アズールレーン学園   作:S・H指揮官

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第13話

 ある日の桐原家。

 

「あら、フィーゼちゃん。それどうしたの?」

 

 芳奈がいつもと違うフィーゼに気付く。

 今のフィーゼは明らかに体に合わないサイズのダウンベストを羽織っていた。

 

「龍仁から譲ってもらった。小さくなって着れないと言っていたから」

「でも、フィーゼちゃんには大きすぎるんじゃないかしら?」

「構わない。こうしていると龍仁の温もりを感じる。そんな気がするのだ」

 

 そう言ってフィーゼはうっとりとしたようにダウンベストに頬擦りをする。

 彼女が満足そうだったので、芳奈もそれ以上は何も言わなかった。

 

 それからは家にいる時はずっとフィーゼはそれを羽織っていた。

 まるで大事なお守りであるかのように。

 

 しかし、ある日――

 

「……あっ」

 

 フィーゼは手を滑らせ、飲んでいたミルクをこぼしてしまった。

 そしてこぼれたミルクはダウンベストにかかってしまい――

 

「さすがに洗わないとダメね」

 

 ミルクでベトベトになったダウンベストを広げながら、芳奈はそう言った。

 

「洗ってしまう、のか……」

「そうね。じゃないと、ベトベトになったままだし、何よりも臭いが酷くなっちゃうから」

「……そう、か」

 

 悲しそうな表情を見せるフィーゼに芳奈は心が痛むのを感じたが、洗わなければ処分するしかない。それなら、洗った方がまだ彼女にとってはいいだろうと思い、ダウンベストを洗濯する。

 

 そしてしばらくすると、ダウンベストはすっかり綺麗になってフィーゼのところに戻ってきた。

 

「……」

 

 だが、フィーゼの表情は晴れない。

 ダウンベストをジッと見つめ、そしてそっと抱きしめる。

 

「……不思議だ。龍仁の温もりが……遠くなった気がする」

 

 フィーゼは悲しそうにそう言った。

 

「フィーゼちゃん……」

「でも……」

 

 フィーゼはトテトテと走り、ソファでくつろぐ龍仁の膝の上に座る。

 

「……うん、こうすればいい。こうすれば龍仁の温もりを感じられる」

 

 フィーゼはまるで猫のように龍仁の胸に頭を擦り付ける。

 それを見て龍仁は可愛い妹を見る兄のような笑みを浮かべるのだった。

 

「その服はどうする?」

「私が持っておく。龍仁の温もりが遠くなったとはいえ……龍仁からの贈り物だから」

 

 そして、今でもフィーゼの部屋にはそのダウンベストが大切に飾られている。

 

 

 桐原家のとある日常の話であった。

 

 

「桐原君!カラオケ行こう、カラオケ!」

 

 ある日の放課後、椎名が興奮した様子で龍仁に詰め寄る。

 

「なんだ、急に」

「だから、今度カラオケ行こうって。エリザベスさんとフィーゼちゃんも連れて!」

「えーっと、話が急すぎて何が何だか」

「えっとね、今部活巡りしてるのは知ってるよね?」

「あぁ」

 

 部活に入るつもりは無いらしいが、見るだけでも楽しいということでエリザベスは椎名達の案内で部活動巡りをしていた。今も部活巡りをしている真っ最中なのだが、珍しく椎名が同行していなかった。

 

「それで、昨日合唱部に行ったんだけど……凄かったの!」

「凄かったって、何が?」

「もちろん、エリザベスさんの歌声だよ!何ていうの?まさに天使の歌声!そんな感じ!」

 

 そういえばエリザベスは昔から歌は上手かったな、と龍仁はぼんやり思い出した。

 

「だからさ、みんなでカラオケ行こうって話になったの。そしたら、エリザベスさんが桐原君も一緒ならいいって」

「なるほどな……」

 

 そのついでにフィーゼも連れてきてもらって可愛がろうという魂胆なのだろう。

 椎名の目には明らかに邪な色が浮かんでいた。

 

「……まぁ、そういうことならいっか」

「やったぁ!」

 

 フィーゼのことは少し心配だが、さすがの椎名もフィーゼが本気で嫌がることはしないだろう。と、龍仁は楽観的に考えることにした。

 

「で、俺以外の男子はいるのか?」

「ううん、桐原君以外全員女子の予定だよ。私が連れてくるのもみんな女子だし。ちなみに今のところ参加者は桐原君とフィーゼちゃん、あとはシリアスさんまで含めるから、えーっと……12人だね」

「その人数で俺以外全員女子と……ちょっと気が引けるな」

「ふっふー、椎名さんみたいな美少女軍団ハーレムになるチャンスだよ」

「誰みたいな美少女って?」

「素で返されるとさすがの私もちょっと傷つくよ!?」

 

 椎名は相変わらず賑やかで、彼女のリアクションを見ているだけで楽しかった。

 

「さすがに男子1人ってのはきついから、何人か誘っていいか?」

「いいよ。人数は多い方がいいからね!あ、でもヨルク君はNGで」

「なんで!?」

 

 聞き耳でも立ててたのだろうか。離れた席にいたはずのヨルクが立ち上がる。

 そして慌てたように駆け寄ってくる。

 

「いや、マジでどうして?いいじゃん!龍仁が一緒なら俺もセットみたいなもんだろ!」

「だって、ヨルク君って合コンでもないのに、カラオケそっちのけで女の子をしつこく口説くって評判悪いんだもん」

「お前、そんなことしてたのか……」

「いや、仕方ないじゃん?横に可愛い子が来たら口説くじゃん?なぁ?」

「俺に聞くな」

「チクショウ、いいじゃないか!俺だってボインな女の子と仲良くなりたいんだよ!そりゃ、ヒッパーちゃんって嫁もいるけど、ヒッパーちゃんのペッタンだけじゃ物足りなくなる時だってあるんだよ!もっとこう、柔らかふかふかに包まれたい時だって俺にはあるんだよ!なんたって男だからな!硬いまな板だけじゃダメなんだ!」

「……」

「……」

 

 龍仁と椎名は残念なものを見る目でヨルクを見つめる。

 

「なんだよ、そんな残念な人を見るような目で見て」

「実際その通りなんだけどな。それと、今後ろ見ない方がいいぞ」

「後ろ?」

 

 龍仁の忠告を無視してヨルクは後ろを見る。

 そこには、腕を組んで仁王立ちするヒッパーの姿があった。心なしか、ヒッパーの背後に般若の仮面が見える。

 

