その性質上、「Life goes on」のネタバレを多分に含みますので未プレイの方はご注意ください。
これはかの年の春先、世間を一時騒然とさせたあの事件の渦中に巻き込まれた私たち3人―――いや4人が共有した、ある忘れがたい経験に関する手記である。
当時のニュースを見た人間は誰しも驚いたことと思う。この爆破事件はたった一人の人間によって引き起こされたものでありながら、その動機の矮小さに反して甚大な被害をもたらした。
確かにあのパイプ爆弾による爆破そのものは、床や壁をはじめ、ショッピングウィンドウやその奥に居並ぶ商品、そして私たちの人体を、製作者の意図した通り効果的に破壊していった―――彼女を傷つけることが犯人の意思であったとは思いたくないが。だが、爆破そのものよりもむしろ、その後に連なるとある事件とその幕引きの方が、より一層大きく強く、私の心に痕跡を残した。その点については私以外の二人、山田嬢と神田青年もそう感じていることと思う。
ひとつ断っておきたい。
これら一連の出来事をひとつの物語とするならば、その主人公はこの手記を記す私ではなく、先に挙げた神田青年こと神田麗に他ならない。この朴訥とした人柄の青年の不器用に抱いた恋心こそがその行動の礎となり、そして彼自身をこの物語の主人公たらしめたのである。
ただ、あの出来事をひとつの『物語』であると、まるでフィクションの出来事のように語らう事は私の不遜であるかもしれず、主人公を名指しで決めつける行いは私の独善であるかもしれない。その判断は、畢竟この手記を読む諸兄に委ねられるべきものであろう。
であれば、私は早々に物語を始めなければならない。
この物語は、木漏れ日の揺蕩う昼下がりの公園にて、私がまだ新しいフリスビーを拾うところから始まる。
ポチ、ポチ、と犬を呼ばう青年の声は、すぐに手中の玩具と結びついた。
茂みの向こうから聞こえる声の持ち主は、きっとこのフリスビーを飼い犬が咥えて走ってくるのを待っているのだ。しかし、飼い犬は玩具を見失い、いつまで経っても現れない。そんなシーンが容易に想像出来た。
フリスビーだけでも持って行ってやろう、と茂みを掻き分けたところで、驚愕の籠った声が掛けられた。
「え……ぽ、ポチなのか?」
……確かに今の私は定職に就かぬ放浪者、TPOやドレスコードといった堅気の社会通念から離れ幾星霜、身綺麗とは言えぬ身なりかもしれぬ。かもしれぬが、初対面の人間と忠犬を見間違うとは一体どういった料簡か。
誰がポチか、と憤慨を露わにしてしかるべき場面であるが、しかし私はそれより先に目の前の青年の容姿に度肝を抜かれていた。
2mを上回るであろう長身。その身体に乗るのは誰の目にも明らかな異相だった。荒々しく彫刻されたような鼻筋に大きく張り出した額、まるで落ち窪んだように極端な奥目、無造作に伸ばした豊かな巻き毛は大きく日本人離れしている。だが厳つい顔つきとは裏腹に身体の線は意外なほど細く、後から気付いたことではあるが、奥目に隠れた小粒な瞳には小型の草食動物を思わせる繊細さがくりくりと宿っているのだ。
一度見たら忘れえぬ押し出しの強い容姿、そして誰よりも繊細な心を持つ神田麗と、自由人と自称することも憚られる中年放浪者である私こと菅沼三郎との、これが邂逅であった。
「いえ、ポチと違いますけど……」
言いたいことは山ほどあったのだが、あんぐりと口を開けた私にはそれだけを言うのが精一杯だった。
「あれ? あそこにいるのはポチ……じゃないですよね?」
口を開いたのは神田の隣にいた年若い女性だった。別段隠れていたわけでもないのだが、神田の余りに人目を引く容姿に意識が囚われていた為か、彼女の発する声を聞いてようやくその存在に気付く事ができた。
読者諸兄におかれては最早明らかな事と思うが、彼女が山田花子その人である。
女性にしてははっきりとした顎と眉のラインが意志の強さを表すかのよう、ゆったりとしたランニングウェアに身を包んでおり身体の線ははっきりとしないが、身体を鍛えた者に特有の動きの機敏さが、その所作の端々に現れている。
彼女の視線を追うと、確かに人懐こそうな大型犬が尻尾を振ってこちらを見ている。我々と目が合うと、軽くひと鳴きしてこちらに小走りに走ってくるではないか。恐らく純血のゴールデンレトリバーであろう。首輪を付けていることから飼い犬であると思われたが、リードは付けられていない。堂々たる体躯を柔らかな黄金色の長毛に包み、ヘッヘッと吐息と共に舌を垂らしたその表情は眩しいほど純粋な好奇心と好意を湛えていた。簡素ながら気品ある金属装飾を施した、純白の首輪が眩しい。愛くるしさを辺りに振りまくように、そのままレトリバーは我々3人それぞれの周りをグルグルと回りだした。
「めっちゃ懐いてるみたいですけど、この子がポチじゃないんですか?」
「いえ、うちのは柴犬でして……」
このように台詞だけ抜き出すとまるで面と向かって会話しているようであるが、その実、私はレトリバーを追い回しながらの会話である。これがまた楽しいのだ。小走りに追いかけてやると、いっそうスピードを上げて駆け出し、それでいて私たちの周りから遠くへ離れることはない。口角を更に上げたような表情で、長い舌をたなびかせて疾走するその様は、私の心を甘くかき乱し止むことはなかった。
「いや、可愛いですねえ」
ひとしきり追い掛け回した後、背を丸めて荒い息を忙しなく吐き出しながら、言い訳のようにそう口にした私を、二人は呆れ顔で見つめている。さもありなん。しかし、思いがけない闖入者(犬)が、奇妙な二人組との距離を縮めてくれたように感じる。そう感じるのは私だけかもしれないが。
「でも段々遠くへ行っちゃうみたい」と山田嬢。
「あ、でも止まってこっち見てる。誘ってるのかな?」
神田青年の言う様に、少し距離を置き首だけを向けてこちらを見つめる様は、何処かに誘っているようにも見えた。
「……一緒に行ってみますか?」
そっちに、ポチがいるのかも。およそ何の根拠もない当て推量、単なる思い付きだったが、恐る恐る提案した私に、2人はそれぞれの態度で頷いた。山田嬢は竹を縦にパカリと割ったような小気味良い返事を、そして神田青年は一泊遅れておずおずとどもるような返事を。
いみじくも彼の言葉は正鵠を射ていた。レトリバーはまさしく我々を何処かへと導いていた。先導し、我々の歩調に合わせ、そして時折振り返るのだった。まるで先導役として、ちゃんと着いてきているか、とでも問うように。
それは字義通りの先導であり、我々が共有する物語への導きでもあったのだ、と今になって思う。