汗が顎を伝って、地面へと落ちた。
中層の湿った空気が肌を撫で、汗がさらに流れ落ちながらも俺達は薄暗い迷宮の中を移動していた。
陣形は俺とティポが前、ヴェルフとベルが真ん中、リリが後ろというものになっている。
あの十八階層へと向かう、と決めたあの話し合いから随分経っているにもかかわらず俺達は未だに十五階層を彷徨って居た。その理由は単純で未だに縦穴が発見することができていなかったからだ。
全員がまずい—————と思いながらもその足を止めることはせず通路の奥へ進んでいく。後ろついてくるリリは常に、はっ、はっ、と小さな呼吸音を漏らす。その前のベルやヴェルフは息こそ整っているもののさっきから汗をかく動作が増え、何よりその表情は歪んでいた。まあこれは違う原因のせいもあると思うけど。
「っ…リリスケ、この臭いはどうにかならないのかっ」
とうとう我慢の限界が来たのかヴェルフが後ろにいるリリに声を飛ばす。
その訴えに対し死んだ目をしながら言い返した。
「我慢してください…お言葉ですが、リリの方がこの悪臭に悩まされています」
ヴェルフ達の臭いと言うのはさっきからベル達が顔を歪めている原因であり、リリが首から吊り下げた袋から発せられる悪臭の事だ。
俺とティポは一番前にいるから被害はそんなだが——————それでも大分臭い——————後ろにいるベルとヴェルフ、ましてやそれを至近距離で嗅いでるリリなんかは地獄だろう。
「リリ達にも有害ですが、この臭いはモンスターの毒そのものです。この悪臭が続く限り、よっぽどのことがなければモンスター達は近寄ってきません」
何故わざわざこんな臭いの爆弾を使用しているかと言うとリリの説明通り
現に今は中層息のモンスターが一切襲ってこない。効果は覿面だった。まあさっきから言ってる通り臭いっていうデメリットはあるけど。
そんな感じでモンスターの気配や唸り声を通路の先々で感じつつも、俺達は交戦することなく、移動を続けていた。
「…!」
しかしそのまま順調、という訳にはいかず一本道の通路の先で複数の真っ赤な目が浮かび上がる。
俺達のことを完璧に捕捉し『強臭袋』の効果が薄れる三十Mほどの距離で陣取っているのは、ヘルハウンド。中層息で凶悪な遠距離を仕掛けれるモンスター。
それを視界に納めた時地を蹴ろうと力をこめようと腰を落とした瞬間。
「やるしかないな…任せろ」
俺より後ろにいたヴェルフがそう呟いた。すぐに突貫する姿勢を解除し、ヴェルフの方を見るとその右腕を突き出し掌底をヘルハンドへと真っすぐに向ける。
「【燃え尽きろ、外法の業】」
紡がれたのは超短文詠唱。
「【ウィル・オ・ウィスプ】」
その歌が紡ぎ終わった瞬間、ヘルハウンド達は自爆し三つの大爆発が起こった。
「
リリの驚愕の声が上がる。これには俺も目を見開き驚いた。
事前にヘルハウンドに有効かもしれない魔法があるとは聞かされていたがまさか
「成功したか…」
「ヴェ、ヴェルフ今のはっ?」
「俺の魔法は特殊らしくてな。一定の魔力の反応を火種にして、爆発させるらしい」
【ウィル・オ・ウィスプ】——————
それを聞いて俺もティポと同じく顔を引き攣らせた。
よく考えてみてほしい。エルフ以上の
「モンスターで試したことは今までなかったんだが…首の皮一枚、繋がったな」
またしてもにっと男前に笑うヴェルフ。
しかし俺とティポは全く笑えない。どう考えても天敵。味方でよかったなどと安堵しているとあることに気付く。
「…待てよ?モンスターでってことは…」
「ああ。同じ【ファミリア】の連中に頼んでな。見事に爆発した」
「…ヴェルフ様、それは」
「いや、確かに俺も悪かったがっ、効果を試させてくれとは言ったんだ。何が起こるかわからないのはあいつ等だって承知して…いや俺が全面的に悪いんだけどなっ?」
それを聞きリリもベルも俺達同様に顔を引き攣らせ同じことを考えた。
