「一つ聞いていいか、龍仁」
「どうした、ヨルク」
「水泳の授業。その存在意義は何だと思う?」
「泳げるようになることだろ」
「違う!女子の水着を拝むことだ!少なくとも俺はそのつもりだった!」
「はぁ……」
「この学園では水泳の授業は男女一緒だった。だからこそ俺も好きなだけ女子の水着を拝むことができたんだ!今は絶滅危惧種とされている旧型のスクール水着。それを生で見れるだけで、この学園に来た意義の8割を占めていると言っても過言ではない!」
「いや、過言だろ。確かに旧型のスク水採用してる学校珍しいみたいだけど」
「しかも今年はベルファストさんとシリアスさんという超大物までいる!彼女達の水着姿、それを拝むことができれば、俺は1週間は何も食わずに生きていける!」
「実際にやるのはやめとけよ。死ぬからな」
「……なのに、なのに」
ヨルクは拳をぶるぶると震わせる。
「なのに、何で今年からプールが男女別なんだぁ!」
ヨルクの絶叫が響き渡る。
今は水泳の時間。ここは男子用プールであり、もちろん男子と体育教師(男)しかいない。
ヨルクの奇行に関してはいつも通りなので、ヨルクの絶叫でビクッとなる生徒はいたが、その後は特に気にした様子もなく泳ぎの練習を続けていた。
「プールを男女別にするって話は前々から出てたし、それが今年だったってだけの話だろ」
「お前なんでそんなドライなんだよ!見たくないのか、女子の水着姿をよぉ!」
「そりゃ見れるなら見たいけどさ。仕方ないだろ、そう決まったんだから」
「だからドライだって言ってるんだよ!そもそも何で男女でプール分けたんだよ!なぁ、ノーマン!」
「いや、俺に聞かれても。ヨルクみたいなスケベがいたから苦情でも来たんじゃないか?」
「俺みたいなスケベなんてどの時代にもいるだろ!なぁ、お前はどう思う、龍仁!」
「知らん。先生にでも聞いたらどうだ?」
「先生、何故なんですか!」
龍仁は冗談で言ったのだが、ヨルクは本当に先生に尋ねた。
「どうでもいいけど、そろそろ泳げ。42.195㎞泳がせるぞ」
体育教師の生田は暑苦しいぐらいの笑顔でそう答えた。
「フルマラソン水泳!?いやいや、死んじゃいますよ!」
「42.195㎞ぐらいなら、時間はかかるけど余裕だろ」
「あぁ」
「化け物体力のお前らと一緒にしないでくれる?」
相変わらずの体力馬鹿の友人2人に、ヨルクはげんなりした表情を見せる。
「はぁ……お前らは良いよな。オイゲンさんとかベルファストさんとかシリアスさんとか……プライベートでプールに行けばボインな女の子の水着を拝めるんだからさ。俺のところなんかヒッパーちゃんだよ?いや、ヒッパーちゃんの水着姿も良いけどさ、さすがにこうダイナマイトボディの水着姿に憧れるわけですよ。正直、ペッタンなんて見ても面白くないわけですよ」
「……む?」
「どうしたの、ヒッパーさん」
「よく分かんないけど、今無性にヨルクを殴りたくなったわ……」
「はぁ……?」
「大きい胸見たいならオリバーさんに頼めばいいじゃん」
「違うじゃん!確かに大きいけど、あいつのって大胸筋じゃん!というか、そもそも男じゃん!おっぱいじゃなくて雄っぱいじゃん!」
「オリバーさん?」
「あれ?龍仁知らないのか?ヨルクの家で働いてるメイドさん」
龍仁の頭にある人物の顔が思い浮かぶ。
「あぁ、この前ベルさんがヨルクに紹介したっていうメイドさんか。あの人、オリバーさんっていうんだな。というか、雇ったんだな。何だかんだで気に入った?」
「んなワケあるか!メイドさんが来るって聞いてワクワクしてたら、メイド服着たゴリゴリマッチョのおっさんがやって来てビビったわ!俺の両親もさすがに困惑してたわ!でも、掃除に洗濯、料理に裁縫が完璧すぎてウチの両親が気に入っちゃったんだよ!」
そういえばベルファストが「家庭的で繊細な作業が得意」と言っていたことを、龍仁は呑気に思い出していた。ベルファストを疑っていたわけではないが、実際にそういう話を聞かないと、あの写真だけではどうしても実感ができなかった。
「なら良かったじゃないか」
「良くねえよ!お前に分かるか?お風呂の度にあいつが背中を流しに入ってくる時の俺の気持ちが。寝る時にあの野太い声の子守唄を聞かされる俺の気持ちが。朝起きたらあの濃い顔面が目の前に広がってる俺の気持ちが」
「分からん」
「同じく」
「なら分からせてやろうか!俺の家に泊めて!」
「「いや、結構です」」
龍仁とノーマンは声を揃えて断った。
「ちくしょー!何で俺ばっかりこんな目に遭うんだよぉ!」
「おーい、そこの3人。そろそろ休憩終わらせて泳ぎ始めないと、マジでフルマラソン水泳させるぞ」
「っと、アホなことで時間潰されないうちに泳ぐか」
「そうだな」
「お前ら、また後で俺の愚痴聞かせてやるから覚悟しろよ」
そう言って3人は泳ぎ始めるのだった。
「ってなことがあってな」
龍仁とノーマンは、水泳の時のヨルクのことをいつものメンバーに話した。
「……だからあんな悔しそうな顔で泣いてるのか」
「ヨルクらしいけども……これはプールを男女別にして正解だったわね」
クリーブランドとオイゲンは、離れた席で「ちくしょう……ちくしょう……」と咽び泣くヨルクを見て大きく溜息を吐いた。
「でもプールか……またみんなで行きたいな」
「そうだね。去年はバタバタして行けなかったもんね」
「主にお前のせいでな」
「あ、あははははは……」
龍仁とクリーブランドに睨まれ、青葉は目を泳がせて笑う。
「去年って、何かあったの?」
エリザベスが龍仁に尋ねる。
「あぁ、それは――」
龍仁が答えようとした時、彼の袖が引っ張られた。
横を見ると、クリーブランドが何かを訴えかけるような潤んだ目で龍仁を見ていた。
――お願いだから言わないで。
その目からはそんな訴えが聞こえてくるようだった。
「……うん、色々あったんだよ。色々」
「そ、そうなのね」
エリザベスもさすがにクリーブランドに気付いたため、それ以上は何も聞かなかった。
「それで、プールなんだけど」
「そうだな。今年こそは行きたいな」
「女の子の水着を見に?」
「……」
「おやおや、無言は肯定と捉えちゃうよ?このムッツリスケベ」
「うるせぇ」
正直に答えても嘘を答えても黙り込んでも、結局はからかわれるのだから、龍仁はこの手の質問が苦手だった。
