それは、何でもない日の夜のことだった。
「あれ、ナナちゃん?」
「へっ?」
仕事からの帰り道。聞こえてきたその声にはどこか聞き覚えがあった。
「あ、やっぱりナナちゃんだ~。テレビ見てるよ~」
「えっ……あっ!」
少し記憶を漁れば、すぐに思い出せた。ナナの同級生だ。
「凄いなぁ、会えると思ってなかったなぁ。何年ぶりかなー、高校の卒業式以来だから――」
「わー! わー!! ストップ、ストップです!!」
ちらりと後ろを見る。今日現場が一緒だった事務所の皆がこちらを見ている。
彼とこのまま話していたら余分なことを聞かれてしまう。
「ちょ、ちょっとこの人と話すことがあるので! 皆さんお疲れ様でした!」
ちょっと無理矢理かもしれない。明日、色々言われるかもしれない。
だけどいい方法も思いつかなくて、彼を引っ張ってその場を離れる。
「他のアイドルの人たちはいいの?」
「良くないけどいいんです! 緊急事態なので……」
それからちょっとだけ歩いて……どうしようと頭を抱える。
勢いで引っ張ってきてしまったけど、ここからどうするかなんて考えてない。
少しだけ話して、はいさよなら? ……それはちょっと、薄情が過ぎる気がする。
久々なのだし、ちゃんと話してみるのもいいかもしれない。
「わー、ナナちゃんとご飯食べれるのー? 嬉しいなぁ」
ほんわかと笑う彼を見て、変わらないなと思う。
彼とは特別仲がいいわけじゃないけど、それでも男子の中では喋ることが多い相手だった。
彼を連れて居酒屋へと入る。ここはアイドルの皆でよく使う居酒屋で、個室を用意してくれるから使い勝手がいいお店だった。
「――ご注文の方、お決まりになりましたらお呼びください」
「あ、すみません、とりあえず生を二つ――」
「あー、生は一つでー、レモンサワー一つお願いしま~す」
「え゛」
思わず声が漏れる。最初は生で乾杯するものじゃ……?
「ボクー、ビール苦手なんだよねぇ。美味しくない……」
「へ、へぇ……」
ビール、いいと思うのだけれど。こう、のどごしがですね……。
「でもナナちゃんはすごいねー、ビール飲めるんだー」
「ま、まぁ……」
「17歳なのに大人って感じー」
「え……?」
「あれから十年くらい経つのにアイドルになって」
「あ、ちょっとその話は」
「ボクなんかもう腰が痛くなることもあるのに、ナナちゃんはテレビで踊りを披露しててー」
「やめて」
「ナナちゃんはずっと17歳なんだもんねぇ。ボクはもうにじゅ――」
「ノウッ!!」
まさか彼は、ナナが本当に永遠の17歳だと信じている……?
……いえいえ、確かにナナは17歳なんです。それは無論事実です。
「……本当にナナちゃんはすごいねぇ」
「えっと……?」
一瞬憂いを帯びた彼に声をかけようとする。
けれどちょうどそのタイミングで店員さんがお酒を持ってきて、話が途切れてしまう。
「それじゃあかんぱーい」
「……乾杯」
踏み込もうかと迷って、結局彼が話題を振ってきたからそのまま会話が進む。
彼の近況報告を聞いたり、ナナのことをテレビで見ていたという話を聞いたり。
実はライブに来てくれていたというのには少し照れた。
「……ボクさ、会社で上手くいってないんだよねー」
アルコールが回ってきた頃。彼はぽつりとそう漏らす。
「ほら、ボク昔からとろいーとかよく言われるでしょ?」
彼は苦笑しながら言う。
「だからテレビでアイドルやってるナナちゃん見ると、すごいなーって思うんだ」
そんな彼を見て、気付けばナナは口を開いていた。
「……確かにあなたはちょっと、人よりゆっくりしたところがあるかもしれません」
覚えている限りだと、彼が言うようにおっとりとしたところはあったように思う。
「でもそれはちゃんと周りの皆のことを考えてるからだって、ナナは知ってます」
ナナが仲良くなったのも、そういうところがあると知っていたからだ。
「きっと会社にも、ナナみたいにあなたのいいところに気づいてくれる人はいますよ」
……ナナの言葉は彼の助けになっただろうか。
彼の様子を伺っていると、彼は覚えのある笑みを浮かべた。仲良くなってからよく見るようになった笑みだ。
「……やっぱりナナちゃんはすごいなぁ」
彼の空気がどこか変わる。ナナの言葉は届いたのだろうか。
「ボクね、実はナナちゃんのこと好きだったんだー」
「へー……えっ、へっ!?」
頬が熱くなるのを自覚する。好きって……多分、そういう意味ですよね?
「高校の時、今みたいにナナちゃんが勇気をくれたんだよ。覚えてる?」
「今みたいなの……? 何かありましたっけ……?」
首を傾げたナナに彼は苦笑する。
「だと思ったー。……うん、だからナナちゃんはすごいんだ」
納得したように頷く彼は、やっぱり覚えのある笑みを浮かべていた。
「ナナちゃんは、昔から勇気をくれるすごいアイドルだったよ」
その言葉に、嬉しさからナナはちょっとだけ涙を浮かべてしまった。
……最近涙腺が緩くていけない。
ちなみに原因は別に歳をとったからとかではなく、そういう体質なだけなんです。