名もなき愚者の鎮魂歌 作:ばんどう
「悟飯さん、こいつで俺を縛ってもらえませんか」
巨大魚用の太い鎖を手に、俺は悟飯さんを見つめた。チチさんが用意してくれた客室内。寝台とチェストのみのシンプルな部屋に、夕食、組手、風呂と終えたあとで悟飯さんを招いた。
悟飯さんは要を得ない顔をしていた。
「どうしたんだ、オニキス? なにかあるなら相談に乗るぞ」
「じつは……俺が眠っている間、ほかのやつが動けないように体を封じておきたいんです」
手にした鎖はずっしりと重いが、正直、これでも強度に不安はある。
悟飯さんが驚いたような顔で見てきた。
「きみの心配していることもわかるけど。なにかあったら、そのときは俺が止める。だからゆっくり休んでほしい」
はっきりと断言してくれて、その気遣いに、申し訳ないなぁ、と乾いた笑みがこぼれた。忌々しいのは、こういった申し出をすり抜けるやつらの狡猾さ。ミノルは「しばらく世話になる」と言ったらしいが、それはいつまでを指すのか? その様子見が終わったあと、なにをしでかす気なのか? こういった類の疑問は俺の頭を離れない。
「オニキス?」
「すみません。安心したいというか……。ミノルやカズヤならこんな鎖、すぐ壊してしまうのはわかってます。ほかの人格なら動きを封じられるだろうけど、あまり周りに危害は加えない。……そういうのは、わかってはいるんです」
悟飯さんが笑いかけてくる。
「オニキス。そんな心配しなくても、多分、俺は大丈夫だと思うよ。ホントにきみが思ってるようなことになるなら、すでに動いているだろうからね。表に出てきてないのは、彼らもいまは静観する気なんじゃないかな」
「……わかりました。変なこと言ってすみません」
「気にするな。困ってるなら、なんでも相談してくれ」
悟飯さんは、本当に面倒見がいい……。
トランクスもかなりいいひとだったけど、悟飯さんの場合はなんというか、あれ? 俺、ここに養子にきたんだっけ? と錯覚するほど世話を焼いてくれる。悟飯さんだけじゃなく、チチさんもだ。
だから余計に、やつらが「様子見」している間に離れなければ、と考えていた。あてはないけど、ラピスもどきやタイムパトローラーの襲撃を考えるとあまり離れられないけど、ともかくなんとか策を練らなくては。
笑顔を貼り付けた。
「ありがとうございます。おやすみなさい、悟飯さん」
「オニキス、おやすみ」
去っていく悟飯さんを見送ったあと、俺は長いため息を吐いて鎖を見下ろした。
仕方ない。自分でやるか。
実際寝転がってぐるぐるしてると、……案外、ミノルは封じこめるかも? なんて楽天的な考えが湧いてきた。気弾なら俺のほうが得意だし、寝転がった態勢から蹴りは放てまい。カズヤの銃は厄介だ。ただ、カズヤの奇襲さえ防げば悟飯さんならどうにかなるはずだ。拘束をほどくのに、ミノルにせよカズヤにせよ、気を使うだろう。それが悟飯さんが気づくきっかけになれば、それでいい。
ひとりぶつぶつ言いながら、一番効率のいい拘束法を考えていく。うまくいくといいな。いってくれ。
祈るような気持ちで鎖で体を雁字搦めにして、俺はようやく眠った。
「おはよう。オニキス」
目覚めたら、すぐ目の前に男の顔があった。二十半ばの黒ずくめの男が、いかにも面白そうに俺を見下ろしてくる。切れ長の目、細面、黒髪を後ろに撫でつけたオールバック……あれ? この顔、この男……どこかで。
「きみとこうして話すのは、
返事もできず、またたいていた。忍と名乗ったやつが、鎖でほとんど見えない俺の手を取って、握手してくる。しのぶ……しのぶ?
