名もなき愚者の鎮魂歌 作:ばんどう
雨が降りしきっていた。
上空から見下ろす街並みは、すでにあらかたの機能を失っているように見えた。ひび割れたビル群と、砕けたアスファルト道路。ビルの合間を突き抜けていく一台のワゴン車が俺の目に留まる。
あれは…………なんだ?
『人造人間が街を襲っている』
たしか孫悟飯はそんなことを言っていた。先に街に向かったはずの孫悟飯とトランクスは、まだここに着いていない。舞空術の速度には練度が関係すると言われているが、単純に気の量の差だろう。
あの爆走するワゴン車は、街から逃げているのだろうか。そのはずだ。
「ぐああ、来るな、来るなああああ!」
「た、たすけ、たすけっ……て……!」
「ぎゃあああっ!」
だが俺の目に飛び込んでくるのはワゴン車がただひたすらに逃げ惑うひとを追い詰め、端から轢き殺していく惨状だった。あの車は人間を殺すためだけに、街をぐるぐると周っている。
『ほぉー……、これは素晴らしい』
ミノルが拍手している音が、遠く聞こえる。
俺はたまらず手のひらに光球をつくりだすと、車に向かって投げつけた。放射状に走った光弾が、また一人、轢き殺そうとした車の左側面にぶつかって真っ赤な火を噴く。車は押し倒されたように悲鳴をあげながら傾き、走行しつつも傍らのビルの壁に吸い込まれて、爆発していった。
炎をあげる瓦礫のなかから、ふたつ、人影がゆっくりと迫り出してくる。男と女だった。どちらも背丈は同じくらい。鏡合わせのように髪型まで同じだ。歩いてくる二人の顔貌があらわになったとき、俺は息を呑んだ。
「ラピス……、ラズリ……!」
喉からしぼりだした声が震える。俺はたまらず二人のまえに降りていった。生きてた……! こいつら、生きてたんだ!
「なんだ? お前」
ラピスが不思議そうに首をかしげる。ラズリは乱れた髪を整えるために、頬に落ちた髪をかき上げていた。
「ラピス、おまえ……! よかった、無事で……」
二人ともビルのなかに隠れてたんだ。ごめん、俺、そうとも知らずに車を当ててしまって――
「17号? こいつ、知り合い?」
「いいや。それよりせっかくの車が台無しだよ。人間を轢き殺して遊んでたのにさ」
…………え?
言葉を理解できずに首を傾げた。
「人造人間! お前たちの好きにはさせないぞ!」
空から、孫悟飯とトランクスが降りてくる。生き残ったひとびとは、蜘蛛の子を散らすようにこの場から逃げ去っていた。残ったのは燃える車と、ラピスとラズリと、殺されたひとたち、そして俺と孫悟飯、トランクスだけ。
……いったい、なにが起きている?
頭が割れるように痛い。吐き気もする。俺はこめかみを押さえてうずくまった。
『そう。そうだよ、オニキス。これこそが人間だ……』
『いくら転生し、忘れようが、黒の章の記録は俺たちの魂奥深くに刻み込まれてんだ』
『弱者は強者の糧に過ぎないのさ。立派な働き蟻たちは時にもてあそばれ、無残に死んでいく。彼らのようにね』
『私たちは七人で墓を掘る。この世の人間、すべてのために』
『きみも、いっしょにほる?』
『掘らなきゃダメだよ。忍が言ってる』
ぐっ……! くそっ、黙れ! 黙ってろ! いまは――
顔に押し当てた手が濡れていく。泣いている自覚はなかった。ただ――こんなことは、あり得るはずがない。あの二人が、こんな残酷なこと……するわけがないんだ。
『オニキス。人間に期待するのはよせ』
『見てみろよ、おい! お前の幼馴染たちの殺しを愉しむ姿をよぉ! 最っ高じゃねえか!』
『そして孫悟飯は死ぬ。神が定めた歴史は、そういうことなのね』
『まったくもってなんたる喜劇か! 素晴らしい出来じゃないか! まるでシェイクスピアの世界だ!』
『だいじょうぶ? ぼくらとくる?』
『忍は歓迎すると思う。おいでよ』
くそったれ! 触るな、悪魔ども!
