「モガモガモガ」
これは水の中をもがく音である。
「プハッ!」
これは水面上に顔を出した音だ。
「モガモガモガ」
泳げる俺が何故再びモガモガしているのかと言うと、足を引っ張られているからである。
俺の足つまり川底の方を見てみれば、長い髪をユラユラさせながら、危機迫る顔で俺を引っ張るあの娘が居た。
「っ! っ!」
溺れる者は藁をもつかむと言うが、死ぬ気なんざねーじゃねーかよ。
そうと分れば、いっせーのーせ。
「「モガモガモガ」」
◆
ポタリポタリと雫が地面に落ちる。
見ろよ、雫は俺の体力の様じゃないか。
「つ、疲れた……」
俺らは船頭さんに助けられたのである。
「にーちゃん。心中とは感心せんでー」
「違うんです……助けようとしたんです……」
「若いと色々あろうがなーその娘とちゃんと話し合うんやでーほななー」
「ありがとーございましゅー」
船頭さんの船こぎをなんとか見送ると、そのまま大地に背を預けて仰向けだ。
大樹からの木漏れ日が躍動的にキラキラと光るのは、額から伝う川の水が、目に入ったからである。
「暖かい地域の、暖かい季節の、暖かい時間で、助かった……そうは思わないか、そこの女の子」
「しくしく」
同じく助かったあの娘も、少し離れたところで、さめざめと泣き崩れていた。
「で、なんで身投げ?」
「しくしく」
「……学業?」
「今、そんな事でって思いましたね!?」
「言ってねーよ!」
「あー! やっぱり思ったんだ!」
肩を怒らせながら俺に詰め寄ろうとしたその娘は、ビタンと何も無いのに転んだ。
「しくしく」
「運動神経も、ダメか」
「しくしくしくしくしくしくしくしくしくしく」
◆◆
茶屋から出た俺は、川辺の賑わいから離れた小さなベンチに、腰掛けた。
「はいどーぞ」
「ありがとう御座います」
何日もマトモな物を口にしていなかったらしいその娘は、トレーに載った軽食を、瞬く間に平らげた。
腹が膨れたせいだろう、その表情は随分落ち着いていていた。
「見ず知らずの方に、ここまで親切にして頂いて。なんてお礼を言って良いのか」
「乗りかかった船だから」
乗りかかった船か、自分で言ってそう気がついた。
「悩みを聞いて進ぜよう。吐き出すだけでも楽になる」
「え、でも、見ず知らずの方に」
「赤の他人だから、だと思わないか? 何のしがらみも無いぞ。俺は」
小さな口が語り始めたその娘の悩みは、聞き覚えのある事だった。
「……何やっても駄目なんです」
「ふむ」
「気が散りやすくて集中出来なくて」
「ふむ?」
「人の話が聞けなくて。後先考えずに思いつきで行動して」
「……」
そしてそれは、身に覚えのある事でもあった。
「不器用で球技とかさっぱりで、せっかく入った学校も追い出されちゃいました」
「先生に?」
「いえ、学友からです。お前みたいな奴は学校の恥だから出て行けって」
「なるほど」
友達では無く学友と言う辺り、随分深刻そうだ。
「何が分るって言うんですか。普通な人に、私の気持ちはわかりません……」
「ネガティブを直そうとポジティブに振る舞うけれど、何も出来ないままだから結局は失敗ばかり。人の失望を買い、そしてどうせ私なんてと自暴自棄」
「貴方を殺して私も死にます!」
「どこからだしたの そのほうちょう!?」
「包丁は女の子の嗜みです」
どこの世界の嗜みだ。
おっといけない、ココは異世界だ。
「それ、なんとかなるかも」
「それって何がですか?」
「何も出来ない自分って奴」
「……」
なんとまぁ空虚な笑みだろうか。
昔の自分が写る鏡を見ている様で、結構辛いモノがある。
人生これからって若さなら尚更だ。
「できっこありません。実際にできませんでしたから。自分を変えようって、変えたいって。何度も、何度も、何度も。でも何をやってもダメでした」
「やり方が間違っていただけ」
「そんな事ありません! 精一杯努力してきました!」
「本当に?」
「本当です! 辛かった! どれだけ辛い思いをしても、なに変わらなかった!」
ベンチから立ち上がり、俺を見下ろすその娘の頬を、涙が伝っていた。
その気持ちはよく分る。
だけれども、だけれどもだ。
”自分に対して怒れる”なら、その状況はこの娘が思っているよりずっと良い。
「努力とは」
だから俺はこう切り出したのである。
「辛い目にあう事では無い。その対価……違うな。”何か”を出来るようになる事で、辛い・苦しいは極力排除するべき代金に過ぎない。安く買い叩くべきモノ、が例えとして適当かな? 君は、根本的に間違えている」
「……どうして言い切れるんですか」
「今は秘密。説明したところで君は理解出来ないから。でも、本当にどうにかしたいと思うなら、付いてこい。俺はその方法を知ってる」
「……本当ですか?」
「あぁ」
そうか。
そう言う事か。
俺がここに来た理由は、この娘だったのだ。
この娘は昔の俺だ。
◆◆◆
この世界には、女神になる為の養成校というのが存在する。
その女神ってのは、神に祈ったりお告げをしたりする巫女の様な存在らしい。
この世界の娘なら、誰もが一度は夢見る職業なのだそうだ。
そしてこの娘も、その例外では無かった。
「おまたせ、しました」
俺の家は、機能的にもデザイン的にも質素限りない。
なのに鮮やかさで満ちていたのは、その娘の黒く長い髪が湿り気を帯びて艶やかに光り、纏う湯気が幻想的で神聖をイメージさせるからである。
女神はここに居るぞ!
