賑やかな町をふらふらと当ても無く歩く。
そしたら、目の前を行き交う人々の体が、俺のと作りが大体同じだと気がついた。
日本語なのか、俺が日本語として認識しているだけなのかは分らないが、字も読める程度に大体同じ。
建物は大体どれもレンガ色だが、その作りも元の世界のと大体同じ。
中身もそうだ。
例えば食堂の店員は、軽やかに客を案内していた。
『いらっしゃいませー。ダイナーヒンデンブルグにようこそー』
運送のおじさんは、酒樽を積んだ馬車を走らせている。
『そこのけそこのけお馬が通るー』
役場のカウンターには順番を待つ人々の姿があった。
『三番のカードをお持ちの方は、六番窓口へー』
そして学校。
敢えて詳細は語るまい。
『先生おはようございます!』
『はい。おはよう』
この異世界がどういう経緯を経た世界なのかは知らないが ――前世これは前の世界という意味だが―― 前世が参考になる経緯を経ている世界だと分った。
人は生まれて、学校に行って、何らかの職業に就き、貨幣を使って経済を回す。
そして、大きな交差点では軽装の騎士が槍を立てていた。
言うまでも無く治安維持、つまり警察だ。
「んで」
真っ直ぐ伸びる道路の結構先に、尖った建物が見えた。
どうやら教会らしい。
「宗教も完備、と」
結論。
この世界は前世と大して変わらない。
インターネットが伝書鳩・トラックが馬車に戻っただけだ。
強いて言うなら。
「ウェーン!」
「シスター! 弟が転んだ!」
庭ではシスターさんが、転んだと思われる子供の擦り傷に、石をあしらったペンダントをかざしていた。
すると、みるみる傷がふさがっていくのである。
これは魔法だ。
言うまでも無く異質なシロモノだが、社会がこれだけ似通っているならば、人類にとって魔法は道具に過ぎないのだろう。
「置いてくぞー」
「ちょっと待ちなさいよ!」
目の前を、剣を携える騎士・メイスをぶら下げた聖職者が、通り過ぎた。
そしたら続いて、ワンドを杖替わりにする魔法使いが「若いってのは良いのぅ」・弓を持つエルフ「あの二人は本当に飽きませんね」・斧を担ぐドワーフ「一向に進展せんから、飽きてくるわい。ふわー」、仲間であろう三人がやっぱり通り過ぎた。
ファンタジー異世界で使命ねぇ。
やっぱり、苦楽を共にした仲間と共に、見つけた伝説の剣で魔王を倒すのかなー。
やだなー。
前世じゃ、流石に戦闘訓練はしてないんだよなー。
イチから始める事になるな-。
まぁ、前世で縁の無かったヒロインと出会えるならー。
”カラン”
音を立てたのは、ポケットから落ちたあの呪いの指輪だった。
捨てるのも危険だというので持ち歩く事にしたのである。
「それはそれで携帯方法を考えないと、っと。待てって」
コロコロと転がり、コツンと誰かの足先に当たった。
「申し訳ない。それは俺の、」
「……あー」
「あー?」
”あー”が、その誰かの声だと理解するのにすこし時間が掛かった。
「あー……あぁぁ……あー」
黒髪ロングは柔らかなクセっ毛で、目尻は温和に下がっていた。
ゆったりとしたワンピースは、それに隠れているだろう中身を、ソーゾーしてしまう曲線を描いていた。
ぽっちゃりよりは、ふんわりしたが適当だろうか。
随分とエチエチな娘だが、どうやら悩み多き年頃のご様子。
「あー、あー、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
事実、その溜息はモコモコである。
実際、その娘は前を見ていないし、指輪にも気づいていない。
ただ、ふらふらと歩くのみ ――その娘はコテンと倒れた。
何も無いところで躓いた。
おいおい。
「君。大丈夫か?」
そしたら彼女は、俺を見て、周囲を見て、最後に自分の姿に気がついた。