「えっと、ヒッパーさん?」

「ヨルク、色々聞きたいことがあるわ。ちょっと『いつもの場所』に行くわよ」

 

 ヒッパーはヨルクの頭を片手で掴むと、そのまま引きずって行った。

 

「いたたたたた!ヒッパーちゃん!許して!せめて自分で歩かせいてててててて!」

 

 引きずられて何処かへ消えていくヨルクを、龍仁と椎名は何も言わず見送った。

 

「桐原君。いつのも場所って?」

「俺もよく知らないんだが、多分知っちゃいけない場所なんだと思う。うん」

 

 

「それじゃあ、ノーマン君とオイゲンさんにクリーブランドさん、それと青葉さんが参加かー。結構大所帯になるね。これは部屋分けも必要になるかも」

「連絡回したらみんなOKで……手間取らせて悪い」

「ううん、こういうのは人数多い方が楽しいから!それに、誘ったのは私だからね。それに、ノーマン君を誘ってくれたのはありがたいよ。私の友達、ノーマン君のファンが多いから」

「そんじゃ、今度の土曜日の朝10時からってことで?」

「うん、楽しみにしてるからね!じゃ、そろそろエリザベスさん達と合流してくるね」

「今どこにいるのか分かるのか?」

「うん、ボードゲーム部にいるって。桐原君も来る?」

「いや、やめとく。俺が行くと部活よりも俺の方優先してきそうだし」

「ふふっ、エリザベスさん、桐原君ベッタリだもんね。じゃ、また後でエリザベスさん返しに来るからね!」

 

 そう言って椎名は教室を飛び出した。

 教室に残ったのは龍仁とシリアス。

 

「あの……」

 

 シリアスは龍仁に話しかける。

 

「どうした、シリアスさん。あ、そういえばシリアスさんの意見聞かずに参加って形にしちゃったけど、良かったかな?」

「私の役目は誇らしきご主人様の傍にいることですので、大丈夫です。それよりも……カラオケというのは何でしょうか?」

「あれ?ロイヤルにはそういうのないの?」

「少なくともそういった施設の名前は聞いたことはないですね」

 

 これでもシリアスはロイヤルについての知識は豊富である。

 そんなシリアスが知らないということは、本当にロイヤルにないのだろう。

 

「うーん、何ていえばいいかな。自分の好きな歌を好きなだけ歌える場所、かな」

「???歌なら好きなところで歌えばいいのでは?」

 

 ある意味ではシリアスの言う通りである。

 だが、そういうことではないのだが、龍仁にはその説明が難しかった。

 

「うーん、とりあえず行けば分かるよ。だから土曜日を楽しみにしといて」

「はい、誇らしきご主人様がそうおっしゃるのであれば」

 

 シリアスはワクワクした様子で笑う。

 カラオケが楽しみというよりは、龍仁と一緒に出かけられるのが楽しみなのだろう。

 それはシリアスの表情から強く伝わってくる。

 ここまで慕われると、龍仁も嬉しくなってくる。

 

 その後は、龍仁とシリアスは適当に談笑しながらエリザベス達が戻ってくるのを待った。

 

 

 そして土曜日――

 

「早く来すぎたかな」

 

 龍仁とエリザベス、ベルファスト、シリアス、そしてフィーゼの5人。

 その5人は待ち合わせ場所で固まっていた。

 現在は待ち合わせ時間の30分前。今日約束のメンバーは5人以外誰も来ていない。

 ちなみに到着したのは今から15分も前である。

 

「うぅ……まだかしら」

「まだっていっても、あと30分あるぞ。楽しみだからって急ぎすぎだよ」

「それはそうだけど……」

 

 早めに出ようと言ったのはエリザベスだった。

 まだ早すぎるとは思ったのだが、あまりにも目を輝かせるエリザベスに、龍仁も何も言えずに一緒にそのまま出てきてしまった。エリザベスと同じぐらいフィーゼも急かしてきた、というのもある。

 

「それにしても……」

 

 ただ待ってていても仕方がないので、龍仁は話題を変えた。

 

「ベルさんとシリアスさんの私服、なんか新鮮だな」

 

 ベルファストとシリアスはお揃いの、落ち着いた雰囲気のワンピースを着ていた。

 普段メイド服と学生服姿しか見ていないため新鮮味を感じるというのもあるが、それを差し引いても思わず目が釘付けになってしまう程2人の私服姿は「綺麗」であった。ベルファストとシリアス自身がとびきりの美少女というのもあるのだろう。

 道行く人達も、5人……特にベルファストとシリアスに目を向けていた。

 

「どうですか、龍仁様」

「うん、ありきたりだと思うけど、綺麗だと思う。ベルさんも、シリアスさんも」

「くすっ、ありがとうございます」

 

 ベルファストは嬉しそうに笑い、シリアスも恥ずかしそうにモジモジしている。

 そうしていると、フィーゼがちょいちょいと龍仁の袖を引っ張る。

 

「龍仁、私はどうだろうか」

 

 フィーゼの服装は紺色のワンピース。以前龍仁がフィーゼにプレゼントした一着で、フィーゼはこの服を大のお気に入りにし、出かける度にこの服を着ていた。

 

「あぁ、似合ってて可愛いぞ、フィーゼ」

「♪」

 

 フィーゼは嬉しそうに龍仁の腰にしがみつく。

 その仕草が愛くるしくて仕方がない。

 

「むぅー……」

 

 そんな龍仁を見て、エリザベスは不満そうだった。

 ちなみに彼女は万が一のことを考えて、顔が分かりにくいように帽子を深く被り、サングラスまで装着している。服装も、お姫様とはかけ離れた、庶民的かつボーイッシュな服装である。可愛らしいと言えば可愛らしい格好なのだが、今のエリザベスを見てすぐに「ロイヤルの女王陛下」であると分かる人はほとんどいないだろう。そのための服装でもあるのだが。

 

「龍仁!私には何か感想ないの!」

 

 エリザベスがグイっと龍仁の腕を引っ張る。

 他の子のことは褒めるのに、自分に対する感想がないのが不満なようだ。

 

「うわっと!って、エリーの感想の?」

「そうよ、何か言うことないの?変装はしてるけど、その……き、気合は入れてるのよ!」

「そうなのか」

「そうですよ」

 

