多くの残骸が一面に浮かぶ海域。
アーク・ロイヤルやフッド達は、その海の上で何とか立っていた。
彼女達の多くが傷だらけで満身創痍であり、これまでの戦いの激しさを物語っていた。
「フッド、無事か」
「えぇ、私自身は。ですが……」
フッドは自らの艤装をアーク・ロイヤルに見せる。すでに艤装はボロボロの状態であり、あと1,2発も撃てば限界を迎えるであろう。
「……私も、艦載機をあと3回飛ばすのがやっとだな」
アーク・ロイヤルの持つ艦載機も既に底を尽きようとしていた。
誰もがいつ限界を迎えてもおかしくない。犠牲者が出ていないのが奇跡であった。
「……フッ、休む間も与えてくれないか」
アーク・ロイヤルは海の向こうを見る。
そこには、膨大な数のセイレーン艦隊の影が見えた。
すでに限界を迎えようとしているアーク・ロイヤル達に向かってくる絶望的な影。
だが、彼女達の誰一人として、その目は絶望の色に染まっていなかった。
むしろ、力強い闘志の色すら見える。
「……状況は絶望的。だが」
「きっと、来てくださるはずです」
そう言ってアーク・ロイヤルやフッド達は武器を構える。
そして、迫りくる艦隊を迎え撃とうとする。
そんな彼女達を嘲笑うかのように、セイレーン艦隊が一斉に砲撃を仕掛ける。
「くっ!」
アーク・ロイヤル達は何とかそれを迎撃、もしくは回避する。
だが、何人かは当たってしまったようで、身動きが取れなくなっていた。
「フッド!」
フッドも避けきれずに足を負傷していた。
次の攻撃が来れば、間違いなく回避はできない。
「申し訳ありません、アーク・ロイヤル様……」
「謝ってる暇はない!今は――」
次の瞬間、敵艦隊の砲撃が再び仕掛けられる。
アーク・ロイヤルはとっさに持てる限りの艦載機を飛ばし、砲撃を迎撃していく。
だが、無情にも艦載機の数が足りずに、砲撃の雨が迫りくる。
「……閣下」
アーク・ロイヤルは最期を覚悟し、胸の中で最愛の人の顔を思い浮かべる――
だが――
「!!」
敵の砲撃はアーク・ロイヤル達に届く前にすべて爆散した。
「これは……」
「間に合ってくれたか、閣下!」
後方を見ると、そこには仲間達、そしてアーク・ロイヤル達の指揮官の姿があった。
「もう一度来ますわ、指揮官様」
「分かっている。第一陣、迎撃の準備を!」
再び放たれる敵艦隊の砲撃の雨。
しかし、指揮官の率いるKAN-SEN達はその砲撃をいともたやすく迎撃していく。
そして、敵の攻撃を止めながらアーク・ロイヤル達のもとに辿り着く。
「手の空いてるやつは負傷者の回収を!急げ!」
指揮官の指示で負傷したKAN-SEN達が次々に救護船に収容されていく。
「閣下……」
「指揮官様……」
「悪い、遅くなった」
「……そんなことはない。ちゃんと間に合ってくれたじゃないか」
アーク・ロイヤルは嬉しそうに笑った。
「とりあえず話は後だ。今はゆっくり休め。そして……」
指揮官は2人をギュッと抱きしめた。
「よく生きていてくれた。ありがとう」
そして、2人が救護船に運ばれるのを確認してから、指揮官は敵艦隊の方を見る。
ざっと見た感じ、指揮官達の艦隊の5倍の規模はありそうだ。
「……さすがに多いな」
「えぇ、そうですね。ですが……」
「勝てない相手じゃない。そうだろ?」
「もちろんですわ」
指揮官の隣で天城が不敵に笑う。
「さぁ、みんな。アーク・ロイヤル達が時間を稼いでくれたんだ。全力で……迎え撃つぞ」
指揮官――キリハラ・タツヒト率いる連合艦隊の反撃が始まろうとしていた。
「こうして私達が稼いだ時間を使って閣下はセイレーン艦隊を迎撃する準備を整えて鏡面海域での決戦に挑み、そして勝利に導いたんだ!」
桐原家の食卓。アーク・ロイヤルはまるで英雄譚を語る子供のように熱く、過去の戦いのことを語っていた。その横ではフッドが優雅にお茶を飲んでいた。
「えっと、その戦いって……?」
「第六次鏡面海域作戦よ」
「マジか……」
第六次鏡面海域作戦といえば、鏡面海域で行われた大規模戦闘の中でも最大規模の戦いで、当初は人類側の敗北が確定と言われていたが、アズールレーンの連合艦隊の活躍によって奇跡とまで言われた勝利を収めた戦いである。これによってセイレーンの主要艦隊を壊滅させたと言われ、それ以降のセイレーンの襲撃は勢いを落としたとされている。
セイレーンが世界から撤退するきっかけになったともいわれ、過去の大戦においては最も重要な戦闘とまで言われている。
アーク・ロイヤルとフッドはその戦いにおいて連合艦隊が態勢を整えるまでの時間稼ぎを行ったとされ、彼女達の戦いなくして人類の勝利はなかったともいわれ、今までに様々な作品の題材にもなっている。
そんな英雄が今目の前に2人。しかも、自分の先祖がそんな英雄の指揮官であり、歴史に残る大戦の指揮を執っていたなど、龍仁は未だに受け入れられずにいた。
「閣下は英雄として表舞台に出るのを嫌っていたからな。『KAN-SENあっての勝利であって、自分はサポートしかできなかった』と」
「指揮官様らしいと言えばらしいのですが、私達は少し寂しかったですね。指揮官様と共に得た勝利でしたから……」
フッドとアーク・ロイヤルはそう言って寂しそうに笑う。
龍仁の先祖は自分が英雄と呼ばれることを嫌い、海軍から自分の記録をほとんど消し去ったという。だから、彼のことを知るのは、彼と共に戦った者達だけなのである。
自分達は記憶に残りながらも、一番大切な人が誰にも知られることなく歴史に埋もれていく。その寂しさは、恐らく彼女達にしか分からないだろう。
「その、フッドさん、アーク・ロイヤルさん」
「何でしょうか、龍仁様」
「龍仁……君でいいのかな。ううむ、閣下と同姓同名だと名前で呼ぶのは何とも不思議な気分になるな。まぁ、それは置いておこう。それで、どうしたんだ?」
「えっと、俺のご先祖様ってどんな人だったんですか?」
ありきたりな質問だが、そのことが一番気になった。
今まで気にしたこともないご先祖様。だが、話を聞いていくうちにどんな人物なのかが気になって仕方がなかった。
