名もなき愚者の鎮魂歌   作:ばんどう

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第5話

「熱っ……!」

 

 ひりつく指先の痛みに驚いて、思わず右手をひっこめた。手許にあったのは本格的な中華料理鍋。匂いからすると麻婆豆腐だろうか?

 …………ここ、どこだ? あらためて周りを見渡す。ドーム状の石壁でできた室内。厨房の造りは本格的で、一般家庭よりもはるかに大きく、隣のかまどからはもくもくと白い煙が上がっている。大小さまざまな鍋があちこちでぐつぐつと揺れ、いま調理の只中のようだった。

 

「マコちゃん、お鍋の様子はどうだい?」

 

 アーチ形の木戸から女の人が両手に野菜を抱えて入ってきた。

 だれ? 首を傾げる俺を置いて、手許の中華鍋を見るや「ホントにマコちゃんがいて助かるだ。悟飯もおなか空かせて待ってるからな! 腕が鳴るってもんだよ!」なんて嬉しそうに話しかけてくる。

 え、待って。マコちゃん、って……もしかして『マコト』のことか? たしか、俺のなかにそんな人格がいたはずだ……。

 混乱して、きょろきょろ首を巡らせている俺を女の人は不思議に思ったのか、目を丸くして何度かまばたきしたあと、にっこり笑った。

 

「んだ? もしかして入れ替わっちまったのか? いまいるアンタは誰なんだ?」

 

 なんで俺の事情まで知ってるんだ!?

 わけがわからなくて、頭の上に?マークが死ぬほど飛んだ。女の人は冷静で、俺の手許の鍋を見るなり「危ねえから貸してけろ」と代わりに持って、鼻歌混じりに料理を仕上げていく。

 あれ? やっぱりここ、料亭かなにかかな? 女の人は腰掛けエプロンをしてるのみで、白衣もコック帽も身につけていない。ただ所作は手慣れてて、動きに全然無駄がなかった。

 

「ぁ……、えっと……僕は、オニキスと言います。いま目が覚めたばかりで……ここは、どこですか?」

 

 我ながら馬鹿みたいな自己紹介をしてしまう。くそ。こんな話、信じてもらえるわけないのに。

 

「オニキスって言うのか! オラはチチ。悟飯の母親だよ。ここはパオズ山にある家で、悟飯がアンタを連れてきたんだ。オラも最初はビックリしたけど、マコちゃんはよく手伝ってくれるいい子だし、ヒトちゃんは畑の世話をしてくれる優しい子だ。さすがオラの悟飯が連れてきた子たちだよ」

 

 ……なにそれ。

 状況がよく呑み込めない……。俺はあのフューとかいうやつを追い払って、意識を失って――悟飯さんに連れられてこの家にきた?

 絶対違う。肝心な間が抜けてるんだ。違いない。

 集中したら、『やつら』のいる部屋が見えるだろうか? あまり見たい顔ぶれじゃないが仕方なく感覚を研ぎ澄ませてみる。だが、いくらやってもミノルたちは俺に応えなかった。

 普通に戻れたのかな?

 あるわけないのに、考えてしまう。

 チチさんがバカでかい寸胴を持とうとするから、代わりに持ち上げて、指示された通りに料理を皿に盛りつけていった。その度に「あんがとな!」と満面の笑顔で言われて、俺はなんだかむずがゆいこの感覚をどうしたらいいのか、困った。

 チチさんはなんでもないことをよく褒めてくれる。懐かしい感覚だった――母さんが生きてたら、こんな風に迎えてくれたのかな?

 バカなことを考えたせいで、カズヤの気硬銃を握った感触がよみがえった。リヒトに引導を渡し、ラズリが事切れた瞬間が鮮明に浮かんでくる。

 

 俺はもう、殺人者なんだ。

 

 タイムパトローラーでもない。

 

「オニキス! できた料理を部屋に運んでけろ」

 

 チチさんに言われてハッと顔を上げる。指示されたが、俺には家の構造がわからなかった。

 

「はい。…………あの、このドアを抜けて、そこからどう行けばいいですか?」

 

 チチさんがまた不思議そうに目を丸くしてから、「あー」と納得したようにうなずいた。

 

「そうか。オニキスはまだ起きたばっかりだったな。おらが案内してやるからついてこい」

 

 てことは、ミノルたちはもう家の全貌を知っているのか? 悟飯さんのことも?

