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端的に形容するなら地獄と言えば手っ取り早い、そんな光景だった。
空はどこまでも赤黒く染まり、雲はそんな隠す必要もない程汚れた空を更に汚れた黒で隠す。その隙間から力の奔流の如く稲妻が絶えず這いずり回り、やがて地上へと落ち迸る。視界外でも同じ現象が起きるたびに必要もないのに爆音が聴覚を通じて発生を知らせてくる。
そして、そんな終末的な景色全てを背景と言わんばかりの存在が、今、目の前にいた。
その身体は無骨な鉄の塊にして、姿は神聖の化身たる天使。神の威光を普通の人間の何十倍も巨大な体躯から放つソレの名を彼は知っていた。
この衝撃的な景色を目の当たりにしてもなお、動揺することも言葉も発することも無かった彼は、鉄の天使を目の前にして、ようやく表情を少し引き締めながら、淡々と語りだした。
「久しぶりだな、メタトロン。アマラの地でお前と戦ってから、あの世界の時間でいつぶりになる?」
彼がメタトロンと呼んだ天使はその言葉を受けても、何も返さない。メタトロンが放つ威光に飲まれてもなお変わらぬ様子で彼は言葉を続けた。
「お得意の神の言葉は喋らないのか? よく見れば前よりも縮んでいるな。マガツヒが足りないようだ。まさか、その状態で俺を倒せるとは思っていないだろう」
変わらずメタトロンは無言のままだ。ただその金属の表情は何があっても一切変わることもないが、それを差し引いても、何かその静寂が異常なものなのではないかという考えを彼に与えた。
警戒―――その意識が生まれた途端、辺り一面を照らしていた威光の中に紛れるように、蛍光のような緑の光が生まれていた。それは本来、光を飲み込むようなものではないように思える淡い光―――暗闇の中で不気味に在るかのような光のはずなのに、みるみるうちに威光を食い散らかし、その存在を主張し始めた。
無数の緑の光の筋の上部。その中央に金色の光が二つ灯る。その光を直視した者は例外なく、そこに美と恐怖の二つを際限なく覚えるだろう―――瞳の輝き。
デニムパンツだけを履いた、その姿形は明らかに人間なのに、その二つの光がそれを真っ向から否定する。見れば、後頭部よりも少し下の首筋には人間にはついていないはずの少々大きな突起さえも生えている。
メタトロンよりも明らかに小さいはずのその男は、今や巨大な鉄の天使よりも大きい存在となっていた。
「……人修羅」
そうなってから、メタトロンはようやく、その鉄の口を静かに軋ませながら言葉を発した。
人修羅と呼ばれた、その人外の青年は、その言葉を聞くと同時に両腕を身体の前で交差させ、その握らない両の掌に力を漲らせる―――人修羅独自の戦闘態勢をとりながら、目の前の天使を見やる。
「貴様とあの地で戦い……2年。貴様が率い始めた闇の軍勢と我が主率いる光の軍勢が戦った年月でもある」
「2年か……俺にとっては長いが、お前にとってはそうでもない、か」
人修羅は当時のことに思いを馳せた。それは自分が完全に悪魔に覚醒した直後に身を投じることになった戦いのことだった。
最終決戦―――そう呼ばれるそれは未だに収束していない。
世界の運命全てを決めた大いなる意思。それに歯向かう混沌を糧とする者たちの戦いは何万何億という年月も経ても終わらず、両者共にこの戦いに対しての打開策を模索していた。
そしてかつて闇の軍勢を率いていた堕天使が打開策の可能性として作り上げた、人でも悪魔でもない存在。魔人、混沌王、数多い呼び名を持つ人修羅という存在だった。
人修羅は覚醒してすぐに堕天使から闇の軍勢を譲り受けた。そして光の軍勢は人修羅の―――そして人修羅が率いる闇の軍勢に蹂躙され始め、幾重もの世界を光の軍勢は手放すことになった。
しかし―――
「我が主は貴様との間に滅びを置いた。それは何者をも消し去る概念そのもの。貴様はまた打開策に窮した」
滅び。その概念は闇の軍勢を大いに悩ませた。
大いなる意思はアマラ宇宙の中央に存在している。しかしそれ以外の存在がアマラ宇宙を通って、中央に辿り着くには、数多の世界を渡り歩いていくしかない。世界と世界を繋ぐ経路は作れる距離に限りがあった。
だが、大いなる意思は自分に到達するための道となる世界に滅びの概念を置く暴挙に出た。そこから先へは進めない。一度、滅びが置かれた世界に足を踏み入れれば、瞬く間に命を吹き消す。無数の世界を無に帰してまで打った最悪の防御策だった。
「だが、まだ滅びが置かれていない世界が一つ……」
それがこの世界だった。いつ滅びが置かれるかは分からない。だが、今ここでこの世界を突破しておかねば、闇の軍勢は大いなる意思に辿り着く術を失う。
まるで突破不可能の壁に微かに空いた穴。それがこの終末の世界だった。
闇の軍勢にとって今、一瞬たりとも止まっていられる時間はない。
「悪いが通してもらうぞ、鉄くずの天使。この状況が何かの罠だったとしてもだ」
「…………」
再び無言になったメタトロンを後目に人修羅の身体に流れる光の奔流は更に勢いを増す。目に見えない力―――魔力が地を揺らし始め、それが際限なく大きくなっていく。
「地母に呑まれてろ、木偶」
「貴様が呑まれるのだ。悪魔」
二人の言葉が交錯した瞬間、岩肌の影から無数の人影が飛び立った。
それら全てが聖なる光放つ天使。様々な位階の天使が数十、数百と人修羅を見下ろし、一斉に手を向けた。
「攻撃するつもりか?」
「まさか。我でも叶わぬ相手に智天使以下の位階の者を集めて何になるというのか」
メタトロンがそう言い切るよりも前にさっきまで人修羅に向けられていた天使たちの手が僅かに下にズレる。そう、向けられていたのは人修羅ではなく―――
「ッ? なんだ!?」
人修羅が力を開放する前に、人修羅のすぐ下の地に複雑かつ難解な紋様が現れ、強い光を放ち始める。紋様からは幾重にも複雑に絡み合ったような天使の魔力が迸る。
そしてそれが現象として力を発揮した瞬間、人修羅の下の地は、もう地の役割を果たさなくなり、代わりに重力が思い出したかのように人修羅に対して働きかけ、人修羅は地の中へと落下していく。
「な、なんだこの術は!?」
「二度と浮かび上がってくるな。忘却の海から……忘れ去られた者たちの世界から……」
その言葉を最後に、術の門が閉ざされたのか、さっきまで響いてきていた、あの終末の世界の雷鳴も一切届かなくなってしまう。微かに見えていたあの世界の光の一片も見えなくなってしまった。
「クソ、こんなことで……!」
落ちる先に死を感じない。命を止めるような意味で落とされたわけではないのは直観的に理解できる。だが、それでも人修羅は身を焦がすような焦燥感を覚えざるを得なかった。
「まだ……俺は……」
手を上に向けるが、それが誰に届くわけでもなく。
この術の効果の一環なのか、次第に人修羅の意識が暗転していく。そんな微睡む意識の中、あの世界全てを照らした青白い球体を幻視して―――
それも刹那の内に消え、ただ人修羅の身体はどこに繋がるかも分からない奈落を落ち続けるのだった。