「閣下がどんな人か……ふむ」
「指揮官様……そうですね」
アーク・ロイヤルとフッドは何やら考え込む。
答えに困っているというよりは、思い出を懐かしんでいる。そんな感じである。
「……お姿はやはり龍仁様にそっくりでした」
「うむ、何度見ても閣下の生き写しだ」
玄関で直接会った時に2人は龍仁を見て驚いていた。
よほど見た目がそっくりだったのだろう。
「それと……このお茶。指揮官様がよく淹れてくださったお茶と同じ味がします」
「同じ味?」
「あぁ。それは私も思った。閣下のお茶と同じだって」
そのお茶は龍仁が淹れたお茶だった。
その淹れ方は芳奈から教わり、芳奈も自分の父親から教わったという。
どうやら、お茶の淹れ方まで先祖代々受け継がれているようだ。
「そして、太陽みたいな人でした」
「太陽?」
「あぁ。眩しくて明るくて、そして人を温かくする。そんな人だった」
「それでいて、とても賑やかな方でした」
抽象的だったが、彼女達の表情からは心地よさが感じられる。
一緒にいて幸せになれる……そんな人だったのだろう。
「2人とも、ちょっと漠然としすぎて伝わりにくいわよ」
芳奈は苦笑いしながらそう言った。
「芳奈様の言う通りではあるのですが……説明するとなると難しいですね」
「あぁ。人というのは実際に触れ合ってみないと分からないものだからな……そうだな。それじゃあ、閣下との思い出話でもしようか」
そう言って2人は昔の思い出話を語り始めた。
艦隊の記者役であった「青葉」や「グリッドレイ」に振り回されていたこと。
悪戯好きの駆逐艦から散々いたずらをされていたこと。
当時の「クイーン・エリザベス」のプロポーズ騒動のこと。
歴史に残る名軍師と名高い「天城」を献身的に支えたこと。
ロイヤルネイビーのメイド一人一人まで大切にしてくれたこと。
そして暇さえあれば艦隊のみんなとパーティーを開いたり、遊びに行ったこと。
どれも聞いているだけで「楽しい思い出」というのが伝わってくる。
「……ということは、ご先祖様の艦隊にもクリーブ……ランドとか青葉がいたんですね」
「あら、ということは?」
「俺の友人にもいるんです。クリーブや青葉達。後輩に睦月と如月もいますし」
「あら、それは……そういえば……」
「えぇ、フィーゼちゃんもね」
「フィーゼがどうかしたの、母さん」
「実はね、ご先祖様の艦隊にZ46……フィーゼちゃんがいたのよ。しかも、ご先祖様もフィーゼって名前を付けたらしいわ」
「え、マジでか」
「ふふ、まるで運命ですね」
フッドは嬉しそうに笑った。
その横ではアーク・ロイヤルが何故かソワソワしている。
「そ、それで……」
「うん?」
「その、フィーゼという子はどこにいるのだろうか?」
ワクワクしたような目で周囲を見渡すアーク・ロイヤル。
その目は獲物を狙う肉食獣にも見えた。
「フィーゼ様ならベルファストが陛下と一緒に避難させていますわ。アーク・ロイヤル様がいると危険ですので」
「そんなぁ……」
アーク・ロイヤルはガクッと項垂れる。
訳が分からず、龍仁は芳奈を見る。
「……龍仁、アーク・ロイヤルさんに憧れてたわよね」
「あ、あぁ……」
アーク・ロイヤルといえば誰もが憧れる英雄の一人。
物語の中では騎士の鑑、「カッコイイヒーロー」を体現したような人物として描かれる。
そんな彼女に誰もが一度は憧れを抱く。龍仁もその一人だ。
「なら、知らない方が良いこともあるわ」
そう言って芳奈はずずっとお茶を飲む。
相変わらず訳が分からず、龍仁は首を傾げるしかなかった。
「それでは、そろそろ戻りますわ」
フッド、アーク・ロイヤル、エリザベス、そしてメイド達で囲んだ食卓。
食事も終わり、フッド達は帰り支度を始める。
「もう少しゆっくりしていけばいいのに」
「そうしたいのは山々なんだが、こちらもまだ片付けないといけない仕事があるのでな」
「今度はこちらのお屋敷の方に来てください。できる限りのおもてなしをいたしますわ」
「それじゃ、そうさせてもらうわね」
「むー、もう帰るの……」
龍仁と談笑していたエリザベスは、龍仁から離れたくないのか不満そうであった。
「明日学校じゃないか。準備とかあるだろ」
「そうだけど……いっそのこと龍仁の家に住むってのも!」
「陛下、基本はロイヤル管理下の屋敷で過ごすのが重桜滞在の条件の一つですよ。さすがに虚偽の報告をするわけにもいかないので、困るのは陛下になってしまいます」
「うー……」
どうやらロイヤルの方でも色々あるようだった。
膨れるエリザベスに苦笑しながら龍仁は近付く。
「……大丈夫。ちゃんと明日も会えるんだから」
そう言ってエリザベスの頭を撫でる。
10年待った2人だからこそ分かる、その言葉の意味。
そう言われてしまうと、エリザベスもこれ以上ワガママを言えなかった。
「……うん、明日。明日だからね!」
エリザベスはそう言って念押しする。
龍仁も「もちろん」と頷いた。
「あと、フィーゼにもよろしく伝えておいてね」
「分かった」
すっかりフィーゼと打ち解けたらしい。ベルファストの話では、避難(?)させている間ずっと楽しそうに2人で遊んでいたようである。
「うぅ……駆逐艦……会いたかった」
アーク・ロイヤルがまた項垂れる。
やはり気になる龍仁だが、芳奈の言葉を思い出して深く追求しないことにした。
「それでは、失礼します」
そう言ってフッド達は桐原家を去っていった。
彼女達を見送ってから、龍仁達はリビングに戻る。
「……ところで、シリアスさんは何でそんなに落ち込んでるんだ?」
「うぅ……」
リビングにはズーンと凹んでいるシリアスの姿があった。
「家事のことでベルにこってり絞られたそうよ。私もフォローはしといたから、ベルもそこまで強くは言わなかったみたいだけど、それでも叱られたことには変わりないもの」
真面目なベルファストのことだ。龍仁が自分からやりたいと言ったとはいえ、やはりメイドとしての務めはある。だからこそ、言うべきことはしっかりと言ったのだろう。
