山道から滑落して出会ったのは、超絶イケメンの精霊でした。そして彼の思惑を知らないまま、俺は日本とは違う世界で生きていくことになりました。 作:白田まろん
第1話 超絶イケメンが現れた
山の天気は変わりやすい、というのは一般的に知られた事実だろう。しかしそれはそこそこの標高がある山のことで、俺が今いる標高1000mにも満たない山は、平地と同じような天気の移り変わりと考えてまず問題ない。
俺は
「いい天気だな。それに空気もひんやりしていて気持ちがいい」
20日間、朝から深夜まで働いてようやく取れた休みが今日1日だけって、どんだけブラックなんだよ。残業もほとんどつかないし、このままじゃ俺、本当に過労死しちまうんじゃないだろうか。
それでも、疲れがたまった体を引きずって山に登るのは、この空気に触れたいからだ。平日だから他人ともほとんどすれ違わないし、絶景ポイントだってある。これらを全て独り占めできる充足感は、分からない人には永遠に分からないだろう。
そんな気分に浸りながら歩いていた時だった。何か光る物が目の前を通り過ぎたように感じたのである。しかもそれは視界を覆い尽くすほど巨大だった。だが、辺りを見回してもそんな物はどこにもない。
「気のせいか。疲れてるしな」
そう呟いて再び歩き始めたその時、踏み出した俺の足は地面を捕らえることが出来なかった。
本格的な険しい登山道を歩いていたわけではない。さすがに舗装はされてないが、きちんと整備されて転落防止用のロープも張られているような道である。なのに俺はいきなり足を踏み外し、恐ろしい速度で滑落してしまったのだ。まるで足元の道が忽然と消えてなくなった、そんな感覚だった。
気がつくとそこは、うっそうと木が生い茂る森の中のような場所だった。あれだけ急な速度で滑落したのに、ほぼ無傷だったのは奇跡としか言いようがない。背中のリュックも無事のようだし、スマホのマップ機能を使えばどちらに行けばいいかすぐに分かるだろう。
ところがここでまた問題が発生した。マップが表示されないのである。よく見ると圏外だ。GPSも機能していないように見える。これは困ったぞ。自分がどこにいるのか分からない。しかも圏外だから電話やメッセージで助けを呼ぶことも出来ないときた。
それでも高い山に登っていたわけではないから、闇雲に歩いたとしても遭難することはないだろう。むしろその内県道とか国道に出られる可能性の方が高い。
「仕方ない、とりあえず行ってみるか」
それから1時間ほど歩いただろうか。だが、一向に森を出られる気配はなかった。それどころかどんどん深くなっているような気がする。
「まさか本当に遭難した……なんてな」
幸いリュックの中にはまだ食べ物も飲み物も十分に入っていた。山歩きした後に帰ってから晩飯を作るのが面倒だったので、夜食う分までコンビニで買っておいたからだ。というわけで、万が一今日はこのまま迷って夜になっても食料に困ることはない。そして帰宅が明日になっても夜勤の予定だし、最悪夕方までに帰れれば仕事に穴を空けることもないだろう。
そんなことを考えながらさらに歩き続けていると、小さな池の
「写真でも撮っておくか」
職場で見せてやろう。そんな軽い気持ちだった。この時の俺はまだ、自分が本当に帰れないなんて思ってもいなかったのである。
◆◇◆◇
『貴方はそこで何をされているのですか?』
涼しげな男性の声に振り向いたが、誰もいない。おかしい。確かに声が聞こえたのだが、まさか幻聴が聞こえるほど疲労しているということなのだろうか。これは少し体を休めた方がよさそうだ。そう思って再び正面を向くと、そこに立っていたのはどうやら声の主らしかった。
「うわっ!」
どこから現れたんだ、コイツ。まさか幽霊とかじゃないだろうな。それにしてもえらいイケメンだ。肌は白く、そこにまた輝くような白いローブを纏っている。少々面長で髪と眉は金、瞳はブルーときたもんだ。天使、と言われれば信じてしまいそうなほど清潔感にも溢れている。
『ふむ。天使ではありませんが、似たようなものかも知れません』
「えっ!? 俺はまだ何も言ってないぞ」
『貴方の思考を読み取らせて頂きました。私の言葉も、貴方の頭の中に直接届けているのですよ』
「思考? 直接頭の中に……?」
『それより、どうやら巻き込んでしまったようで申し訳ありません』
「は?」
『貴方は2193
「2千……何だって?」
『世界樹の悪い虫が湧いた枝を切っていたのですが、誤って実に傷を付けてしまったようです』
何のことだよ。世界樹って言ったか。それは聞いたことがあるが、神話か何かの架空の木だったはずだ。
『架空の木ではありません。あそこに見えているのが世界樹の枝です』
彼は池の中央の大木を指さして言った。てかあれ、木の幹じゃなくて枝なのか。
『枝の比較的先端の部分ですよ』
「あれで先端かよ……」
『さらにそこから伸びた小枝の中に、悪い虫が湧いたものがありましてね。それを切り落とそうとして、貴方の住んでいた実に傷を……』
「待ってくれ。さっきから実とか傷とか、言っている意味がさっぱり分からないんだが」
『これは失礼致しました。少々お待ち下さい。知識レベルを確認させて頂きますので』
言うと彼はいきなり俺の頭を抱きしめた。っておい、俺にそんな趣味はねえぞ。だけど何だかいい匂いがするし心地いい。新たな境地に目覚めてしまいそうだよ。て、そんなわけあるか。だが、その至福の時間はすぐに終わってしまった。
『ふむ、そういうことでしたか』
「何がだよ」
『ではご説明致しますので……お顔が赤いようですが、何かありましたか?』
「な、何でもねえよ!」
『まあいいでしょう。気持ちを落ち着けて、そちらに座ってお聞き下さい』
彼は言いながら俺の背後を指し示す。そこにはいつの間にか、公園によくありそうな木製のベンチが現れていた。さっきまでそんなものなかったのに。
『ではまず、とその前に』
「うん?」
『私も、そんな趣味はありませんよ』
そう言って微笑むイケメンを、俺は本気で殴ってやりたいと思うのだった。