 チチさんは『マコト』と『ヒトシ』の話をしたけど、ほかの人格には触れなかった。ミノルたちはこのひとたちに危害を加えてないってことか? ()()

 いつも目覚めるときは、わけのわからないことでだれかに責められた。心配してくれたのはトランクスくらいで、チチさんたちもあいつらみたいにいつか俺を、わからないことで責めてくるんだろう。

 ……まあ、責められるだけならまだましだ。少なくともそのひとは無事なんだから。

 考え事をしている間に、食卓と思われる丸テーブルのある部屋に導かれた。厨房は広かったけど、家全体はちょうどいいサイズらしく、木戸を出て廊下を一直線にいけばリビングダイニングに着いた。

 満漢全席よろしく、丸テーブルに所狭しと料理を並べていく。一体、何人前あるんだろうか? ファミリーレストランのメニューを二人前全部制覇してそうなくらいの量だ。そんなに家族多いのかな?

 そのとき、窓枠のない四角い窓いっぱいに、サメか小型クジラほどもある巨大な魚の頭がぬっと現れた。横たわった魚は、ずしん、と重々しい音を立てて地面に降ろされた、と思う。

 え? あれ……ほんとに魚だよな? あんなのジンジャータウンで見たことないけど!?

 思わず窓を凝視してしまう俺を置いて、チチさんが嬉しそうな声を上げた。

 

「ただいま戻りましたー!」

 

 リビングダイニングの奥にあるアーチ型の両開きのドアが開いて、悟飯さんが入ってきた。さわやかな笑顔だった。チチさんがすぐさま駆け寄っていく。

 

「悟飯、これはまた大きいのを捕まえてきたな! 夕飯を作るのが楽しみだ! さ、料理はできてるから座ってけろ」

 

 …………これ、毎食作ってるのか…………。

 色とりどりの食卓は、少なく見積もっても三十品目以上が所狭しと並んでいる。チチさんは手早いだけでなく、レシピも豊富なようだ。これを毎日三食なんて大変すぎる……。母さんはだいたい一品か、レトルトで済ませてたんだけど、ジンジャータウンで浮いたことはなかった。それが一般的じゃないのか?

 悟飯さんは俺と目が合うとにっこり笑った。

 

「きみ、やっと目が覚めたんだな。無事でよかったよ」

 

「…………え?」

 

 俺がヒトシやマコトじゃないって、このひと、もしかしてわかるのか? まだ一言もしゃべってないのに?

 理解が追い付かないでいると、悟飯さんが右手で後頭部を掻きながら言った。

 

「っと、自己紹介がまだだったね。俺は孫悟飯。ここはパオズ山にある俺と母さんの家だよ。母さんのことは、もう聞いた?」

 

「ああ。さっき厨房で話したよ」

 

 チチさんが代わりに答えて、悟飯さんがうなずいた。…………あれ? 悟飯さん、たしか隻腕だったはず?

 やばい。

 俺、どれくらい意識を失ってたんだろう? 全然わからない。

 

「それじゃあ俺にもきみのこと、教えてくれないかな? あ。食べながらでいいよ。座って」

 

 促されて、俺たちは三人で丸テーブルを囲んだ。座ったはいいけど、テーブルにある椅子はほかにひとつあるだけで、その後、だれかが入ってくる様子もなく、この豪勢な料理たちはたった三人で平らげることがわかった。…………まじ?

 

「母さんの料理は世界一おいしいからね! たんと食べてよ!」

 

「もう、悟飯たら!」

 

「あははっ」

 

 褒め上手なのは親子揃ってのようだ。仲良く笑っている二人をみて、俺は小さくうなずいた。よくわからないけど、二人にとってこれは普通な量ってことだ。俺は気にするのをやめた。

 

「えっと、僕は……オニキスと言います。すみません。西の都にいたときから、どうも記憶があいまいで……」

 

「そうみたいだね。ただ俺たちが人造人間と戦ったあの都は、じつは西の都じゃなくてペッパータウンなんだ」

 

「あの田舎町がですか?」

 

 思わず声が出た。

 西の都にほど近いペッパータウンは、俺の知るかぎりでは都会近郊の田舎町だ。麦畑と果樹園が延々と広がり、ビルはあるものの十階建て以上はほぼ見ない。スーパーだけが充実したいわゆるベッドタウン。空を狭く感じさせるあんな立派な建物、いったいいつできたのか想像もつかなかった。

 ――考えてから、ここはエイジ780の巻物のなかだったことを思い出した。

 ちょうど俺が本来生まれた年から数えれば、三十年後の世界だ。俺にはジンジャータウンが壊滅した、エイジ767までの街の記憶しかない。

 知らない間に栄えて、知らない間に壊されてたってことか……。

 