そう考えると、龍仁も少しはシリアスに手伝ってもらえばよかったかな、と申し訳ない気持ちになった。しかし、それでもあの絶叫はどうしようもない。
「家事をするってのは俺が言い出したわけだし。シリアスさんが気に病む必要はないよ。明日、俺からもベルさんに言っておくからさ」
「お気遣い、ありがとうございます、龍仁様……」
それでもシリアスの表情は晴れぬままだった。
こればっかりは彼女が立ち直るのを待つしかなかった。
「……とりあえず、風呂に入ってくるよ」
「うん、もう湧いてるからゆっくりしてきなさい」
「分かった」
そう言うと龍仁は風呂場へと向かった。
「……ん?そういえばシリアスのことで何か忘れてるような」
何だったかしら、と芳奈はシリアスの方を見る。
しかし、シリアスの姿はそこにはなかった。
「……ま、いっか」
芳奈はそれ以上気にすることもなく、冷蔵庫からビールを取り出すのだった。
「ふぅ……」
湯船に浸かりながら、龍仁は息を吐いた。
「……俺のご先祖様か」
今まで気にしたこともなかった自分のご先祖様。
だが、話を聞けば聞くほどとんでもない人物ということが分かっていく。
「……」
歴史の謎に包まれていた指揮官の正体。
それがあっさり分かってしまい、その上それが自分の先祖なのだ。
龍仁にはまだその事実を受け止められずにいた。
「……だけど」
龍仁に誇らしい気持ちがあるのも確かだった。
アーク・ロイヤル達の話の中では、ご先祖様は多くのKAN-SENと心を通わせ、そして数々の苦楽を共にしたという。それは、まるで龍仁が幼い頃に憧れた、物語に出てくる指揮官像と重なるものがあった。だからこそ、自分のご先祖様が憧れの存在と同じような人物であることに嬉しさも感じていた。
「……俺も、そんな人になれるかな」
人知れず龍仁はそう呟いた。
その時だった。
ガラッ
「ん?」
風呂場の扉が開く音がした。
扉の方を向くと――
「……」
「えっと、龍仁様。お背中を流しにまいりました」
そこには、一糸纏わぬシリアスの姿があった。
陶器のように透き通った白い肌。しかし、その頬は少しだけ紅潮していた。
何よりも目を引くのは、恐らく彼女自身の意思とは無関係に主張してくる豊満な胸。
彼女は自身の体を一切隠しておらず、その胸が嫌でも目に飛び込んでくる。
「……うわわわわわわ!?」
龍仁は慌ててシリアスに背を向ける。
「な、何やってるんだ、シリアスさん!?」
「ですから、お背中を流しに……」
「いや、そんなの大丈夫だから!一人でできるから!」
「ですが、芳奈様にも許可をいただいて……」
「ちょっ、母さん!?」
風呂場を出ようにも、入り口にはシリアスがいる。
龍仁は出るに出られず、シリアスに背を向けたままどうしようか考えていた。
「龍仁様」
「な、何?」
「その……少し肌寒いのですが」
それはそうだろう。何も着ていないのだから。
「そ、それじゃあ湯船に入ったらどうかな!」
龍仁は混乱しているせいで今自分がどこにいるのかも忘れ、シリアスに湯船を勧める。
「よろしいのですか?」
「風邪引いたらマズいだろ!」
「それでは、失礼します……」
「……え?」
シリアスは龍仁の入っている湯船に入ってくる。
そこまで広さのない湯船である。シリアスの柔らかい体が直に龍仁に押し付けられる。
「し、シリアスさん、何やってるんだ!?」
「?龍仁様が湯船にお誘いになったのでは?」
「そ、そうだった……」
混乱のあまり自分が何を言ってるのか理解していなかった。
これで心が平静であれば、湯船から飛び出すという選択肢を取れたかもしれない。
しかし、今の龍仁はあまりのことに混乱しており、その選択肢が取れなかった。
「……」
「……」
無言の時間が続く。
シリアスの方は気にしていない様子だったが、龍仁は気まずくて仕方がなかった。
「あの、龍仁様」
「な、なんだ?」
ふいにシリアスが口を開く。
「……シリアスは、ここにいてもいいのでしょうか」
「え?」
不安そうなシリアスの声。心なしか、触れ合う体も震えている気がする。
「知っているかもしれませんが、シリアスは自ら龍仁様のメイドを志願しました」
「あぁ、それは聞いてるよ」
「……龍仁様のことを耳にした時、シリアスは何となく感じたのです。この方が、私が仕えるべき人なのだと。龍仁様のメイドの座を勝ち取り、それは確信へと変わりました。これは運命なのだと」
そういえば志願者が多くて最終的にジャンケンで決めたって言ってたな、と龍仁は呑気に思い出していた。
「ですが……」
シリアスの言葉に力が無くなる。
「こちらに来てから、私は龍仁様のお役に立てていません……シリアスは、本当に龍仁様のお傍にいてもよろしいのでしょうか……別のメイドに任せた方が良かったのではないでしょうか……」
「……」
彼女はボディガードであり、メイドでもある。
主人のために精一杯尽くす。
それが、ロイヤルネイビーのメイド隊としての誇りだった。
だが、彼女はそれを果たせていない。
彼女は誰よりもメイドとしての責任感が強い。
だからこそ、今の状況は彼女にとって何よりもつらいのだろう。
「……ごめん、シリアスさん。そういった気持ちも考えずに俺一人で全部やろうとして」
「謝らないでください。龍仁様は悪くありません。何もできないシリアスが悪いのです……」
「えーっと、それなんだけどさ……次からは色々手伝ってくれないかな」
「……え?」
「シリアスさんは俺のメイドになったことに運命を感じたんだろ?だったらそれを大事にしなきゃ。傍にいてもいいのか迷うなら、傍にいても大丈夫なように頑張ればいいんだよ。そのためなら、俺も協力するよ。教えられることは教えるし、フォローもできるところはするからさ」
「龍仁様……」
「ただ、そのためにも一つだけ約束してくれ。失敗しても、絶対に自分のことを『卑しいメイド』なんて言わないって。シリアスさんがメイドとしての務めを必死に果たそうとしてるのは分かったし、だからこそ自分にもっと誇りを持ってほしいんだよ。自分のことを『卑しい』なんて言ってたら、いつまで経ってもそれができないだろ?それに……周囲の目もあるし」