『白い目で見られてるのこれが原因じゃあ…』
しかしここで考えるのをやめ本人の名誉のためにもこれは心にしまっておくことにした。
そしてそれからも俺達はモンスターをやり過ごし続けた。
リリが必死に我慢しながら臭い袋を装備し、モンスターの奇襲を退ける。勿論それでも近付こうとする奴はいたが、前方から来た敵は俺とティポが、後ろから来た奴はベルが【ファイアボルト】で追い払った。
ヘルハンドは基本的に早く動ける俺がどうしても距離がある場合はヴェルフが無効化していく。
「ヴェルフ、これ…」
「なんだ、回復薬か?」
ベルが濃紺の液体が詰まった試験管をレッグホルスターから取り出す。
ヴェルフはそれを半分ほど飲むと、驚いた顔を作った。
「精神力回復薬、じゃないよな?体の重さも消えたぞ」
ベルが渡したのは二属性回復薬。この道具は【ミアハ・ファミリア】であるナァーザさんが作製したものだ。
その効果は体力と精神力を回復するという優れものでヴェルフは目に見えて回復していく。
「いいな、それ。今度売ってるところ、紹介してくれよ」
「帰ったら、いくらでも紹介するよ…はい、ハチマンもこれ」
ベルは飲みかけの二属性回復薬をあおると、もう一本あるそれを俺に差し出す。
それを素直に受け取り、半分ほど飲むとティポの方を向きそれを差し出す。
「ほれ、俺と違って魔法ちょいちょい使ってるだろ飲んどけ」
ティポの前にそれを差し出すと何故か驚いたように目を見開きポーションと俺を交互に見やる。
「?どうした?」
「いや…あはは、何でもないようん」
何故か顔を少し赤くしながらそれを受け取り、ぼそっと「気にしてるこっちがバカみたいじゃないバカ」と呟きをこぼし試験管を一気にあおる。
これでティポはほぼ全快、俺は全快とまではいかずとも回復することができた。
「…ベル様、リリとも回復薬を分け合いましょう」
「え、今ちょっと飲んだし、大丈夫だよ?もったいないし」
「ずるい、ずるいです!ヴェルフ様だけずるいです!」
「何を言ってるんだお前は」
「じゃあハチマン様!」
「いやなんでだよ」
パーティーの間で織り交ぜられる、弛緩した会話。これまで張りつめていた空気が少し和らぐ。
油断は決してせず、しかし時折張り詰めた精神を緩め、ダンジョンの中層を探索していく。
「あった…」
いくつ曲がったかも分からない横穴の曲がり角からかをを出したその先、洞窟上の道のど真ん中にそれはあった。
向こうの通路とこっちの通路を分断するように、歪な縦穴が大きく口を開けていた。
全員がその穴の縁まで近づき、そっと覗き込む。そして全員の視界の先には下の階層がうつし出され、それぞれが視線を交わし頷き合う。俺はリリのバックパックを左手に抱え、最後に息を軽く吸い込んだ後、全員で縦穴へ飛び込んだ・
***
「…臭い袋が、なくなりました…」
死刑宣告にも近いリリの発言で限界まで張りつめた空気が弾ける。
場所は十六階層の通路の一角。俺達はそこで足を止めていた。いや、止めざるを得なかった。
モンスターから俺達を守っていた臭いは霧散し、代わりに濃厚な殺気が肌にまとわりつく。
そしてそれと同時に通路の奥から強烈な気配が発せられる。
やがてドンッ、ドンッ、と、闇の奥から地響きが響く。
その体を隠していた闇は晴れていきどんどんとその形を現していく。まず見えたのは赤胴色の体皮。
荒い鼻息を吹き出し、その身を守る筋肉を膨張させ、岩のような蹄を踏みしめた。
「—————————」
牛頭人体。二Mを超す巨躯を持つ猛牛のモンスター。その名を『ミノタウロス』。
それを視認したヴェルフとリリは死を覚悟する。
『ヴォおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』
戦意がおられた気力も意思も全部。