 コントン都にいると、よくあることだ。街は同じでも、巻物によっては大きく様変わりすることもある。

 タイムパトローラーは基本的に、自分の世界線で数えた年齢以上の歴史は知らされない。未来を知ることは禁忌だからだ。俺が今回、エイジ780の巻物に入れたのは、俺の居場所がもうコントン都にしか残っていないのと、エイジ780以降の世界からやってきたタイムパトローラーは軒並み戦闘値で俺を下回っていたからだった。

 

「すみません。俺、どうも時間の感覚がほかの人とズレてて」

 

 悟飯さんが不思議そうな顔をしていたので、そう言って頭を下げた。

 

「悟飯、オニキス。ともかく先に食え。せっかくの料理が冷めちまうだ。難しい話は腹いっぱいになったあとでもいいだろ?」

 

「そうですね。オニキス、食べよう!」

 

「……はい」

 

 悟飯さんが元気よく「いっただっきまーす!」と言う隣で、俺も手を合わせる。「世界一うまい」と悟飯さんが言ったのはお世辞でもなんでもなく、チチさんの料理は本当にうまかった。ただ、隣で食べる悟飯さんの胃袋が四次元過ぎて、テーブルいっぱいの料理は気がつくと悟飯さんのなかに吸い込まれていった。圧巻だ。……ハハッ、テーブルに並んでる量だけじゃなく、おかわりまでするんだ。このひと。

 俺は延々と家事をするマコトが重宝される理由を、このとき知った。

 

 

 

 

 食事を終えたあと「組み手の相手をしてくれないか?」と悟飯さんに言われ、家の外に出た。山々に囲まれた、自然豊かな場所だった。人家は悟飯さんたちの家だけで、壮大な自然のなかにぽつんと一軒、建っていた。チチさんはなんとあの巨大魚をあっという間にさばいて厨房に持って行ってしまい、また夕食になったら供すと言ってくる。孫家はいろいろとパワフルだ。

 

「悟飯さん、その右手……」

 

「ああ。これはきみのなかにいる『ジョージ』ってやつが宿代代わりにくれたんだ。意外に律儀だよな。おかげさまで、母さんに心配をかけずに済んだよ」

 

 ありがとう、と言われても俺にはぴんとこない。

 

「ミノルやカズヤは、あなたの前に現れなかったんですか?」

 

 問うと、悟飯さんの表情が引き締まった。

 

「ミノルは一度だけ、顔を見せたよ。きみのフリをしていたけどね。俺が下手な演技はやめろ、と言ったら驚いていた」

 

 ……そりゃそうだ。

 俺は自分自身を撮影した映像を思い出して、息を呑んだ。カズヤは人相まで変わるから比較的わかりやすいが、ほかの人格と俺の区別がそう簡単につくわけがない。つくなら俺が、わからないことで責められることも少しは減ったはずなのだ。

 

「ミノルは、あなたになにを言ったんですか?」

 

「しばらく世話になる、と言ってたよ。じつは俺、一度は引き下がったけどやっぱりきみのことが気になっちゃってさ。あのあと、ペッパータウンに戻ったんだ。そしたら『マコト』がいて、街で亡くなったひとたちのお墓を建ててたんだ。彼は『すべてのひとの墓を掘るのは自分の役目だ』と言っていたよ」

 

 悟飯さんは感心したように言うが、俺の背筋には悪寒が走った。すべてのひと、というのは、文字通り『すべてのひと』だ。悟飯さんはきっと思ってもみなかったんだろう。

 その後の悟飯さんの話では、ミノルは「世話になる」と言ったきり姿を現さず、マコトが主体になって動いていたようだ。タイムパトローラーの襲撃はなかったようで、知らない生き物と出会ったときだけ、ヒトシがでてきて生き物の話をよくしたらしい。俺の心配するようなことは起きていなかった。――()()

 ミノルはなにを考えてる? やつが絶対、おとなしくしているわけがない。カズヤと違って直情的じゃない分、その行動の結果はあとになって現れてくることもある。俺は、なにを警戒したらいい?

 

「オニキス! そろそろ始めないか?」

 

 考え込んでいる俺に、悟飯さんが話しかけてくる。俺は思考をいったん脇に置いて「わかりました」と返した。組み手の時に気を使うのはやめた。悟飯さんの体術は思った以上に洗練されていて、それ以上に意外だったのはその格闘センスだ。

 戦いの勘が、ずば抜けて鋭い。

 このひと、俺と同じタイプだ、とすぐにわかった。自分のうちにある気が強過ぎて、無意識にセーブしてしまっている。これをもっとうまく使ったら、相当強くなるんじゃないのか?

 俺は嵐のように迫りくる悟飯さんのラッシュを受け流しながら、両腕のしびれる感覚に冷や汗が流れるのを感じていた。

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