果てしなき敵
「ねえ、こっちに来て一緒に遊びましょうよ」
かつて、私は孤独だった。
不思議な施設にいた。父も母も、そこにはいない。その時の私には自分が、なぜそこにいるのかもよく分からなかった。ただ分かるのは、周りにいる自分と同じ身の上のたくさんの子供たち、同じくらいの年齢の子、年上の子、年下の子。
毎日「先生」と呼ばれる何人かの大人たちが忙しく出入りして、私たちに色々な話をしたり、何かゲームのようなことを仕掛けたりしてきた。大体の場合、彼らは私のところまで笑顔でやってきて「こんにちは」と言い、最後にはなにか失望したような表情で去っていった。それが私にとってはとても残酷で、日々の生活に罪悪感を植え付けさせて、漠然と「もっと頑張らなければ」という思いを抱かせた。
友達はいなかった。子供というのは純粋で、気まぐれで、不粋で無神経で、当時の私には不快な存在だった。最も、よくよく考えて私も子供だったもので、「なんでここに来たの?」、「お母さんはどうしているの?」などと素知らぬ顔で聞かれると、どうにも我慢ならなかったものだ。一緒に遊ぶ相手も、一緒にご飯を食べる相手もいない、私の周りには誰もいない、それが普通だった。
時々「先生」とは別の、恐い顔をした大人の集団が施設にやってくることがあった。彼らは「先生」たちとなにか難しい話をしたあとで私たちを見回すと、その内の何人かを選んでどこかへと連れていった。連れていかれた子供たちはもう二度と、そこに帰ってくることはなかった。私にはなぜだかそれがとても恐ろしく、その日がいつ訪れるのかを怖がるばかりだった。
そうして、あの施設での私の毎日は、孤独と恐怖と不安に満ちていて、つくづくうんざりさせられるものだった。いつも私は「こんな場所、なくなってしまえばいい」と心の中で思っていた。
そんな時、新しく施設に入ってきたあの人に出会った。
「ねえ、一緒に遊びましょうよ」
私より少し年上の女の子、いや、お姉さんだった。長く真っ直ぐな黒髪がとても綺麗で、包み込むように大きな瞳で、口元は優しく開いて、とても穏やかで落ち着いた声音で……。
彼女のすべてはなぜか、私をとても安心させた。
お姉さんは私に何も聞かなかった。嫌なことは何もしなかったし、普段は別の子達と遊んでいることも多かった。
でも、私がふと不安を感じたり、孤独に思ったり、あるいは父や過去のことを思い出して俯いたりした時に、その優しい声で私に話しかけてくれた。そんな時は私は彼女にずっと甘え、彼女は私になんでもしてくれた。
とても嬉しかった。大好きだったお姉さん。彼女になら不思議と、どんなことでも話すことが出来た。彼女が何も聞かないので、私は自分から話したのだ。自分のこと、父のこと、母のこと、ここに来た理由、話せることは思いつく限り話しきった。
それでも足りなくて、もっと話したくて、もっと聞いてもらいたくて、そこで私は自分が、話せることなどほとんどないとてもちっぽけな存在なのだと気づいた。
彼女もまた、私に色々なことを話してくれた。私の全然知らないようなとても面白い話を。その度に私は、自分がお姉さんにもこんな面白い話をできたらいいのに、なんて考えて眠れなくなったものだった。
彼女がいるだけで、私の毎日は変わった。色がついた、楽しみが現れた、心が踊った。
でも、そんな日々も長くは続かなかった。
お姉さんも連れていかれる日がやってきた。恐い顔をした人達はとても驚いた顔で、あるいはどこか気味の悪そうな、怖いお化けでも見るような顔でお姉さんを見ていた。そして彼女の手を取って扉から出ていこうとしたのだ。
嫌だった。連れて行ってほしくなかった。ここに、私のそばにずっと居て欲しかった。だから、その日、あそこに来てから初めて、私は泣いた。
でも誰も、私のことなど見向きもしなかった。私はどうしようもなくちっぽけな存在だったからだ。ただ、お姉さんだけが悲しそうな、申し訳なさそうな切ない表情で私の方を振り向いた。
「ごめんね。先に行くわ、月美ちゃん」
────────────ー
Gトレーラーが受けた報告によると、アンノウンが出現したと思われる場所は都内のとある遊園地。この時間は人々が多勢、遊び賑わう場所だった。
確認された事件現場の様子では、突然、人々が何者かに狙撃されたかのように血を吹き、倒れ出したというのだ。それも次々と大量の人数がバタバタと連鎖的に倒れ、現場はすぐにパニック状態に陥ったという。急いで駆けつけた警官や、オフで偶然居合わせた者達も協力して警戒にあたり、周囲を確認したが、敵らしき姿がまるで見当たらずにお手上げだったという。
とにかく、避難と被害者の移送を最優先に当たっているとのことだったが、その影響から現場付近は人ごみでごった返しているため、現場に向かう際は避難ルートを避けて、裏口のある方面から駆けつけるようにとのことだった。
氷川は現場に急ぐため、ガードチェイサーを走らせる。特注の白バイがサイレンを奏で、市内を駆け抜けた。
現場付近までやってきたG3-XXは、現場から少し離れた無人の公園にガードチェイサーを止めると、リアトランクユニットからGX-55を取り外し、慎重に組み立てながら辺りを見やった。G3システムが機械音をたてて周辺の解析を始めるが、何か異変があるというような反応は見られなかった。
静寂の中、G3が現場に近づくために一歩踏み出す。ザッザッと枯れ草を踏みしめ、事件のあった遊園地に向かって警戒しながらも急ぎ足で歩き始めた。
と、その時だった。
キ──────
G3システムが突然、甲高いモスキート音を発する。それは装着者への警戒を促す合図だった。
何か危険が近づいている……?