そしてとどめに強烈な『咆哮』。
生物の本能によりリリとヴェルフは強制停止に追い込まれる。
—————死ッ。
戦ってすらいないしかしすでに己の最後を二人は覚悟した。
しかし。
「!?」
黒い影がミノタウロスとの視線をきる。と同時にその背中は、走り出していた。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ—————————ッッ!!』
雄叫びを上げるミノタウロスの正面から、アホ毛を揺らしながら少年は突貫する。
そしてその手には見慣れぬナイフと見慣れたソードが二振り。
そしてすぐ見ていると何故かヴェルフの血が騒ぎたてるそのナイフが高速の一閃を放つ。
『ヴォッッ!?』
斬撃がモンスターを捉え、武器を持つ手が飛ぶ。
そしてそれに満足せず黒の少年は神速を持って、斬りかかる。
『———————————————アァァッッ!?』
夥しい数の斬閃がミノタウロスの体を埋め尽くす。
腕を、腹を、足を、胸を、悲鳴を共に八つ裂きにしていく。
眼前の壮烈な光景にリリとヴェルフは瞠目する。
ヴェルフ達の目では追いきれないその斬撃は、ミノタウロスに反撃を許さず、着実と致命傷を与えていく。
そして最後に横一閃の大振りを胴に打ち込みミノタウロスは背中から倒れこみ、完全に沈黙する。
「…
ヴェルフ達が呆然とするのも束の間、ハチマンは起動式を唱えナイフを斧へと変化させるのと同時に通路の奥から新しくミノタウロスが三体現われ、こちらへと突き進んでいた。
ハチマンはその姿を確認するとともに斧を後ろにいる俺達の方へと投げる。その行為にぽかん、とするヴェルフとリリだが唯一その意図を察した少年が前へと飛び出し空中でその斧をつかみ取る。
リン、リン、と。
鐘に似た小さな音を奏で、斧を持つベルの両手が白い光粒に包まれる。
空中での【英雄願望】によるチャージ。ベルはハチマンの横に着地した瞬間地を蹴り疾駆する。
時間にして五秒分のチャージ。ミノタウロスの眼前まで迫ったベルは斧を右肩に振り上げ、振り下ろす。
「———————————————————ッッッ!!」
光の大斬撃が解放される。チャージされた斧の攻撃はミノタウロスの胴と下半身を分断する。しかしチャージが足らなかったのか一匹生き残る。
『ヴォ————————』
「ふっ!」
それを石斧を手にいつの間にか走り出していたハチマンが横に一閃し、悲鳴を上げる暇すら許さず片付ける。
「…」
一歩も動けずにいたヴェルフとリリは、声をかけるのも忘れ立ち尽くした。
こちらに背を向け佇む少年二人は、浅い呼吸と共に肩を上下させる。
ミノタウロスの連続撃破。視線だけでやり取りされた連携。
Lvやスキル、魔法の存在を度外視しても窺える、技と駆け引きの冴え。
ヴェルフはこの時、少年達のミノタウロス単独撃破が与太話ではないということを確信する。
————————
その二人の少年の背中に、ヴェルフを息をのみ戦慄した。
***
『ハチマンヴェルフ君が危ない』
三匹のヘルハウンドが通路の先から現れ、火炎放射の予備動作を見せた時ティポの声が頭に鳴り響く。
その声に反応し、ばっとヴェルフの方を見ると例の魔法を使おうと右腕を突き出していた。しかしその表情は歪み、汗は垂れ流し、呼吸も荒かった。
それを見た俺は直ぐにティポの言わんとしてることを悟る。
——————————
恐らくヴェルフは
「【燃え————————」
「ヴェルフ詠唱をやめろっ!」
「!?」
そう声を張り上げると同時に俺はヘルハウンドへと駆け出しナイフを構える。
ヘルハウンドは既に放射する構えに入っており間に合うかはギリギリだった。そう判断した俺は、手に持っていたナイフを
その行為に後ろで息を吞む気配が背中越しに伝わる。それもそうだ。
対するヘルハウンドは三匹、もしこの二本のナイフで一匹ずつやっても一匹余り尚且つ俺は得物を手放してる。
