醜女の林檎   作:紫 李鳥

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 二年近くが過ぎた。色と欲で彩られたネオンサインは、(だま)された女の涙の数だけ光り輝いていた。

 

 「ラブリー」は今夜も、寂しい女たちの溜まり場だった。その夜、高級ブランドに身を包んだストレートヘアの美女が来店した。客やホストは、その女に羨望(せんぼう)眼差(まなざ)しを向けた。

 

「いらっしゃいませ」

 

 目の保養をしながら、若いホストがおしぼりを手渡した。

 

「この店のナンバーワンのお名前は?」

 

 女は、洋モクのメンソールとダンヒルのライターをクロコダイルのバッグから取り出した。

 

「は。和弥と申します」

 

 若いホストは、知らず知らずに丁寧な言葉遣いになっていた。

 

「カズヤ?うむ……。では、その方を指名するわ。飲み物は、果実酒で、ピーチのカクテルはある?」

 

「はい、ございます」

 

「では、それを」

 

「はい、かしこまりました」

 

 若いホストは深々と頭を下げると、角を直角に曲がるがごとく歩いていった。

 

 注目の的になりながら、女は悠然(ゆうぜん)とタバコを吸った。

 

「いらっしゃいませ。和弥と申します」

 

 和弥は頭を下げると、女の横に座ろうとした。

 

「前に座っていただけます」

 

 女が露骨に嫌な顔をした。

 

「……申し訳ありません」

 

「本当にあなたがナンバーワンなの?」

 

 女は眉をひそめると、「信じられない」と言った顔で和弥を蔑視(べっし)した。

 

「じゃ、ナンバーツーを指名するわ。呼んでちょうだい」

 

「……」

 

 いまだかつて経験のない客に、和弥はあたふたした。和弥は手を上げてヘルプを呼ぶと、その旨を伝えた。それを聞いたヘルプはドギマギしていた。

 

「早くしてくださらない」

 

「はい、ただいま」

 

 ヘルプは大急ぎで離れた。

 

 女はタバコを一本抜くと、火を点けようとした和弥のライターを拒否し、自分のダンヒルドレスを使った。

 

 和弥は咳払いをすると、

 

「こちらは初めて?」

 

 と訊いた。

 

「お待たせしました」

 

「あら、ありがとう」

 

 女は和弥を無視すると、カクテルを持ってきたホストに礼を言った。ホストが会釈をして背を向けると、

 

「いらっしゃいませ。ご指名をいただき、ありがとうございます。加納翔(かのうしょう)と申します。どうぞよろしくお願いします。お隣に座ってもいいですか?」

 

 次にやって来たナンバーツーが謙虚に訊いた。

 

「ええ、いいわよ。どうぞ」

 

 女は快諾した。

 

「あ、素敵な爪ですね。アートネイルでしたっけ?」

 

「逆。ネイルアートよ。ふふふ……」

 

「あ、そうでしたね」

 

「お好きなものを飲んで」

 

 翔に言った。

 

「はい、いただきます」

 

 翔が片手を上げてホストを呼んだ。

 

 相手にされない和弥は、孤独にタバコを吹かしていた。

 

「……では、ごゆっくり」

 

 和弥はタバコを消すと腰を上げた。

 

「ちょっと待ちなさい。指名したからには指名料が発生するのよ。あなたは接客しなかったんだから指名料は払いませんから。よろしくて」

 

「結構です。指名料はいただきませんので、ご安心くださいませ」

 

 和弥はそう言い切ると背を向けた。

 

「何?あんなホストがナンバーワンなの?信じられない」

 

 女は和弥に聞こえるように言った。

 

「ショウの方が全然素敵よ。謙虚だし、明るいし」

 

「ありがとうございます」

 

 翔のヘルプがウイスキーの入ったグラスを運んできた。

 

「それじゃ、乾杯」

 

 女は翔の持ったグラスにカチッと当てた。

 

 和弥は指名客の席で酒を(あお)ると、翔と楽しげに語らう女の横顔を憎しみを込めて睨んでいた。

 

「……どうしたの?怖い顔して」

 

 指名客が肘で突っついた。

 

「……なんでもない」

 

 だが、和弥の気は収まらなかった。

 

「踊るぞ」

 

 客の腕を強引に引っ張ると、スローバラードの流れるステージに連れ出した。まるで、その女に見せ付けるかのように和弥は濃厚なチークダンスをした。だが、その女は一度として和弥に視線を向けなかった。

 

 その女のテーブルには、ドンペリとフルーツの盛り合わせがあった。ざっと計算してもン万円にはなる。翔のヘルプが集まって、その女の席だけが際立って華やかだった。

 

「お前もボトル入れろよ」

 

 ダンスの相手に強制した。

 

「さっきキープしたばっかりじゃない」

 

 不平を溢した。

 

 この客と同様に他の指名客もボトルをキープしたばかりだった。新たに客が来ない限り、今日の売上は翔に負けてしまう。焦った和弥は、顧客の自宅や会社に片っ端から電話をした。――

 

「お名前を教えてください」

 

 ヘルプを席から外した翔が(おもむろ)に訊いた。

 

 すると、バッグから名刺を一枚抜き取り、翔に渡した。

 

〈竹下建設株式会社

 社長秘書 竹下彩花

 03――〉

 

「えっ、竹下建設って、あの有名な?」

 

 翔が目を丸くした。

 

「ええ」

 

「……アヤカ?」

 

「そう」

 

「同じ名字だけど……」

 

 翔は彩花の横顔に目を据えて返事を待った。

 

「父の会社です」

 

「えっ、お嬢様?」

 

 驚いた翔は、次の言葉を失った。

 

「実は……、今日はね、お婿さん探しの社会勉強のつもりだったの」

 

 彩花はチラッと翔を見た。翔は生唾を飲み込んだ。

 

「女性を相手にする仕事でナンバーワンを争う方なら、相手の気持ちとか、心配りとか、忍耐力とか、人一倍()けてると思って。そういう人を父の片腕にしたいなって思って」

 

「光栄です。その一人に選んでもらって」

 

 翔は感激していた。

 

「あ、名刺、よろしい?一枚しか残ってないの。今度持ってくるわね」

 

 そう言って、翔の指から名刺を抜いた。

 

「だから、先程のカズヤ?さんの件はとても残念。日本一の繁華街、歌舞伎町の日本一のホストクラブのナンバーワンの方に、“謙虚さ”が欠けていたんですもの。……もし、その謙虚さがあったら、ショウさんにするか、カズヤさんにするか迷っていたと思うわ」

 

 彩花が憂いを帯びた表情をした。


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