『TooFooo~~♪』
聞こえたラッパの音に、目を手元から窓に移せば、仕事に来たのだろう行商を見る事が出来た。
その行商はホビットなのだが、身の丈以上もある荷物を苦と思う事も無く、軽快に歩いている。
『TooFooo~~♪』
足取りのみではなく喇叭の音色も軽快で、踊りを見ている様な気分になってくる。
ついつい買ってしまいそうだ。
出来るなお主!
『TooFooo~~♪』
にしても、何を売っているのだろう。
トォォォフゥゥゥーーー、だって。
トーフートウフ……まっさかぁー♪
はっ! いかん、いかん。
教材だ、教材を作らねば。
『豆腐はいらんかね~~♪』
作るのは、木製のパズルブロックである。
強いて例えるとテト○スのブロックだ。
木片は無地のサイコロ形状なので、二つをくっつければ、直方体になる。
三つをくっつけると、Lの字だ。
こんな手順で、1から9までを意味する塊を、作った
流石に接着剤は無かったから不安だったけれど、意外とガッチリくっついたな。
結構結構。
俺は、頭上で寝ているだろうロフトの主に、届く様に大きい声で、こう言った。
「これは算数の訓練をする道具だ」
命名キューブズ。
これの要点は、頭の中で完結するしてしまう計算の流れを、身体的感覚と結びつける事にある。
計算の体感理解と言えば分りやすいだろうか。
「だから、体が覚える様に”2たす3”といった暗算楽勝問題も、ちゃんとキューブズを使って行うこと」
『はぁぁぁぁぁ~~~ぃ』
俺はハシゴを登ってポーラの様子を伺った。
「訓練は回復してから、だからな」
「大丈夫ですぅぅぅぅ~~」
布団の中のポーラは弱々しい……と言うより疲労困憊が形容として適当である。
「とてもそうは見えないし」
「それぞれをちゃんと握って、感覚を頭の中で再現するんでぇすぅぅぅねぇぇぇ。石と枝を握る訓練が、これの準備だったんだって分りますからぁぁぁぁ~~」
「おぉぉ。偉いぞ、偉い偉い」
「え、へ、えへ、えぇへぇぇ……ゴホゴホ」
ポーラの枕元に置いてあるのはカレンダーだ。
それに鉛筆で記された印の連なりは、今日休むと今月の皆勤賞がお釈迦になる事を意味していた。
ズリズリとは、お釈迦を阻止しようとポーラが布団から這い出る音である。
「だからぁぁぁ~~くんれんをぉぉぉ」
「その心意気や良し。だけど休みなさい」
「で、でもぉぉぉ」
「駄目です」
「だぁってぇぇ」
「駄目。回復も訓練だ」
「えぐえぐ」
ポーラはズリズリと再び布団に潜り込んだ。
「マスターさぁぁん。これは一体なんれすかぁぁぁ」
「ただの疲れです」
「だって、こんな感じは初めてでぇぇぇぇぇ、風邪なのに風邪じゃ無いかんじでぇぇぇぇぇぇぇぇ」
「そりゃーそうだろ」
◆
走る・笑う・考える。
人間の行動は脳が司っているが、その脳の中にあるのは、神経細胞とそのネットワークのみ。
つまり、脳を鍛えるとは、神経細胞を鍛えることに他ならない。
その方法は、筋肉と一緒だ。
負荷を掛けて回復させる、この繰り返し。
なので、当然ながら疲労してしまうのである
身体的疲労に段階がある様に、神経細胞の疲労にも段階がある。
初期段階。
集中力・注意力の欠如や倦怠感など、寝不足の症状によく似ている。
中間段階。
ほてり・さむけ・めまい・はきけなど、風邪の症状に似ている。
そして。