何をしてるのか、と言う視線を背中に受けながらもナイフがヘルハウンドの眼前まで迫った時俺はそれを唱えた。
「
その瞬間一方のナイフが姿を変えティポが現れ、投げたもう一方のナイフを手でつかみ取る。
それにヘルハウンドは目を見開く。そしてその隙にティポは一番手前のヘルハウンドを切り裂き、そのちょっと後ろで立っているヘルハウンドにはナイフを投げる。
そのナイフはヘルハウンドの口へと吸いこまれ体の奥深く刺さり絶命する。しかしもう一匹はもう既にため終わっており、その猛火を振るわんと口を大きく開く。だがティポはそれに慌てずヘルハウンドの下顎を蹴り上げ、ヘルハウンドは上へと浮かび、その蹴りによる口は固く閉ざされ爆発をする。
「…」
戦闘は終了し、特に口を開くことなくティポは振り返りハチマン達の元へと歩を進めた。
ハチマンがやったことは【
それによるティポはハチマンの中に戻ることなく武器状態だけが解除され、人間の姿をして空中にいきなり現れたという訳だ。
そしてティポが帰ってきてハチマンが労いの言葉をかけ、武器状態に戻すとベルが口を開く。
「ハチマン、いきなりどうしたの?」
「ヴェルフが
「!」
俺の話を聞くとベルは驚いたようにヴェルフへ視線を送り納得したように表情を変える。
「すまん」
荒々しく呼吸をこぼしながらヴェルフは謝罪の言葉を述べる。それに対して全員が気にするなと声をかけた。
これは俺達がヴェルフを頼り過ぎたことに原因がある。度重なる魔法の行使で精神力を多量に使わせてしまった。
ヴェルフには回復薬を渡し、何事もなかったように探索を再開していく。
しかし内心かなり焦っていた。頼りになっていたヴェルフはダウンし、リリも大分疲弊していた。所々で回復薬を渡してはいたがさっきヴェルフに渡したやつで回復薬は底をついた。
ティポに関しては単純に攻撃を貰いすぎて武器として使わざるを得なくなった。特にでかい一撃を貰ったわけじゃなかったがやはり集中的に狙われ度重なる襲撃でどんどんと傷が増え、これ以上受ければ俺に戻った時に動けなくなる—————と判断して武器に切り替えていた。その際一度体に戻し、傷がフィードバックするがベル達にバレないように精霊の奇跡を行使し治して事なきを得ていた。ごっそり体力削られたけど。
荒い四つの息遣いがダンジョン内で響き渡る。今すぐ足を止めたい、そんな願望が胸の中に生えるが全員がそれを押し殺し前進を続ける。
「「「「!」」」」
見つけた。四つ角の右手、十Mも歩けばすぐ行き止まりになる浅い一本道。その一番奥で、壁にめり込むように縦穴が口を広げていた。
それを見つけ辺りを警戒し、吸い寄せられるように穴の元へ急いだ。一瞬眼下を覗き込み、行くぞ、とリリのバックパックを片手に声をかけ一思いに飛び降りる。
「————づっ!?」
「ぐえっ」
「っ」
「ぐぎゅっ!」
空気を切り裂く音が鼓膜を揺らし、直後衝撃が襲いかかる。
疲弊した体にはきついその衝撃にそれぞれが声を漏らし倒れこむがそれもすぐで全員が体に鞭を打ち立ち上がる。
「いくぞ…」
「おう」
「うん」
俺の声にベルとヴェルフは声を出して反応し、リリは声を出す気力もないのか顔を縦に振ることで反応をする。
そして鉛のように重くなっている手足を自覚しながらも、ゆっくりと一歩を踏みしめ進んでいく。
もうどれくらいダンジョンを彷徨っているのだろうか。全員とっくのとうに時間の感覚は壊れていた。これだけ太陽が恋しいと思うのは初めてだ。他の階層よりも暗く感じる十七階層の通路はその思いをさらに助長させる。
何度も何度も体が悲鳴を上げ、感情はもう寝かせてくれ、と膝を折ってくれ、と叫んでいた。しかし何よりも甘い誘惑を全部理性で押さえつけ足を動かす。
ダンジョンの重圧が、モンスターに襲われるという恐怖が、暗く淀んだ空気がその全てが精神を削る。