 おそらくベルファストが選んだのだろう。

 確かに、お姫様からかけ離れた格好ではあるが、全体的なバランスは良く、エリザベスらしさも損なわれていない、良い感じのコーディネートだった。変装は変装だけど、ちゃんと龍仁に見てもらいたい。その気持ちで選んだ服なのだろう。

 

「うん、エリーも似合ってるぞ。いつもと違うけど、それはそれで可愛い」

「そ、そう?そうよね、当然よ!何せこの私なのだもの!」

 

 エリザベスは照れ隠しに「ふんす」と胸を張る。

 

「あ、もう来てたんだ」

 

 その時、クリーブランドと青葉が姿を見せた。途中で合流したのか、ノーマンとオイゲンも一緒だった。

 

「おっす、4人とも。早かったな」

「そっちこそ。どれくらい前に来たんだ?」

「えーっと……30分ぐらい前になるな」

「……早すぎるだろ」

「エリーとフィーゼが待ちきれないって急かしてな」

「も、もうその話はいいでしょ!」

 

 エリザベスが龍仁をポカポカと叩く。

 

「にしても、何で龍仁とクリーブランドは別々なんだ?ご近所なんだから一緒に出ればよかったじゃないか」

「俺もそう思って誘ったんだけどさ。その時青葉がクリーブの家にいてな」

「うん、準備が終わってなかったから先に行ってもらったんだ」

「何の準備?」

「これこれ」

「わっ、ちょっと!」

 

 青葉がクリーブランドの背中を押す。

 いつものクリーブランドはどちらかというとボーイッシュな服装であることが多い。しかし、今日のクリーブランドは長めのスカートにふわっとした雰囲気の上着と、非常に女の子らしい服装をしていた。それでいて、クリーブランドに合っていないわけではなく、むしろクリーブランドの女の子らしさをしっかりと引き出していた。

 ただ、そういう格好が慣れないのか、クリーブランドは恥ずかしそうにモジモジしている。

 

「どうよどうよ。朝5時から3時間かけてバッチリ決めてきたんだから」

「3時間って……時間かけすぎじゃないか?」

「ちっちっち、女の子は時間がかかる生き物なんだよ、龍仁君」

「じゃあ青葉は時間かからなくて楽だな」

「よし、その喧嘩喜んで買うよ」

「はいはい、そこまで」

 

 いつものようにじゃれ合う2人を、ノーマンが止める。

 

「そんなアホなことするよりも先に、何か言うことあるんじゃないか、龍仁」

「言うこと?あ、そうだな」

 

 ノーマンに言われて龍仁はクリーブランドの方を見る。

 クリーブランドは龍仁に見られ、緊張したような、期待するような、そんな目をした。

 

「うん、いつもより女の子っぽくて可愛いと思うぞ」

「そ、そっか……えへへ」

 

 女の子っぽいと言われたのが嬉しいのか、クリーブランドは頬を綻ばせる。

 ありきたりな誉め言葉なのだが、恐らく龍仁からの誉め言葉なら大抵のものなら喜ぶだろう、というのはその場にいたほとんどが黙っていることにした。

 

「ちなみに私はどう?龍仁」

「いいんじゃね?うん」

 

 わざとらしくセクシーポーズを決める青葉に、龍仁は真顔の棒読みで答えた。

 

「すっごい適当!少しぐらいは取り繕ってよ!」

 

 そうやってギャーギャー騒いでいるうちに、約束の時間になって椎名達も姿を見せた。

 全員集まったことを確認し、一行は目的のカラオケ店に向かった。

 

 

「へぇ、今から行くところって椎名さんのバイト先なんだ」

「うん、そうだよ」

 

 そう言いながら椎名は抱きかかえるフィーゼに頬擦りをする。

 フィーゼは「ん~」と唸りながらも大人しく椎名にされるがままとなっていた。

 最初は抵抗していたのだが、諦めたのか思いのほか心地良かったのか、その両方か。

 

「で、部屋は2部屋借りれたよ。本当は3部屋借りたかったんだけどね。ちょっと今日は予約でいっぱいだったから」

「2部屋でいいんじゃないか?あんまり分けすぎてもアレだし」

「それもそっか」

「問題は部屋割りだけど……」

 

 龍仁と椎名は後ろをチラッと見る。

 目を輝かせた女子達に囲まれるノーマンの姿がそこにはあった。

 

「……ノーマンがいるから、部屋割りは楽そうだな」

「うん、エリザベスさん達と龍仁君を同じ部屋に、ノーマン君とオイゲンさんをもう一部屋の方にすればすんなり決まりそうだね」

 

 見た目が良いためかノーマンは女子から非常にモテる。オイゲンとの仲は有名だが、「それがむしろいい!」という女子も多く、彼のファンは後を絶たない。今日来ている椎名の友人もほとんどノーマンのファンである。おかげで、龍仁は彼女達から「ノーマン君の友達でありがとう!」などとお礼を言われてしまった。

 部屋割りも、本来の主役はエリザベスだが、ノーマンがいる部屋の方にも自然と人数が集まるだろうから、楽に決まりそうであった。

 

「椎名さんはノーマンと同じ部屋じゃなくていいのか?」

「私は別にノーマン君のファンってワケじゃないからね。それよりもエリザベスさんとフィーゼちゃんの方が断然いいもの!」

「……なぁ、溝口さん。椎名さんって、もしかして……」

「うん、そっちの気はあるよ」

 

 椎名の横を歩く溝口が溜息交じりにそう言った。

 過去に何かあったのだろうか。溝口は遠い目をする。

 

「安心して。女の子大好きだけどガチじゃないから。ちゃんと桐原君にもチャンスはあるよ」

「何のチャンスだよ」

「もちろん、溝口さんにもね」

「私はノーマルだからね?しかも彼氏いるし」

「……脳内の?」

「本物よ!遠距離中だけど!」

「……想像だけで寂しかったら私がいつでも慰めてあげるからね?」

「その優しい目が何か無性に腹立つんだけど」

 

 このやり取りだけで溝口の仲間内での扱いが分かるようである。

 要するに弄られ役である。

 

「ところで、溝口さんはどっちの部屋にするんだ?やっぱりノーマンの方か?」

「私?私も別にノーマン君に興味あるわけじゃないから、エリザベスさんの部屋かな。そっちの方が面白そうだし。それに……もしもの時に椎名を止める人も必要でしょ」

「……なんかごめんだけど、お願いな」

 

 生気のない溝口の目。

 それだけで彼女が椎名のことでどれぐらい苦労してきたか、分かるようである。

 