疲労し過ぎると強度の意欲低下や幻覚・幻聴・睡眠障害などを引き起こす。
これは俗に言う鬱症状だ。
その対策は、睡眠のみだ。
栄養をたっぷり取って、適度な運動をして、よく眠るのである。
睡眠は、一日単位・一週間単位・一ヶ月単位で、考える。
睡眠をまとめて取ることは出来ない。
大事なので二度言う。
睡眠をまとめて取ることは出来ない。
これを軽視すると、昔の俺のようにしくじる事になる。
俺が編み出しポーラに施しているこの訓練は、性格すら変えうるものだ。
シンプル故にごまかしが利かず、根源的である故に強力。
それは危険と同義だ。
逆に言えば、慎重に計画的に行うなら問題ないのである。
転じて。
自分のペースで睡眠を取ることが出来るニート・引きこもりにのみ、出来る訓練なのだ。
多人数が前提の陽キャや、守るモノを積み上げてしまったリア充には、できんのである。
ちょっと格好良く言ってみよう。
NEETとは選ばれし者なのである。
おぉ……聞こえる。
英雄の帰還を讃える壮大なオーケストラが聞こえる……。
◆
「と言う訳で、俺は晩ご飯の調達をしてくるから、大人しく寝てるんだぞ」
「しくしく」
「大丈夫だって。ちゃんと休めば、元気になるから」
「そうじゃないんです。私は自分が不甲斐なくて」
「不甲斐ない?」
聞き返してしまったのは、頬を濡らす涙が、真剣だったからだ。
予想だにしない教え子の姿に、俺は浮かしていた腰を下ろした。
「マスターさんが仕事まで休んで色々してくれているのに、病気なんて情けなくて……頑張りますから! 私頑張りますから! お願いです。捨てないで……」
「あのな」
俺は、縋り付くその娘の頭を、優しくでは無くわしゃわしゃと陽気に撫でた。
ポーラが戸惑うのは、俺の手が慰めではなくて誉めている様だからだろう。
そして、実際にそうだ。
これは俺にとっても喜ばしい。
「ポーラ。お前、気づいてるか? いま悔しいって思ってるだろ」
「え、くや?」
「お前は、いままで誰かに言われるまま生きてきた。失敗しても、好きでやってるわけじゃ無いからと、従ってるだけだと、自分に良い訳が出来た。でも今のポーラは違う」
「え、なら、これって」
「そう。お前は、生まれて初めて、悔しいって思ってる」
その涙は自発の証しだ。
「誇って良い。ポーラはちゃんと進歩してるよ」
「うぇぇぇん」
「おーよしよし」
若いのにポーラは立派だ。
学生時代を思い返せば、大半のヤツなんて『体調が悪いから休みますー♪』だったぞ。
俺の事は敢えて語るまい。
◆
突然カランコロンと鳴ったそれは、来客を告げる扉の鐘だ。
お客?
もうすぐ夕飯なのに?
応対しようと思ったら、俺の身体は動かない。
何故だろうか。
この、柔らかくて暖かい感覚はなんだろうか。
まるで、理性が熔けていくかの様だ。
「……」
「……」
突然ですがここで問題です。
潤んだ瞳・上目遣い。
女の子が寝室でコレを行うその意味を答えよ。
「ポーラ」
「マスターさん……」
「来客だから」
「ソウデスネー」
答えは、恥ずかしい勘違いだ。
年の差を考えろよ、俺。
『カランコロン』
「はいはい。いま行きますー」
背後から聞こえるポーラの『しくしく』を不可解に思いながらも、俺は玄関を開けた。
来客は、見知らぬ中年男性だった。
「捨てないで、とは随分と情熱的だ」
「はい?」
どなた様? ご用件は?