『悪魔? 悪魔はきみの幼馴染だろう? ほら、よくご覧』
ミノルが俺の顔を
人造人間17号、18号。そう呼ばれている怪物どもが、ビルを壊し、街を巻き込んで暴れていた。
『あれがきみが守りたかったもの。助けたかった二人だよ』
違う。ラピスとラズリは、素直じゃないとこもあるけど根は気のいいやつらなんだ……
『ひひっ! そうだなぁ! 気前よく人間をかっ飛ばしてたもんなぁ! そりゃいいやつに違いねえぜ! ひゃはははっ!』
違う! あんなもの、あんなものがあの二人のはずが――
俺の脳裏に『人造人間』という言葉がよぎる。さきほど戦った16号、あのアンドロイドの姿が。あれを殴ったときの鋼鉄の感触がよみがえってくる。
そうか……。
そうだ、そうだったんだ……。
「ふふっ、ははははははっ!」
ふいに乾いた笑みがあふれて、俺は肩を揺らして盛大に笑った。灰色の空が見える。壊れた街並み。小さいころは、これが怖くてずっと戦っていたんだ。ひとりで。
人造人間二体は、孫悟飯どころかトランクスひとりに追い詰められていた。ビルを使ってうまく隠れているが、力の差は歴然だ。
「トランクスさん、もう終わりにしましょう」
声をかけると、上空から索敵していたトランクスが驚いたようにこちらをふり返った。
「オニキス! もう大丈夫なのか」
「ええ。さっさと片付けなくちゃ、あんなガラクタ」
「オニキス…………?」
俺はゆっくりと歩き出す。一歩踏みしめるたび、アスファルトの道路がめくれあがってしまう。近くのビルの壁までも、俺の歩みに合わせてへこみ、崩れ、壊れていく。
ああ、困った……。力の制御が間に合わない……。
微笑みながら、俺は首をかしげていた。
『素晴らしい! まるで忍のようじゃないか! オニキス!』
ミノルの高笑いが遠く聞こえる。どうでもいい。お前たちの話は、どうでもいいんだ。ただ二人の形をしたあのガラクタどもを、俺は一刻も早く壊さないと。
「ちっ!」
ビルに隠れていたガラクタが、俺の気に触れるまえに上空に逃れた。そこか。
「18号!」
追う俺のまえに、もう一体もあぶり出てくる。殊勝なことだ。俺は左手を突き出し、光弾の雨を二体のガラクタに容赦なく浴びせた。防御態勢を取るガラクタども。
ガラクタが呻きながらも防いでいる。その手近な方に、一気に踏み込んだ。
「なっ!」
すぐ傍に現れた俺を見て、ガラクタは驚いたようだった。金色の髪がそれの目にかかる。瞬間、俺の手刀はそれの腹を刺し貫いていた。
「カッ……!」
「18号! このっ――!」
片割れが背中から気弾を放ってくる。その脆弱さ、鈍重さにあくびが出そうだ。まともに浴びて、ガラクタを刺し貫いたままふり返ると、片割れは凍り付いたような顔で息を呑んでいた。
俺は震えている金髪の頬にそっと触れる。本当に、ラズリそっくりだ……。
「可哀想に。怯えているのか?」
思わず語りかけてしまうと、震えながらも顔を上げたガラクタが、右手に気弾を練り上げていた。
「く、ァッ……! こ、の……調子にっ」
「ああ。しゃべらなくていい。不快なだけだ」
顔面に気弾を浴びたが、なにも感じない。貫いた刃を抜き、ガラクタを切り刻んで終わりにしようとしたそのときだった。
「もうやめろ! 勝負はついてる!」
俺の目の前に、孫悟飯が飛び込んできた。振り抜きかけた手を、どうにか寸前で止める。孫悟飯はガラクタを庇うように両腕を広げて、一切怖れを感じさせないまっすぐな目で俺を見つめてきた。
「あんた……」
危ないな、もう少しで斬ってしまうところだった。
「きみは……オニキス、って言ったか。あの人造人間たちは、もとをただせば人間だったんだね。きみを見ていたら、よくわかったよ。きみは強い。だけどその力を破壊のために使っちゃだめだ。恐怖におびえて、無抵抗になった者をいたぶるようなこと、しちゃいけない。きみがあいつらの――彼らの、友達だったのなら。それだけは、しちゃいけないんだ!」
孫悟飯は、どこか切羽詰まった顔で言い放ってきた。
――ともだち?
こいつらが?
『こいつ、一番弱ぇくせにオニキスの剣のまえに飛び込んできただと?』
『しかもあの二人を
『オニキスに任せておけばそれはすぐに済んだことだ……。この男、いったいなにが狙いだ?』
『ともだち? オニキスのともだち、いたぶっちゃだめ?』
『わからない。僕にはわからない……』
頭がガンガン響いて痛い。それでも視界がにじんで、頬に温かい液体が流れていく感触がする。俺は、泣いているのか?
……どうして?