そして何よりダンジョンが静かだった。
「…なんで」
何の脈略もなくベルが声を漏らすが、言いたいことは分かった。
どう考えても静かすぎる。モンスターが一切現れない。
しかし気配がないわけではなく、それどころは気配だけはそこらかしこにあった。なのに全く襲おうとしない。
背筋が冷たくなって悪寒が走る。嫌な予感が止まらず、頭の中でも微かに警鐘が鳴り響いていた。
ティポも『なんかあるだろうねこれ』、と呟きをこぼす。けれど、立ち止まるわけにはいかない。
「!」
とここでベルの歩を進めるスピードが上がる。嫌な予感を振り払うように。
それに伴いパーティーの進行速度が上がっていく。リリは更に息が上がり、ヴェルフもきつそうにしていた。そして。
「「「「…!」」」」
辿り着いた。広大で、本当に長大な、整った直方体となっている大広間。
幅は100Mほどで、地面から天井までは20Mほど。
何者かにくりぬかれたのかと目を疑うほど、その表面には凹凸一つない。マンスターの影一つなくその光景は絶望に染まっていた俺達にはいっそ美しい光景として映し出された。
「『嘆きの大壁』…!」
全員の表情に希望が灯り、雰囲気が明るくなる。
あともう少しでたどり着ける。この絶望から解放される。今ならまだ間に合う。そんな思いが全員の胸を満たす。
しかしここはダンジョン狡猾で陰湿。そんな一心不乱になり希望を抱いた俺達を嘲笑う。
「—————————」
バキリ、と。
ステイタスによって強化された聴覚がその音を拾う。
ばっと横を振り向いた先、愕然と目を見開く俺達の前で巨大な亀裂が、大壁の上から下にかけて雷のように走る。
「走れえっ!!!」
頭が真っ白になった一瞬後には声を張り上げ、走り出していた。
リリとヴェルフ、ベルは表情が絶望に支配されていたが、俺の声に反応し走り出す。
———————————まずい、まずい、まずい。
微かに鳴り響いていた警鐘はうるさいくらいに鳴り響く。重い両足を懸命に引き上げ出口を目指す。
しかしまだ空間の半分にすら辿り着かない。遠い、遠すぎる。その間にも壁は罅割れていき、まるでモンスターの生誕を喜ぶかのように大広間全体を震わせた。
増していく嘆きの叫喚。より大きくより深くなる何条もの亀裂。臨界が近付き、一層強い衝撃が壁の内側から爆ぜ———————次の瞬間。
巨大な破砕音が、爆発した。息が止まる。
岩の塊が弾け飛んで崩れ落ち、横に横転していく轟音。背後で破られた巨大壁の破片が散乱していく。
そして、ズンッ、と、巨大な何かが
大地に振り立ったような、一際大きな、着地音。
「ふざ、けろ…!」
見えない糸に絡めとられたように、俺達の足は止まっていた。
壊れたロボットのように全員が首をゆっくりと後ろに回し、背後を振り返った。
『…』
立ち込める土煙の奥に、それはいた。
大きすぎる輪郭、太い首、太い肩、太い腕、太い脚。全てにおいて太すぎる灰褐色の人型モンスター。
それはこの『嘆きの大壁』の主。総身7Mにも届こうかという、巨人。
迷宮の孤王——————『ゴライアス』。
『—————————ォオ』
次第に晴れていく煙の向こうで、真っ赤な眼球が動く。その目玉は俺達のことを映し出し、ゆっくりと地響きを伴いながら、こちらに向き直る。その時点で俺達は再び走り出していた。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』
けたたましい方向が俺達の背を叩く。
しかしそんなの関係ないと駆け出す。疲労なんて関係ない全力疾走。
ゴライアスは一歩踏み出すたびに地面が割れ地鳴りが起き、大広間を轟然と震撼させる。
走る。ただひたすらに。しかし現実は無情でそれよりも速く巨人は窮迫してくる。
でもまだ距離はある。だから走れ、走れ!走れっ!!