「……龍仁。どうしてこの人は元気がないのだ?」

 

 フィーゼは溝口を見て龍仁にそう尋ねる。

 

「色々苦労してるんだよ……」

「そうなのか……すまない、椎名。私を少し持ち上げてくれないだろうか」

「えっと、こんな感じ?」

 

 椎名に持ち上げられたフィーゼは、そのまま溝口の頭を撫でる。

 

「……フィーゼちゃん?」

「私も龍仁にこうされると心が落ち着く。だから、これで少しでも心が軽くなれば……」

「……桐原君。フィーゼちゃんって、いい子だね」

「うん。いい子だよ。だからとりあえずガチ泣きはやめてくれ、溝口さん」

 

 

「んじゃ、気が向いたらメンバーチェンジもしようか」

「そうだね。じゃ、また後でー!」

 

 そう言うと女子達はノーマンを引っ張って部屋へと入っていった。

 

「いいの?オイゲンさん。彼氏さん、女の子からチヤホヤされてるけど」

 

 椎名の質問に、オイゲンは余裕の笑みを浮かべる。

 

「これぐらいで浮気するような人じゃないわ、ノーマンは。それじゃ、私も行くわね」

 

 そう言ってオイゲンもノーマンのいる部屋へと入っていく。

 

「……あれが正妻の余裕ってやつかぁ」

「まぁ、ノーマンのやつもオイゲンさん以外に目移りするような奴じゃないしな。そんなことより、早く入ろうぜ」

 

 そう言って龍仁達はもう一方のカラオケルームに入る。

 

「へぇ、これがカラオケの部屋なのね」

「わぁ……」

 

 エリザベスとシリアスは初めてのカラオケルームに目を輝かせる。

 

「それで、ここで歌を歌うって話だけど、どうやるのかしら?」

 

 エリザベスがキョロキョロと周囲を見渡す。

 初めてのカラオケなのだ。そういう反応も当然だろう。

 

「まずはお手本を見せないとね。というわけで、椎名と溝口、行っきまーす!」

「え、待って。私も巻き込まれるの?」

 

 テンション高めの椎名にマイクを押し付けられる溝口。

 椎名は溝口のことなどおかまいなしに、慣れた手つきで曲を入れる。

 

 そしてすぐに始まる曲。それは今大ブレイク中のアイドルグループの歌だった。

 しょっぱなからテンションが高めの椎名。溝口も溜息を吐きながらも椎名に合わせて歌い始める。2人で何度も歌ってきたのか、息がぴったりであった。

 そして、最初の曲が終わる。

 

「ってな感じだね」

「へぇ、楽しそうじゃない」

「さっそく入れてみる?」

「そうさせてもらうわ。えっと、どうやるのかしら」

「ここをこうやってね……」 

 

 椎名に教わりながら、エリザベスは曲を入れる。

 選曲を見た椎名は「へぇ」と声を上げる。

 

 エリザベスの入れた曲は、重桜で数年前に流行った学園物アニメの主題歌だった。

 エリザベスは透き通るような、それでいて力強い声でその歌を歌いあげた。

 

「おぉ……」

 

 青葉とクリーブランドは思わず声を上げる。それほどまでにエリザベスの歌は素晴らしかった。椎名達が絶賛するだけのことはあった。

 

「さすがエリザベスさん!いい歌声だったよ!」

「ふふん、当然よ」

「というか、その歌知ってたんだな。数年前の歌だろ」

「えぇ、このアニメはロイヤルでも流行ったもの。私も好きだったから、覚えたのよ」

「なるほど」

 

 そのアニメは外国でも人気が出たというニュースを、龍仁は見た覚えがあった。

 

「もしかして、他のアニソンも知ってたりする?」

「えぇ、これでも重桜のアニメはたくさん見てるんだから!」

「よーし、それなら今日はアニソン祭りだね!」

 

 そう言って椎名は次の曲を入れていく。

 それからはみんな代わる代わる曲を入れていった。

 椎名が「アニソン祭り」と言ったからか、自然とアニメソングがメインとなった。

 意外にもシリアスとベルファストもアニメソング好きであり、特にシリアスは機材の操作方法を覚えてからは積極的に歌っていた。

 途中までは傍観していた青葉も、乗り気になったのか途中からはノリノリで歌っていた。

 

「……フィーゼちゃん、結構渋い歌知ってるんだね」

「ウチにたまたまビデオが残っててな。フィーゼに見せたらハマっちゃって」

 

 歌い始めて既に2時間は経過しようとしていた。

 エリザベスもシリアスも既にカラオケのシステムに慣れ、楽しんでいる様子だった。

 

「んじゃ、次だけど……そういえば桐原君とクリーブランドさん、まだ歌ってないよね?」

「そういえばそうだね」

 

 龍仁もクリーブランドも特に歌いたい曲があるというわけでもなく、みんなが歌っているのを見てるだけでも楽しかったので曲をまだ一曲も入れていなかった。

 

「うーん、俺は見てるだけでも楽しいからさ」

「私も」

「ダメダメ、そんなのじゃ。カラオケに来たからにはちゃんと歌わないと。それに、エリザベスさんもフィーゼちゃんも龍仁の歌聞きたいよね?」

「もちろん」

「あぁ。私も龍仁の歌を聞きたい」

 

 エリザベスとフィーゼ(とシリアス)は期待するような目で龍仁を見る。

 そこまで期待されるなら、と龍仁は操作パネルを手にする。

 そしてとある曲を検索する。

 

「クリーブ」

 

 龍仁はクリーブランドを呼び、画面を見せる。

 その画面を見て、クリーブランドは「あっ」と言ってから嬉しそうに頷いた。

 そして曲を入れると、龍仁とクリーブランドは一緒にマイクを握る。

 龍仁が入れたのは、彼が小学生の時に流行ったロボットアニメの主題歌。

 2人は椎名と溝口に負けず劣らずのコンビネーションで歌を歌った。

 

「おー、意外と上手いんだね、桐原君とクリーブランドさん」

「中学生の時は毎週のようにクリーブ、青葉とカラオケ行ってたからな。これでも自信はあるぞ」

「この歌を歌うのもお約束だったな」

「うん、聞かなかった時がないぐらいだったね」

「そうなんだ?」

「あぁ、小学生の時の日曜日の朝は毎週クリーブとこのアニメ見てたよ。おかげで俺もクリーブもこの歌が大好きになって」

「そうそう。一時期はこれ歌ってるバンドのCD集めまくってたな」

 