――忍がまだ起きてない。僕には決められない
マコトの言葉が、よみがえってくる。
――どのみち忍が起きるまで、我々はバラバラなまま主導権を取り合ってしまうんだが。
ジョージも言っていたはずだ。ほかの人格たちも、どこか待っているような口ぶりだった八人目の男の名前……
ま、さか……
「そう。きみにとって最後の人格、忍だよ」
くくと声を立てて忍が笑う。俺は呆然と、忍を足許からてっぺんまで穴が開くほど観察していた。長い手足をひとのベッドに投げ出して、やつはリラックスした顔で座っている。一方の俺は、ほかの人格が目覚めても勝手に動かないように――あるいは拘束を解いて動き出せば、悟飯さんにわかるように――ベッドに自分自身を鎖で縛りつけていた。
俺とは違う顔、違う体――そう、忍はあの部屋にいたときの姿で俺のまえに現れているのだ。これでは別人格というより
「具現化……」
「そうだよ、オニキス。俺はもともと自分の肉体に気をまとうのが得意だった。きみのおかげさ。こうして自由に外を歩けるのは」
雰囲気はミノルに近いが、視線があったときの嫌な感じはカズヤを思わせる。ベッドに投げ出した脚は遠慮ないジョージ、そろえた手許はマコト、笑い方はナル、好奇心を隠さず観察してくる様子はヒトシ……あの部屋にいたすべての人格の片鱗が、忍からは感じられる。
だんだん頭が冴えてくると、体を起こしかけて鎖に阻まれ、焦った。まずい。俺は、一番隙を見せてはならない相手に隙だらけだ。
「くっ!」
鎖を引きちぎろうと力を込める。忍が笑った。
「そう焦るな。いまお前と争う気はない」
「……これまでミノルたちが静かだったのは、あんたが目覚めたからか」
「そうだ――と言いたいところだが、俺がやつらを連れまわしたのは、ほんの二、三日だけだ。じつに興味深いことだがミノルや、あのカズヤでさえきみが世話になっている孫一家には危害を加えることに積極的でないらしい」
忍が笑みをたたえながら語る。それがつまり無害と結論づくわけではないと理解したうえで話しているそぶりがあった。俺を見て、さらに笑みを深くするのが癇に障る。こいつ、ひとの反応を愉しんでやがる。
「きみが疑うのも無理はないがね。考えてもみたまえ。フューとやらが並行世界に向かう提案をしたとき、ミノルとカズヤは強敵がいない世界、人間の全体数が少ない世界から離れたがった。見方を変えれば、人類皆殺しの対象に孫悟飯が含まれる世界から出ていきたがった、とも取れないか?」
「やつらが?」
心の底から猜疑を込めたのが声に乗った。忍の機嫌のよさが気になる。態度は穏やかでも、ただならぬ雰囲気を感じるのだ。ふと視界の端に、山積みになっている『なにか』が目に入った。忍が気づいて、山積みになったひとつを手に取る。
巻物だった。
「眠っている間、なにが起きたのか、俺も興味があってね。コントン都から拝借したものだよ。きみと、この時代にかかわるすべての巻物を手に入れてきた。ミノルが配下にした者たちを使えば簡単なことだ」
「まきものを……?」
「こいつが神の手に渡ったままだと、お前が関わった歴史さえすべて
読むか? と聞いてきたあとで、「ああ、その態勢では読めないな」なんてわかりやすい皮肉をつけてくる。こいつ、いい性格だな。鎖を壊せば悟飯さんが来てしまうかもしれない。
その可能性が、俺に行動を躊躇させていた。
「ほどいてもかまわないよ、オニキス。ここは孫家の客室ではない」
「なに?」
「よーく首をめぐらせてごらん」
子どもに言い聞かせるみたいな声音が気になったが、俺は現状を把握すべくできる範囲であたりを見渡した。――たしかに、ベッドは空間に浮いているものの、ここは……どこだ?
上下左右、すべてを見渡しても漆黒の空間に、瓦礫のようなものが浮いている変な場所だった。忍はここを「俺たちのアジトだよ」なんて冗談めいて言ってくるが、さっぱり意味が分からない。
「俺たちは次元妖怪に愛されている。お前がほかの人間より「歪み」を正確に視ることができるのも、そいつの影響だ。孫は気を察する技術に長けても、次元を感知できない」
「妖怪……?」
矢継ぎ早に知らない事情が飛び出してきて、俺の脳内はパンク寸前だった。もはや目を丸くしてまたたたくしかできない俺を、忍が楽しそうに見てくるのがやはりムカつく。
「要は、時の界王神や魔族どもを介さずとも、俺たちは自由だということだ。時を行ったり来たりはできないがね」
「……お前の目的は、なんだ?」
「ほかの連中も言っていただろう? すべての人間に墓を掘ることさ。だが、お前が賛同しなくてもかまわない。俺たちは俺たちのやり方でやるだけだ。……聖光闘衣を応用し体を練り上げたはいいが、戦闘力の向上を目指すならば、やはりお前の体を使うほうが効率はいいらしい。超サイヤ人というのは知っているか?」
「悟飯さんたち、サイヤ人の血を引く者が急激にパワーアップをするときになる金色の戦士だ」
忍が満足そうにうなずいた。
「その超サイヤ人には段階があってね。お前の戦闘力は、だいたい2から3の間だ。ミノルで1、5。カズヤで1といったところかな」
「なにが言いたいんだ?」
「俺は、お前から分離したこの肉体だと2を少し超えた程度しか出ないんだ。だがその体を使えば、もしかしたら4に届く――かもしれない。それを試してみたくてね」
話の成り行きが不穏になってきたのを察して、俺は鎖を解かんと力を開放する。
忍が緩やかに笑った。
「しばらく眠っていたまえ。おやすみ、オニキス」