「鍵、掛かってますね……」
「まあ、当然だよなあ」
「山田さん、警察なんだから、ピッキングとか、できませんか……」
「できません! ていうか駄目ですよこんなの現行犯タイホですよ!」
「ちょっと、大声出さないでくださいよう……あ、開きました」
やいのやいのと騒ぐ凸凹トリオに引き換え、真矢青年の何たる有能振りか。
それにしても、やけに手慣れた素振りである。昨今の雑誌記者に鍵開けは必須技能なのだろうか?
職業倫理に反するのか入室を渋る山田嬢を見張りとして残し、気持ち腰を屈め足音を忍ばせて入室すると、そこは政府転覆の陰謀が渦巻く秘密結社の司令室、という雰囲気の全くない、小ざっぱりとした事務室だった。
ドアを開けてすぐ目の前には、品の良い革張りのソファを備えた王室セットがあり、その向こうには木製のデスクとキャビネット、部屋の奥の一面を書籍の詰まった本棚が占めている。院長室と銘打つには少し手狭であるかもしれないが、調度品の一つ一つに気品が感じられた。部屋の整理や掃除も行き届いており、私物は殆どないようだ。
唯一私物と思われるのはデスクの上の写真立てぐらいのもので、
「奥さんと、娘さんの写真ですかね?」
早速デスクの向こうに回り込んだ真矢青年が覗き込んでいる。入り口近くで躊躇っていた私と神田青年もそれにつられるよう部屋の奥へと歩を進めた。
私も写真を覗ってみたが、そこに写っているのは若い女性と女児、場所はどこかの公園だろうか、二人は手を繋いで、揃ってカメラに向かい微笑みかけている。その表情からは穏やかな親愛が見て取れた。
「あんまり、ゆっくりはできませんよ。家探しをするなら、早いとこ済ませましょう」
仰る通りである。とはいえ、間取りは精々10畳そこそこ、整理も行き届いた部屋である、探すべき場所はそう多くは無い。ひとまず私は机とキャビネットを、神田青年は本棚を探ることとした。
「……外国語、の本が多くて、よく分からないなあ。これ、ドイツ語っぽい……」
「僕もドイツ語は分からんね。こっちは日本語ばかりだけど、怪しい書類はないな。――おや」
「何かありましたか?」
「うん。書類じゃないけど、これは――鍵だな」
引き出しの奥の方に鈍く光るそれは、精々が3cmほどの小さな金属製の鍵だった。現代に広く流通するシリンダー錠の鍵ではなく、所謂ウォード錠と呼ばれる前時代的な作りのものである。手に取りしげしげと眺める私に「アンティークの小物みたいですね」とどこか呑気な感想を神田が寄越した。
「どこの鍵でしょう。少なくとも院内の扉なんかではなさそうですが」
覗き込む真矢青年が評した通り、大きさといい形状といい、現代建築物に使用されている錠のものであるとは考え難い。
「まあ、こうして眺めていても結論は出ないだろうね。引き続きガサいれと行くか」
口ではそう言いながら、形として現れた家探しの成果に心は何処か浮ついていたように思う。
そんな私の背筋に、冷水が浴びせられたのはその直後である。
「おい――なんだこれ」
引き出しの奥深くに突っ込んだ私の手に当たる異物感。
その感触には覚えがある。手探りで輪郭をなぞり、引き出しを慎重に取り外し中を覗き込むとそこにあったのは……
「――押しボタンだ」
デスクの天板の裏側にあたるそこには、親指の爪ほどの大きさの押しボタンスイッチがあった。それも引き出しやその中身が引っかからないよう、わざわざ天板を座刳ってその凹部に埋設してある。
明らかに異常である。謎の地下空間しかり、ここまでして隠したいものが、この病院には確かに存在しているのだ。何より、このボタンを押したときに一体何が起こるのか――いや、まずはこのボタンがある事を皆に知らせなくてはならない。押すのは最後でもいい。私はそう思い、探索中の二人に声を掛けた。
「みんな、ちょっと来て。これを見てほしいんだけど――」
