「そう言えば神田君、この写真はまだ見てないんだよね?」
「あ、はい。見る前に、手を切っちゃったから……」
それは写真立てから外された一葉の写真。探索に心逸るあまりかえって見逃していた被写体を、改めて眺めてみた。
そこに写っていたのは2人。年若い女性と、童女である。場所はどこかの公園の遊歩道だろうか。手を繋ぎ、陽光に目を細めながらも、揃ってカメラに笑みを向けている。二人の表情から読み取れる深い愛情と信頼、童女の顔形に現れる女性の面影。きっと、渡医師の妻子の写真なのだろう。写真を手に取り裏返してみると、そこにはこう記してあった。
『20070514 さやか7歳の誕生日 さやか、裕子と』
左端の数字は年月日と思われた。もう10年以上前の写真という事になる。
ふと、胸が感傷に痛んだ。それはきっと、橘嬢との出会い、そして別れが想起させられたからだったろう。彼女と出会ったのも、こんな良く晴れた日の公園で、そして彼女もこんな笑顔を見せてくれた。
「ちょっと、こんなもの見つけたんですけど」と上ずった声で割り込んできたのは、真矢青年である。
その手に抱えていたのは、本棚から引っ張り出してきたと思しき一冊の本だった。
「何というか、ちょっと普通じゃなくて……」
「うわ、なんすかこれ怪し過ぎでしょ。めっちゃ古い、てかボロいし」
「羊皮紙、でしょうか……随分年代物ですけど……」
3人の評する通り、現代的な病院の院長室には余りに似つかわしくない一冊だった。羊の皮と思しき皮革で装丁されたその本にはどこにも表題が記されておらず、あまつさえ表紙と背表紙が小さな錠前で繋がれており、そのままでは開きそうもない。
「古びてますし、無理やり千切れますかね?」
「さすがに、それは後でバレますよ……」
「器物損壊は犯罪です」
「待って待って。さっき、引き出しで鍵を見つけたんだよ。これ、合わないかな?」
本の前小口に収まるように取り付けられた錠前は、一見して簡素なウォード錠と見て取れる。それに素材、古さ、大きさとそれぞれ特徴は一致している。
内部機構の劣化を警戒し慎重に鍵を差し込んでみると、見た目の古さとは裏腹に、何の抵抗もなく鍵は回った。
「ビンゴですね! 中身は……英語か。何とか意味はとれそうです。ただ、この辺の書き込みはドイツ語かな……ドイツ語はちょっと……」
「あ、ドイツ語なら、少し読めますよ」
しばし時間を掛け、二人によって明らかにされた内容は、驚くべきものだった。
*******
精霊の召喚に成功すれば精霊の体液で再生薬が作れる。体の部位を再生できるのであれば、今まで不治とされた多くの患者を外科手術により救うことができる。精霊の組織を直接移植すればさらに大きな効果も期待できるかもしれない。しかし、直接移植は再生薬の塗布よりも精霊の魔力の影響が大きいことが予測される。被験者の精神に悪夢以外の影響があるかもしれない。何より精霊から魔力の供給が断たれれば再生した部位は保てず、精霊の魔力なしには生きられないかもしれない。実際に試すより他にその影響を知る方法はない……
魔力■■■精霊について■■■顔■■■精霊はその魔力により無限の回復力を持ち、その組織は傷ついても再生する。精霊の力を借りれば多くのアーティファクトを創造したり、神の力の一端に触れることができる。この■■■■■■を呼び出し使役するには、自ら進んで犠牲となる人間を精霊に生まれ変わらせる儀式が必要である。儀式の内容は……
*******
「これって、つまり……」
山田嬢の身震いが止まらない。
その気持ちは私にもよく分かった。経年によるものか実験の詳細は資料の劣化により読み取ることは出来なかったが、ここに書かれている『被験者』とは私たちの事に他ならないのだ。『体の部位を再生』『悪夢』という単語もそれを裏付けている。最早偶然の一致として片づけることは出来ない。
「となると、アンデッドとはまた違う訳か……」
真矢青年がどこかピントの外れた所感を述べた。
「それにしても、『犠牲となる人間を精霊に生まれ変わらせる』というのが何とも穏やかではないですね」
その点は、私も気になっていた。この超常的な現象――手記によれば『再生薬の効果』は、精霊に生まれ変わったという『誰か』の犠牲の上に成り立っているのだ。
そして私にはもう一つ、気になる点があった。
「ここに書かれてる『悪夢』、二人とも何も言わないって事は、心当たりがあるんだよね?」
2人が、力なく頷いた。私の問いに俯き加減に視線を彷徨わせ、目を合わせようともしない。
「僕は、大きな芋虫が、僕の両脚を食べる夢を見た……いや、その前に……両足の前に、芋虫はゆずかさんを食べていた……」
自分が見た悪夢の話を他人に聞かせるなど、いつ以来の事だったろう。
「やめてください。それは……ただの夢です」
「……神田君も、同じ夢を見たのか。山田さんも」
重く立ち込める沈黙が、私の問いかけを肯定した。
気まずさを追い払う様に咳払いをしてから、真矢青年が水を向けた。
「ボタン、押してみましょうか」
滑らかに、部屋奥の本棚が動いた。入り口正面の壁一面を埋めていた棚の左から三分の一がほどが、音もなく奥に引っ込んでいく。
丁度本棚の奥行分だけ後退った後、今度は右方向にスライドし、その後ろに隠された空間が口を開けた。
さほどの広さはない。開いた間口は人の肩幅に少し余る程度で、奥行はそれよりも狭い。
隠し部屋は右の方に続いており、右側の本棚の裏に当たる空間には、まだ何か隠された物があると見えた。
「嘘でしょう……ここ、エレベーターがあります」
恐る恐る首を突っ込んだ真矢青年が、呆れたような声を上げた。
真矢青年に続いて隠し通路に身を乗り入れてみると、そこはどん詰まりの空間であった。床から壁、天井に続く一本のスリットは、確かにエレベーターを思わせた。とは言え、一般的なエレベーターと比べると随分小振りな印象を受けた。確かに、これを使用する人数からしても、隠された空間に設置するという意図からしても、狭くて当然なのだろう。
「詰めれば、何とか4人は乗れそうだね。重量超過のブザーなんて鳴らないんだろうけど」
「ワイヤー……切れたり、しませんよね?」
「それにしても、よく一目でこれがエレベーターだって分かりましたね」
山田嬢の問い掛けに、真矢青年は黙って両の手に持ったものを差し出した。
右手には電子辞書ほどの大きさの機械部品らしきもの、そして左手には、手書きの字が連なる紙束を持っていた。
「落ちてたんです。通路の先に、重ねられて」
電子辞書と私は評したが、大きさだけでなく見た目もそれは電子辞書に似ていた。
一般的なqwerty配列のキーパッドが目を引くが、電子辞書と大きく異なるのは液晶画面が付いていないことである。その代わり、画面に相当する箇所にやや大ぶりなボタンが二つ付いており、ボタンにはそれぞれ『△』『▽』と記されている。
これらのボタンを見れば、確かにこの空間とエレベーターを連想として結びつけるのは容易いであろう。
「でも、このキーパッドは何ですかね? 暗号を入力しなきゃ動かないとか?」
「分からないな。取りあえずこっちのメモみたいなやつを読んでみようか」
ちょっと長いけど読み上げるよ、と断りを入れてから、私はメモを読んでいった。
しかし、驚くべきその内容を読み上げるうち、我知らず口調は熱を帯び、ついで戸惑いを孕み、やがて宙へと消えんばかりに窄んでいった。