そして眼前まで迫った十八階層へ続く穴。飛び込めば逃げれる、解放される。そう考えた瞬間鼓膜がある音を拾う。
「あっ…」
思わず足を止め振り返る。そして視界に飛び込んできたのはこっちに迫ってくる巨人と——————————倒れているリリ。
それを見てすぐに理解する。限界だったんだ。よく考えればわかることだ。十三階層以降の適正Lvは二。リリがここまで持つはずがないのだ。むしろ逆によく持った。百人に聞けば百人がそう答えるだろう。
限界に限界を超えここまで来たのに、最後の最後で全力疾走、しかもゴライアス付き。そんなの倒れるに決まってる。
足をいきなり止め振り返った俺に釣られベルとヴェルフも視線だけ後ろに向け、ベルの足が止まりかけた瞬間俺の足が爆発する。
「
これまでの人生において最大の速度。走り出してすぐ眼前にリリが現れる。この時点でゴライアスはその太い腕を振り上げ命を潰そうと振り下ろしていた。
———————間に合わない。
絶対に間に合わない。リリを抱え今から飛び出したところで逃げられない。
そう判断し、そこからは速かった。
「ベルゥッッッ!!!!」
怒声とも取れるほど声を張り上げリリのバックパックを掴み、何故か溢れ出る力に任せてベルの方へとぶん投げる。
ベルはこちらに駆けだそうとしており、それをヴェルフが押さえていた。そして名前を呼ばれ、目を見開き飛んできたリリを受け止める。しかし俺が全力で投げ、リリと言うよりもバックパックが重く、その勢いは止まらずベルは姿勢を崩し、それを支えていたヴェルフも十八階層へと続く道に落ち——————————。
そこで俺の意識は途切れた。
***
十八階層に『朝』が訪れる。階層天井に光が戻り、早朝の森を思わせる明るさが野営地に広がり、その野営地のある天幕の中。そこに五十九階層で死闘を繰り広げたベート・ローガを除いた【ロキ・ファミリア】の幹部陣+ラウル、アナキティ、レフィーヤが集まっていた。
「それじゃあここに集まってもらった理由だけど…」
幹部陣は円形の形をとり、その中央にいる小人族————————【ロキ・ファミリア】の団長、フィン・ディムナが話を切り出す。
と言っても集まった理由はアイズのある報告だった。
早朝アイズはいつもより速く起きてすぐその違和感を感じた。そして天幕を出た時その違和感が確信に変わる。
———————ダンジョンがざわめいてる。
それに気付いたアイズは直ぐにフィンの元へ向かった。そしてその報告を受けたフィンは万が一を考え軽い武装をするように伝え現在のメンバーを集めた。ここまでするのは大袈裟だ、と言われるかもしれないが、フィンはアイズが報告の時に言っていた言葉が気になっていた。
『多分精霊に反応してる、上層、いや中層に何かいる』
と零しており、こちらに向かってきているとのこと。これらの情報をフィンは説明をしていき、五十九階層で『穢れた精霊』と死闘を繰り広げた面々は、聞いていく内に表情を強張らせここにこれだけ集められたことに納得する。
「それでアイズ、今はどんな感じだい?」
フィンにしては曖昧な言い回し。しかしアイズは感覚でこれをこなしているのでこの聞き方が大正解なのだ。
そしてその質問に対してアイズは無表情のまま答えていく。
「かなり、近くなってる。…あれ、この感じ…?」
何処かで感じた事のあるような感覚に首を傾げる。それに伴い集まってる一同も疑問符を浮かべ首を傾げる。
「アイズ?もうちょっと———————」
フィンがアイズに声をかけた直後。
『—————————————————ォォォォォォォオオ』
「「「「「!」」」」」
地鳴りの如き巨人の方向が鳴り渡った。次いで、どおおおおんっ、と言う強い振動が届く。第一級冒険者やそれに近しい彼彼女らは何が起きたのかすぐに察した。
この十八階層の直上、連絡路も繋がってる十七階層の最奥の大広間で入ってきた冒険者を階層主『ゴライアス』が倒すために暴れたのだと。
それを察したフィンは気にすることはないときりすて、再度アイズに事情を聴こうとしたところで固まる。
その理由はアイズの表情にあった。あの人形姫とも言われるほど表情が乏しいアイズがゴライアスの誕生、それだけで顔を歪めていた。
そして当の本人はと言うと
(この感じ、ハチマン?ちょっと違う。でもなんでか、胸がざわめく)
自分が表情を歪めていることに気付いていなかった。
ハチマン———————詳しくはハチマンの中にいるティポさんの気配。しかしあの時に感じたそれとは少し異なる気配に確信を持てていなかった。考えれば考えるだけ分からなくなり、更に表情を崩した瞬間。
(!)