「ノーマンはどう?」
「うーん、見たいってのは否定しないけど、俺はオイゲンのを見られるだけで幸せだから」
「あら、ノーマンってば」
「……分かり切ってたのに聞いた私が悪かった」
人目も気にせずいちゃつき始めるノーマンとオイゲンの甘い空気に、質問者の青葉は「うげっ」というような表情を浮かべる。
「ねぇ、龍仁」
「ん?」
「龍仁は、女の子の水着を見たいの?」
エリザベスは少しジトッとした目で龍仁を見ていた。
「いや、まぁ……見たいかどうかって言われたら……見たいです、はい」
「でしょうね、龍仁だもの……」
「どういうこと?」
溜息を吐くエリザベスに、青葉が尋ねる。
「……昔、龍仁と一緒にプールに行ったことがあるのよ。その時にベルも一緒だったんだけど……龍仁ってば、ずっとベルの水着姿にデレデレしてたのよ」
「……」
龍仁自身も覚えているのか、目を泳がせている。
「……エロガキじゃん」
「うっさい」
青葉の冷ややかな目に、龍仁は顔を赤くしながらそう返す。
「でも、子供らしくていいじゃない。私は可愛いと思うわよ」
「と言ってもだな、オイゲンさん。その後大変だったんだぞ。エリーが機嫌悪くして、3日ぐらい口聞いてくれなくて」
「当然よ」
エリザベスは「ふんっ」と言ってプイッとそっぽを向く。
まだ当時のことを根に持っているようだ。
「……でも」
不機嫌な表情から一転、今度は自信たっぷりの表情になる。
「私だって成長しているのよ!今なら堂々と私の高貴な水着姿を見せて、龍仁を虜にできる自信があるわ!」
「成長?」
シリアスが首を傾げる。
「ですが、陛下は11歳の時から体のサイズは一切成長していないのでは……」
「シリアス!余計なこと言わない!」
「は、はい!申し訳ありません!」
エリザベスに怒鳴られてシリアスは慌てて頭を下げる。
「……シリアスさん。『思いやりは友を作るが、真実は敵を作る』って言葉もあるんだ」
「……肝に銘じておきます」
シュンと小さくなるシリアスを、龍仁は何とか慰める。
「とにかく!龍仁が私の水着を見たいっていうなら、是非見せてあげようじゃない!」
「エリザベスさんの、とは言ってないけどね」
「何か言ったかしら、青葉」
「いえ、何も」
「とにかく、そのためにもプールに行くわよ!」
「お待ちください、陛下。プールに行く、とは言ってもまだ陛下は学校指定の水着と訓練用の水着しか持っていないではありませんか」
「うっ、そうだった……」
「あれ、そうなの?」
これでもエリザベスはお嬢様である。
てっきりそういった水着はたくさんあるとばかり思っていた一同は目を丸くする。
「ロイヤルにいた頃は訓練以外で泳ぐことなんてなかったもの。遊びに行くための水着とか、ましてや誰かに見てもらうための水着なんて必要なかったのよ」
「なるほど。でもエリザベスさん、学校指定の水着かなり似合ってたよ。あの何ともいえないマニアックな感じがそそるというかなんでもないですごめんなさい」
エリザベスに思いっきり睨まれ、青葉はすぐに謝った。
余計なことを言わないと気が済まないのか、と思った龍仁だが、彼女はいつもこんな感じなので何も言わないことにした。
「そうね、水着ね……今の内に買っといた方がいいのかしらね」
「お、何かお呼ばれした気がしたよ!」
どこからともなく椎名がにゅっと現れる。
「呼んでないから帰れ」
「何か桐原君冷たくない?」
「うるせー、この間どんだけ苦労したと思ってるんだ」
つい先日、椎名の爆弾発言のせいで、龍仁は誤解を解くために奔走する羽目になり、その中で青葉にも協力してもらったことで「借り」を作ってしまった。彼女に「借り」を作ることの恐ろしさを身に染みて分かっている龍仁が、それでもなお協力を仰いだのだから、その苦労は計り知れないものだったのだろう。
「まぁまぁ。過去のことは水に流そうじゃん」
「それ、本来俺が言うセリフだからな」
「じゃ、言って?」
「そういう問題じゃない」
先日の一件以来、椎名は積極的に龍仁に絡むようになってきた。本人曰く「お気に入り」だからだそうで、龍仁も嫌というワケではないのだが、彼女が龍仁に絡んでいる時にエリザベスが物凄く不安そうな目でこちらを見てくるため、少々居心地が悪かった。
「それで、水着を買うって話が聞こえたけど」
「えぇ、龍仁に見せられる水着持ってないから……」
「ほほー、桐原君に見せるための水着ですかー。いいね、この幸せ者」
「肘でぐりぐりすんな。地味に痛い」
「ね、それでいつ買いに行くの?」
「そうね……ベル、いつぐらいにできそう?」
「今日中に連絡すれば、週末には」
「じゃ、さっそくお願い。せっかくだから時間かけて選びたいの」
「エリザベスさん、私もエリザベスさんの水着一緒に選んでいい?」
「え、椎名も?」
「うん、もう私に任せてもらえればあんな水着やこんな水着もっていたたたたた!」
「はーい、椎名。桐原君達の邪魔になるから戻るよー」
溝口が椎名の襟を掴んで引きずっていく。
「ごめんね、桐原君。椎名のことは気にせずに話進めて」
「お、おう……」
「ちょ、ちょっと!いいじゃん、私が選んでも!」
「あんたが選ぶとどんなヤバい水着になるか分かったもんじゃないでしょ。あと、あんた着替えの手伝いとか言ってセクハラしてくるじゃん」
「目の前に女の子の裸体があったら触りたくなるじゃん!仕方のないことなんだよ!ってあいたたたた!引っ張らないで!やーだー!エリザベスさんのモチモチ肌触るのー!」
椎名と溝口はまるで嵐のように去っていった。
「……ゴホン。それで、みんなは週末時間あるかしら?」
「週末?特には何もないよ」
「私も」
「そうね……何かあったかしら、ノーマン」
「いや、特には。生徒会の仕事も一段落してるし」
「ヒッパーさんは?」
青葉は、未だに泣き続けるヨルクをあやしているヒッパーに声をかける。
「週末?……特に何もなかったと思うわ」
「それじゃ、決まりね。また連絡するけど、土曜日か日曜日に屋敷に来てね」
「……屋敷?」
そして土曜日。
「……うわぁ」
龍仁の家から歩いて10分ほどの場所。
普段はあまり通らない場所に、その屋敷はあった。
「……エリザベスさんの屋敷って聞いてたから豪華なものとは思ってたけど、想像の10倍ぐらいは豪華だったよ」