「孫、悟飯……さん……」
自分でも、わけがわからなかった。ただ胸のどこかがすとんと落ちる感覚がして、俺は馬鹿みたいにぼーっと突っ立ったまま、孫悟飯さんを見つめていた。
『彼はあなたの心の痛みに気づいたのよ。それだけじゃない。彼は、自分を殺そうとした者にまで情けをかけているんだわ。戦いに身を置いているのに、これほどまでに深い慈悲の心を持っているだなんて』
慈悲の、心……?
あれは、あんなものはラピスとラズリじゃない……。
『だったらどうして、あなたの心はそうまで乱されているの?』
『おいナル! お前までなに寝ぼけたこと――』
『ミノル? どうしてカズヤをとめるの?』
『俺にもわからない……。だが、わからないのならば結論を出すために少し、観察する必要があるだろう』
『あのミノルが珍しいことを。槍でも降るのかな?』
『ミノル。僕も、わからない』
頭のなかのやつらは、相変わらずごちゃごちゃとうるさい。
俺は孫悟飯さんから、あらためて視線を――幼馴染だったはずの二人に向けた。俺と、悟飯さんごと消し去ろうと気弾を高めている二人を。
「ちょうどいいよ! くたばりな!」
「死ねっ!」
「悟飯さんっ!」
トランクスが素早く悟飯さんのまえに割り込んでくる。俺は、気がついたらラズリだったもののまえにいた。腰元に置いた両手をラズリだったものに向けて突き出す。巨大な気功波がラズリだったものを呑み込んで、後ろのビルまでもを貫き、壊していった。
……そうか。
ラピスは、ラズリは、死んだんだ。
「くそっ! 18号!」
俺はラピスだったものを見つめた。目が合ったラピスだったものは顔を引きつらせて、一目散に逃げていった。その哀れな背を、いまはなぜか追う気になれない。
俺にはもう、守りたいひとなんか、いなかったんだ……。
喪失感を慰めるように、雨粒がしきりに頬を叩いていった。
◇ ◇ ◇
月 日
歴史修正任務の途中、トランクスが暴走した。
定められた歴史では、次の戦いで孫悟飯は死ななきゃならない、らしい。それを助けようとして時の界王神に止められた。
俺のほうは――やっと親友を見つけた。
思ったより長くかかったけど、ようやく見つけたんだ。
だけど二人の呼び名は人造人間17号、18号に変わっていた。
俺のことも覚えていなかった。
あの悪名高いレッドリボン軍に捕まって、殺戮人形に変えられてしまった。
これは『定められた歴史』なんだと。靄は、関係なかった。
あいつらは笑顔で無力な街の人を、孫悟飯を殺そうとしていた。
俺に、助けるべき人間なんて、もういなかったんだ――。
◇ ◇ ◇
その後、トランクスはコントン都に帰っていった。
「とんでもないことをしてしまった……」と彼が蒼白な顔で言うので、「人造人間は、僕が壊しました。トランクスさんじゃなくて、この僕が」と返したのだが、トランクスの表情は晴れないままだった。
俺もコントン都に戻るよう勧められたが、その話には乗らなかった。もうタイムパトローラーには戻りたくない。
この歴史も、どうせほかのパトローラーが修正しにくるに決まっている。
「本当に、トランクスと行かなくてよかったのかい?」
悟飯さんに聞かれて、俺は小さくうなずいた。「それならパオズ山に一緒に帰ろう」と言われたけどそれも断って、壊れた街並みをひとり、歩いていく。
だれもいなくなった街。
右も左もわからないまま、靄と戦っていたころを思い出す。
「馬鹿な話だ…………」
さっき吹き飛ばしてしまった人造人間のところに向かっていく。外は作り替えられても、もとはラズリなんだ。ちゃんと、弔ってやらないと。
そんな気持ちが湧いてきたのは、悟飯さんがかけてくれた言葉のおかげだった。俺にもまだ、温かいひとの心が残ってるんだ。
雨で冷えた手で瓦礫をどける。そうしているうちに、タイムパトローラーがやってきた。全員で八人。予想よりも多いのは、俺がそれなりに戦績を積んだからかもしれない。
「オニキス! お前はいま、オニキスか!?」
「戻ってくるのならいいわ! だけど、そうでないなら修正させてもらいます!」
タイムパトローラーたちが話しかけてくる。ああ、億劫だ。
「…………帰ってくれないか? いまは、戦う気分じゃないんだ」
俺が答えると、タイムパトローラーたちは反抗と受け取ったらしく、それぞれ構えた。予想はしていたが、面倒だな。
『よければ代わろうか? オニキス』