 龍仁とクリーブランドは昔話に花を咲かせる。

 そんな楽しそうな2人を見て、エリザベスとフィーゼは「むぅ」と頬を膨らませる。

 

「龍仁、この曲は覚えてるかしら!ほら、昔一緒によく見たアニメの!」

「あぁ、覚えてるぞ」

「それじゃ、一緒に歌うわよ!」

「龍仁、こっちの曲もあるのだが」

「分かった!とりあえず順番!」

「いやぁ、青春だね」

「そうだね」

 

 エリザベスとフィーゼが競い合うように龍仁と一緒に歌おうとする。

 それを椎名と溝口は微笑ましそうに眺めるのだった。

 

 

「ありがとうございましたー!」

 

 フリータイムの時間も終わり、一行はカラオケ店を出た。

 

「どうだった、エリザベスさん、フィーゼちゃん」

「凄い楽しかったわ!」

「あぁ、とても有意義な時間だった」

 

 思う存分歌えて満足したのか、エリザベスは嬉しそうに笑う。

 

「シリアスさんもどうだった?」

「はい、楽しかったです」

 

 シリアスもニコッと笑いながらそう言った。どうやら、楽しんでくれたようだ。

 

「……で、だ」

 

 龍仁と椎名はノーマン部屋にいた女子達を見る。

 みんな蕩けたような、幸せそうな表情をしている。

 

「……何があったの?あっちでは」

「たぶん、ノーマンのことだからラブソングばっかり歌ったんだろうな。それ聞いた女子って大抵ああなる」

「なるほど」

 

 そんな中でも、ノーマンはオイゲンとベタベタしている。

 その胆力はさすがというべきか。

 

「それで、今からどうする?」

「そうだな……俺は暇だけど、ノーマン達は確か用事がなかったか?」

「あぁ、今日はオイゲンのところと一緒に飯食う約束してるんだ」

「私はバイトかなー」

「私もー」

 

 龍仁のように暇な人もいたが、何かしらの用事がある人も多かった。

 

「それじゃ、ここで一旦解散で、暇のある人はまだ遊ぶって感じでいいかな」

「賛成」

「それじゃ、解散」

 

 椎名がそう言うと、ノーマンやオイゲン、そして用事があると言っていた女子達は手を振りながら去っていった。

 残ったのは龍仁達は今からどうしようか話し合っていた。

 

「うーん……あ、そうだ。エリザベスさんに町の案内はした?」

「いや、まだだな。案内しなくちゃって思いつつもやってなかったな」

「じゃ、今日やっちゃおうっか」

「エリーもそれでいいか?」

「えぇ、せっかくだからお願いするわ」

「クリーブ達はどうする?」

「私も見て回ろうかな。スポーツ用品見たいし」

「私もそろそろペンとかメモ帳見とかないと」

「ペンとかメモ帳なら購買部で買えばいいんじゃないか?」

「分かってないなぁ、龍仁は。プロは道具からこだわるんだよ?」

 

 道具の前に取材力をどうにかしろ、というツッコミを龍仁はグッとこらえた。

 

「んじゃ、あんまり時間もないし、行くか」

「そうだね。それじゃ、この町を遊びつくしてこの町の『遊女』と称えられる椎名さんに、案内はお任せあれ!」

 

 人の往来がある中で元気にそう叫ぶ椎名。

 意味を分かって言っているのか?と龍仁は溝口にアイコンタクトを送る。

 アイコンタクトの意味はすぐに伝わったようで、溝口は静かに首を横に振った。

 

「あれ?2人とも何でそんなに目が優しいの?」

 

 優しくも生暖かい視線を向けてくる龍仁と溝口に、椎名は何も知らない子犬のような顔で首を傾げるのだった。

 

 

「うわぁ……」

 

 エリザベスは思わず声を上げる。

 彼女達がいるのは町の中心を堂々と陣取るショッピングモール。

 

「こんな施設ができていたのね。私が昔いた頃は遊園地だったわよね?」

「よく覚えてるな、エリー」

「だって龍仁とよく遊びに行ってた遊園地だもの」

 

 エリザベスの言う通り、この場所には昔そこそこの規模の遊園地があった。

 しかし、経営難に陥ったとかで龍仁達が中学生に上がる前ぐらいの時に閉園。その後は跡地をそのまま使った大規模なショッピングモールが建設された。建設当時は、重桜最大規模のショッピングモールとして軽くニュースにもなった。

 

「そう……でも、もう無いのね……また龍仁と行きたかったんだけど」

 

 エリザベスは寂しそうな表情を浮かべる。

 その遊園地によく遊びに行ったことは龍仁も覚えている。だから、遊園地が閉園した時は彼も寂しさは覚えた。今はすっかりそんな寂しさは感じなくなったが、エリザベスを見て龍仁は昔のことを思い出し、また少しだけ寂しい気持ちになった。

 

「こういうのはまた新しい思い出を作るのが大事なんだよ!ほら、行こうよ!」

 

 椎名はエリザベスの手を引いてショッピングモールに入っていく。

 エリザベスに負けず劣らずの強引さ。だが、今はそんな彼女の強引さが救いだった。

 龍仁達も2人の後に続いた。

 

「色々あるわね……」

「でしょ?ここに来れば8割の物は手に入るって言われてるもの」

 

 生活雑貨から食品、衣類におもちゃなど、ここに来れば大抵のものは手に入る。

 だから、買い物をする時は、時間があるなら多少離れていてもここに来た方が何かと便利である。桐原家でも、物を買いこむ時はこのショッピングモールによく来る。

 中には映画館やネットカフェ、ゲームセンターもあるので娯楽も充実している。

 

「龍仁、ここに来たのは初めてだ」

「あぁ、フィーゼはそうだったな」

「服買った時はデパートの方行ったもんね」

 

 確かにこのショッピングモールは大抵のものは揃うのだが、あまりにも広すぎるという一面もある。一応ジャンルで区画分けはされているので目的のものは探しやすいのだが、買う物が最初から決まっていて、なおかつバラけていないなら町のデパートの方が便利だったりする。だからこそ、この規模のショッピングモールができたのにもかかわらず、その近くのデパートなどが潰れないのだろう。

 