龍仁達は屋敷の門の前で思わず立ち止まる。
よく漫画の貴族の屋敷に出てくるような巨大な門がそこにはあった。
門の向こうには長くて広い道が伸びているのだが、この道だけでそこら辺の家の敷地より確実に広い。
そして、その先に目的の屋敷が見える。
屋敷というよりは小さな城のような建物で、その大きさも龍仁達の通う学園の校舎と同じぐらいかそれ以上の規模に見える。少なくとも、個人で住むような建物ではない。
敷地内には広大な庭が見え、見間違いでなければ林のような区画も確認できる。
さすがはロイヤルネイビーの大物VIPの屋敷。スケールが違う。
「昔は幽霊屋敷とか言われてたよな、ここ。改築したのか?」
「あれ?龍仁ってまだここに来たことなかったの?」
「あぁ。遊びに来てくれとは言われてたんだが、大体エリーの方がウチに来るからな。こんな屋敷とは思わなかった」
「屋敷というよりは城だな」
「そうね」
大抵のことでは驚かないオイゲンも、この光景にはさすがに驚きを隠せないようだった。
一行がポカンと屋敷を見ていると、門を守っていた衛士の一人が龍仁達に気付き、何やら小型の機械でどこかと連絡を行い、それが終わると龍仁達の方へと駆け寄ってくる。
「桐原龍仁様とそのご友人の方々ですね」
「は、はい」
身長2mはありそうな巨体に、筋骨隆々の体。素手で熊を殺せそうなほどに鍛え上げられた肉体を持ったその衛士は、その威圧感とは裏腹に人の良さそうな笑みを浮かべる。
龍仁は「この人の顔、どっかで見たような?」と首を傾げる。
「お待ちしておりました。中で陛下がお待ちです。私がご案内いたします」
そう言って衛士が合図をすると、ゆっくりと門が開かれる。
本当に映画の中の世界に来てしまったかのような感覚に陥る。
そして、門が開き終わると、衛士は「どうぞ、お進みください」と言った。
「あ、申し遅れました。私、近衛兵長を務めますバーニー・クロフォードと申します」
「クロフォード?もしかして、オリバーさんの?」
「おや、兄をご存じでしたか」
ノーマンがそう言うと、バーニーは少し驚いたような表情をする。
「はい、友人の家で働いているので。顔もそっくりで名前もそうだったから、もしかしたらと思って」
オリバー?と龍仁は一瞬考えたが、すぐに思い出した。
ヨルクの家のメイドがそんな名前であった。
そして、彼の顔に見覚えがあったのも、ベルファストから見せられたメイドの顔とそっくりであったからだ。
どうやら、彼の名前はオリバー・クロフォードというようであった。
「兄を見て驚いたでしょう。こんなメイドがいるのか、と」
「はい、正直」
正直に答えるノーマンだったが、バーニーは気を悪くした様子もなく笑う。
「……ねぇ、龍仁。ヨルクの家にメイドさんが来たのは知ってるけど、そんなにインパクトある人だったの?」
「あぁ、今日ベルさんに写真でも見せてもらえ。驚くどころじゃ済まないから」
青葉と龍仁はコソコソと話をする。
「兄も私も、両親からはロイヤルの陸軍兵士となるように育てられました。陸軍兵士となり、ロイヤルを守ることこそが最大の誉れであると。私はその言葉を信じて道を進みましたが、兄は違いました。心が誰よりも優しく、誰かのために尽くしたいという気持ちの強かった兄は、陸軍士官学校を主席で卒業しながらも、自ら進んでメイドの道を進みました」
「……陸軍士官学校を主席卒業って、それとんでもないエリートなんじゃ」
「えぇ、兄は私なんかよりも遥かに強く、そして優秀でした」
「ちなみに、バーニーさんの階級は……」
「私は中佐ですね」
「バーニーさんもエリート中のエリートじゃないですか……」
バーニーもかなり優秀な人物であるようだった。
「そんなこともあって、両親は兄が陸軍の幹部として活躍することを疑わなかったのですが……それだけにメイドの道を目指すと聞いた時には激怒していました。ですが、兄も一歩も引かず……その結果兄は家から勘当され、縁も切られてしまいました」
誰もが「うん、だろうね」と思ったのだが、エリート確実の道と親との縁を捨ててまで、人のために尽くしたいという気持ちを貫き通したオリバーに、一種の感動も覚えていた。
「それからは大変だったはずです。そもそも男性がメイドになるのです。受け入れられない人もいれば、奇異の目で見る人も多かったはずです。それでも兄は努力をし続け、そして王室にも認められる立派なメイドになりました」
「バーニーさんはオリバーさんのことをどう思ってるの?」
「そうですね。最初は確かに戸惑いました。ですが、誰かのために尽くすという道の方が兄には合っていたでしょうし、どんな困難にも挫けずに、自分の道を貫き通した兄を私は誰よりも尊敬していますよ」
青葉の質問に答えるバーニー。その眩しい笑顔からは、兄オリバーを誰よりも尊敬しているという気持ちが伝わってくる。
「ですから、今でも兄とは連絡を取り合っています。本当は両親から兄との連絡を禁止されているんですけどね。私にとっては唯一の兄弟です。どうしても、つながりを残しておきたくて……ヨルク様には感謝しているのです。ヨルク様の家に雇っていただいた時の兄の喜びようといったら……聞いているこちらが嬉しくなるほどでしたから」
「……この話、ヨルクが聞いたら葛藤で苦しみそうだな」
「あぁ。追い出そうと思う度に良心の呵責に悩まされるだろうよ」
龍仁とノーマンは、この場にヨルクがいなくてよかったとホッとした。
「そういえば、そのヨルク様は今日は一緒ではないのでしょうか?」
「あ、はい。どうしても逃げられない用事があるとかで」
「そうでしたか……直接お会いしてお礼をしたかったのですが……残念です。……っと、話し込んでしまいましたね。そろそろ行かないと、陛下に叱られてしまいますね。行きましょうか」
「はい」
バーニーに案内されながら、一行は屋敷の方へと向かっていった。
「ありがとう、バーニー。下がっていいわよ」
「はっ!」
エリザベスにそう言われ、バーニーは龍仁達に一礼してから持ち場へと戻っていった。
「……分かってたけど、中に入ると改めて凄いと思っちゃうな」
屋敷に入ってすぐのエントランスホール。
城どころか王宮を思わせるような、豪華で広々とした空間に、一同は息を呑む。