ミノルが聞いてくる。馬鹿は休み休みに言えよ。
俺は迫りくる八人を迎え撃つ。それなりに修練し、力をつけているが――それだけだ。こいつらの攻め方には、怖さがない。
フォーメーションは訓練されていて、飛び込んできた四人の拳蹴打を俺は両手で受け流していく。残る四人は気弾で援護だ。統率が取れていて、それだけに読みやすい、まっすぐな攻めだった。
特に気弾は無意味だ。少なくとも俺と同じくらいの気を持った攻撃でなければ、このオーラを突き抜けられない。
背中から襲いくる拳蹴打まで俺が受け流せるのは、まとうオーラが俺のテリトリー内だからに過ぎない。俺には今、自分の攻撃範囲と敵の攻撃範囲すべてが瞬時に把握できる。
俺を袋叩きにするはずが、タイムパトローラーたちは間合いに一歩たりとも踏み込めず、攻撃をすべてはじかれることに驚愕していた。気弾も打撃も通じない。鉄壁の防御はコントン都で鍛えたものだ。
あんたたちと同じ、コントン都で。
「そんな……っ! 馬鹿な……」
「実力差はわかっただろ。もう帰れよ。でないと……俺の手許が狂っちまうかもしれない……」
脅しでなく、本音だった。
俺のなかにいるミノルやカズヤ――、こいつらの気が立っているのが、いまの俺には手に取るようにわかる。
『それはそうだ。オニキス。だってそうだろう? せっかく興味深い観察対象ができたというのに、彼らはそれを潰せというんだ』
『ナルのやつは慈悲だとか言ってたけどよォ。俺はあいつの偽善を暴いてやらなきゃ気が済まねえ。こんな雑魚どもに横取りされんのは、はなはだ不愉快だぜ』
まあ、落ち着けよ。
あいつらは帰るよ。どうせ安全第一のぬるま湯で生きてるんだ。ちゃんと勝てる戦力になって帰ってくる。
『余裕だね、オニキス』
どうでもいい。どうでもいいんだ。コントン都のことは。
だけど、あの孫悟飯さんを殺せ、というなら容赦しない。こいつは時の界王神への宣戦布告だ。
『ホォ! 神への反抗か! オニキス、てめえ言うじゃねえか!』
『くくっ、なかなか面白そうな話だ……』
『ようこそ、オニキス。我々のもとへ』
ざわつく脳内の連中を、俺はいったん意識の脇に置いた。
タイムパトローラーの一人が――おそらく隊長格が――劣勢をくみ取って退却を決断する、そのときだった。
「……の、クソヤロ……ッ!」
仕留めたはずのラズリだったものが死力を尽くし、気弾をパトローラーに撃ち込んだのだ。弱い気弾だった。だが敵意を向けられたパトローラーは強烈な殺気を身にまとうと
「人造人間が! 死ね!」
なんの躊躇もなく、ラズリに気弾でとどめを刺そうとする。俺はその気弾を片手で弾き、とどめを刺そうとしたやつの懐に入り込んでいた。
「なっ!?」
驚いているパトローラーの横っ面を思いきり殴りつける。そのときだ。
「こいつは追加のプレゼントだ」
カズヤが気銃を、パトローラーの心臓に撃ち込んでいた。
「リヒトっ!?」
パトローラーたちの間に、一斉に動揺が広がる。一瞬、カズヤに意識を乗っ取られた俺は、右手に出来上がっていたショットガンをほかのやつらに向けると、押し込めていた殺意を剥き出しにして連中を睨み据えた。
「さあ、とっとと帰れよ。でないと、皆殺しにするぞ」
「ひっ!」
リヒトとかいうやつを尻目に、パトローラーたちがすごすごと去っていく。不思議だな。その背中が、なぜか17号と呼ばれていたラピスだったものと被って見えた。
「カ、ァ……!」
取り残されたリヒトが即死できずに震えている。俺が彼の傍まで寄ると、まだしぶとく生きているラズリもどきの笑い声が耳に障った。
「ハ、ハハ……! ざまあないんだよ、バーカ……」
それがラズリもどきの、最期の言葉だった。
俺は、泣きながら俺を見上げてくるリヒトを見下ろす。救いを求めていたのかもしれない。だが、カズヤの銃に撃たれた人間に、もはや助かるすべはない。
「悪かったな……リヒト」
初めて知るやつの名前をつぶやきながら、俺は引き金をしぼり、細々とした彼の生に終止符を打った。
ついに、ひとを殺してしまったのだ。
雨がまた、降り始めていた。
俺はひどく疲れて、ふらつく足取りで腰を下ろした。ラズリだったものの上に乗ってしまったが、もう動く余力もない。
「ごめん、…………ごめんな、ラピス、ラズリ……。助けてやれなくて……ごめん」
俺のひとりごとは、雨のなかに溶けていった。