転生は突然に
どうにも成らなくなり過ぎて
何かを恨まずにいられなくなった
全ての同胞たちに
この書を捧げる
――ペン先が明るいと思ったら、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた事に気がついた。
時計を見れば直に七時になるところ。
遅れてやって来た眠気と倦怠感に手を焼いたが、悪くない気分だ。
徹夜してしまう程に熱中するのも久しぶりだからだ。
「ん~~~~~」
背筋を伸ばした俺は、部屋をぐるりと見渡した。
何年も時間が止まっていたその部屋に在るのは、一つの本棚だ。
数学・心理学・脳神経学・経済学・歴史学・哲学・宗教学。
これら本棚に並ぶ書物たちは、俺の切っ掛けであり、土台であり、指針だ。
立ち上がって、その内の一冊に手を伸ばした。
ペラリとめくる。
『東洋哲学』
人間とは脳だ。
考える事・感じる事・走る事・生きる事。
人間のあらゆる行動は、全て脳が行っている。
人間を人間にたらしめているモノ、それが脳。
だが脳内に存在する物は、神経細胞とそれによるネットワークのみだ。
つまり、羨望と嫉妬の権化である才能は、脳神経細胞によるネットワークの産物 ――いや、これは表層にすぎない。今こうして考えている俺という自己意識は、たかだが一千億個の神経細胞が起す火花の現象に、過ぎないのだ。
なんと言うことだろうか。
俺とはなんら神秘的なモノではなく、ただの化学物質だったのだ。
何という無常。
何という儚さ。
だが転じて。
恐れ・苦しみ・傷つくこと・失敗すること、俺を含めた全ての人々を永らく苦しめてきたモノとは、そんなモノに過ぎなかったのである。
色即是空・空即是色〈しきそくぜくう・くうそくぜしき〉
『旅人よ、良く聞きなさい。お前のその苦しみは、お前自身が作りだしている』
あはは。
仏陀よ。
お釈迦様よ。
無宗教で通してきた俺が、まさかこう言う形で、アンタの教徒なるとは考えだにしなかった。
三年間続けてきた”訓練”をまとめたノート。
俺はそれを閉じると、長らく引きこもっていた部屋の扉をガラリと開けた。
母と妹に謝罪をし、父の遺影に手を合わせ、いざと挑んだアルバイト初日のその帰り ――俺は交通事故で死んでしまった。
◆
ここはどこだろうか。
真っ暗で、硬くて、冷たい。
全くままならない物だ。
これからという時に、こうなってしまうのだから。
これ無常なり。
とは言うものの、こうして突っ立っていても、何も起りそうに無いので、歩く事にした。
ヒタリ、ヒタリ。
そう、一歩ずつ確実に歩く。
ヒタリ、ヒタリ。
「ヒタ……あれ? 足がある?」
暗闇の中、体を探ってみるとちゃんと在った。
感触も、妙に生々しい。
「俺は生きてる?」
死後の世界とか在ったら困るので、その方がありがたいけれど。
「だとしたら俺はどうなった? というか、ここはどこ?」
気がついたら何処かに出ていた。
◆
真っ暗から真っ白だ。
床や壁といった目印はなく、ただ白い空間が広がっていた。
足で立っているという感触のみが在った。
例えると、真夜中の散歩中に、自動車のハイビームを突然照らされた感じだ。
「んー」
目を擦ったり、顔を叩いたり。
そう言ったことを繰り返すと、徐々に感覚が戻ってきた。
「んあ?」
そうしたら、椅子に気がついた。
亜空間めいた真っ白い空間に、椅子がポツンと在ったのだ。
「えーと、」
間の抜けた声を出してしまったのは、椅子に誰かが腰掛けていたからだ。
自動車に跳ねられたと思ったら、暗転し、真っ白な場所に出たと思ったら、誰かが椅子に腰掛けていた。
訳が分らない。
「……」
その誰かは、ゆったりとしたローブ姿だった。
ジェ○イが来ていそうな、質素でシンプルなだった。
フードは深く下ろされ、顔が見えない。
背格好から、子供か女か。
どうやら眠って……口は空虚に開いていて、頬は涙に濡れていて、手足は力を失った様に垂れていた。
何故だろうか。
絶望・無力・悲壮。
そう言った言葉しか浮かばなかった。
「ふむ」
悪い夢は醒ますのが適当である。
「あの」
「……」
「おーい」
「……」
「ちょっとスミマセン」
「……」
さて、困った。
全然起きない。
起きる気配も無い。
ならば覚醒の呪文を使うより他はあるまい。
俺は息を吸った。
「……遅刻するぞーーーーっ!」
「!!!」
その人は飛び跳ねた。
そして、辺りをキョロキョロと何度も見渡して、最後に俺をまじまじと見た。
「……?」
その人は、ローブを引き釣りながら俺の右に回り込むと、俺を見た。
次は左に回り込んで、また俺を見た。
また右また左。
最後に指で ――ローブで隠れているから予想に過ぎないが―― ローブ越しに俺をちょんと突いた。
「!?○?×!△!!!」
よく分らないが驚いているらしい。
ビシリビシリと俺を何度も指さして、ローブの影に窺える口は激しく動いている。
だが何も聞こえない
「っ! っ! ……?」
この人は声が出ていないことに気づいた様だ……ひょっとして話せない?