「私はもっと小さくて地味でいいって言ったのだけど、『ロイヤルネイビーの威信に関わる』とかで結局こんなバカデカい建物になっちゃったのよね。正直、広すぎて不便だから困ってるのよ」
「はえー……エリザベスさんはここに住んでるのかぁ」
「私だけじゃなくてメイドや他の職員も一緒に住んでるわ。正直、屋敷内で対立するのはやめてほしいのだけどね。ギスギスした雰囲気になるから」
「ギスギスした雰囲気?」
「えぇ、ここにはロイヤルの海軍と陸軍の兵士も滞在しているのよ。昔っからロイヤルの海軍と陸軍は仲が悪くてね。建物の東と西で区画分けはしたのだけど、どうしても鉢合わせすることもあって、その度にトラブルが起きるのよ」
「そういえばバーニーさんも陸軍だって言ってたね。エリザベスさんの警護なら普通海軍がやりそうなものだけど……」
「そこも色々あるのよ。バーニーは海軍陸軍とか気にしない人だから安心して任せられるけど……だからこそ両軍のいさかいには彼も頭を抱えてるのよ」
「なるほど……」
そこはロイヤル国内の複雑な事情があるのだろう。
さすがにそんなところまでは龍仁達も口出しはできなかった。
「ま、そんな話は置いといて、さっそく行きましょ」
「え、屋敷探索とかさせてくれないの?」
青葉がそう言うと、エリザベスは「気持ちは分かるけど」と苦笑いした。
「これでも屋敷内にはロイヤルの機密情報とか保管されているし、さっきも言ったように海軍と陸軍の区画もあったりするから、正直なところ私自身も自由に歩き回れるわけじゃないのよ。それに、もしも探索できたとしても、1日2日じゃ終わらないわ」
「そっか、残念」
それを聞いて青葉も大人しく諦めた。
フィーゼがいればもっと大喜びしたのだろうが、今日は初等部の遠足の日であり、フィーゼは今遠足の真っ最中である。フィーゼ自身も、龍仁が出かける時は楽しみであるような残念であるような、そんな表情をしていた。
「それじゃ、改めて行きましょ」
「では、こちらです」
ベルファストに案内されて、一行はとある部屋へと向かっていった。
「さぁ、こちらです」
ある部屋の前でベルファストが立ち止まる。
一行(主に女性陣)はゴクリと息を呑む。
「じゃ、入って入って」
エリザベスが扉を開けて中へと入る。
そして一行もそれに続くと――
「わぁ……!」
そこはドレッシングルーム。いわゆる更衣室である。
……なのだが、その広さが尋常ではない。
辺り一面に目が眩むほどの服が並べられてあり、それでもなおスペースが有り余っている。そして、着替えを手伝うためなのだろうか。数人のメイドが室内では待機していた。
そして目的の物――女性用の水着もずらっと並べられてある。パッと見ただけでも3桁ぐらいの種類がありそうだ。
「すっごーい!ここ、本当に更衣室?」
「えぇ、そうよ。更衣室というよりも、服の保管場所みたいになっているけど」
「凄いわね……どれもロイヤルの高級メーカーの服ばかりだわ」
「な、何かここにいるだけで頭がクラクラしてくる……」
「私も……」
庶民生活とはあまりにもかけ離れた空間に、女性陣のテンションが高くなる。
「水着もたくさんあるね」
「えぇ、ロイヤルの誇るメーカーの水着よ。今日は好きなだけ選んでちょうだい」
エリザベスは水着の話題が出た日に、すぐに本国のロイヤルネイビー御用達の店に連絡をした。そして水着の試着用サンプルを送ってもらったのだった。
「すっごい……こんな高級品を着られるなんて、夢みたい……」
「さすがにレンタルだけどね」
「それでも十分よ。いい思い出にはなるわ」
ヒッパーも目を輝かせて水着一着一着を見ていた。
「凄いな、ここ……」
「陛下が着用されるロイヤルの正装の中には、複数人の手が必要なものもありますので。そういったものに対応できるよう、広く作ってあります。時間がかかる場合もありますので、その場合は途中で休憩も必要になりますから、そのための空間も確保しないといけないという事情もあります」
「そうなのか」
ロイヤルの貴族というのは大変なのだな、と改めて龍仁は実感した一方で、自分もその貴族であるという実感からは遠ざかっていく。
「どうした、龍仁。そんな難しい顔をして」
「ん?あ、いや……ちょっと思うところがあって」
「思うところ?……あぁ、もしかして?」
何かを察したノーマンに、龍仁は頷く。
龍仁はノーマンだけには自分の境遇のことを伝えてあった。
あまり言い触らすような内容ではないのだが、万が一の時に知っている人がいた方がいいというベルファストの提案で、知っている中では一番口が堅く、生徒会という重要な立場にもいて、なおかつそのことを知っていても特に気にしなさそうなノーマンに伝えることにしたのだった。
聞いた時には驚いたような表情を見せたノーマンだったのだが、「そうか」とだけ言ってその話を受け入れてくれて、そして龍仁との約束通り秘密にしてくれている。
「こうやって本場の貴族の生活を見ちゃうと、本当に俺の家ってそうなのかなって、どうしても疑っちゃうんだよな」
「ま、気持ちは分かる。たぶん、俺が龍仁でもそう思う」
だけど、とノーマンは続けた。
「それで不便とか無いんだろ?」
「あぁ、もちろん」
「なら、それでいいじゃないか。気にしたところで変わるわけでもないんだし」
「そうなんだけどさ」
龍仁は苦笑いを浮かべる。
ノーマンの言う通り、気にしたからといって何かが変わるわけではないのだが、それでも気になってしまうのが難しいところである。
「ま、ゆっくり考えな。こればっかりは俺が何か言って解決するものでもないし、だからといって龍仁が自分で考えてどうにかなるもんでもない。解決してくれるのは時間だけさ」
「……そうだな。ありがとう、ノーマン」
「どういたしまして」
ノーマンの人気は顔だけじゃなく、こういった心遣いの部分も多いんだろうな、と龍仁は改めてそう思った。
「ベルさん。そういえば、今日はフッドさんとアーク・ロイヤルさんは?」
「あ、そうそう。実は俺、その2人に会えるかなって楽しみだったんだよ」
意外とミーハーな部分もあるノーマンは、昔からフッドとアーク・ロイヤルの大ファンであり、龍仁から2人の話を聞いた時は珍しく大興奮していた。
