醜女の林檎   作:紫 李鳥

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 ……この十年、ホスト業界で名を馳せ、夜の世界でしか物の尺度を測れなくなっていた。しかし、こんな俺にも就職活動に精を出した時期もあった。だが、どんな仕事も長続きせず、気が付いたら夜の世界に身を投じていた。

 

 人気が出るようになってからは、金銭感覚が麻痺し、女イコール金としか見られなくなっていた。そんな堕落した自分にさえ気付かぬままに今日まで来た。

 

 だが、この彩花という女が、熱かった若い頃の、あの思いを再び掻き立てた。このまま、虚飾の世界で生き続けたとて何になる。それより、まともな仕事で達成してみたい。第二の人生を生きてみたい。

 

 だが俺には、一昨年入籍した妻と、生まれたばかりの子供がいる。納得のいく慰謝料と養育費を払って離婚するのは簡単だが、戸籍には×が残る。何一つ資格を持たない三十過ぎのバツイチには不利だ。しかし、どうにかしてこのチャンスを活かしたい。……どうすればいい。

 

 

 野球帽を目深に被り、マスクをした和弥は代々木公園に行くと、ブルーテントが集まった場所で、同世代のホームレスを物色した。

 

 あっ、居た!

 

 条件に(かな)った男を見付けると、早速、仕事の話をした。男は半信半疑だったが、報酬の金額を知ると、どぶのような臭いがする口から黄ばんだ前歯を覗かせた。

 

 人目につかない路地裏に()めておいた車の助手席に男を乗せると、真新しいセーターとズボンを手渡して、履歴書を書かせた。

 

「仕事は明日だ。ホテル代をやるから今夜はビジネスホテルにでも泊まって、その服に着替えてくれ。それと、先方は身元を気にするお方だ。何か身分を証明するものはあるか?」

 

 和弥はアウトローを演じた。

 

「……期限切れの免許証と保険証が」

 

 履歴書に書かれた一つ年下の〈斉藤英行〉が、手垢で汚れたリュックサックの中を漁った。

 

「先方は神経質だ。斉藤さんがホームレスだと知ったら、この(もう)け話もパーになる恐れがある。金をやるから散髪に行って、髭を剃ってもらえ。そして、ゆっくり風呂に入って綺麗に垢を落としてくれ。あ、歯磨きも忘れるな」

 

「あ、はい」

 

 斉藤が手渡した免許証と保険証は間違いなく本人のものだった。いよいよ、架空の仕事を持ち掛けた。

 

「明日の十時、渋谷にあるビルに行って、永田という男に後ろにある袋を渡してくれ。住所を書いたものは後で渡す。……何、ジャブとかハジキじゃないから安心しろ。単に俺の顔見知りだとまずいだけだ」

 

「……はい」

 

 和弥が用意しておいた高級幕の内弁当を、斉藤は旨そうに頬張っていた。

 

「酒を呑むなら後ろにあるぞ。旨いか?」

 

「ええ。久しぶりです、こんな旨い弁当」

 

「履歴書には佐賀とあったが、いつ東京に?」

 

「高校卒業してすぐです。もう十年以上になります」

 

「なんでまた、ホームレスなんかに」

 

「六年勤めた工場が倒産して、負債を抱えた社長が、……自殺したんです。そのことがあってから生きる希望をなくし、働く気力もなくして。気が付いたら、公園のベンチに居ました」

 

「……親は?」

 

「俺が六歳の時に母が、二十歳の時に父が。母は病気でしたが、父は事故で」

 

「……天涯孤独か?」

 

「……はい」

 

「……寂しいな。妻や子は?」

 

「こんな(つら)じゃ、女も寄ってこないですよ」

 

 斉藤は苦笑いしながら、和弥が手渡したカップ酒を(あお)った。

 

「兄弟や親戚もいないのか?」

 

「一人っ子ですから。ま、親戚ぐらいはいるでしょうが、……故郷(いなか)に帰ってないから、……付き合いはないです」

 

 斉藤は欠伸(あくび)をすると、目を閉じた。――やがて、(いびき)をかき始めた。

 

 和弥は躊躇(ためら)った。斉藤に深入りしたことを後悔した。果たして、人を殺すだけの価値があるのか……。

 

①このままホストを続け、年老いたら年金で暮らす。

 

②彩花と結婚。社長の椅子という将来は保証されている。

 

 一条和弥の本名は妻の裕美以外、店の者は誰も知らない。「ラブリー」に入店した時も、以前働いていたクラブからの引き抜きで、履歴書というものを書いていなかった。水商売にはそんな特権がある。つまり、面接の時点で売れると見込んだら経歴など問題にしない。店側は実力重視なのだから。

 

 

 車窓から辺りを見回すと、夕闇に包まれたビルが要塞(ようさい)のように屹立(きつりつ)していた。

 

 斉藤を()るのは、彩花との話が決まってからでも遅くない。だが、この件を斉藤が他言しないとは限らない。漏れるのはまずい。都合よく斉藤は眠ってる。今がチャンスだ。

 

 後部座席のドアを静かに開けると、用意していたゴム手袋をして紐を握った。

 

「……すまない」

 

 和弥は小さく呟くと、鼾をかいている斉藤の首に紐を回した。――そして、埼玉の山中に埋めた。

 

 

 裕美を納得させるために和弥は話を作った。

 

「……今の仕事を辞めようと思う。子供のためにも。建設の仕事が見付かった。だが、各地を転々とする。家には帰れない。お前には苦労をかけるが、毎月の生活費と養育費は振り込むから安心しろ」

 

 ホストを辞めてくれることが嬉しかったのか、裕美は涙目の笑顔を向けた。

 

 

 当夜、彩花から店に電話があった。

 

「急用で今夜は行けそうもないの。明日の午後四時に、成田にあるGホテルの五〇五にいらして。父が会いたいんですって――」

 

(ヤッター!殺った甲斐(かい)があった)

 

 和弥は天にも昇る気持ちだった。

 

(翔、悪いな。俺の勝ちだ。ハッハッハッハ!)

 

 珍しくお茶を()いて、待機席でタバコを吹かしている翔の横顔に薄ら笑いを浮かべると、勝ち誇ったように顎を突き出した。

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