そう言う間もなくバキと殴られた。
頬を貫く衝撃と、腰を打ち付ける痛み。
俺を見下ろす人物からの侮辱で怒りが沸き上がる。
それでも、俺が倒れたまま何もしないのは、その人物の風貌が原因だ。
「お、親父?」
死んだ筈の俺の父親がそこに立っていたのだった。
◆◆
玄関の扉を閉めて、適当な場所に、腰を下ろす。
空を見上げれば、もう日没だ。
雲が多いのかそれとも他の何かなのか。
いつもは透き通った夕方の紅が、今日に限ってくすんでいる様に見える。
『……!』
『……!』
背後にある扉の向こう側つまり俺の家の中で、繰り広げられていたであろう父娘〈おやこ〉の話し合いは、言い争いに発展したらしい。
『やっと自分を見つけたんです!』
ポーラの叫びを最後に、静かになった。
暫くして開いた扉から現れたのは、ポーラの親父さんだ。
痩せている割には隙の無い身の熟し。
鋭い顔に刻まれた鋭い双眸と深い皺。
この人物の人生を例えれば、チーターとか狼が適当だろう。
ユーリ=ノーザンスター。
ポーラの親父さんだ。
この人は隣町……といっても100km単位の彼方だが、商工都市〈ポリス〉で有名なビジネスマンなのだそうだ。
昨日、この古都〈ポリス〉来た大規模な武装商隊〈アーマードトレーダー〉ってのは、この人の隊らしい。
ポーラの父親が押しかけてくる展開は予想していたけれど、俺の親父に似ているのは予想外だ。
これは困った。
非常にやりづらい。
「君は、随分と娘に信頼されているようだ」
俺を見下ろす視線の疎ましさ……どうやら、娘の説得に失敗したらしい。
「どうです。立ち話も何ですから、場所を変えませんか?」
殴られた左頬をわざとらしく擦って見せた。
殴った事を多少なりとも悔いているのか、ユーリさんは無言で付いてきた。
徹底的にポーラの味方をするつもりだったが……仕方が無い、か。
◆
集落の酒場では知った顔が多すぎるから、この古都〈プレセンティア〉で一・二を争う有名店にやってきた。
高い店は困るとユーリさんに目で訴えたら、『大人の遊びを教えてやろう』的な顔をされてしまったのである。
二人して並んだカウンターには、琥珀色の酒が同じように二つ並んでいた。
値段は知りたくないので、そのまま飲んだ。
味が分らないのは、訓練不足なのか緊張なのか。
「君は、随分と娘に信頼されているようだ」
ユーリさんの態度は刺々しさが治まった分、重苦しくなっていた。
俺は意を決して酒を飲んだ。
カランと鳴った氷の音は、試合開始の合図である。
「手っ取り早く行きましょう。俺から伝えたい事が3つあります」
「ほぅ。なんだね?」
「娘さんには指一本触れていません。性的な意味です」
射貫かれる様な眼光に晒されたかと思ったら、重苦しさが随分軽くなった。
どうやら懸念を一つ解く事が出来たらしい。
俺は、腹の底に溜まった諸々を、漸く吐き出した。
「もう一つは?」
「ポーラ……娘さんを説得しても良いですよ。お父さんと一緒に帰りなさいって」
鋭い眼光にと思ったら……おや? ユーリさんは驚いていた。
「聞けば、君は娘に教えているそうじゃ無いか。娘の話からだが、君はそれを良しとしない性格だと、踏んでいる」
あの僅かなやりとりでそこまで見抜いたのか。
おっかないな、この人。
「確かに途中で放り投げるのは、私としても避けたい。でも私は他人で貴方は父親だ」
「出来れば、その判断をもっと早くして欲しかったがね。最後の一つは?」
「ユーリさん。後は貴方に懸かっています」
「分っている。娘の事だろう?」
「そうです。もう失敗は出来ませんよ?」
「失敗?」
「そうです。貴方は一度失敗した。娘さんの性質を見抜けなかった。」
ユーリさんの眼光が再び鋭くなった。
腹の中が震えるほどの凄まじい圧力〈プレッシャー〉だ。
とはいえ、あっさり退けるほど俺が積み立てた物は軽くない。
「学園での話は聞いたのでしょう? にっちもさっちもいかなくなった娘さんは、寮に引きこもってそして追い出された」
「それが私の失敗というのか。随分知った様な口を利くのだな。それとも世界の全てを知ったつもりかね」
「まさか」
もしそうなら、こうしてユーリさんと話し合う事なんてしやしない。
「ユーリさん。貴方は、人生で出くわした多くの問題を解決してきた。だから、娘さんも解決できる様になるべきと考えた。だから、娘さんの意思も問わず、ユーリさんが正しいと思う事を強いてきた。学園に行かせた事も。違いますか?」
「娘から聞いたのか」
「いいえ。似た人物を知ってるんです」
この人の自信満々の振る舞い。