「フッド様とアーク・ロイヤル様は、今日はアズールレーン重桜支部のご視察がありまして……おそらく、戻られるのは夜中になりますね」
「そっか……じゃあ今日は会えそうにないな」
ノーマンはしょんぼりと肩を落とす。
こういったノーマンは中々見ることができないからレアな光景である。
「ま、フッドさんとアーク・ロイヤルさんには遊びにこいって言われてるし。その時はノーマンも誘うからさ」
「マジだな!約束だからな!」
ノーマンは目をキラキラさせながら龍仁の手を握る。
やはり今日のノーマンはレアである。
「龍仁、何の話してるの?」
「んー?水着が楽しみだなって話」
「だってさ、クリーブランドさん」
「な、何でそこで私に振るんだ!?」
「ま、それはいいとして。その、そろそろ試着してみたいんだけど」
青葉達は少し顔を赤くしながら龍仁とノーマンを見る。
少しキョトンとする2人だったが、すぐに気付いて「あ、ごめん!」と言ってドレッシングルームを出た。さすがに着替えを見るわけにはいかないだろう。
「つい話に夢中になってたな」
「そうだな」
「龍仁様とノーマン様はあちらです。私は陛下のお手伝いをしますので……ケント、案内を」
「分かった、ベルファストさん!」
ケントと呼ばれたメイドがどこからともなく現れる。
「くれぐれも失礼のないようにお願いしますよ」
「分かってるよ。それじゃ、2人ともついてきて!ちょっと歩くからね」
ケントはそう言うと意気揚々と歩き出した。
2人は「元気な子だなぁ」と思いながら彼女の後をついて行く。
しばらく歩いていると、ケントがこちらを振り返る。
「そういえば、君が龍仁だよね?」
「そうだけど……」
「……あ、龍仁様って呼ばないといけないんだっけ。あっちゃー、やっちゃった……」
「いや、龍仁でいいよ。様付けって正直慣れないからさ……」
「OK。ありがと!ふーん、写真で見るよりもいい感じだね!」
「いい感じ?ってか、写真って?」
「あれ?ベルファストさんから聞いてない?志願したメイドのこと。みんな、龍仁の写真見て気に入って、龍仁のメイドに志願したんだよ。もちろん、私もその1人!まぁ、その座はシリアスが持ってっちゃったんだけどね」
ベルファストから、結構な人数のメイドが志願したという話は聞いた。シリアスもそうだったが、ケントもかなりの美少女である。そんな子達から気に入られて志願されるというのは、気恥ずかしいが悪い気はしなかった。
「ノーマンも募集してみたらどうだ?俺でこれなら、お前の顔だったらより取り見取りじゃないか?」
「うーん、メイドかぁ……確かに憧れるけどな」
「ノーマンっていうんだね、君。うん、ノーマンも募集かけてみたら人が集まるかもね」
「ちなみにケントさんはどうだ?ノーマンのメイド」
「そうだね……私は龍仁の方がタイプだから、もしも龍仁のメイドが必要になった時のために空けておくかな」
「そ、そっか?」
龍仁は照れ隠しで頭をかく。
横ではノーマンが「良かったじゃないか」と肘で龍仁をつついていた。
「っと、着いたね」
話しているうちに、目的の部屋に到着した。
中に入ると、先ほどの部屋ほどではないが、かなり広い部屋だった。
ちゃんと個室も用意されている。
「……男性用の水着も揃ってるんだな」
「別に俺らは持ってるやつでいいんだけどな」
「だよなぁ」
「ダメダメ、2人とも!男の子でもオシャレはしなきゃ。女の子は意外と男の子の水着を見てるんだよ?」
「そういうもんなのか?」
「そういうものだよ」
龍仁は昔青葉から「水着、地味過ぎない?」と言われたことを思い出した。
ケントの言う通り、男子の水着も見られているようだ。
「ま、どうせ女性陣は時間かかるだろうし。俺達も見るだけ見てみようぜ」
「そうだな」
そう言って2人は水着を見ていく。
色んな形、様々なデザインの水着があって、意外と見ていて楽しい。
何だかんだで2人とも水着選びを楽しんでおり、女性陣が大はしゃぎする理由が何となく分かった気がした。
「龍仁、ノーマン、水着着用の手伝いいる?」
ガチャっと扉を開けてケントが入ってくる。
「いや、さすがにいらないよ。1人でできるし、そもそも見られるの恥ずかしいし」
「恥ずかしがらなくていいよ。男の人の着替えなんて嫌というほど見てるし」
「俺達が恥ずかしいんだって」
「ふふふー、そこまで恥ずかしがられると是非とも見たくなっちゃうよ」
「ノーマン、その個室って鍵ついてる?」
「あぁ、バッチリ」
「ちぇっ、そこはベルファストさんも抜かりなかったかー」
恐らくケントみたいな好奇心旺盛なメイドは他にもいるのだろう。
だから、余計なことができないように、ベルファストは男性用ドレッシングルームの個室にちゃんと鍵を備え付けたのだろう。その判断が正しかったのは、目の前にいるケントを見れば明らかだった。
「仕方ないな。それじゃ、水着決めて着替え終わったら呼んでね!」
「ん?呼んでって、何かあるのか?」
「うん、ここにあるのはあくまで試着用のサンプルだからね。採寸してデータを本国に送って、それで龍仁とノーマンにぴったりの水着を用意しないといけないから。そのために」
「なるほど」
「それじゃ、着替え終わったら教えてね!」
そう言ってケントは部屋を後にした。
「それじゃ、せっかくだから選ぶか」
「そうだな」
そう言って2人は水着選びを再開した。
選んでから10分ほど経った頃――
「こんなもんかな。ノーマンは?」
「俺も選んだぞ」
そう言って2人は個室から出てくる。
「お、龍仁はそれにしたのか」
龍仁の選んだ水着は、少し大きさの余裕のあるサーフパンツで、紺色を基調とし両側には黄色のラインが入っているデザインで、シンプルながらも「カッコイイ」と思えるような水着であった。
「あぁ、最初に見つけて思わずカッコいいって思っちゃってな」
「分かる。俺もそれにしようかなってちょっと悩んだし」
「そういうお前はそれにしたんだな」
ノーマンも龍仁と同じサーフパンツ型の水着を選んだ。だが、ノーマンの水着はシンプルなデザインの龍仁の水着とは真逆で、まるで南国を思わせるような派手な色合いの水着だった。これでサングラスでもかけていようものならチャラ男にでも見えそうなのだが、ノーマンが着ると見た目の派手さとは裏腹に落ち着いた雰囲気に見えるから不思議である。