むしろ周囲の目が最大の問題だった。これがあるからこそ、龍仁は失敗だらけのシリアスの手伝いを断っていた。逆に言えば、それさえなければいくらでもフォローをすることができる。
「シリアスは、龍仁様のお傍にいてもよろしいのですか?」
「それを決めるのは俺じゃない。シリアスさんだよ。俺がやるのはその手伝いだけ。だからさ、頑張ってみようよ、一緒に」
「……ありがとうございます、龍仁様!」
「うわっ!?」
突然シリアスが龍仁に抱き着いてくる。もちろん、裸で。
「やはりこのシリアス、龍仁様に……いえ、誇らしきご主人様に仕えてよかったです!」
「いや、ちょっ、シリアスさん!とりあえず!とりあえず!」
裸のシリアスに抱き着かれ、龍仁はパニックに陥る。
豊かすぎる胸が直接背中に押し付けられ、胸の形が変わる感触が嫌でも伝わってくる。
「はい、とりあえずこのシリアス、全力でご奉仕します!」
「いや、今はそういう奉仕とかじゃなくて……あっ」
理性が吹っ飛ぶ寸前、龍仁は目の前が真っ暗になるのを感じた。
最後に見たのは、勢いよく飛び出す自分の鼻血。
それを最後に、龍仁の意識は途切れた。
その直後、騒ぎを聞きつけた芳奈によって龍仁は風呂場から救出されたのだった。
「むー……」
翌日の登校中。
フィーゼは不機嫌な表情をしていた。
「……なぁ、龍仁。フィーゼちゃん、どうかしたのか?」
「えっと、それは……」
フィーゼが不機嫌なのは昨日の夜、龍仁が風呂に入った後からである。
つまりは、シリアスとの騒動が原因だろう。
だが、それをどう説明すればいいのか、龍仁は困っていた。
すると――
「……龍仁が嫁である私を差し置いて、別の女性と一緒に入浴したのだ。私が頼んでも一緒に入ってくれないのに」
「「え」」
クリーブランドとエリザベスは揃って声を上げる。
「ちょ、ちょっと!龍仁、どういうことだ!?」
「龍仁、どういうことよ!私が帰った後何があったの!?」
「いや、落ち着けお前ら!ちゃんと説明するから!」
龍仁は昨日のこと、芳奈の冗談を真に受けたシリアスが風呂に入ってきたことをそのまま説明した。やましいことは一切ないし、下手に誤魔化しても2人は納得しないだろうという龍仁の考えからだった。
「……ということは、何もなかったのね?」
「うん、何もなかったぞ」
「肌と肌の触れ合いとかは?」
「……」
「鼻の下が伸びてる……」
「あったのね」
「いや、そこはシリアスさんが勢い余って抱き着いてきたというかすみません」
2人に気圧され、龍仁は思わず謝ってしまった。
「……だけど、間違いは起こさなかったのよね?」
「それは誓って」
「ならいいわ」
エリザベスはあっさりとそう言った。
「シリアスも務めを果たそうとしただけなんでしょ?それで間違いが起きていないなら、これ以上私が言うこともないわ。シリアスもメイドならそこは弁えているでしょうし」
「つまり、誇らしきご主人様とこれからも一緒に入浴してもよろしいと!」
「あ、そこは許可できないわ。さっき龍仁も鼻の下伸びてたし、続けてたら本当に間違いが起きかねないし。今回のことは不問にするというだけよ。次はないわ」
「あぅ……」
さすがにクイーン・エリザベスの命令を無視するわけにはいかない。
シリアスはガックリと肩を落とした。
「というか、何気にシリアスさんの龍仁への呼び方も変わってない?」
「そういえばそうね」
「あ、それは……」
シリアスは昨日の龍仁とのやり取りを語った。
「……シリアス。仕えるべき主のお手を煩わせるのは……」
「ベルさん、そこは俺のワガママなんだ。俺がシリアスさんを手伝いってだけだからさ。それに、ベルさんだってシリアスさんに立派なメイドになってほしいんだろ?」
「えぇ、もちろんです」
「なら、俺にその手伝いをさせてくれないかな。シリアスさんにも、自分に自信を持てるメイドになってほしいからさ」
「……シリアス」
「は、はい」
ベルファストはシリアスに優しい微笑みを向ける。
「いい主と巡り合えましたね。その運命と、あなたの主に感謝しなさい」
「はい、もちろんです!」
「龍仁様」
「はい」
「改めて、シリアスをよろしくお願いします」
「任せて、ベルさん」
頭を下げるベルファストに、龍仁は力強く答えたのだった。
「それはそうと、龍仁。私も一緒の入浴を希望する」
「フィーゼ、今綺麗にまとまったところだからね。ちょっとだけタイミング考えようか」
「それで、裸のシリアスさんに抱き着かれて鼻の下伸ばしたってか。こーのスケベ」
「うるせぇ」
朝の教室。
いつも通り集まった龍仁達の話題は、クリーブランドが口を滑らせてしまった昨日の桐原家の風呂騒動のことであった。
ヨルクはこれでもかと龍仁のことをニヤニヤしながら煽っている。
「でも分かるぞ、その気持ち。見るからにシリアスさんってダイナマイトボディだもんな。こんな体で迫られて鼻の下を伸ばさない男がいるわけがない!そうだろ、龍仁」
「……」
いつもなら「こっちに話を振るな」と言うところなのだが、鼻を伸ばしてしまったことは事実であるため、龍仁は何も言えなかった。
「というわけで、試しに俺に抱き着いてくれないか、シリアスさん!」
ヨルクはガバッと両手を広げる。顔に「welcome」と書いてあるかのようだ。
「申し訳ありません、ヨルク様。私がこの身を許すのは誇らしきご主人様だけですので」
ヨルクの申し出はあっさりと拒否された。
「くぅ、ダメだったか。だけど、これでこそメイド・オブ・メイド!俺の求める輝きがそこにあるんだ!」
「……ねぇ、龍仁。アレは何を言っているのかしら。たぶん重桜語だと思うんだけど」
「安心しろ、エリー。理解する必要のない言語だから」
龍仁とエリザベスは何か奇妙なものを見る目でヨルクを見ていた。
「ヨルク様、メイドの抱擁をお望みでしたら、私がメイドを紹介いたしましょうか?」
「え、マジで!?」
「はい。私やシリアスがすることはできませんが、本国のメイドを呼んでくることは可能です。ヨルク様のご希望さえあれば、そのまま雇うということも可能ですよ。どうですか?」