アイズは今度は目を見開いた。その様子に周りも驚くが、そんなの関係なしに気付けばアイズは呟きをこぼしていた。
「助けなきゃっ…」
「アイズさん!?」
「ちょっと、アイズ!」
「おい、止まれ!」
その呟きをこぼすと同時にアイズは駆けだし、レフィーヤたちの声を振り切り天幕を飛び出していた。
「フィン、どうするっ?」
「追いかけよう、きっと何かある。一応装備を持っていこう」
疼く親指に軽く視線を向けながら、フィンがそう言うとともに全員がアイズを追って天幕を飛び出した。
そしてアイズはと言うと焦っていた。アイズがあの目を見開いた瞬間アイズは精霊が魔法を行使した余波みたいなものを感覚的に受け取っていた。そしてそれをアイズは知っていた。
あの市壁の上で鍛錬をした、その身に精霊を宿す少年の魔法。その魔法が行使されたのは感覚的には十七階層。そしてゴライアスは生まれると同時に侵入者に襲いかかって————————。
そこまで気付いた時アイズは走り出していた。
【ロキ・ファミリア】が作成した野営地は階層の南端部、十七階層に通ずる洞窟に近い。
木々の間を疾走し、水晶の塊を飛び越え、薄暗い森の出入り口から飛び出す。
そして、
(—————え?)
草の絨毯で倒れ伏す、冒険者が目に入る。
洞窟前の開けた青い草地。ヒューマンの男性二人に、小人族の少女。ヒューマンの男性は苦渋に顔を染め、少女は完全に気を失っていた。
「べ、ル…?」
「「!!」」
思わず零したその呟きに反応しヒューマン二人は声の方へと顔を向ける。
「け、【剣姫】…」
「アイズさん…?…ッ、アイズさん!ハチマンが危ないんです、お願いですハチマンを助けてください…!」
「…仲間が危機にさらされているんです、お願いします」
恥も外聞もかなぐり捨てベルは頭を下げる。いきなりのアイズの登場に固まっていたヴェルフもベルに倣い勢いよく頭を下げた。
自身の瞳に焼き付けられた最後の光景、ハチマンがベル達に笑顔を向けそのすぐ後ろを迫る巨人の拳。あの状態から逃れることは不可能。要するにハチマンが死んだ可能性も彼等は理解していた。しかしさっきから何故か鳴りやまないゴライアスが暴れている音に希望を見出していたのだ。
悔しかった。ただただ悔しかった。自分が無力なことが。自分には何もできない状況が。しかしそんな思いは押し殺し、ハチマンが助かる一筋の希望に賭けた。
それが目の前に現れたアイズ・ヴァレンシュタインだった。勿論アイズもハチマンを助ける為にここに駆け付けた。だから言われなくとも、と答えようとした時。
「これはどういう状況かな?」
木々の間を抜け、【ロキ・ファミリア】が姿を現す。
「あーっ!アルゴノゥト君だー!」
「あ~~~~~~~~~~っ!何でベル・クラネルがここにっ!?ふぎゅっ!?」
ベルの姿を確認したティオナとレフィーヤがそれぞれ叫び、レフィーヤの方はあまりの声量にリヴェリアからの拳骨がお見舞いされる。
「ベル・クラネル…?ああ、おぬしらが言っておった小僧か」
ガレスはその名に反応し、髭を触り目を細めていた。
そしてまたしても大物が登場したことで二人は放心しかけるがすぐまた頭を下げる。
「お願いします、ハチマンを助けてください…!」
「お願いします」
その様子を再び眺めたアイズは自らの団長であるフィンの瞳を強く見つめ口を開く。
「フィン、ごめん。私は行く」
短く告げられたそのセリフにベルとヴェルフは顔を上げばっとアイズの方を見る。
そしてフィンはそんなアイズに目を軽く細めると溜息を吐いた。
「…行くのか?」