「ちょっと派手かなって思ったんだけど、せっかくだからこういうのも着てみたくてな」
普段は「大人しい優等生」と周囲から思われているノーマン。そんな彼も、こういう時ぐらいははっちゃけてみたいようである。
「良いと思うぞ。あとはオイゲンさんがどう思うかだな」
「ははっ、オイゲンなら気に入ってくれるさ」
そう断言できる仲の良さが龍仁には羨ましかった。
その時、部屋の扉がノックされた。
『龍仁、ノーマン。着替え終わった?』
ケントの声だった。そろそろ終わる頃だろうと思って声をかけてきたのだろう。
「あぁ、終わったから入っていいぞ」
龍仁がそう言うと、ケントが「失礼しまーす」と言いながら入ってきた。
「それで、どんな水着を……」
ケントは龍仁とノーマンを見るとピタッと固まった。
彼女の目に映るのは、龍仁とノーマンの、鍛え上げられていながらもスラッとした細身の綺麗な筋肉。まるで古代ロイヤルで製作された彫刻を思わせるような、美しい筋肉がそこにはあった。
「……Oh、Good」
そう言ってケントは鼻血を噴き出し、倒れてしまった。
どうやらお年頃の彼女には刺激が強すぎたらしい。
「ちょ、ちょっと!?ケントさん?」
「2人のドスケベボディでケント選手、敗退になっちゃった……」
「そんなこと言ってる場合か!?ちょっ、血が止まらん!誰か、誰かいないですか!?」
その後、騒ぎを聞きつけたメイドが数人来たのだが、そのうちの何人かもケントと同じように鼻血を噴き出して倒れてしまった。結局、ベルファストが駆け付けるまでその騒ぎは続いたという。
そして、目を覚ましたケントが「あまりにも馴れ馴れしすぎる」とベルファストに叱られたのは言うまでもない。
一方その頃――
「うわー、この水着見て!すっごい布地が少ないよ!」
「な、何なんだ、この水着……」
「クリーブランドさん、この水着着たら龍仁もイチコロなんじゃない?」
「……き、着ないからな!絶対着ないからな、こんな水着!」
「今一瞬考えたね。……オイゲンさん、また大きくなった?」
「えぇ、おかげで学校指定の水着も買い換えないといけなくて、大変だったわ」
「私も多少は成長したけど、さすがに買い換えは必要なかったなぁ」
「私も……どうやったらそんなに大きくなるんだろう……」
「そうね、私にもちょっと分からないわ」
「……」
「大丈夫よ、姉さん。姉さんも少しは……ごめんなさい」
「そこで謝られるとすっごい腹立つのだけど、オイゲン」
「ねぇ、ベル。あの子達って私と同い年よね?なんでこんなに格差があるのかしら……」
「KAN-SENとはそういうものですよ、陛下。とはいえ、オリジナルではない陛下であれば、多少の成長はするはずなのですが……どうです、ここにパッドというものがあるのですが」
「それを使ったら敗北宣言したような気がするから絶対に使わないわ」
「な、なぁ、青葉。この水着どうかな。すごい良い水着だと思う怨だけど」
「うん、クリーブランドさんは大人しくしといて。私が真面目に選んであげるから」
「そ、そんな残念な人を見るような目で見なくてもいいじゃないか!」
女性陣の部屋は賑やかであった。
「はぁ、何か疲れた……」
「あ、あはは、ごめんね、龍仁様」
龍仁はケントを連れながら屋敷の庭を歩いていた。
ベルファストに散々叱られたためか、口調自体はそこまで変わらないものの、呼び方は「龍仁様」に変わっていた。龍仁も気にしないとは言ったのだが、メイドとしてちゃんと線引きは必要と、ベルファストもそこは譲らなかったのだ。
先ほど採寸も終わり、まだ女性陣の方は時間がかかりそうということだったので、龍仁は時間潰しのために散歩をしている最中だった。ケントを連れていくのなら、庭園エリアぐらいなら自由に散策していいという許可も得ていた。
ノーマンの方は屋敷の中に図書館があると聞いて、そちらに向かった。なんでも、ロイヤルの古典などが好きらしく、そういうのがあれば見たいということだった。
「着替えは見慣れてるんじゃなかったのか?」
「いやぁ、あそこまで見事な肉体は中々見ないから。思わず……」
先ほど見た龍仁達の体を思い出したのか、ケントは頬を赤らめる。
「シリアスは龍仁様の体を毎日のように見てるの?」
「いや、風呂も着替えも自分でやってるから、シリアスには見せてないな」
「そうなんだね。いやー、それなら良かった!」
「良かったって、何が?」
「シリアスがそんな美味しい思いしてたら、絶対羨ましくて大声出しそうだし」
ケントのいい笑顔を見て、一回だけシリアスと風呂に入ったことがあるというのは黙っておこうと心に決めた。間違いなくケントの大声で人が集まる。
「にしても、凄い庭だな……屋敷の方も凄かったけど」
「うん、ロイヤル王室お抱えの庭師も連れてきて整備してもらってるからね。あと、あっちの方には森林エリアもあるよ」
「あ、林があるって思ったのは見間違いじゃなかったのか。もっとデカかったけど」
「どうする?行ってみる?」
「いや、また時間ある時にするよ。今日中には絶対無理だ」
「え、じゃあまた遊びに来てくれるの?」
「あぁ、一応誘われてるからな」
「やったぁ!」
ケントはピョンピョン飛び跳ねて喜ぶ。
ここまで喜ばれると龍仁も気恥ずかしくなってくる。
「……ん?」
「どうしたの、龍仁様」
「いや、あそこ……誰か倒れてないか?」
そう言って龍仁は一本の木に駆け寄る。
その木の根元に誰かが倒れているのが見えた。
「……えっと、女の子?」
倒れている人のところに駆け寄ると、そこにはオレンジ色の髪をした女の子が倒れていた。倒れていた、というよりはすやすやと気持ちよさそうに寝ていた。
「あ、フォックスハウンドちゃん。またこんなところで寝て」
ケントが「もー」と言いながら女の子に駆け寄る。
「フォックスハウンドっていうのか、この子」
「うん、ロイヤルネイビーの……何ていえばいいんだろう。マスコット?ペット?そんな感じの子」
「ぺ、ペット……?」
「はい?」という表情をする龍仁をよそに、ケントはフォックスハウンドを起こそうとする。
「ほら、フォックスハウンドちゃん。こんなところで寝てると風邪引くよ」
「んー、あと5分……」
「なんてベタな……」