「お願いします!」
ヨルクは目を輝かせながらそう言った。
「ちょ、ちょっと、ベルさん」
龍仁はベルファストを引っ張ってこそこそと話をする。
「いいのか?確かメイドにも主を選ぶ権限があるんだろ?ヨルクのスケベ心のためなんかにそんなことをして……」
「大丈夫ですよ。これはヒッパー様の提案でもありますから」
「ヒッパーさんの?」
龍仁はヒッパーを見る。いつもならヨルクに制裁を加えているはずのヒッパーが、不気味に沈黙している。よく見ると、うっすら口元に笑みも浮かべている。
「えっと、どういうこと?」
「実は、ヨルク様がメイドにハマりだしたとヒッパー様がお悩みになっていまして……陛下の命もあってお助けすることにしたんです」
「そんなことしてたのか……でも、メイドを紹介したら逆効果なんじゃ……」
「ですので、既に専用のメイドを手配しております」
「専用のメイド?」
「はい、こちらです」
ベルファストは懐から一枚の写真を取り出す。
「……なあ、ベルさん」
「いかがしましたか?」
「この人……本当にメイド?」
「はい。正真正銘のメイドでございます。正確にはロイヤルネイビーに所属していないメイドですね」
「いや、でもこの人ってさ……どう見ても男だよね?」
写真に写っているメイド。
確かに服装はメイド服なのだが、それを着ている人物は明らかに男性であった。
しかもボディビルダー真っ青な程に筋骨隆々であり、ご丁寧に立派な髭も生えている。
少なくとも、龍仁の知っているメイドからは大きくかけ離れた人物だった。
「はい、確かに男性です。ですが、彼は正式な訓練を受けてロイヤル王室から公式にメイドと認められた人物です。こう見えても非常に家庭的で、繊細な作業が得意なんですよ」
「本当にこう見えても、だな……」
「ですが、中々雇い先が見つからず、彼自身も途方に暮れていました」
雇い先が見つからない理由は明白だろう。
だが、その言葉を龍仁はグッと飲み込んだ。
「しかし、ちょうどヒッパー様のご相談があり、彼にヨルク様を紹介すると一目で気に入られたようで。喜んでヨルク様に『ご奉仕』するそうです」
眩しいはずのベルファストの笑顔。
だが、今はその笑顔が悪魔の笑みに見えて仕方がなかった。
「……このことはヨルク自身には?」
「もちろん、言っておりません」
「……このメイドさんって、いつ頃来るの?」
「予定では明後日ですね」
龍仁は未だに歓喜の声を上げるヨルクを見る。
心なしか、彼の背後に死神の姿が見える。
「……ヨルク」
「お、どうした、龍仁」
「……3日後、無事に会えることを祈ってるぞ」
「何で3日後なんだ?」
ヨルクは何も知らない純粋無垢な目をしながら首を傾げる。
そんな彼に、龍仁は優しい笑みを向けることしかできなかった。
3日後、よほど恐ろしい目にあったのか、学校に来たヨルクはやつれた様子で「メイド怖いメイド怖い」と呟き続けることになるのだが、それはまた別のお話。
「龍仁。今から時間あるか?」
放課後。生徒達が帰り支度をする中、クリーブランドが龍仁に声をかける。
「いや、暇だけど。どうかしたか?」
「実は、一緒に料理部に来て欲しいんだ」
「料理部に?」
「ほら、前料理の練習をするっていったじゃないか」
「んー、そういえばそんな話もしたような気が……」
「それで、ヘレナに頼んで暇な時に料理部で色々教えてもらったんだ。その成果を龍仁に見せたくて」
彼女の照れ笑い。だが、その言葉からは自信が見ている。よほど上達したのだろう。
「ん、俺でよければ」
「やった」
クリーブランドは嬉しそうに飛び跳ねる。
「エリーはどうする?」
「私?私はちょっと誘われてるから」
「誘われてる?」
「はいはーい、私にだよ!」
椎名が元気よく飛び出してくる。
相変わらずテンションが高い。
「この間部活動回り切れなかったから、今日も部活動巡りしようって話になってて」
「ウチの学校、部活動多いもんなぁ」
龍仁の言う通り、この学園の部活動は数十を超える。
基本的に部活動申請の基準が緩く、また部活動同士の掛け持ちも禁止されていないため、結果的に部活動が乱立することになった。さすがに予算審査などは厳しく、活動実績の関係で正確には部活動としては認められていない部もある。が、そういったことも関係なく、生徒達が共通の仲間を集めて自由に活動するというのは、間違いなくこの学園の魅力の一つである。
「面白い部活も多くて、見て回りたくなったのよ」
「確かに、見てるだけで面白い部活もあるもんな」
「昨日は体育会系の部活動見て回ったから、今日は文化系の部活見て回ろうか!」
「えぇ、そうね!」
エリザベスと椎名は目を輝かせて笑い合う。
「そういや、エリーは入る部活決めたのか?」
「それなんだけどねぇ……」
椎名が苦笑いしながら肩を落とす。
「部活動を見て回るのは楽しいけど、今のところ部活に入る予定はないわ」
「え、そうなのか?」
「昨日のエリザベスさん見てる限り、色んな部活に適正ありそうなんだけどなー。体育会系の部活動の体験させてもらった時もすごかったし」
ロイヤルにいた頃に、学校の部活でやりそうなスポーツや文化系の知識は一通り教え込まれたという話を龍仁は思い出した。それが本当なら、エリザベスはどんなクラスに入っても活躍できるだろう。
「でも、龍仁も部活に入っていないんでしょ?」
「あぁ」
「それなら私も部活をする理由は無いわよ。今の私は、龍仁の傍にいることが何よりも大事なんだから」
堂々としたエリザベスの言葉に、龍仁は思わず顔が熱くなるのを感じ、椎名達は「きゃー!」と歓声を上げる。
「やーん、もう!そういう一途で健気なところ大好き!桐原君、やっぱり私がお嫁さんに貰っていい?いいよね?ね?」
「俺に聞く前にせめてエリーに聞いてやれ」
「私はパスで。椎名の言う通り、私は一途なの」
「うー、羨ましい。幸せ者め、この!」
椎名がニヤニヤしながら肘で龍仁をつつく。