氷川は咄嗟に辺りを見回した。
しかし……。
バシュン!!
シュバアアア!!
氷川にもたらされたのはその正体ではなく、突然の不可視の衝撃だった。
「うわあああっ!!」
胸部ユニットが火花をあげ、視界が焼けた。氷川は思わず声を上げ、GX-55を手放して吹き飛ぶ。
地面に転がりこんで背中を打ち、痛みに喘いだ。
『胸部ユニットに重度のダメージ! バッテリー残量、70%にダウンしました!』
『どうしたの、氷川くん!? 今の衝撃は一体何!?』
備え付けの通信機からは、管制室の声が聞こえてくる。氷川はそれに答えようとしながら、片手をついて体を起こした。
「わ、分かりません。ただ、急に何か……」
バシュッ!!
ズガアアアアン!!
その言葉を遮るように、再び見えざる衝撃がG3を襲う。
「ぐあああああ!」
辺りの地面が吹き飛び、粉塵をあげた。今度は背中から攻撃をくらい、氷川の体はそのまま地面に叩きつけられた。
「ぐっ! ふうっ!!」
荒くなる呼吸、滲む視界、騒々しい機械音。バチバチとシステムのどこかから火花が上がり、危険を示すアラートが鳴り続ける。
これは一体なんだ!? 何が起こっている!?
それは、全く正体不明だった。敵の姿が見えないだけではない。何が襲ってきたのかも分からないのだ。
敵はどこから、何を使って、どのように攻撃してきたのか!? 氷川にその答えは分からない。
『更にダメージ!! バッテリー残量50%です! オートリチャージモード起動! 四肢ユニットの活動、最低限に低下します!』
『氷川くん踏ん張って! どこかにアンノウンが潜んでいるはずよ!!』
『無茶ですよ小沢さん! これ以上のダメージは危険です! とにかく現場から離れないと!』
管制室の小沢と尾室が通信機越しに大声でやり取りをする。氷川は顔を顰めながらもなんとか立ち上がり、フラフラとよろめきながら辺りを確認する。
「ぐっ、うあっ!」
G3システムが活動を制限され、体に重みがのしかかる。そんな中、G3システムのシチュエーションサーチ機能だけが、状況の解析を続けていた。
『……これは!』
と、緊迫した表情で画面を見つめていた尾室が手を止め、何かに驚いたように目を見開く。すぐさま小沢がそれに反応した。
『どうした!』
『これ、G3システムの予測結果です! 敵位置、遥か上方!! 氷川さん、上です!』
衝撃の強さ、入射角、大気の奔流や、攻撃の「正体」、それらからG3-XXの戦闘システムは敵の位置の予測計算を割り出し、その結果を示したのだ。
氷川は尾室の言葉に、はっと上を見上げる。
彼の上に広がる雲一つない寒空、その遥か遥か彼方、G3-XXによる何倍率もの拡大の末、そこに浮かぶ者の姿が明らかになった。肉眼では目視することすらほとんど不可能なほどの上空から、こちらを悠然と見下ろす超常の存在があった。始祖鳥の上級使徒、ウォルクリス・プリーモの姿を、彼はしっかりと捉えたのだ。
プリーモはそこから、何かを射放つかのような仕草をこちらに向けた。その瞬間、氷川は第六感を働かせて咄嗟に横に飛び退く。コンマ数秒遅れて、彼がたっていた地面が土煙をあげた。
シュバアアン!!
氷川はそのまま、回避と同時に転がっていたGX-55のもとまで駆け寄り、それを拾い上げた。そして上空の敵、プリーモに向けて構え、引き金に指をかける。
……しかし
「ERROR!! Out of range……」
射程圏外。
絶望的な事実を知らせる電子サインがG3のモニタに浮かび上がった。そしてその瞬間……。
『また来ます! 氷川さん避けて!!』
バシュン!!!
その衝撃音と同時に、氷川の意識は砕け散った。
────────────ー
「なるほど……」
北条の「要件」とやらを聞き終えた美杉は、一度深く嘆息して頷く。風谷信幸事件の謎はまだ解明されきった訳では無いこと。そして、その彼が超能力の研究らしきものを行っていたことと、それについて一番詳しいであろう人物が、氏の義理の弟である美杉であろうこと。今になって再び、アンノウンが現れたことで北条が、再びこの事件の根幹の謎に迫ろうとしていること。
それらの事情を知って、美杉はこめかみの当たりを抑えながら、唸るように過去の記憶を呼び起こした。それから、伏し目がちに北条に語りかける。
「刑事さん、これは誰にも……あの真魚にでさえ話していないことなんだが……」
その言葉に、北条は目を見開き、体を前のめりに乗り出して大きく唾を飲み込んだ。それに対して、思い出したくない過去を思い出すかのように、美杉は絞り出す。
「私の中で一つ、恐ろしい仮説が浮かんだことがある。義兄さんに対する、とても恐ろしい仮説が……」
「恐ろしい仮説? 一体それはなんです?」
「ああ、もしかしたら今こそ、この話をするべき時なのかもしれない。風谷信幸の、呪われた過去の話を……」
そう言って、美杉は膝の上でぎゅっと拳をにぎりしめた。