「むー、この子寝ちゃうと中々起きないんだよね……」
フォックスハウンドは「むにゃむにゃ」と言いながら寝ている。
あまりにも幸せそうな寝顔に、思わず起こすのを躊躇ってしまうほどである。
「……ん?」
その時、フォックスハウンドが目を開ける。
まだ眠たそうではあるが、キョロキョロと周囲を見回している。
「あれ、珍しいね、フォックスハウンドちゃん。自分から起きるって」
「んー、ケント?なんか良い匂いがして、目が覚めちゃった」
「良い匂い?」
「……あ、この人からだ」
フォックスハウンドは龍仁を見つけるとクンクンと匂いを嗅ぎ、そしてそのままギューッと抱き着いてきた。最初は分からなかったが、このフォックスハウンドという少女、見た目以上に発育が良かった。押し付けられる柔らかい胸に、龍仁は思わず硬直する。
「んー、なんか安心する」
「え、ちょっ!?え?」
困惑する龍仁に、ケントは「おー」と驚いたような声を上げる。
「珍しいね、フォックスハウンドちゃんが初見でここまで懐くなんて。この子、知らない人にはあんまり懐かないんだよね。これでも人見知り激しいから」
「そ、そうなんだな」
そう言う龍仁ではあるが、フォックスハウンドのせいでほとんど話が耳に入らなかった。
「……ん?そういえば、君誰?」
やっと頭がハッキリしてきたのだろうか。龍仁の顔を見上げ、そしてちょこんと首を傾げる。まるで子犬のような仕草で、正直龍仁もキュンとなった。
「えっと、桐原龍仁だ」
「キリハラタツヒト?なんかどっかで聞いたような気が……」
うーん、と考え込むフォックスハウンド。
だったが、すぐに考えるのをやめて龍仁の胸に頭を擦り付ける。
「なんか気持ちいいからいいや」
付いていないはずの尻尾がパタパタ動いているのが見える。
龍仁は戸惑いながらケントに視線を送る。
ケントは「好きにさせてあげて」とアイコンタクトを送るのだった。
「じゃあ、君が陛下の言ってたフィアンセ?」
「外堀埋めに来てるな、アイツ」
5分ほど好きにさせたら満足したのか、フォックスハウンドはようやく龍仁から離れて、彼の話を聞いてくれた。
「昔の友達だ。フィアンセ云々はエリーが勝手に言ってることだ」
「ふーん?」
フォックスハウンドは「よく分かんない」といった様子で首を傾げる。
どう見ても小動物的な仕草で、ケントが「ペット」と言った理由が、龍仁にも何となく分かった気がした。フォックスハウンドのような性格の子犬がいれば、龍仁は迷わずペットにしたいと思うだろう。
「で、フォックスハウンドは何でこんなところで寝てたんだ?」
「ここ、僕のお気に入りのお昼寝スポットなんだ!芝生も柔らかくて、ちょうどいい感じに風も吹いてくるか、すぐにふわ~って眠くなるんだよ!」
よほどお気に入りの場所なのか、フォックスハウンドは興奮したようにそう言った。
「ね、ね!一緒に寝ようよ!すっごく気持ちいいから!」
「ちょっ、引っ張らないで!」
「そうだよ、フォックスハウンドちゃん。龍仁様、あんまり時間無いんだから」
「え、そうなの?」
「……あ、ホントだ。約束の時間まであと10分ぐらいしかないな」
「そういうこと」
「そんなぁ……」
シュンと落ち込むフォックスハウンドに、龍仁は罪悪感で胸が痛むのを感じた。
思わず「一緒に寝よう!」と口に出してしまいそうになるが、なんとか堪える。
「凄い懐かれてるね、龍仁様」
「なぁ、この子ホントに人見知り激しいのか?凄く人懐っこい子にしか見えないんだが」
「私もこんなフォックスハウンドちゃん見たの初めてだから……」
「うーん、龍仁様からは怖い感じが全然しないし、何かこう、安心するような良い匂いがするから、なんだか甘えたくなっちゃう」
「匂い?」
何か匂うか?と龍仁は自分の匂いを嗅ぐ。特にきつい匂いはしない。
「なんも匂わないと思うが……匂わないよな?」
「うん、特には」
不安になってケントに聞くが、ケントも特には何も感じないようだ。
「そんなことないよ。こう、懐かしいような暖かいような、そんな匂いがするよ!」
だが、フォックスハウンドは何かを感じるようで、それを確かめるかのように、また龍仁の胸に飛び込んでくる。
「うん、やっぱり良い匂いがする」
甘え方が完全に子犬のそれなので、龍仁も彼女にくっつかれるのもあまり気にならなくなっていた。見た目の割には発育の良い胸はどうしても気になってしまうが。
「龍仁様はいますか?」
その時、ベルファストの声が聞こえてきた。
時計を見るとそろそろ約束の時間。どうやら迎えに来てくれたようだ。
「あぁ、こっちだ」
「あら、そこに……フォックスハウンド?」
龍仁にベタベタ甘えるフォックスハウンドを見て、ベルファストは目を丸くする。
「……なんか、懐かれちゃったみたいで」
龍仁は苦笑いをしながらそう言った。
「あ、ベルファスト様、こんにちは」
「こんにちは、フォックスハウンド。甘えるのはいいですが、あまり龍仁様に迷惑をかけてはいけませんよ。まだ私達にとっては客人なのですから」
「まだ」をやたら強調された気がするが、龍仁は気にしないことにした。
「えー、こんなに気持ちいいのに」
「フォックスハウンド?」
「……はい」
ベルファストには弱いのだろうか。
フォックスハウンドはシュンとなりながらも大人しく龍仁から離れた。
「申し訳ありません、龍仁様」
「いや、俺も迷惑だとは思ってないから、気にしないで」
龍仁はチラッとフォックスハウンドを見る。
彼女はまだ小さく落ち込んでしまっている。
「……いつになるかは分からないけど、また遊びに来た時に一緒にお昼寝しような」
龍仁がそう言うとフォックスハウンドはパァッと目を輝かせた。
「本当!?」
「あぁ、本当だ」
「約束だよ、約束だからね!」
龍仁は頷いてフォックスハウンドの頭を撫でる。
そして、ベルファストの後に続いてみんなが待つ場所へと向かった。
エントランスホールに入ると、既に龍仁以外の全員が揃っていた。
「遅かったわね、龍仁」
「あぁ、ちょっと色々あってな」
「もしかして、また女の子と仲良くなった?」
「……」
「え、マジで?」
「ちょっと、龍仁?」
エリザベスにジーッと睨まれ、龍仁はベルファストとケントに助けを求める。