一つ話す度に、親父を嫌が応にも思い出す。
「娘さんがユーリさんと同じなら、それは正しい方法だった。けれど学園で行き詰まった貴方の娘さんは、死を願いました」
「……その話は聞いていない」
「そりゃ言わないでしょう。そう禁じたのは他ならぬ貴方だ。いいですか? ポーラ=ノーザンスターはユーリ=ノーザンスターとは違う人間なんです。親子であろうともね」
「君は、私を責めるのだな」
「責めはしません。親ですら気づかないなら第三者が気づける筈が無い。ですが、次を防げるかどうかは、ユーリさんに懸かっている。これは肝に銘じて下さい」
グラスの氷はいつの間にか融けきっていた。
「君は何故断言できる。親ですら見抜けないというなら、君は選ばれた者だとでも言うのか」
「同じなんです。娘さんは昔の俺と全く同じ。ただ違う事は、幾つかの幸運が重なって、自力で克服出来たところだけ。いや、親父のおかげです」
こう言ってしまったのは、ユーリさんが似ているからだろう。
「ならば、似た人物というのは君の?」
「そうです」
「? よく分らない。君は娘と同じなのだろう? ならば君の親父さんは、私と同じ事を君にした筈だ」
「ええ、そうです。俺の父親は、俺のトラウマでした」
咳の声を聞くだけで、身が竦んだ。
動悸が激しくなって、目眩がした。
ずっと部屋に籠もっていた頃の話だ。
「なら、幸運というのは……」
「そうです。親父が死んだから俺は、克服への行動を始められたんです。子に恨まれながら死んでいく、それは質が悪すぎる」
「……」
「すみません。長話な上につまらない話をしました。今日はもう遅いですから、娘さんの説得は明日にしましょう。ユーリさんは俺の家を使って下さい。俺は適当に時間を潰します」
これで良い。
これが最良だ。
どれほど訓練を積もうとも、思い通りになる事の方が希なのだから。
俺は、未練を振り払うかの様にその場を離れた。
◆
「ぁふ……」
こちとら一睡も出来なかったというのに、忌々しいほどの快晴である。
遠くで朝を祝う綺麗な鳥の声も、今日ばかりは腹が立つ。
『コケコッコー♪』
「やかましい!」
自宅に近づくと既に人の気配が在った。
ユーリさん以外あり得ないが……自信の塊な様なヒトが、格下の俺より先に来て、俺を待っているのか。
ふむ。
なんというか安心した。
「おはよう御座います」
「あぁ、おはよう」
自分でも驚くほど素直にポーラとの別れを受け入れられた。
徹夜で悶々としたのが馬鹿みたいだ。
「それでは早速説得を、」
「それは、もう不要だ」
「……はい?」
ユーリさんは消した煙草を、懐から取り出した専用の袋に捨てた。
風に流れ去る煙は、彼の確執に見えた。
「昨日娘に一緒に帰るように叱った時に《恨んではいません。育ててくれて感謝しています。でも、やっと自分を見つけたんです。お願いですから邪魔しないで》と、断言された。オドオドしていたあの娘が、目を逸らさず真っ直ぐに、だ。自分とは何の事だか分らなかったが、一晩考えて分った。自信の事だろう?」
「はい。自分に対する試行錯誤、その積み立てのことです」
「そういう風に考えた事など無かった。このまま帰るとするよ」
「良いんですか?」
「親は子より先に死ぬ。子の最後までを面倒見られない以上、子が自立出来るようにするのが親の責務だ。叶うなら、自分の手で行いたかったが……君の方が適任の様だ。娘を頼む」
なんというか、試合に勝って勝負に負けた感がアリアリだ。
「分りました。俺の全てを費やします」
「もう一つ。”子が親より先に死ぬほど質が悪いモノは無い” 君の親父さんならそう言うと思うよ。なんと言っても親だからな」
ユーリさんの後ろ姿は、敗北者などでは無く凱旋する者だった。
どうやら試合にも負けてしまったらしい。
なので。
頭隠して尻隠さず的に物置から伸びている人影へ、俺はこう言った。
「自信ってのは厄介なモノで、長く積み立てる程に自分自身ですら融通が付けにくくなる。でもユーリさんは、それを克服した。立派で良い親父さんじゃ無いか。そうは思わないか?」
「マスターさん。私は……」
「ほら、さっさと挨拶してこい。喧嘩したままの別れは後悔の元だ」
「はいっ!」
ポーラは弾ける様に駆けだした。
わだかまりが解けた父娘を見ていると、幼い頃の親父の姿と憎んでいた頃の親父の姿と冷たくなって動かなくなった親父の姿が、俺の中で重なった。
ユーリさんはあぁ言ったが、それに答えてくれる人はもう居ないのだ。
まぁいいか。
俺は間に合わなかったけれど、あの親子は間に合ったのだから。