「どっちにしろうちのお姫様が止まらないなら行くしかないさ。ラウル、ベル・クラネルとその一行をテントへ連れて行ってくれ。リヴェリアとレフィーヤは結界魔法の用意を。ハチマン・ヒキガヤの姿が見え次第張ってくれ。それと今回はあくまでハチマン・ヒキガヤの救出が目的だ。ハチマン・ヒキガヤを回収し次第すぐに撤退。例えそれが死体であろうとも、ね。アイズ分かったかい?」
「っ…分かった」
「ベル・クラネル」
「!は、はいっ!」
「一応手は尽くすつもりだ。でも、分かってるね?」
フィンは言外に、死んでいても文句は言わないでくれよと告げる。
それに気づいたベルは顔を盛大にゆがめながらも、お願いします、とお願いする。
「さて、それじゃあ準備は出来たかな?」
フィンは顔を上げリヴェリアとレフィーヤの方を確認する。それに二人のエルフは頷く。
「それじゃあ、行くぞ」
その言葉に【ロキ・ファミリア】は嘆きの壁へ向けて連絡路を駆けだす。第一級冒険者ばかりで構成されてるこのパーティーが嘆きの大壁の大広間までつくのにそう時間はかからなかった。
そして坂を上がって目にしたその光景に全員が絶句し立ち尽くした。
「何、あれ…?」
その大広間にいたのはハチマン・ヒキガヤと一匹の巨人。かたや血塗れで立ち尽くし、目をつむり、もう一方、体中に傷を作り目を押さえ暴れていた。どっちがどっちにしたっておかしな状況。
何故ならどっちにしろ、話を聞いている限りだとLv2相手にLv4にカテゴライズされるゴライアスがボロボロにされているのである。
ありえない。おかしい。一体何があった。【ロキ・ファミリア】の頭はその疑問で埋まった。
その中でフィンはそれを目撃した。血まみれのハチマンがゆっくりとその瞼を上げ、魔法を呟き炎を纏うところを。そして片手に持っている大剣に全部集まり黒く光っているところを。決意にまみれたその瞳を。その瞬間フィンの親指が強く疼く。あの黒い光は見たことがない、効果も分からない。でもやばい。それだけ察することができれば【勇者】フィン・ディムナの判断は速かった。
「リヴェリアっ!レフィーヤっ!今すぐ結界をっ!」
「えっ?」
「急げっ!!!」
フィンの鬼気迫るその声に疑問符を浮かべたレフィーヤも、元より発動準備をしていたリヴェリアがその結界魔法を発動させる。
「「【ヴィア・シルヘイム】っ!!」」
リヴェリアとレフィーヤの足元に展開されていた魔法円が光輝を放ち、そのままドーム状の緑光領域へと変貌した。物理・魔法攻撃を全てを遮断する結界魔法が完成する。
その一連の動作に【ロキ・ファミリア】の面々は困惑していた。何故助けるべきハチマン・ヒキガヤに結界を張らず自分たちのもとで張るのか。それに答えるようにハチマンは行動を起こした。
ハチマンが一歩引き、大剣を構えた。対するゴライアスは攻撃された目の痛みから回復したのかハチマン目掛けて再度その拳を振るっている所だった。
【ロキ・ファミリア】の面々はそれを見て凍る。信じて魔法を張ったリヴェリアとレフィーヤが、今にも飛び出しそうなアイズが、興味深そうに見ていたガレスが、全員の表所が固まる。
しかし一人だけ、優雅にその時を待ち呟く。
「—————————来る」
「アアァァァァァァァァァァァァァァァァッッ!!」
フィンの呟きをかき消すように雄叫びが迸る。
その雄叫びと共にハチマンは大剣をゴライアスの拳目掛けて全力で縦に薙いだ。
まるでその拳を切り裂くように。
「——————————ッッ!!!」
黒い大斬撃が解放される。
黒いのに眩しいという訳が分からない斬撃とそこから放たれる破壊力に伴った暴風に【ロキ・ファミリア】のパーティーは思わず瞼を落とした。
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