失われたもの
日政大学での聴取を終えた北条は、並木教授の助言を頼りに、美杉邸の前へとやってきていた。新たなアンノウンの出現と、それに伴う大変な事件のことについても既に耳に入っていたが、本部は未だに混乱していて明確な捜査方針すら立てられていないらしい。即ち、現時点では先の大事件の捜査は行うことが出来ないという判断なのだ。
北条は美杉邸のインターホンの前に立つと一つ深呼吸をした。かつてはここにも何度も訪れていた。風谷真魚や津上翔一など、三年前のアンノウン事件のキーとなる人物に話を聞きに来るためだ。不思議な懐かしさとかつての喧騒、それに比べると今この家は、なんとも物寂しいような印象を受けた。
北条はインターホンにそっと指をかけた。
ピンポーン
呼び鈴が鳴り、それからしばらくして。
ガチャリ
と扉が開く。出迎えたのは珍しく、美杉本人だった。まさしく望んでいた人物だと勇んで踏み出そうとした北条だったが、しかし彼の姿を見てその足を止めた。それから眉根をよせてその風貌を見つめる。
ボサボサの髪に虚ろな瞳、目の下のひどい隈に加えてかなり脱力したような姿勢。目を逸らしたくなるとはこの事だろうか。北条は一瞬、今日のところは遠慮をして帰ろうか、なんて考えたほどである。
美杉はそんな北条の姿を見るとまず、失望したように呟いた。
「なんだ、刑事さんか」
なんだとはなんだ、という物言いであるが、どうやら彼の待ちわびた相手の来訪ではなかったらしい。しかしすぐに美杉はハッとして北条に歩み寄る。
「刑事さん? ……あそうだ、刑事さん! 刑事さん、ちょうどあなたに会いたいと思っていたところなんだ!」
と、一転して今度はまくし立てるように近づいてくる美杉に、北条はかなり戸惑いながらも頷いた。
「あ、会いたい? それはその、光栄ですが。あ、いえ、実は私もあなたに御用があって伺ったのですが」
「うん、もう何でも構わんよ。さ、とにかく上がってください。いや、まさか刑事さんの方から来てくれるとは。あ、お茶でも飲むかね?」
まるでこっちの話を聞く気もないらしく、北条は観念してまずは相手の用事を伺う事にし、渋々答える。
「は、はあ。ではその、頂きます」
────────ー
久々の再会を果たした翔一と国枝は河原の土手に腰を下ろしてお互いに話し込んでいた。国枝は翔一の話を聞いて口元をほころばせる。
「そうか。本当にお前は、変わってないんだな」
「え、どういう意味ですか?」
国枝の言葉に翔一は首をかしげた。国枝はそれに対して首を振り、遠くのどこかを見つめる。疲れ果てたようなその風貌に、翔一はますます彼のことが気になった。
「いやな、本当はもっと早くお前に会ってみようかと思ってたんだ。でも、出来なくてな」
「出来ない?」
「ああ。ちょっと色々あったんだよ」
国枝は意味深にそう言うと、肩にかけていた小さなカバンから水筒を取り出し、蓋を開ける。ツーン、と特有の刺激臭が翔一の鼻をつき、すぐにそれが何なのかが分かった。口をつけようとする国枝に対して翔一は慌てて。
「先生、バイク……ですよね?」
そう言うと、国枝は一瞬ポカンとした表情で動作を止める。本気で何を言われたのか分からなかったようだ。そして、数秒の間を置いてようやく翔一の言葉を理解し、動揺しながら落ち着かない手つきで水筒の蓋を閉めると、それを草むらに投げてしまった。それから目を泳がせて頭を抱える。
「そうだったな、何をやってるんだ俺は」
ため息まじりにそんな事を言い、肩を落とす国枝の姿は、翔一の知るかつての彼とはまるで違うように思えた。
「どうかしたんですか?」
「……」
翔一の言葉に、国枝は明後日の方向を見たまま何も言わない。本当にどこか様子がおかしい。心ここにあらずといった感じである。
「あの、もし良かったらまた先生のピーマンを食べさせて貰えませんか。今もあの病院に勤めてるんですよね?」
無理やりに話を切り替え、なるべく前向きな話題を出そうとする。だが、国枝はそれを否定した。
「いや、病院はもうやめたよ」
「……え?」
言っている言葉の意味が分からなかった。
病院をやめた、と彼はそう言ったのか。翔一は聞き返そうとして言葉に詰まる。
国枝は目を合わせずに続けた。
「無理になってな、何もかも」
「何もかも……?」
「ああ。もう終わったんだ、全て」
「それって、どういう?」
風が吹く。茶と緑の乾燥した雑草が鳴く。国枝は一つ舌打つと、苦虫を噛み潰した。