『声が出ない』
どこから取り出したのか、スケッチブックにマジックでそう書かれていた。
『ずっと一人だったから声が出なくなったらしい』
な、なんてこった。
こんな形で同胞に会おうとは。
俺もこの間まで、こんなんだったのである。
『お前は誰だ』
どう見ても警戒するべき状況なのだが、この沸き上がる親近感を誰が止められようか。
否、誰も止められない。
「俺も分らない。気がついたら真っ黒で、気がついたらここに居た」
『耳が痛い』
(スマン。これでどうだ?)
『OK』
普通の話し声が、耳に触るとか。
どれだけ引きこもってたんだろう。
(ところでここはどこ?)
『どこでもない所』
聞いても無駄らしい。
『真っ暗の前は?』
(バイトからの帰り道に、自動車に突っ込まれた所までは、覚えてる)
バイトとか自動車とか言ってしまって通じるか不安になったが、その人は腕を組んで思案にふけ始めた。
どうやら知っている言葉らしい。
一体何者なんだろうか、この人。
『……!』
何を思い付いたのか、妙な踊りをし始めた。
すると、周りに色々な何かが突然に現れた。
赤・白・黄。
丸・三角・四角。
シンプルなマークが、複雑な模様を描いている。
あの踊りは何かの操作で、幾何学的なこれらは情報らしい。
もちろん、さっぱり分らない。
『分った』
(なにが?)
『お前は選ばれた』
(は?)
『異世界で使命』
なんというか、いきなりだな。
訓練前の俺なら、頭が真っ白のフリーズだぞ。
(つまり、貴方は神様的な?)
『そう』
(転生神?)
『そんな感じ』
感じって何だ、感じって。
(一つ聞きたい。あの交通事故の原因は?)
『ウンメイ』
……なぜだろうか、急に筆跡が乱れた。
ローブの内側に、教師の問い詰めで窮する生徒が幻視できるのは、何故だろう。
(あの事故の原因は?)
『全ては因果で繋がっている。ここにお主が立つのも意味がある』
突然、演技っぽくなったぞ。
(あの事故は、アンタが起したとか、?)
『これは因果』
(ほーん)
『因果』
(そうか。因果か)
『そう。因果、因果♪』
うむ。
すべき事はしないとな。
俺は、目一杯の息を吸ったのである。
「なんて事しやがる! このクサレ!」
その自称神様は、耳を押さえて「――っ!」しゃがみ込んでいた。
「この外道!」
その自称神様は、耳を押さえながら「――っ!」のたうち回っていた。
「なにが神だ! このアクマ!」
「やっかましい!」
「にょあーーーーっ!」
突然、体が痺れたのだ。
脚の痺れの全身版の様なヤツ。
神パワーってやつか!
「こ、こにょ、やろほ!」
残念な事にろれつが回らない。
「ったく、ゴタゴタうるせぇ! そうなってんだからしゃーねーだろ! ……声が出てる」
相変わらずフードに隠れたままだが、声は高かった。
俺っ子だったか。
声が出る様に成って良かったね……いやいや、そうじゃない!
「断る! っていうか、ふざけんな! 殺され掛かった相手の頼みなんざ、聞く理由なんてない! 早く元の場所に戻せ!」
「だーかーらー! そうなってるんだから仕方がねーだろ! 男がグダグダ言うな!」
「男だろうが女だろうが元の世界に戻るべき! つーか男女差別反対!」
――プチッ――
プチ? なんだ、その、堪忍袋が切れた様な音は。
「ゲートオープン! 強制転移!」
俺は、突然現れた落とし穴に、落ちてしまったのである。
その穴の遙か底に、現代とは異なる人の世界を垣間見る事が出来た。
そうか、あそこが異世界か。
一度はおいで、楽しい異世界♪ ……なんて言うと思ったか!
「ふっざけんんんなーーーっ!」
落下しつつも、ちらりと聞こえたその声が、
――俺はもう何も出来ない。頼んだぜ―――
懇願の様に聞こえたのは、泣く程に魘〈うな〉される姿を見たからだろう。
そんな事を思った。
「ここはどこ?」
そう自分に問うてみた。
目の前には、ファンタジーゲームで見る古いヨーロッパ風な光景が広がっていたのだ。
武器屋・道具屋・宿屋。
何処かの町らしいがリアルには無い店ばかり……でもないか。
エアーガンショップ・ホームセンター・ホテル。
こんな風に置き換えれば、アリエルといえばアリエル。
リアルに無いのは、道行き交う人々である。
戦士だったり騎士だったり、僧侶だったり魔法使いだったり、エルフやドワーフも居る。
どこからどうみても異世界に決まっている。
いや、それは問題では無い。
どういう状況なのか、と言う事だ。
なので自分の姿を見てみた。
【装備】とても質素な村人の服
【所持金】10G
どこからどう見てもRPGの開始状態である。
これが特典なら、クーリングオフものだぞ。
って、ポケットに何かある。
ゴソリゴソリと探ってみれば、これは指輪だ。
俺はいつの間にか指輪を持っていた。
何を言っているか分らないと思うが、実は俺もよく分らな ――「んあ?」質素で飾り気の無いその指輪は、古代文明の遺物にも見える。
不思議な力が宿る指輪とかか?
パサリとポケットから落ちたのはメモだった。
筆跡からあのクサレ神のモノだろう。
【特典】運命の指輪〈エターナル リカーレンス〉
あらゆる世界に一つのみ存在する。一度装着すると、盗まれても無くしても、持ち主の所へ戻る。
「呪いのアイテムじゃねーか!」