「それで、何見たい、エリザベスさん」

「そうね……何があるかも分からないから、とりあえず見て回りたいわ」

「了解!みんなはどうする?」

「私はスポーツ用品店を見に行くかな。さっき見たら新しいシューズが入荷してたし」

「私は……うん、雑貨を見に行くよ」

「桐原君は?」

「俺は青葉について行くかな」

「え、私?」

 

 意外な答えに、青葉はキョトンとした。

 

「おやおやぁ?龍仁はそんなに私と一緒にいたいのかなぁ?」

 

 すぐにニヤニヤする青葉。

エリザベスとクリーブランドは不満そうに「むぅ」と頬を膨らませる。

 

「いや、青葉放っておくと何買うか分からんから。去年のアレ、まだ忘れてないからな」

「あはは、何のことやら」

 

 青葉はあからさまに目を泳がせる。

 その様子に一同は納得したようで、龍仁が青葉の「監視」につくことになった。

 

 

「くっ、せっかく新商品を見ようと思ったのに……」

「何の新商品かは聞かないでおいてやる」

 

 雑貨コーナーに向かう龍仁と青葉。

 青葉は目的を果たせそうにないためか、悔しそうな表情を浮かべている。

 

「まぁ、一人で来た時に……」

「それなら目は瞑るけど、頼むから俺に使うなよ」

「約束はできないなー」

「この野郎……」

 

 龍仁はジロッと青葉を睨むのだが、当の青葉は悪びれた様子もなく、呑気に口笛なんか吹いている。言っても聞かないのは長い付き合いの中で知っているので、龍仁も諦めてそれ以上は何も言わなかった。

 

「にしても、良かったの?エリザベスさんはともかく、フィーゼちゃんとシリアスさんも別行動で」

 

 龍仁の提案で、フィーゼはエリザベス達と、シリアスはクリーブランドと行動している。

 

「あぁ、むしろそっちの方が良いと思って。青葉って今から雑貨見るだけだろ。それならエリーと一緒にフィーゼには色々見てもらってた方がいいだろうし、クリーブも一人で行動させるのはちょっと心配だしな」

「まぁ、たまに変なのがいるからね」

 

 人で賑わっているショッピングモールだが、変な輩がいないというわけでもない。時折そういった輩がトラブルを起こすというのは耳にするし、だからこそ、集団で行動しているエリザベス達はともかく、クリーブランドを1人で行動させるのが心配であった。

 

「にしても、龍仁ってばちゃんとクリーブランドさんを女の子として扱ってるんだね」

「何を今更。クリーブは女の子だろ?」

 

 龍仁は当たり前のように答える。

 

「……そう思っていながら、何で進展しないかなぁ」

「進展って何がだ?」

「うん、龍仁はそれでいいと思うよ。そっちの方が面白いし。……ちょっと面倒臭いけど」

 

 青葉の言っている意味が分からず、龍仁は首を傾げる。

 

 

「それで、何か買うのか?」

「うん、メモ帳とかペンとか。予備とかも持っておかないと、何かトラブルがあった時に記録できないからね」

 

 雑貨店の文房具コーナー。

 青葉はペンをまじまじと見ている。

 本人曰く「書き心地と耐久性が大事」とのことで、こだわりがあるらしい。

 

「うーん、無難に考えるならいつものこれだけど……新作のこっちも気になってるんだよね……うん、とりあえず試し書きかな」

 

 そう言って青葉はペンのサンプルを次々と確かめていく。

 少し時間がかかりそうだったので、青葉に声をかけてから店の外に出た。

 

「……相変わらずの賑わいだよなぁ」

 

 夕方少し前という時間帯であるが、まだショッピングモールは人で賑わっていた。

 この広いショッピングモール。龍仁も何度か来てはいるが、全てを回れたわけではない。

 まだ見ぬ未知の区画もあり、時間があれば探検でもしたいのだが、そんな時間も中々見つからない。そもそも、そういった未知の区画は「大人の領域」だったりするので、興味がないわけではないが、できるだけ近付かないようにしている。

 

「っと?」

 

 そんなことを考えていると、誰かとぶつかった。

 ぶつかった相手は小柄な人物で、ぶかぶかのパーカーを羽織り、フードを深く被っているので顔が良く見えず、男の子なのか女の子なのかよく分からなかった。

 そして、その手にはヤマメの塩焼きが握られていた。さすがはショッピングモール。そういうものまで取り扱っているようだ。

 

「すまない。食べるのに夢中で前を見ていなかった」

 

 その相手は素直に謝罪してきた。声からしてどうやら少女であるようだった。

 

「いや、気にしないで。俺も道のど真ん中に立っちゃってて邪魔になってたみたいだから」

「……ん?」

 

 龍仁の声を聞いて、少女は少しだけ顔を上げる。

 フードの影で顔はよく見えなかったが、その影の奥に金色の瞳が光っているのはハッキリ見えた。鋭さがありながらも、まるで人懐っこい猫のような、そんな純粋な光を持った、そんな綺麗な瞳であった。

 

「お前は……」

 

 そんな少女の目が、龍仁の顔を見た瞬間に驚きに見開かれる。

 だが、すぐに少女は俯き、首を横に振る。

 

「いや、それはあり得ない……」

「えっと?」

「すまない。人違いだ」

 

 少女は顔を伏せたまま、そう言って走り去っていった。

 人混みの中に消えていく少女。

 

「……何だったんだ?」

 

龍仁はポカンとした様子で少女の走り去った先を見つめていた。

 

「お待たせ、龍仁……って、どうかした?」

「……いや、何でもない」

 

 謎の少女のことは気になったが、考えても分かることではなさそうだったので、龍仁は必要以上に何も考えないことにした。

 

 

「いやぁ、満足満足」

 

 帰り道。椎名は嬉しそうにそう言って笑う。

 今日一日、エリザベスやフィーゼと(物理的も含めて)触れ合えたのが楽しかったらしい。

 

「エリーはどうだった?」

「えぇ、楽しかったわ。やっぱり、椎名と一緒にいると退屈しないで済むわ」

「え、エリザベスさん……」

 

 ウルウルと目を潤ませる椎名。

 今にもエリザベスに飛びつきそうな雰囲気だったが、それを察したのか溝口が椎名の首をしっかりと掴んでいた。

 

「フィーゼは?」

「楽しかった。椎名、また誘ってくれると嬉しい」

「フィーゼちゃん……!ああん、もう!溝口、手を放して!私今からこの2人抱く!」

「だから掴んでるのよ」

 

 ジタバタともがく椎名を、溝口は細い腕でしっかりと掴んで離さない。

 そんな仲のいい2人を、龍仁達は生暖かい目で見ていた。

 