「三年半ほど前に息子が死んでな、それでこのザマだ」
国枝の告白に、翔一は目を見開いた。
死んだ、という言葉の大きさは翔一は充分に知っている。ただ、それを実際に目にすることと、知人からそれを告げられることは、今の翔一にとっては不思議なことに、後者の方がより生々しく感じられた。
死ぬ。死んだ者には二度と決して会うことは出来ない。神の力でもなければ死んだ人間は絶対に蘇ることは無い。
翔一の姉も、死んだのだ。
言葉を失った翔一に目を向けず、国枝は自嘲げに話し始める。
「あいつが死んでから、分からなくなったんだ。誰かを助ける意味ってのがな」
誰かを助ける意味。誰かの居場所を守る意味。自分が存在する意味。自分の居場所。
唐突にそれは崩れ、飛沫のように消えてしまう。国枝は今まさに、それを失っているのだと翔一は気づいた。
「俺はあいつを助けてやれなかった。親の俺が守ってやる事も出来なかったあいつの人生が何なのか、分からなくなった。それから、何もかもが上手く行かなくなってな」
姉の姿がよぎる。姉の面影が、あの笑顔が、今もあの浜辺で翔一を呼んでいるあの姿が。永遠に無くなることはない。けれど、それを引きずったまま生きていくしかない。
翔一は自然と口を開いていた。
「先生、逃げてるんですね」
ほとんど無意識に放った言葉が、場を沈黙させる。国枝はしばらくの間何も答えなかった。それどころか微動だにもしなかった。
静寂が時の流れを遅くする。やがて、自分の言ったことの意味をようやっと自覚した翔一がそれを取り消そうとした時、国枝は答えた。
先手を打つように。取り消してほしくないかのように。
「そうだ」
相変わらず、翔一のことを見ずにこぼす。
「俺は逃げた。……いや、今も逃げてる」
語尾が消え入りそうなほど、その声音は弱々しい。それからやっとこちらを振り向くと、目を細めて痛々しい笑みを浮かべる。
「だけど、不思議なもんだな。お前に会って、お前の変わらない姿を見て、良かったって思うよ」
翔一は視線を落とし、体から力が抜けて行くのを感じた。
「もっと早くお前に会っていれば、なんて思ってな」
──────────
「真魚さんが行方不明になった!?」
美杉に告げられた正しく緊急事態な内容に北条は目を見開き、膝の上に乗せた拳を握りしめた。迫真の表情で頷く美杉に北条は唾を飲み込み、先を促す。
「そ、それは一体どうして……いえ、そもそもいつから?」
風谷真魚といえば彼女もまた、北条が話を聞きたいと思っていた人物だ。それがまさか、こんな時に行方不明だなどと。そもそもあの年齢の女性が今どき行方知れずというだけで色々と危険だ。
美杉は彼の言葉に「よく聞いてくれた」とばかりに首を縦に振った。
「ああ、昨夜から連絡が取れなくてね。遂に昨日は帰らなかったし、今もどこでどうしているのか……」
「なんですって! それは本当で……昨夜?」
勢いに飲まれてつい身を乗り出してしまった北条は、一度その言葉を頭の中でで噛み砕くと、思わず聞き返していた。
「ああそうだ。真魚が一晩も連絡もよこさずに家に帰らないなんて……。こんな事は今まで一度しか……私はどうすれば……」
「そ、それはその……なんというか」
いや、その年代の女の子ならそういうことも無くはないだろう、というか真魚さんはどれだけ品行方正だったんだ、と不思議なような感心するような複雑な感情を抱きながら北条は言葉を紡ごうとする。
年頃の女の子が一晩帰らなかったくらいでは行方不明とまではいかないのではないだろうか。一度とはいえ、同じようなことがあったらしいし。いや、しかしいずれにしろ警察官として何らかの不貞があるのならばそれは推奨されるべきではない。そもそも真魚さんの不在は自分にとっても不都合ではないか。
北条は自分の中で考えを巡らせると、居住まいを正す。そんな北条に美杉は身を乗り出して言った。
「真魚は決して、決してこんなことをするような娘ではないんだ。刑事さん、どうか真魚の捜索をしてくれませんか」
必死の嘆願に、北条も頷き了承する。
「ええ、もちろんです。出来る限り力になりますが」
北条の答えに、美杉は安堵したように笑みを浮かべた。
「そうか、本当に助かります」
分かりにくかったかと思うので補足しておくと、テレビスペシャルとこの物語はパラレルという設定です。
飽くまでもテレビ本編のストーリーからの続きなので、この世界では国枝先生は翔一君と再会していません。