問診やMRIをはじめとした検査を終えたところで「気分転換にロビーにでも行きませんか」と提案したのは山田嬢だった。
中身を失った抜け殻のように諾々と、言葉なく検査を受ける神田青年を見ていられなかったのだろう。
「そうだね……そう言えば、二人とも職場や家族に連絡はしなくていいの?」
「あ……」
「そうだ、ポチに餌やったか聞かなきゃ」とさすがに神田青年ものろのろと動き出した。
「僕は携帯を持ってないから、お先にロビーに行くよ。そこに公衆電話もあるだろうし」
「いやあ、めっちゃ質問攻めにされましたよ」
「僕も実家に掛けたら母親が出たんだけど、それはもう凄かった。何せあれだからね」
ロビーにて、頭を掻き掻きやってきた山田嬢に向かって、テレビ画面を指し示してやる。
画面に映るのはニュースの特番で、ショッピングモール爆破事件のあらまし、使用された爆弾、犯人像に犯行の背景、その他云々……と専門家やコメンテータが長々と解説している。ゲストのタレントが勝手な憶測や感想を述べるや、映像は生々しく破壊の痕が残る現場の様子に変わり、テレビの中の熱狂は果てることなく続いていた。
犯人。そう、この惨状を作り出した犯人は既に確保されていた。
秋葉原某というその名は、読者諸兄には既知のものであろうと思うし、その正体も予想は付いている事だろう。爆破後の不審な挙動からほぼ現行犯で捕まったその男こそ、昼下がりの公園で橘嬢にしつこく絡むことしきり、山田嬢に撃退された、あの小太りの不審者だった。
犯行の動機は、「邪魔者を消したかったから」だという。
「あの時、きっちり捕まえておくべきでした……」
心底からの後悔と罪悪感に、山田嬢は身を震わせていた。だが、あの時の彼女の行動には称賛こそあれ、詰られるべき何かがあったとは思わない。誰がこのような結果を予想できるだろうか。
「こいつが、ゆずかさんを……殺してやる……」
地の底から這い出るような声色で呟くのは、いつの間にかロビーに到着していた神田青年だった。幽鬼さながらの居姿と、奥目に暗く燃える憎しみが凄みを感じさせた。
殺す、という剣呑な言葉に山田嬢は一瞬咎めるような視線を向けたが、それはすぐに痛ましいものを見るような憐みの表情に変わった。
共にした時間は短かったとはいえ、彼が橘嬢に抱いた恋心は言葉にするまでもなく明らかだったからだ。
ふと、画面内の狂騒以外にも、辺りを騒がせている声があるのに気づいた。
ロビーにほど近い、受付の方からそれは聞こえた。
「お話だけでもいいんです」となにかをせがむ若い男と、あくまで穏便にだがはっきりと拒絶の返答を返す受付嬢の声である。
病院に似つかわしくない騒ぎを胡乱げに見やる我々の視線に思うところがあったのか、今の今まで執着していた受付嬢の前をあっさりと辞して、こちらへ向かって軽やかに歩を進めてくる。
困惑の声で制止する受付嬢に振り返り、「大丈夫! 大人しくしています。お話を聞くだけですから」と(何が大丈夫なのか分からないが)手にしたペンで念を押すかのような仕草だ。
「お騒がせして済みません。私、こういう者でして」
差し出しされた名刺には、「アトランチック平和堂出版 月間無有編集部 ライター」という肩書の下に「真矢文明」とあった。名の方はブンメイではなくフミアキと読むようだ。
聞いたこともない出版社だな、と私は訝しんだ。
細身の長身に白いワイシャツ、シンプルな柄のネクタイ、糊の効いたスラックスを着用し、短く刈った黒髪は所謂若手のビジネスマンスタイル。加えて切れ長の瞳が鋭角に整った容貌を引き立て、随分なハンサム振りである。にも関わらず、大仰な身振り口ぶりと軽薄な態度が第一印象を台無しにしている事に、彼自身気付いているのかどうか。
「うさん臭い名前だ……」と神田青年がささやき声で呟いた。
「記者さんですか」と興味深げに返す山田嬢に「良ければ一冊どうぞ」と真矢青年が真新しい雑誌を手渡した。表紙には大きく「月間無有」とある。発売日からして最新号なのだろう。その場でパラパラめくる山田嬢。後ろから私も記事の見出しをチェックする程度に読んでみると、