「……っ!」
そして、すっくと立ち上がり。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
何度も謝り倒しながら、後ずさりで、どこかに行ってしまった。
なんというか、妙に親近感を感じさせる娘である。
◆◆
あらゆる結果は、準備の帰結にすぎない。
グダグダ言っていても仕方が無いなら、行動が肝要である。
と言う訳で冒険に出発だ。
町を出て直ぐのモンスターならどうにでも成るだろう。
「これください」
「まいどー」
なけなしの十ゴールドで、棍棒・丈夫な旅人の服・薬草を購入。
「町の外へはどう行ったら良いのでしょう?」
「ここをまっすぐ行くと東ゲートがあるよ」
我ながら完璧な計画〈ゲームスタート〉だ。
そうしたら、デカイ壁とデカイ門に阻まれた。
高さは棒高跳び選手なら辛うじて越えられそうだが、その大きさは先が見えない程に長い。
この町をグルッと囲っているらしい。
門番を勤める屈強なおっさんいわく。
「町の外に出るには資格が要るよ。資格を取るには冒険者ギルドで試験を受けねばならないよ。試験を受けるには養成所に入学する必要があるよ。入学するには金が必要だよ」
つまりは、自動車免許と同じだ。
だが使ってしまったので所持金はゼロ。
ファンタジー世界なのに、なんという世知辛さ。
見上げれば、頭上に一番星だ。
つまりは、今晩寝るところすら無い。
「どうするんだよ! 進退窮まったよ!」
◆
◆
◆
◆
◆
「ホーホー」
夜も更ければフクロウも鳴く。
大通りから住宅街を抜け、静かな山の中に至れば、目の前に大きな館が建っていた。
手にあるのは、求人票である。
一晩の宿を求めて、教会に行ったら、こうなったのだ。
《働かざる者食うべからず、です》
とはシスターの弁。
ぐうの音も出やがらない。
それは良いのだが、良くないのはこの求人票だ。
『急募! 調理補助・年齢不問。 アットホームな職場で働いてみませんか?』
臭う。
臭うなんてもんじゃない。
ヤバ臭がプンプンだぜ。
だが「グゥ」と腹が鳴れば、そうもいかない。
賄い付き・住宅補助は、おいしすぎるのだ。
「ごめんくださーい」
勝手口すら立派なお屋敷だ。
さぞイケメンな執事が出てくるかと思えば、コック姿のオークが現れた。
何を言っているか分らないと思うが、そのまんまである。
厨房衣は、はち切れんばかりの筋肉でパンパンに膨らんでいた。
下あごから飛び出る牙は、丸太すら砕きそう。
両手には、猛獣すら真っ二つにできそうなデカイ包丁があった。
どこからどう見ても『オレサマ オマエ マルカジリ』だ。
「オマエか? 新入りってのは」
臭いなんてモンじゃねぇ。
◆
「えーと、トマトが十キロ、豚肉が五キロ……」
あれから一週間が過ぎた。
俺は、今日も調理補助と言う仕事に勤しんでいる。
「ダンナ。ここにサインをしてくれよ」
「牛乳が一瓶足りない。サインは揃ってからね」
「ったく。今度のダンナは固くていけねぇや」
こんな風に、業者が運んでくる肉や野菜の確認をしたり、厨房の掃除だったりと、地味だ。
地味なのだが、整備を受けない機械は壊れる。
機械は人間が作った物。
厨房も人間が作った物。
掃除とは厨房の整備。
こう考えれば、身が入る。
なにより、料理長だ。
「食材の確認が終わりました」
「ご苦労」
丸太すらへし折る筋骨隆々な腕だというのに、魚を綺麗に捌き、出汁を素早く取り、四季を感じさせる綺麗な盛りつけをする。
こうして、見ているだけでも得られるモノが多いのだ。
見かけで判断してはいけないと、反省しまくりである。
にしても、なぜオークがこんなに器用なんだろうか。
「料理長のお母さんは女騎士だったとか?」
「正解だ。よくわかったな」
マジで?
