バーティカルリミット   作:グレーガンス

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生誕

我々とは異なる世界、セフィロト。

 

魔法が実在し、幻想が闊歩する紛うことなきファンタジー。

文明は内燃機関どころか蒸気にも届かず、ほとんどの国家は君主制を頂き、信仰が実体を伴う──地球とは前提が大きく異なる世界。

文化・習俗・人種・地理・法則、何もかも異なるこの世界でも変わらぬものがある。

 

──力の重要性。

 

いや、身近に戦わなければならない魔物(てき)がいる分、地球よりも遥かに表面化している。

 

力とは、強さとは────。

 

 

 

 

 

──それは、ただの農村であった。

 

特別な物産があるわけではなく、交通の要衝になることもなく、首都は遠く、街すらも近くはなく、税と魔物に苦しむが、暮らせないほどでもない。

年に一度の収穫祭と月に一度の行商、たまの旅人にだけ刺激を受けるような、およそこの世界で出来ても失くなっても気にも止められないような平凡な農村は、この日を境に歴史に刻まれることになる。

 

 

 

この日、アリアは幸福を噛み締めるはずだった。

決して楽ではない暮らしではありながら、幼馴染みのベンジャミンとの間に出来た待望の第一子。愛の結晶を産み落とし、その腕に抱き抱えることになる筈だったからだ。

彼女の女としての、母になる喜びは、産み落とした子供にこそ壊されることになってしまった。

異常に最初に気づいたのはジェーン。アリアの親友であり、彼女のお産を手伝っていた娘であった。

親友の股から生まれる命を優しく引っ張るために触れた瞬間気づいた。

 

(……巨大(おお)きい!?)

 

否。赤子の大きさ自体は常識の範疇から外れるものではなかった。しかし、ジェーンは赤ん坊に触れた手から感じられる存在の巨大(おお)きさに惑わされていた。

見ための大きさと、存在の圧(・・・・)とでも言うべきものの大きさが合っていないのだ。

だが、ジェーンの驚愕(おどろき)はさらに加速する。

 

──見られていた。

 

まだ、下半身が母の中にあるにも関わらず、その子供はジェーンのことを見ていた。

いや、見ているというより、観ている(・・・・)

ジェーンは直感した。

 

(この子は、私を観察している。敵じゃないかを判別しようとしている……)

 

生まれたばかりの赤ん坊に明確な意図が見えることにジェーンは恐怖した。

 

(──この子は悪魔憑きかもしれない、なら……!?)

 

瞬間、ジェーンの背筋が凍った。

 

──眼光。

 

 吊り上がり、見開かれる。赤子の目は猛禽の瞳のごとくジェーンを射抜いた。

手をつかんでいた手が赤子とは思えぬほど、強く、強く、握られ、固められ……いくらジェーンがか弱い娘といえども、赤子の手から逃れられないほどの万力のごとく強い力を感じるなど信じられないことであった。

悪魔憑きであるならば、殺さなければならない。そう、にわかに頭に浮かびかけた赤子への害意を敏感に感じ取られ、敵対者と見なされたのだ。

 

「……っあ、……ひぃっ」

 

 赤子を恐怖(おそ)れた──。

 

手に伝わる力と痛み、合わせていられなくなるほどに強い視線。村娘の温い害意を萎えさせ、心をへし折るのには十分すぎる代物だった。

 

 

 

──お産は恙無(つつがな)く進行した。

 

ジェーンの敵対心が失くなると赤子は戦意を波が引くように納め、お産の進行を促したのだ。

それからの出産はスムーズであった。結果だけ見れば母子ともに無事に済んだ、めでたいお産として終わることになる。

 

しかし、アリアは腹を痛めて産んだ赤子を抱いた時、異常に気づいた。

 

巨大(おお)きい……! それに、重量(おも)い──)

 

 アリアは首をかしげる。腕に抱いている以上、腕に納まる大きさのハズ。抱えて持てる重さのハズ! しかし、実感は異なる。

生まれたばかりの我が子を抱えながら……想う巨大(おお)きさは夏にうずたかく積もる入道雲であり、重量(おも)さは湖の水が丸ごと入った巨大な水がめを想起させた。

無論、そのようなものを抱えられるはずもない。しかし、生まれてから村を出ることなく育った彼女にはそれ以上に我が子から感じる存在感を適切に表現するものがなかったのだ。

 

「不思議な子……」

 

 現実感のなさからぼんやりと夢心地につぶやいた言葉に反応したのか、赤子が目を開ける。

 

「──っあ……あぁ」

 

 強く、冷ややかな目。我が子と視線を交えて、アリアは確信した。

 

(この子は、私を必要としていない────)

 

 赤子は強い。生まれたばかりにも関わらず、たとえ村から放り出されたとしても独りで生きていくことが可能なくらいに。

生きていくのに立ちはだかる数々の障害を踏み越えてしまえるだけの力が赤子にはあった。

 

──アリアは聡明であった。

 

 アリアの瞳から涙が溢れる。

 

「……あぁ、ああぁぁぁぁぁ」

 

(この子は、遠くないうちに私のもとからいなくなってしまう)

 

 アリアの気づき、それは誕生した我が子との別離の確信。

 

 十月十日、この日を心待ちにしていた。日に日に膨れていく腹を撫で、夫と微笑み合い我が子と顔を合わせる今日という日を楽しみにしていた。家族が増えるこの日を、新たな幸福を得るこの日を。

しかし、アリアの夢見た日々は決して実現することはない。

それどころか、顔を合わせた瞬間想像したものは、成長したまだ幼さを残す我が子が背を向け、自らのもとから離れる後ろ姿だった。

子が、親を必要としないという非常識。顧みることすらないという無関心。

それを証明するように、泣く母を、子は平然と見つめていた。

 

「うぅぅ、……あ、あなた、は、……ひぃぁっ、バティ、カル……うぅ、あなたの、名前は、バティカル、よ……」

 

 嗚咽に塗れた命名を受けて、赤子──バティカルは興味を失くしたように目を閉じた。

 

 

 

 

 

────わずかに五年後。バティカルは生まれ故郷に見切りをつけた。それは生みの親も、例外ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




バで始まってキで終わる名作のとある人物を思い浮かべた方がいらっしゃると思いますが、バリバリ影響アリアリですので間違っていません。ご安心ください。

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