『UFOの発着場か? 南極に巨大ピラミッドを発見!!』
『富士の樹海に地底世界への入口が? 地底人と本社記者が接触!』
『九州の自身は中国の地震兵器の仕業? 科学的に検証する』
といった見出しがズラズラと並んでいた。
肩越しに、山田嬢の顔が引きつるのが分かった。私も多分同じ顔をしていたと思う。
「あ、そちらのお二方も如何ですか?」
私は丁寧に固辞し、黙って受け取った神田青年はそのまま病院のマガジンラックに突っ込んだ。真矢青年は気にした様子もなく、あまつさえ「実は私、調べ物をしていまして」としゃあしゃあと話を続ける始末である。我々のような反応には慣れっこなのか、それとも驚くべき精神の頑強さによるものか、いずれにせよこういった精神性の持ち主でなければ世の中の陰謀論をかき集めたようなトンデモ本の編集者は務まらぬのであろう。
「こんなロビーの中央では何ですから、こちらへ……」
今お話よろしいですか、の一言もなくロビーの隅へ連れて行かれ、場はすっかり彼のペースである。とはいえ、検査入院中で暇を持て余す身である、消極的ながらも話に付き合う流れになってしまった。
「皆さん、ドクター渡の陰謀をご存知ですか?」
声を潜めて語り出したのは、予想通り荒唐無稽な話であった。
曰く、この病院は宇宙人の秘密実験場で、渡医師は宇宙人である。
曰く、渡医師は地下でアンデッドの軍隊を編成し国家転覆を目論んでいる。
曰く、このような陰謀は阻止しなければならない。
「間違いないんです」と語気を強めるトンデモ記者に「あの……何か根拠はあるんですか?」とおずおず尋ねる山田嬢。
真面目か、と私は思った。どこで話を切り上げるか思案すべき場面で、相手の話を促してどうするつもりか。そんなことを言えば……
「よくぞ聞いてくれました!」こうなるに決まっているのだ。
得たり、と声のトーンを1段上げる真矢記者。万年筆とノートを取り出し、身体を心持ち横に傾けペン先を山田嬢に向けて、興奮した時の癖だろうか、上下に振っている。
「僕はこの病院について、いくつかの情報を掴んでいるんです。その情報の指し示す意味を考えると、必然的にその結論になるんですよ」
ノートをペラペラと捲りながら、我々を万年筆で指しながら得意げな顔で『掴んだ情報』とやらを教えてくれた。
曰く、霊安室から死んだ人の泣き声が聞こえるという噂があり、ここからアンデッドを作り出しているという事が推察できる。
曰く、このクリニックは難病の治癒率が高すぎることから、人間の常識を超えた超科学技術が使われている事に疑いの余地はない。
曰く、渡医師が霊安室から消えて病院内にテレポートしてるという複数の証言があり、彼が宇宙人である事は明白である。
賢明な読者諸氏は、ここでハテナと首を傾げたのではないだろうか。
高すぎる難病の治癒率。超常的な科学技術。爆破事故で重傷を負ったという記憶はあれど、意識を取り戻してみれば無傷で生還していたという我々の境遇と奇妙に一致する情報である。
「でも、霊安室のくだりって、完全に『病院の七不思議』ですよね」と神田青年が揶揄するように言う。
「そうなんです!」
この男は自説の非を認めるのになぜこうも元気なのだろうか。
「実は、霊安室を調べようと思っていまして……ただ、ここの人たちにはもう随分と警戒されてしまっていて、入れてくれそうにないんですよ……」
要するに、我々に声を掛けたのは霊安室に入ることのできる手引きが欲しかったということらしい。
真矢青年の懇願に顔を見合わせることしばしの我々である。時間があるかと問われれば有る。かと言って積極的に手伝う動機もないが……
「暇潰し程度には付き合ってやるか」とやる気はないながらも神田青年は肯定の意を示した。
「みんなが行くなら私も」と山田嬢は静観の構え。
対する私であるが、押し出しの強い狂人には強く逆らわないのが身上である。
かくして、さながら『ワタリクリニック潜入特派員』となった我々は、院内の小冒険と洒落込むのであった。