「アホなことやってないで、早くエリーを連れて行ってやったらどうだ?早く部活動巡りしたくてうずうずしてるぞ」
「あ、本当だ。それじゃ、エリザベスさん、行こうか!」
「そうね」
そして、椎名一行はエリザベスとベルファストを連れて教室を出ようとする。
「……あ、そうだ」
教室から出る前に、椎名が何かを思い出したかのように龍仁の方へと駆け寄る。
そして、龍仁の耳元でこそこそと話し始める。
「昨日、何を勘違いしたのかエリザベスさんに言い寄ってた上級生がいたから気を付けてね。エリザベスさんが即断ってベルファストさんが追い返してくれたけど、あの調子だとまたちょっかいかけてきそうだから」
「分かった、ありがとう。椎名さんの方でも気を配ってくれると助かる」
「もちろん!それと……」
「それと?」
「……いつフィーゼちゃんを可愛がらせてくれるの?待ってるんだけどなぁぐへへへへ」
「さっさとエリーのところに戻れ」
「相変わらず椎名さんは元気だったな」
「だな」
龍仁とクリーブランドは並んで料理部の部室へと向かっていた。
2人の後ろを、いつも通りシリアスが歩いている。
2人は一緒に話をする中で、先ほどの椎名の話が出た。
「ちょっと押し付け方が強引だったかなって思ったけど、今は安心してるよ」
元はと言えば龍仁の思い付きによる、半ば強引な押し付けから始まった椎名とエリザベスの関係。だが、そんな始まりなど関係ないかのように、2人の関係は良好である。
こうやってエリザベスを連れ出してくれて、エリザベスも楽しそうにしている。
だからこそ、龍仁は椎名に感謝もしていた。
「でも、ちょっと寂しいんじゃないか?」
「え?」
「親友のエリザベスさんを取られたって気がするんじゃないかなって」
「あー、そこはあったな」
龍仁はあっさりと認める。
「いや、最初は何でも俺を頼ってくれると思ってたんだよ、正直。自分で言うのもアレだけど、昔からエリーって俺にベッタリだったからさ。だから、今椎名さん達と楽しそうにしてるエリーを見てて、何というか……妹に兄離れされたお兄さんの気持ちがちょっと分かるかなって……」
龍仁の言葉を聞いて、クリーブランドはプッと吹き出した。
「ははっ、龍仁でもそんなこと思ったりするんだな」
「当たり前じゃないか」
「……だけど、妹に兄離れされたお兄さんの気持ち、とかは絶対にエリザベスさんの前で言っちゃダメだぞ」
「え、何で?」
「……それ言われた時のエリザベスさんの気持ち、たぶん私にも分かるから……」
「???」
「とにかく!言っちゃダメだぞ!分かった?」
「わ、分かりました」
クリーブランドに圧されて、龍仁は素直に頷いた。
「あ、龍仁」
「龍仁君、いらっしゃい~。あ、クリーブランドさんも一緒なんだ」
3人が料理部の部屋に入ると、そこでは康大と長良がせっせと準備をしていた。
「おっす、2人とも」
「今日はどうかしたのか?クリーブランド、また練習か?」
「んにゃ、今日は練習の成果を龍仁に見てもらおうと思って」
「お~、ついになんだ?」
「あれだけ練習したんだ。きっと大丈夫だよ」
「へへっ、頑張るよ」
どうやら2人もクリーブランドの練習に協力していたようだ。
「ところで……」
康大と長良は龍仁達の背後を見る。その視線の先にはシリアスがいた。
「えっと、その人は……」
「あ……うん、たぶん噂で知ってると思うけど、俺のメイドのシリアスさん」
「お~、メイド!康大君、本物のメイドだよ!」
「ホントだ!初めて見た!」
長良と康大はキラキラした眼差しでシリアスを見る。
その眼差しに、シリアスは思わず「あぅ……」と声を漏らす。
「ということは、今日はこのメイドさんのお料理も見られるってこと?」
「えっと……それは……」
シリアスは縋るような目で龍仁を見る。
「……康大。シリアスさんはメイドなんだが、その……察してくれ」
「……なるほど」
これでも付き合いは長い。康大は龍仁が何を言いたいのかすぐに察した。
「まぁ、ついでに俺が今日教えられることは教えるからさ」
「おっ、じゃあ龍仁も料理してくれるのか!」
「……たぶんセントルイスさんからは逃げられないだろうし」
「……うん、だろうな」
龍仁は諦めたような笑みを浮かべ、遠くを見つめる。
「それで、部長とヘレナは?」
「2人なら材料の買い出しに行ったよ。なんか多めに買ってくるって話だったけど、クリーブランドが来るからだったんだね」
「それじゃ、ゆっくり待つか」
「そうしていけ。それにしても……」
康大はシリアスをジッと見る。
「……本物のメイドさんか。やっぱ家ではメイド服なのか?」
「基本はそうだな」
「な、本場のメイド服ってどんな感じだ?やっぱり可愛いか?」
「あぁ、可愛かったな」
「俺も見てみたい!シリアスさんみたいな可愛い子が来たらなおさら可愛いんだろうし」
「むぅ……康大君が鼻の下伸ばしてる」
長良がプクッと頬を膨らませる。
「安心しろって。俺は長良の割烹着が一番可愛いと思ってるから」
「えへへ~、それなら嬉しいなぁ」
そう言って康大と長良は完全に2人だけの世界に入ってしまった。
シリアスが困惑したように龍仁を見るが、龍仁は首を横に振る。
「気にしなくていいよ。いつものことだから」
相変わらずのバカップルぶりに、龍仁もクリーブランドも生暖かい笑みを浮かべることしかできなかった。
「さて、と。今日も自由に作っていいわよ。ただ、お客さんもいるから、あまりハメを外さないようにね」
セントルイスの言葉を合図に、料理部の部員達は作業に入る。
基本的に、料理部の部活動内容は自由。好きな料理を作ったり、苦手な料理を練習したり、互いに料理を教え合ったり。そんな緩い空気の中で時間が進んでいく。
「んじゃ、俺らも始めるか」
龍仁はエプロンと三角巾を装着し、作業台の前に立つ。
買い出しから帰ってきたセントルイスは、龍仁の姿を見るなり有無を言わさずエプロンと三角巾を彼に渡した。当初の予想通り、龍仁が料理をするのは決定事項だったようである。
龍仁も料理自体は好きであるため、特に文句は言わないのだが、やはりセントルイスのことは少し苦手であった。