俺は細心の注意を払って、その娘を椅子に誘った。
「はい、どーぞ」
差し出したのは、果汁を水で割った飲み物だ。
ジュースとも言う。
「恐れ入ります」
風呂上がりなのは、臭いを気にしていたので、帰宅早々風呂を勧めた結果である。
グレーの半袖半ズボン。
その娘は、暑さ故に薄手のそれを何かと気にしていた。
「俺の着替えで申し訳ない。女っ気が無くてね」
「……いえ」
年齢は、十代だろうか。
湯上がり肌を考慮しても随分若い。
幼いと言っても良い。
色々怖いので、実年齢は聞かない事にした。
にしても、ずいぶん可愛い娘だ。
同じ黒髪ロングでも、しぶりんみたいなクール系じゃなくて良かったぜ。
「……おいしい」
飲み物を気に入った様で、張り詰め感がみるみる緩んでいく。
釣られてこちらも、一安心だ。
「御当主様が食べる食事の余り物を頂けるんだ。高級ブドウだぞ、それ」
「……働いてるんですか?」
「なんだ、その意外そうな顔は」
「平日の昼間でしたからてっきり」
「そりゃひどい」
見つめ合い、指折り数えて1・2・3。
俺らは「「あはは」」吹き出した。
この娘の名前を、”ポーラ=ノーザンスター”と言う。
北極星、旅人を導く星……おぉぉ、壮大というか、格好いい。
俺の名前は無難すぎるから、少し羨ましい。
◆◆
コトリ、俺はコップを固めに置いた。
先生が教卓に諸々を置く感じだ。
「早速だけれど本題だ。俺がポーラに伝えられるモノは、克服方法だ」
「克服……”方法”?」
「そう。生憎だけれど、女神養成校での勉強なんて俺は知らないし、知る余裕も無い。だから、それを如何に上手く身につけるか、その方法を伝える」
出会って数時間の男の家で風呂に入るってのは、相当追い詰められている証しだ。
俺も気合いを入れよう。
「そんな事が出来るんですか?」
「その前に、才能って何だと思う?」
「凄い人の事です。私なんかが持って無くて……私なんかが手に入れられなくて……」
「はいはい。ストップ」
落ち込む時間など与えはしないぜ。
「もっと具体的に」
「……」
黙りこくってしまった。
いきなりは無理か。
「では、どういう時に才能が有ると言う?」
「……普通の人が出来ない事を、簡単にできる人を言います」
「そだな。簡単に言うと、成長が早い人の事だ」
例えば高校野球、一年生で四番バッターなら才能あり。
また或いは飛び級、小学生が大学に入れば才能あり。
「こういった人々が時間経過と共に能力をあげて、大人になって偉業を成し遂げたりして、素晴らしい才能だと人々は言う」
ステータスっぽく言えば成長速度だ。
「はい……」
ずーんと落ち込んでいた。
「はいはい。自己嫌悪はストップ。では、もう一度聞くぞ? 才能とは何だろうか」
「できる事です」
「正解。出来ない事が出来るようになる能力、これが才能の本質だ」
「私なんて、何やってもダみぇ、」
俺はポーラの頬をつまんで引っ張った。
「いちいち落ち込むな。引き上げるのが面倒だろ。えいえいえい」
「いひゃいでしゅぅ!」
「どの口が言うか、この口が言うか。えいえいえい」
「にょびましゅ! やめにぇー」
「もういわないか。えいえいえい」
「いいましぇん!」
◆
ポーラは涙目で頬をさすっていたが、俺は何食わぬ顔で果汁水割りを飲んだ。
「ここから本題。では、出来ない事が出来るようになる能力とは、なんだ? 何が原因で、その能力が発生すると思う?」
「えーと」
「それは、ここだ」
俺は、自分の頭を指さした。
頭蓋骨にあるタンパク質の塊、一千億個の神経細胞からなるネットワーク、人を人たらしめている存在。
脳が、その能力を生み出している。
相対性理論を発見した天才科学者だろうと、高校生天才棋士だろうと、変わらない基本原則だ。
