナエの説明を聞くと、しのぶが敵意を露わにして睨みつける。

全身訓練はしのぶが最も得意とする訓練。

鬼の頸を斬る筋力がない代わりに、しのぶは速さと身軽さには自信があった。

全身訓練において、しのぶは未だに入院していた隊士相手では誰にも負けたことはない。

もう一人の継子でしのぶより階級が上のユリはもちろんのこと、手加減されているとはいえ柱のカナエ相手であっても、良い勝負が出来るくらいの実力がある。

だからこそ、この訓練で義勇に負ける気がしなかった。

 

「今度は私が審判を務めるわ。二人共、準備は良い?」

「いつでも良いわ姉さん」

「頼む」

「それでは———始めっ!」

 

カナエの合図と共にしのぶは動いた。

数メートル後ろに飛び、義勇と距離を取る。

着地と同時にしのぶはつま先に力を込めて、床を強く踏み蹴った。

左右に蛇行する動きで翻弄する。

襟詰の上から羽織ってる白い上掛けが動く度にヒラヒラと揺れ、その姿はまるで羽を広げ華麗に舞う蝶のように道場を縦横無尽に駆ける。

しのぶは顔を後ろに振り向いて義勇を見た。

その場から動かず、驚いた表情でじっとしのぶのことを見つめていた。

当然よっと、ほくそ笑んだしのぶは義勇を挑発するように一定の距離を保ちながら義勇を中心に回るように駆ける。

 

(さあ、私を捕まえられるなら捕まえてみなさい!)

 

しのぶは更に速度を上げて動く。

自分でも信じられないくらい調子が良い。

今なら姉さんが相手でも勝てるかもしれないと思えてしまうほどしのぶは乗っていた。

審判を務めるカナエも端の方で見ているユリも、今日のしのぶは絶好調に見えた。

 

(((———っ⁉︎)))

 

道場内の空気が一瞬にして変わった。

三人はその中心となる人物へと視線を向けた。

驚いた表情を浮かべていた義勇が目を閉じて、意識を集中させていた。

 

(俺は水だ……水はどんな形にもなれる……)

 

集中力を高めた義勇がゆっくりと目を開く。

その瞳は、無表情な物から獲物を狩る鋭い眼差しをしていた。

深い水色の瞳と菫色の瞳が合った。

来る、本能的に感じ取ったしのぶは義勇が動く前に走り出す。

距離を詰められたら一瞬で捕らえられる。

しのぶの直感がそう告げている。

絶対に近付かせてはいけない。

全力でしのぶは逃げる。

 

———ダンッ‼︎

 

強い力で床を蹴った音が響き渡る。

しのぶは半身の状態で横に飛び、義勇が立っていた場所に顔を向けた。

 

「えっ⁉︎」

 

視線の先に、義勇の姿はなかった。

しのぶを追いかけてるなら、視界に義勇が映るはずだ。

それなのにどこにも義勇の姿がなかった。

着地と同時に、しのぶの肩にポンっと何かが触れてくる感触がした。

触れられた肩の方にしのぶが振り向くと、そこには無愛想な表情をした義勇がいつの間にか立っていたのだ。

 

「ど、どうしてそこに……?」

 

驚きを隠せないしのぶは、動揺しながらも義勇に質問をした。

 

「お前の動きを見ていた。次にどう行動するか、さっきの動きで予測して動いただけだ」

 

義勇の答えにしのぶは言葉を失くした。

たったあれだけの動きで、次に自分がどう動くのか予測して捕まえた。

これには、訓練を見ていた二人も言葉が出ない。

カナエもしのぶの動きを予測することは可能だ。

しかし、初見の相手に僅かな時間、動きを見ただけで出来るかと言われると怪しい。

 

「どう……して……」

 

不意にしのぶの口から震えた声が溢れた。

顔は俯いて肩は小さく震え、拳は強く握りしめられていた。

ポタポタと温かい雫が道場に溢れた。

 

「なんで……貴方は……ッ‼︎」

「しのぶ‼︎」

 

脇目も振らず、しのぶは道場から出ていく。

そんなしのぶをカナエは呼び止めようとするも、走り去ってしまった。

 

「ごめんなさい冨岡くん。今日の訓練はここまでにしてもらえる?」

「……構わない」

「本当にごめんなさい……」

 

カナエは義勇に謝罪をして、しのぶの後を追いかけていった。

 

 

 

水と蝶の最初の交流は、最悪な形で幕を降ろす事になった……。

 

 

 

 

 

静かに、ゆっくりと歯車は動き始める。




次回辺りから、大正コソコソ話的な何かをやりたいですね。
ちなみに新キャラの名前に関しては、気付いてる人はいると思います。
次回更新も楽しみにしていてください。
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