「とりあえず、何を作りたい?」
今日の彼のメインはシリアスに料理を教えること。
だから、作る料理はシリアスに合わせることにした。
「えっと、それでしたら……カレー、ですかね」
「カレーか……」
カレーは素材を煮込む時間が必要となってくる。必然的に時間がかかってしまう。
本格的なカレーを作る時間はないので、時間のかからない素材で作ることにした。
「えっと、セントルイス部長。ピーマンと挽肉はありますか?」
「あるわよ。他のも自由に使っていいわ」
「ありがとうございます」
料理部には基本的にどんな食材でも常備されている。
「廃棄とか大変じゃないかな?」と心配にもなるのだが、何だかんだで全部使い切ってしまうらしく、特に問題にもなったことはない。
「っと、こんなもんかな」
龍仁はピーマンや挽肉、バター、カットトマト、カレーのルーなどの材料を揃えてシリアスのところに戻ってくる。
「えっと、龍仁様。カレーというのは玉ねぎなどを使うのでは……?」
「時間がある時はそれでもいいんだけどね。今はそこまで時間もないから、パッとできるので作っていこうと思うよ」
「はぁ……それで、何故ピーマンなのですか?」
「玉ねぎの代わりに入れるんだよ。ピーマンの甘さって結構カレーに合うぞ」
「そうなのですか?」
「あぁ。物は試しだな」
そう言うと龍仁はフライパンに油を敷き、ピーマンを炒め始める。
そして、少し焦げ目ができてしんなりとし始めた辺りで火を止めた。
「これ、食べてみ」
そう言って龍仁は炒めたピーマンをシリアスに勧める。
シリアスはそっとピーマンを口に運ぶ。すると、口の中に甘みが広がる。
「あ、美味しいです」
「だろ?玉ねぎでもいい甘さが出るんだけど、そうすると結構煮込まないといけないからな。ピーマンなら割と手早くできるんだよ」
「なるほど……」
「あと、龍仁が玉ねぎ嫌いってのがあるよな」
康大が横で作業しながら話しかけてくる。
「玉ねぎ嫌い?」
「あ、あぁ……昔からどうしてもダメでな……それで色々試行錯誤した結果、ピーマンに辿り着いたってのもあるんだよ」
「ふふっ、ちょっと子供っぽいけど、そういうところ可愛いと思うな~」
長良にからかわれて、龍仁は顔を赤くする。
「さ、さてと!作り方教えながらやるから、一緒に作ろうぜ!」
「はい!」
そして、龍仁とシリアスは作業に入った。
「むむむ……」
龍仁達が作業をしている頃。
別の作業台ではクリーブランドがジャガイモと格闘していた。
「クリーブランド、落ち着いて。今まで教えてきたとおりにやればいいから」
クリーブランドの横では、ヘレナが彼女のサポートをしていた。
いくら上達したとはいえ、まだクリーブランドは素人に毛が生えた程度。だからこそ、何かあった時のために、ヘレナのサポートは欠かせなかった。
「うぅ……いざやるとなると緊張する……」
今までは練習ということもあり、失敗しても大丈夫という安心感があった。
しかし、今回は龍仁に「振る舞う」という目的があり、失敗は可能な限り許されない。だからこそ、クリーブランドは緊張して手が震えてしまう。
「……大丈夫だから」
「ヘレナ?」
ヘレナはクリーブランドの手をそっと握る。
「クリーブランドは頑張ってきた。だから大丈夫。もし、どうしても心配なら……そうね」
ヘレナはクスッと笑ってからこう言った。
「クリーブランドの手料理を食べて、嬉しそうにする龍仁君のことを思い浮かべてみて」
「龍仁の……?」
クリーブランドは頭の中に龍仁の顔を思い浮かべる。
自分の手料理で喜んでくれる龍仁――それは、クリーブランドが今一番見たい顔である。
「どう、見たい?」
「う、うん……」
「なら、そのために、ね?」
「分かった」
ヘレナに言われて心を落ち着ける。喜ぶ龍仁の顔を想像するだけで、やる気が出てくる。
「……うん、今ならできそうだ。ヘレナ、ありがとう!」
「どういたしまして」
クリーブランドの役に立てて、ヘレナは嬉しそうに笑った。
「ん~、美味しい!」
セントルイスは嬉しそうに声を上げる。
彼女が口にしているのは龍仁の作ったバターカレー。
カレー特有の辛さと程よい甘さ、そしてバターのまろやかさやトマトの酸味が絶妙に混ざり合っている。セントルイスだけでなく、康大や長良も美味しそうに食べている。
「ね、やっぱり料理部に入らないかしら?龍仁君なら大歓迎よ!」
「い、いや……遠慮しておきます」
目をキラキラさせるセントルイス。龍仁は引き気味で断った。
龍仁は別に彼女のことが嫌いなわけではない。ただ、どうしても少し苦手なところがあり、料理部に入らないのはそれが大きな理由だった。
「残念……またフラれちゃったわ……」
セントルイスはわざとらしく溜息を吐く。
龍仁も引きつった笑みを浮かべることしかできなかった。
「……」
「どうしたの、シリアスさん」
「え?」
シリアスは自分の作ったカレーと龍仁の作ったカレーを見比べていた。
「もしかして、口に合わなかった?」
「いえ、そんなことはありません!ですが……」
シリアスは自分の作ったカレーをジッと見る。
少々危なっかしい場面もあったが、龍仁のサポートもあり、何とか完成させられたカレー。
今まで失敗続きで、料理もまともにできなかった彼女。
だが、龍仁と一緒に作ったら、彼のとは味は全然違うが、初めてちゃんとしたモノを作ることができた。
シリアスにはそれが嬉しかった。
そのことをシリアスが龍仁に伝えると、龍仁も嬉しそうに笑った。
「うん、そうだよ。そうやって少しずつできるようになっていけばいい」
「まだまだ粗は目立つけど、筋は悪くないわ、シリアスさん。諦めずに頑張れば、どこまでも上達するわよ。お姉さんが保証するわよ。というわけで、シリアスさんも料理部に入らないかしら!龍仁君とセットで!」
「俺を引き込む口実にシリアスさんを使うのをやめてください」
「ふふっ、ごめんなさい。でも、シリアスさんの筋が悪くないのは確かよ。そこは覚えておいてね」
「はい!」
「それと……」
セントルイスはチラッと横を見る。