「クリーブ、悪かったな。今日は買い物に付き合えなくて」

「いいよ。その分シリアスさんと色々話せたし」

「色々?」

「シリアスさんもバスケするんだってさ。それで、今度お手合わせの約束したんだ!」

「はい、シリアスのバスケのスキルはかなり高いですよ」

「へぇ、それは意外だな」

 

 ベルファストが言うのだから、相当バスケが上手いのだろう。

 意外な特技に、龍仁も驚きを隠せなかった。

 

「それに……」

 

 クリーブランドはジトッとした目で青葉を見る。

 

「また青葉が余計なものを買わないか、私も心配だったからね」

「うっ……」

 

 昔あった騒動の直接の被害者であるクリーブランド。

 さすがにその時のことは悪いと思っているのか、青葉もシュンと小さくなる。

 

「そろそろ大人しくしなさい」

「やー!……あっ」

「あっ」

「きゃっ!」

 

 まだジタバタ暴れていた椎名だったが、通りすがりの人が溝口にぶつかり、溝口は思わず椎名から手を放してしまった。すると、勢い余った椎名は勢いよく転んでしまった。

 

「あっ、ごめっ!椎名、大丈夫?」

「あ、あたたた……だ、大丈夫……」

 

 慌てて溝口が椎名に駆け寄る。

 大丈夫と口にする椎名だったが、どこか痛めたのか、苦痛の表情を浮かべる。

 

「椎名、大丈夫?」

「ちょっとお見せください」

 

 そう言ってベルファストは椎名の足首を見る。

 

「……足首を捻っていますね。大丈夫ですか?歩けますか?」

「えーっと、ちょっと無理みたい」

 

 よほど盛大に捻ったのか、椎名は立ち上がれずにいた。

 

「困りましたね……応急処置はできますが、歩くとなると……」

「た、タクシーで帰れるから」

「……えっと、椎名さんの家ってどこ辺り?」

「え?えっと……」

 

 龍仁は椎名から家の場所を聞いた。

 ここから歩いて15分ほどの場所だった。

 

「それなら……ちょっと失礼」

「え?……きゃっ!?」

 

 龍仁が椎名を背負う。

 突然のことに、椎名は顔を真っ赤にする。

 

「ちょ、ちょっと!龍仁君!?」

「ちゃんと掴まっておけよ。落ちるぞ」

「え、でも……」

「歩いて15分ぐらいだろ?タクシー使うのも勿体ないって」

「で、でも……」

「悪い、シリアスさん。フィーゼ連れて先に帰っておいてくれないか?」

「私もご一緒した方がよろしいのでは?」

「フィーゼが疲れて眠いみたいだからさ」

 

 龍仁の言う通り、フィーゼは少し疲れて眠たそうであった。

 

「エリーもベルさんもシリアスさんについてあげてくれないか?シリアスさんも、フィーゼのお守しながらだと大変だろうからさ」

「かしこまりました」

「分かったわ。気を付けて帰るのよ、龍仁」

 

 そう言うとエリザベス達は人混みの中に消えていく。

 

「椎名、本当にごめんね」

「う、うん……大丈夫。暴れてた私が悪いから」

 

 心配そうにする溝口に、椎名は少しだけ無理をした笑みを向ける。

 

「桐原君。私、椎名とは家が逆だから一緒に行けないけど……椎名をお願いね」

「任された。クリーブ、青葉。せめて溝口さんを途中まで送って行ってあげてくれないか?俺の方は大丈夫だからさ」

「うん、分かった」

「任せて。じゃ、行こうか、溝口さん」

 

 クリーブランドと青葉に連れられて歩く溝口。彼女は何度も心配そうに椎名の方を振り返っていたが、その姿もしばらくすると見えなくなった。

 

「んじゃ、行こうか」

「き、桐原君。やっぱり大丈夫だよ。一人で……」

「歩けるか?」

「……ごめん、無理」

「なら素直に甘えてくれ」

「でも、おんぶされるのはさすがに恥ずかしい……」

「おんぶが嫌ならお姫様抱っこでもいいぞ」

「おんぶでお願いします」

 

 そんなやり取りをしながら、龍仁も歩き出す。

 

 すっかり暗くなった道。

 龍仁と椎名はずっと無言だった。

 

「……えっと、桐原君。重くないかな?」

 

 恥ずかしさに耐えきれなくなったのだろうか。

 椎名がおもむろに口を開いた。

 

「うーん、ちょっと重い……いてててて!ごめっ、冗談だから抓らないで!」

 

 背中を思いっ切り抓られて龍仁は思わず悲鳴を上げた。

 

「もう……女の子に重いとか言うのは失礼だよ」

「いや、椎名さんが聞いてきて……」

「何か?」

「何でもないです」

 

 また抓られたら堪らないと、龍仁は余計なことを言うのをやめた。

 

「……」

「……」

「……ありがとうな」

「な、何が?」

 

 龍仁の突然のお礼に、椎名は素っ頓狂な声を上げる。

 

「エリーとかフィーゼを遊びに連れ出してくれて」

「私がそうしたかっただけだから、お礼を言われるようなことじゃないよ」

「今日のことだけじゃないよ。元々は俺が椎名さんに無理矢理押し付けたことなのに、こうやってエリーと友達になってくれて」

「あはは、そういえばそうだったね」

 

 きっかけは、エリザベスの学校案内役に龍仁が椎名を気まぐれで選んだことだった。

 それから椎名とエリザベスはすぐに打ち解け、学校でも楽しそうに話すことが多い。

 エリザベスの交友関係はどの道避けて通れない問題になりそうだったが、それをすぐに解決してくれた椎名には、龍仁も感謝していた。

 

「私も感謝してるよ。桐原君のおかげでエリザベスさんっていう友達ができたんだから」

 

 簡単に言う椎名だが、相手はロイヤルネイビーのVIPなのだ。

 普通の人なら気後れだってするだろうし、人によっては下心で近付くかもしれない。

 だが、椎名は何の打算もなく、ただ純粋にエリザベスの友達になってくれた。その輪が広がり、今ではエリザベスにも友人がたくさんできた。そこは椎名の人柄が為せることだった。

 

「本当はもっと親密な関係になりたいんだけどね……残念なことに、エリザベスさんもフィーゼちゃんも桐原君一筋だからね……隙がないというか何というか」

「親密って、アレな感じ?」

「もちろん。アレな感じ。ぐへへへへ」

「頼むから俺の首に涎垂らすなよ」

 