律儀に呼びかけに応じ室外から馳せ参じた山田嬢は、「スイッチですね。押すタイプの」と見たままの感想を漏らした。
真矢青年は、喜色満面の笑みで「押しましょう、ぽちっと!」と息巻いて、山田嬢に諫められた。
そして神田青年は――
「どうしたの、凄い顔色だけど」
真っ青になって指先を見つめ、ぶるぶる震えている。どうやらスイッチを見て恐怖を覚えたという訳でもなさそうだが――
「今、血が出たはずなのに……」
痛くない、痛かったのに、血が出た、とぶつぶつ呟きながら、要領を得ない言葉を発している。とてもではないがまともに会話のできる精神状態とは思えなかった。
ふと、神田の視線が注がれているのは指先だけではない事に気付いた。自身の指と、卓上を忙しなく視線が動いており、その小刻みな動きが一層パニックに陥っているような印象を周りに与えているのだ――パニックにあるのは間違いないのだろうが。
卓上を見てみると、写真立てから写真を取り出そうとしていたところだったのだろう、四隅を留めている飾りネジが外れ、表面を押さえていたガラス板が傾いでいた。神田はそのガラス部で手を切ったと言っているのだろうか?
「神田君、君は写真立てのガラスで指先を切った。痛みもあった。しかし傷も痛みもすぐ消えた――そう言いたいのか?」
勿論、私の脳裏にあったのは先程の霊安室である。熱を感じ、火傷を負ったと思われた、しかし無傷の指先。まさか気のせいだろうと思い、記憶の片隅に追いやった出来事、同じ現象が別の個人の身体で再び起きたのだ。
誰も目撃者のいない超常的な現象に、まさか理解が得られるとは思っていなかったのだろう、神田は驚きの表情で私を見つめ、それでも青い顔のまま大きく何度も頷いた。幾分かパニックも収まったと見える。
「そう、そうなんです。そこの、写真を出して、調べようとしてたんですが……ガラスの、縁で指を切ってしまって」
血も出ていた筈なんです……拭ってしまって今はありませんが、と我々の目の前に指をかざすが、傷などどこにもあるようには見えない。そして、私以外の二人が隠そうともしない怪訝な表情は、かえって神田の精神をかき乱したようだ。
「本当です。こうやって……」
「ちょっと、何やってんですか神田さん!」
ガラスの鋭利な縁を握って振りかぶった神田の腕に山田嬢が咄嗟にしがみつくものの、大男が振るう腕の慣性を殺しきれる筈もなく……
「痛……!」
山田嬢の悲鳴に我に返る神田。斬り付けられた掌を引きはがす様に飛び退った山田嬢。
そして呆然と立ち竦んでいた私と真矢青年の目の前で、確かにそれは起きた。
すっぱりと刻まれた肌と内側から覗く肉質、すぐさま溢れてくる赤い血……しかし、溢れたかと思うと不自然なほど急に止まる。
「あれ、痛くない……? 血、止まりましたね……?」
最も驚いたのは他ならぬ山田嬢だろう。溢れ出た血液を拭うと、そこにあるはずの傷跡はどこにもなかった。
山田怪我しましたよね? と呟きながら傷の出来たはずの掌を何度も擦るが、そこには流血の痕が掠れるのみ、ガラスで切り裂かれたはずの痕は何処にも見出せない。
「え……山田さん、も……?」
「僕もだよ。さっき、霊安室のロウソクで火傷したはずだったんだが……」
この病院で治療を受けた我々3人の身体に発現した超常的な回復力、真矢青年の語る陰謀、そして霊安室から繋がる地下室に院長室のこの仕掛け。
事ここに至って、察するところが何もないほど私は暗愚ではないつもりだ。
間違いなく、この病院には何かがある。そしてその何かは、現代社会や我々培ってきた常識とは一線を画する『何か』だ。
「やはり、僕の考えに間違いは無かったようですね」と、事の成り行きに真矢青年は興奮を抑えきれない様子。
「さあ、探索を続けましょう。真実を、明らかにしなければ」