そこには、緊張した面持ちで龍仁を見るクリーブランドの姿があった。
「クリーブランドさんもできたのね」
「は、はい!」
「お、肉じゃがか」
クリーブランドの持つ皿の上には、定番料理である肉じゃがが盛り付けられていた。
彼女は龍仁の前に皿を置く。その手は少し震えていたのだが、それに気付いたのは彼女自身とヘレナだけだった。
「安心して、龍仁の苦手な玉ねぎは入れてないから」
「さっすがクリーブ。んじゃ、さっそく……」
龍仁はジャガイモを口にする。
ところどころ形が崩れているが、中までしっかり味が染み込んでいた。
その味も少し濃いめだが、懐かしさを感じさせるような、安心する味だった。
「おぉ、美味い!」
「本当か?」
「あぁ、マジで」
龍仁は嬉しそうな表情をする。
その顔を見て、クリーブランドはドキッとする。
今日一番見たかった顔。想像の中で何度も見た顔がそこにはあった。
「……ありがとう、龍仁」
「ん?何でクリーブがお礼言うんだ?」
「へへっ、何でもない。まだたくさんあるから、どんどん食べてくれ!」
クリーブランドも嬉しそうに笑う。
彼女の嬉しそうな表情を見て、ヘレナも心が温かくなるのを感じた。
――ちょっとだけ複雑だけど、手伝ってよかった。
ヘレナは心の中でそう思うのだった。
「それじゃ、今日は解散」
試食や片付けも終わり、料理部のこの日の活動も終わりを迎えた。
「うっぷ……ちょっと食いすぎたかな……」
「クリーブランドが調子に乗ってどんどん追加していったもんな」
「その……悪かったと思ってるよ」
嬉しさのあまりどんどん龍仁に肉じゃがを食べさせたクリーブランド。
おかげで龍仁のお腹は少しだけ丸く膨らんでいた。
「でも、美味しかったよ。今日はありがとう、クリーブ」
「どういたしまして」
「龍仁のも相変わらず美味かったな」
「そりゃ、これでも研究はしてるからな」
「やっぱり料理部に……」
「すみません、それだけは勘弁してください」
「シリアスさんのも美味しかったよ~」
「ありがとうございます。ですが、誇らしきご主人様の物と比べるとまだまだです……」
「そう思えるならまだまだ上達するわ、頑張ってね、シリアスさん」
「はい!」
賑わう龍仁と料理部の部員達。
その傍らで、クリーブランドはヘレナに話しかけていた。
「ありがとう、ヘレナ。ヘレナのおかげで龍仁に喜んでもらえたよ」
「どういたしまして。大事な友達のサポートができて私も嬉しいわ」
「うん、ヘレナ友達で本当に良かった」
クリーブランドの眩しい笑顔。
その笑顔が見れるだけで、ヘレナは幸せだった。
「それで……その……」
「どうしたの?」
「……これからも教えてくれるか?上達したとはいえまだまだだし、料理のレパートリーも増やしたいんだ。その……」
「龍仁君に喜んでもらいたいから、でしょ。うん、そのためなら私も協力するわ」
「ありがとう!」
今はこれでいい。
こうして彼女の役に立つことで、彼女は傍にいてくれる。
たとえそれが自分のためじゃなくとも、今はそれだけで、ヘレナは満足だった。
「……っと、こんなものか。フッドは?」
「えぇ、私も終わりましたわ」
アーク・ロイヤルとフッドは大量の「手紙」を書き終え、一息ついた。
手紙の内容は、重桜にいることや指揮官の墓を訪れたこと、そして指揮官の子孫と顔合わせしたことなど、最近のことが事細かに書かれていた。
「あとはこれを送り届けるだけだが……今年は何人と連絡が取れないんだ?」
「『グラーフ様』や『夕立様』、『時雨様』に『雪風様』……いつもの方々ですね」
「彼女達は自由気ままだったからな……仕方ないか」
「彼女達のことは『青葉様』に任せましょう。『青葉様』なら彼女達にも確実に届けてくれますから」
「本当に『青葉』の情報網には恐れ入るよ。おかげで助かっているんだけどな」
ふと、アーク・ロイヤルは寂しそうな表情を見せる。
「……どうかしましたか、アーク・ロイヤル様」
「ん、何がだ?」
「今、悲しそうな顔をなさっていたので」
「あぁ、気付かれたか。……乗り越えたと思っていたのだがな」
アーク・ロイヤルは懐から一枚の写真を取り出す。
指揮官と艦隊のみんなで撮った、最後の写真。大切な一枚だった。
「閣下の墓参りをして、閣下の血縁者にも出会って……嬉しかった反面、もう閣下はどこにもいないのだと、改めて感じてしまってな」
「アーク・ロイヤル様……」
「乗り越えたつもりだったが、まだまだ乗り越えられていなかったみたいだ」
そう言ってアーク・ロイヤルは悲しげに笑う。
「まだ、あの日々に未練が残る……もしも叶うなら、私はどんな手を使ってでも、あの日々に戻ろうとするだろうな。……ははっ、我ながら呆れてしまうよ」
「……いいではありませんか」
フッドは優しくも悲しい、すぐに消え行ってしまいそうな儚い笑みを浮かべる。
「それだけ指揮官様からいただいた物が大きかったということです。指揮官様との日々が幸せだったということです。未練に囚われ、乗り越えることも困難な程に」
「フッド……」
「だから私はこの胸の苦しみを受け入れます。それが、あの日々が幸せだったという証明になると信じて。指揮官様からいただいた幸せが嘘ではないと感じるために」
「……お前は強いな」
「いえ、そんなことはありませんわ。弱いからこそ、そう考えないと私は前に進めないのです……私も、まだ指揮官様の影に囚われている一人なのですから」
「……」
「だからこそ、この重桜滞在で何か答えを見つけたいのです。重桜に来る前に、何かしらの予感はありました。もしかしたら、何かが分かるかもしれないと。昨晩、龍仁様を見てその予感は強くなりました。きっと、答えに繋がる何かが見つかると」
「……そうだな。だから、今は見守ろう。閣下の遺したもの達を」
アーク・ロイヤルは改めて写真を見る。
写真の中の指揮官は既に年老いていた。その姿が、年月の経過を感じさせる。
だが、その優しくも眩しい笑みは変わらず、そしてその表情は幸せに満ちていた。
――もちろん、彼の周りにいるKAN-SEN達も。