 背中でいやらしい笑い声を出す椎名に、龍仁は苦笑いを浮かべた。

 

「今日のこれはエリーのことの恩返しの1つってことで。だから気にするな」

「……う、うん。分かった」

 

 と言いつつも、椎名の顔は今にも爆発しそうなほどに真っ赤だった。

 龍仁からは見えていないのが幸いだろうか。

 

「あ、そうだ」

「どうした?」

「今、恩返しの1つって言ったよね?」

「言ったな」

「つまり、まだ恩返しはしてくれるんだよね?」

「あぁ、そのつもりだ。この程度で返せるとは思ってないからな」

「それじゃあさ、今度エリザベスさん、フィーゼちゃんと一緒にお風呂入らせてよ。もうあんなことやこんなことを……」

「その前に恩返しでお姫様抱っこでもしてやろうか?」

「やめてください恥ずかしくて死んじゃいます」

 

 

 町の郊外。人気のない林の中の廃屋。

 本来は電気など通っていないはずなのだが、中からは光が漏れている。

 その廃屋の中には、2人の少女がいた。

 

「それで、結果は?」

「うーん、まずまずってところかな。ひとまずは私達の出番はいらないね」

「そう。それはそれでつまらないわね」

「えー、私はこれぐらいがいいかなー。暴れたいけど、それ以上にぐーたらしていたいし」

「あなたは相変わらずね。……あら?」

 

 その時、廃屋の扉が開き、フードを深く被った少女が入ってきた。

 その腕には大量の焼き魚を抱えている。

 

「おかえりなさい」

「おかえりー……って、うぇ……また焼き魚?」

 

 一方の少女がげんなりしたような顔になる。

 

「生で食べるよりずっと美味しい」

 

 フードを被った少女はさっそく一匹ムシャムシャ食べている。

 

「いや、確かにそうだけど……」

「ふふ、いいじゃない。それで、どうだったかしら」

「何も変わらなかった」

「そう。まだ観察する必要があるわね」

「ただ……」

「?」

 

 フードを被った少女は何かを言いかけて止める。

 だが、首を横に振ってテーブルの上に焼き魚をドサッと置く。

 

「何でもない。さっさと食べよう」

 

 そう言って少女はさっそく焼き魚を食べ始める。

 

「……」

 

 食べながら頭をよぎるのは、今日出会った少年の顔。

 その顔は、彼女の記憶にある「とある人物」と酷似していた。

 だが、それが本人であるはずがない。それは、彼女も理解している。

 それでも、あの顔立ち、あの声、あの雰囲気、あの香り……

 その全てが「とある人物」を思い出させる。

 

「……」

 

 少女は懐かしい味を思い出していた。

「彼」と共に孤島で食べた、焼き魚の味。

 

 少女は邪魔になったのか、フードを外す。

 フードの下にあったのは、淡い紫色の髪に、黄金色の瞳。

 その姿はまさしく、100年以上前に世界の敵だった、セイレーンの姿であった。

 

 

「おっはよー!」

「おはよう、椎名」

「あ、椎名。足はもう大丈夫?」

 

 週明けの学校。元気に登校してきた椎名の周りに、彼女の友人達が集まる。

 

「うん、大丈夫だよ。ごめんね、溝口。心配かけて」

「ううん、こっちこそごめん。あ、桐原君も来てるよ」

「あ、ホントだ。おーい、桐原君、エリザベスさん!」

 

 椎名は龍仁達のところに駆け寄る。

 

「あ、椎名さん。おはよう」

「おはよう、椎名。足は大丈夫?」

「うん、おかげさまでね」

 

 まだ少し足を引きずっているので完治したわけではなさそうだが、歩く分には問題はないようだった。それを見て龍仁達は安堵の表情を浮かべる。

 

「あ、それで、桐原君」

「うん?」

「その、土曜日の夜はありがとうね。ちょっと痛かったけど、嬉しかったよ」

 

 モジモジしながらそう言う椎名。突然の爆弾発言に、教室がざわつく。

 

「え?夜?痛かった?優しくしてくれた?」

「ちょっ、椎名さん!?」

「えー、私嘘は言ってないよ?」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべる椎名。龍仁はすぐに「遊んでやがる!」と気付いたのだが、龍仁だけが気付いても意味はなく。教室の喧騒は収まらない。

 

「え、椎名さん……それって……」

「うん、桐原君に優しくしてもらっちゃった……」

「待って、椎名さん!言葉が足りなさ過ぎて誤解が凄いから!」

「た、龍仁!?一体あの後何があったのよ!」

「何もなかったから!というか、あの場にいたんだからエリーは分かるだろ!」

「オイゲン、これは生徒会に連絡した方がいいかな」

「うーん、面白そうだから連絡してみようかしら」

「お前ら絶対分かってるだろ。するなよ?絶対にするなよ」

「あら、それは重桜的な意味でのフリかしら?」

「違うからな!マジな奴だからな!」

「龍仁~!俺が誘われなかった時に勝手に大人の階段登りやがって~!」

「……マジな血の涙を流す奴初めて見たぞ、ヨルク」

「龍仁、何やら浮気の気配を感じたのだが」

「フィーゼ、何もないから教室に戻れ」

 

 騒ぎが収まらない教室の中。

 椎名はエリザベスの肩を叩く。

 

「エリザベスさん」

「どうしたのよ、椎名」

 

 椎名はエリザベスの耳元で囁いた。

 

「桐原君って、いい人だね。私、気に入っちゃったかも」

「な!?」

 

 エリザベスは目を見開く。

 

「ちょ、ちょっと!椎名、それってどういう意味よ!」

「あはは、どういう意味だろうね」

 

 慌てふためくエリザベスに、椎名は悪戯っぽい笑みを返した。

 

「それと、桐原君。恩返しの件、ちゃんと考えといてね」

「オイこら待て。まずはこの騒ぎをどうにかしてくれ!」

 

 何があったのかとクラスメイト達から問い詰められる龍仁。

 その元凶である椎名は、ただ楽しそうに笑うのだった。

 

 その後、エリザベスやクリーブランド、溝口の証言もあって誤解は解けた。

 だが、騒ぎが大きくなりすぎて他のクラスでも話題になってしまい、結局龍仁は噂話を否定するために悪戦苦闘する羽目になるのだが、それはまた別のお話。

 

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