2人は、中庭で龍仁がフォックスハウンドに懐かれたという話をそのままエリザベス達に聞かせた。それを聞いてエリザベスも少し驚いたような表情を見せる。
「へぇ、あのフォックスハウンドが初対面の人に懐くなんて」
「やっぱり人見知り激しいのか?」
「えぇ。少なくとも、初対面の相手に甘えることはまずないわ」
「そうなのか……」
「ま、あの子は子犬みたいなものだから、それなら問題はないわね」
やはりマスコットかペットとして認識されているようだ。
相手がフォックスハウンドと聞いてエリザベスも安心したようである。
「それで、みんなは水着選んだのか?」
「えぇ、ばっちり」
「私は自分で選ばせてもらえなかった……」
「だってクリーブランドさん、明らかに『これはない』ってデザインの水着ばっかり選ぶんだもん。さすがの私も真面目にクリーブランドさんの分を見繕ったよ」
「うん、クリーブはだろうな。ありがとうな、青葉」
龍仁もクリーブランドのセンスの悪さを知っているので、青葉に素直にお礼をした。
「オイゲンの水着、見るの楽しみだな」
「私も、ノーマンの水着を見るのワクワクしてるわ」
ノーマンとオイゲンは既に2人だけの世界に入っていた。
いつものことなので一行は気にしないことにしていた。
「……」
「ヒッパーさん、今『ヨルク、この水着気に入ってくれるかしら?』って考えてるね?」
「んなっ!?」
ヒッパーは驚いたような声を上げる。
「な、ななな何を言ってるのよ、青葉!そんなことあるわけないじゃない!」
否定するヒッパーなのだが、その表情は明らかに図星を突かれた時の表情である。
青葉だけでなく、龍仁達もそれが分かったので生暖かい表情でヒッパーを見る。
「だ、だいたい私はヨルクと一緒にプールに行くなんて一言も言ってなくて、その、どうしてもアイツが見たいっていうなら見せてあげてもいいけど、別にそういうつもりで選んでたわけじゃ――」
「それで、龍仁。私達の水着姿見たい?」
テンプレートのようなツンデレセリフを青葉は華麗にスルーした。
後ろでヒッパーが何かを言っていたが、特に気にした様子もなく青葉は話を続ける。
「そうだな。見せてもらえるなら見たいな」
「ふっふーん、でしょでしょ?でも、それはプール行った時のお楽しみってことで」
「水着届くの、まだ先になるみたいだしね」
「早くこの私の高貴な水着姿を龍仁に披露するのが楽しみだわ!」
(ちなみに、エリザベスさんのはどう見ても子供用の水着だったよ。浮き輪が似合いそうな)
(それ、本人の前では絶対言うなよ、青葉)
「それじゃ、また月曜日にね」
屋敷の門。
そこまでエリザベス達は見送りに来た。
見送りをするメイドの中にはケントもおり、そしてついでに途中で合流したフォックスハウンドも見送りの姿の中にはあった。
「えぇ、また。水着が届き次第プールに行くわよ!」
「水着が届くのっていつ頃になる?」
「どれくらいかしら、ベル」
「そうですね……恐らく、再来週辺りかと」
「再来週か……それじゃあ、届いてすぐにプールってのは無理そうだね」
「え、どうして?」
龍仁達は「そうだったな」と少し暗い顔をするが、エリザベスだけは何か分かっていないようだった。
「陛下、再来週からはテスト期間に入ります。さすがにその間は勉強を優先させるべきかと」
「あ……そういえばそうだったわね。浮かれすぎてて忘れてたわ……」
テストのことを思い出したようで、エリザベスはガックリ肩を落とす。
「……でも、終わったら遊びに行けるのよね?」
「えぇ、もちろん」
「それなら、全力で頑張るわよ!」
テスト後の楽しみができたということで、エリザベスの闘志に火が付いたようだ。
龍仁達も、「テスト後に遊びに行けるなら」とモチベーションは高くなった。
「それじゃ、帰るぞ」
「また月曜日ね」
「えぇ、またね」
「龍仁様ー!また今度一緒にお昼寝しようね!」
フォックスハウンドがピョンピョン跳ねながら大声でそう言った。
「……一緒にお昼寝?」
「よし、お前らさっさと帰るぞ!」
「あ、コラ!待ちなさい!」
エリザベスの怒声から逃げるように龍仁は走り出す。
その後の帰り道、お昼寝のことについて青葉に散々聞かれる羽目となるのだった。
鉄血のとある一軒家。
その家の中で「彼女」はゆっくりくつろいでいた。
「……む?」
その時、家中にチャイムが鳴り響く。
客人の予定は無かったはず、と思いながらも「彼女」は玄関へと向かう。
「誰だ?」
『私だよ、私』
聞き慣れた声に、「彼女」は安心して扉を開ける。
「『青葉』か。どうしたのだ」
玄関の前に立っていたのは「青葉」。「彼女」のかつての戦友である。
「お手紙だよ、ほら」
そう言って「青葉」は「彼女」に手紙を渡す。差出人は「フッド」として「アーク・ロイヤル」であった。
「む、珍しいな。こんな時期に手紙をよこすとは」
「面白いことがあったんだってさ。というか、そろそろみんなに連絡先教えた方がいいんじゃない?私を経由して手紙のやり取りするのって、面倒臭くない?」
「我もそう思うのだが……まだ心の整理ができなくてな。まだ、1人でいたいのだ」
そう言って「彼女」は悲しげに笑う。「かのじょ」がこうしている理由は「青葉」も知っていたため、それ以上は何も言えなかった。
「それで、面白いこととは?」
「あ、そうそう。とりあえず読んでみてよ」
「彼女」は封を開け、そして手紙を読む。
そこには、「フッド」と「アーク・ロイヤル」は今重桜にいること、かつての指揮官の墓参りを済ませたこと。そして、指揮官の血縁者と顔合わせしたことなどが書かれていた。
「指揮官の……そうか、あの2人は前に進もうとしているのだな……」
「彼女」は手紙を羨ましそうな眼をしながら読み進めていく。
「……ん?」
ふと、あるところに彼女の目が留まる。
「……フィーゼ?」
「あ、そうそう。そこそこ、面白いところ。なんでも、指揮官の……えーっと、何孫になるんだろ?とにかく、子孫の子がZ46にフィーゼって名前を付けたんだってさ」
「ほう、それは興味深い……『青葉』」
「どうしたの?」
「今から『フッド』に手紙を書く。それを届けてくれるか?」
「いいけど、どうかしたの?」
「なに、我もそろそろ前に進む時だと思っただけだ」
そう言って「彼女」――グラーフ・ツェッペリンは笑うのだった。