馴れ初めが気になります。
「ところで新入りよ。皿洗いはどうした」
「終わってます」
「もうか? オマエは手際が良いな」
「んへ?」
「早いって誉めたんだよ」
「あ、どうも」
トロいだの、ボサっとするなだの、前の世界で言われ続けてきた俺が早いだって。
訓練の甲斐があったってモンだ。
「ほらよ。今月分の給金だ。色を付けておいた。早く国に帰れると良いな」
「料理長ーーーーっ!」
止めてくれよ、惚れてまうやろー。
◆
「帰ってメシだ♪ タコ・キュウリの酢和えと、脂がのったブリ焼きだ♪ どこからどう見ても酢ダコとブリだ♪ モノの名前は、前世と大体同じ、なぜだろうか? 美味しいから問題なしー♪ ……おー」
それはそれは、綺麗な光景だった。
ゆったりと流れる大きな川・それをまたぐ大きな石橋、そして古風な町並み。
それらが夕日を浴びれば、SNSで見る様なワンショットである。
「いいねボタンが無いのが悔やまれる……あれ?」
件の指輪をレンズ替わりに覗いていたら、一人の女の子に気がついた。
俺は、その娘に見覚えがあった。
転んで、謝り倒して、走り去った女の子なんて、そうそう忘れまい。
その石橋の上は、酒場に繰り出す人・仕事を終えた人で賑わっていると言うのに、その娘のみが陰鬱な空気を漂わせていた。
なんというか、みすぼらしい姿になってしまっていた。
髪はぼさぼさ、服はどろどろ、一番ヤバイのは目の虚ろさ加減だ。
レイプ目ではなく、一切の希望を棄てよの類いってやつ。
何があったのだろう、いや、どうするべきか。
赤の他人に過ぎないし、余りの悲壮さに声を掛ける事すら躊躇われるのだが……なんか、引っかかるのである、この娘。
◆
そうこうしていると、その娘は欄干〈らんかん〉の上へと登り始めた。
欄干とは手すりの事である。
序でに言うと、脱いだであろう靴が綺麗に揃えられていた。
なんというか、身投げって感じだ……身投げ?
「まてまてまてーい!」
「誰ですか! 貴方は!」
「この間、君の転倒を目撃した通行人だ!」
「それって赤の他人じゃ無いですか! 放してください!」
その娘の腰回りをガッチリとホールドしたのは、言うまでも無く緊急時だからだ。
老若男女問わず、人というのは結構重いのである。
「そうだけど! 他人でも制止する状態じゃね?!」
「……え?」
「身投げかと思ったんだけど、違った?」
「いえ、間違ってません。合ってます」
「そうか。それなら結構」
「やっだー。もー」
「あはは」
「あはは……は、は、放してください!」
その娘は、欄干の外側にポツンポツンと備えられた小さな橋塔に、しがみついていた。
なので、引っ張ってもなかなか引き戻せない。
「だから落ち着け!」
「貴方になにが分るんですか! 私はもうダメなんです!」
「何も分らんけどさ! 早まるなって!」
「早まってませんから!」
その娘が、片脚片手をブラブラしているのは、既に落ちかかっているからである。
体重は俺の半分程だろうとも、踏ん張りが効かないならば、結構辛い。
「嘘つけ! どうみても、未練アリアリじゃねーかよ!」
「未練なんてありません! 私はこのまま飛び込むんです!」
「未練無い奴は、そのまま、フーっと死ぬんだよ! 迷ったりしないんだよ! あ、もう起きないと、そんな感じで道路とかに飛び出すんだよ!」
「……え?」
まったく、これだから若い奴は……その娘の腰回りに腕を回している俺は、ある種の臭いを感じ取った。
この娘の尊厳に関わるので、言葉を選ばねばならないだろう。
「……お風呂入ってない?」
「死にます! 死んでやりますから!」
グラリと世界が傾いたのは、欄干に載せた俺の腹を支点に、俺の足が浮いてしまったからだ。
YABAI。
「落ち着け! 今の無し!」
「女の子に臭いとかあんまりです! 生ゴミの様な臭いなんて!」
「だから今の無し! つーかそこまで言ってねぇよ!」
「だからこのまま死なせてください!」
グラリグラリと世界が傾き続けるのは、俺がズルズルと引っ張られているからだ。
もちろんカウントダウン中。
「だから落ち着、け……?」
「え、」
「わ、」
「「いっやーーーーっ!」」
ザッポーンと言う音がしたのは、俺ら二人が橋から落ちたからである。