「頭ですか?」
「そう。正確には頭の中に在る神経細胞だ」
発達障害とは、何らかの原因でそのネットワークに偏りが生じてしまっている結果だ。
ここでは、その原因は問わない。
重要なのは、神経細胞は三ヶ月で新しいネットワークを構築するという、科学・医学的事実だ。
つまり、ポーラを長年苦しめてきた偏った特性を訓練によって治す事が出来る。
「良く聞くんだ。天才と鈍才は同じ土俵に立っている。”天賦の才”とか神が与えた才能なんて言葉が在るが、ただの化学反応に過ぎない」
そうだ、彼女は発達障害なのだ。
彼女に既視感を持つのも当然だ。
俺が積み立てたモノを使って、彼女を救うのだ。
「どーだ。驚いただろ。やる気出ただろ。才能とは、けして太刀打ちできない相手ではないんだぞ」
「あのぅ……」
「なんだよ。もっと驚けよ。俺がコレに気づいた時は変な声だしたぞ」
「んひゃん♪」
「そう言うのは、男の前でやらない方が良いと思うぜ」
「シンケイ サイボウって何ですか?」
「……へ」
「才能とは神様がお与えくださったモノです」
しまったーーーー!
ここは異世界ファンタジーワールドだったぁぁぁぁぁ!
「……」
やべぇ、不信めいた眼差しだ。
宗教絡みは面倒なのだ。
なにせ神様が保証してくれるので、考える事を放棄できてしまうのだ。
これって超面倒、どうしよう。
「シンケイサイボウとは精霊の事だ」
おぉ、俺ナイス。
「精霊?」
「そうだ。怒りの精霊・哀しみの精霊、人間の中にはこれらの精霊がいるだろ? この事だ」
「そうだったんですか! 凄いです!」
「これは秘密だから誰にも言わないように」
「はいっ!」
人は俺を誹るやも知れぬ。
ならば俺はこう言い返そう。
『嘘も方便』
仏教用語だぞ。
ざまーみろ。
◆◆
「カァカァ」
気がつけばカラスが鳴く時間となっていた。
なので俺は、ポーラを玄関に案内した。
「では明日からと言う事で、今日はもうお終いだ。俺も仕事があるから、明日の昼に来ること」
これ以上、この娘を独身男の家に置いておくのは、よろしくない。
「あのぅ」
「質問か?」
「お名前をまだ伺っていません」
「言ってなかったっけか」
ポッと頭に浮かんだのは、某有名SF映画のワンシーンである。
「俺はマスターと呼べ。返事をする時は”Yes,マイマスター”だ」
「マスターさんですか。ふつつか者ですが末永くよろしくお願いします」
「だから"Yes, マイマ……"へ?」
「お願いします」
「あ、ああ。こちらこそお願いします」
何か違和感を感じたが、気にしない事にした。
ポーラの様なタイプは理論の飛躍をしてしまう物なのだ。
それに、今後の訓練で治るのだから、何も問題は無い。
「それじゃ、お休みなさい」
「はい。お休み」
俺はパタンと玄関の扉を閉めて、ポーラを見送った。
そして、ゴソゴソとベッドに潜り込む。
「なんか……疲れた~~~」
とにかく寝よう。
細かい事は明日だ、明日。
神経細胞の回復は睡眠が基本なのだ。
「何か忘れてる気が……」
そう考えていたら、いつの間にか夜が明けていた。
チュンチュンと、新しい一日の到来を祝う雀たち。
俺はせかされる様にベッドから這い出した。
バイトは朝早いのだ。
「……へ?」
毎朝配達される瓶牛乳を取ろうと扉を開けたら、朝露に濡れたポーラが立っていたのである。
何というか、”私、一晩中待って今した”感がアリアリである。
残念な事に、残念なので、キャッキャウフフ感は無い。
「寮……追い出されて……行くところが無くて……」
「我慢だけは何度も繰り返してきたから、それだけは上手い、と。俺、うっかりしてたな。すまんかった」
「ぐしゅ」