日も落ちかけて、辺りの空が薄暗くなってきた頃に、ようやっと翔一はバイクでレストランAGITOにまで帰ってきた。今日は店はそのまま閉めてしまうつもりだったが、加奈がまだ残っているかもしれないと思い、中を覗いてみることにした。
普段は裏口の方から直接、厨房の奥に備え付けの休憩スペースに入ることもできたが、今日は正面入口から無人の店内に入って横切り、そのまま厨房の方まで抜けようとした。
だが、そこでふと、視界の端に誰かが店内の椅子に座ってこちらを見ている姿が映ったような気がして、翔一は立ち止まった。それからサッとそちらの方を振り向く。
もちろん、誰もいるはずがなかった。電気もついていない、そもそも今まで鍵をかけられていた店内にいる人間など、せいぜい加奈くらいのものだが、そうだとしたら入った瞬間にすぐに気がついたはずだ。だから、誰もいないというその状況が普通のことであった。
どうやら気のせいだったようだ、と翔一は首を振り、そのまま厨房へと入っていった。
ガチャリ
休憩室は簡素な造りだった。6畳ほどの広さの白塗りの壁の部屋に、テーブルと二人分の椅子、簡単なものを作るためのコンロとシンクが置かれ、その上にはヤカンと簡単な調理器具が用意してあるくらいだ。その他に備え付けのものといえば、空調とコンセント、そして安物の電子レンジくらいのものだった。
ドアを開けて中に入るとすぐに、部屋の真ん中に置かれた小さなテーブルの上で、加奈が伏せて眠っているのが目に入った。そしてそのすぐ近くには、皿に盛られた肉じゃがと几帳面に揃え置かれた箸があった。翔一の帰りを待って加奈が作ったものだろうか、そのうちに眠ってしまったのだろう。
翔一がそれを見て思わず微笑むと、同時に加奈がピクっと肩を揺らし、目を細めながらゆっくり顔を上げた。眠気まなこで少し左右に目をやってから、ようやっと部屋の入口に立つ翔一に焦点が合う。そして、加奈もニコリと笑った。
「津上さん……おかえりなさい」
「ただいまです、加奈さん」
翔一は笑顔のままそう返して、向かいの椅子を引いた。加奈は思い出したように、目の前の肉じゃがに目を落とす。
「あ、これ津上さんがいない間に作ったんです。その、まだ何も食べてないかなって思って」
そう言って控えめに促すように、目の前の皿を手で示した。
「当たりです」
翔一は椅子に腰掛けながら嬉しそうに頷き、翔一は箸に手をかける。
「じゃあ、いただいちゃってもいいですか?」
翔一の言葉に、加奈は満面の笑顔を返した。
────────────ー
「参ったなぁ」
立て続けに起こったとんでもない事件。先日は関東を中心に全国で数百人の規模の大事件が起こったが、今回の事件もなかなかに悲惨なものだった。現場は都内の遊園地であるが、報告によればその総死傷者数は47名。特に家族連れが多く狙われ、子供であろうとも一切容赦がなく、一家全滅……という家庭もあった。
あまりにもいたたまれない話だ。連日のあまりにも衝撃的な出来事に、警視庁には問い合わせが殺到、警察に対する不信感も増大している。新聞各社や週刊誌などでは警察組織を非難する声も上がっているが、それも無理のないことだろう。しかしこれでは市民は混乱するばかりだ。
河野は事件への対応に揉まれ、捜査に追われ、夕方も暮れ始めた頃にやっとのことで小休止をとるために、近くまで店を出しに来ていた行きつけのラーメン屋台にやってきて、ため息をついた。
「河野さん、今日はまたやけに疲れてるね」
と、顔なじみのラーメン屋のおやじが景気良くハゲ上がった頭を河野に向ける。河野は眉をひそめて神妙そうに頷いた。
「そりゃそうだよ。アンノウンにこうも好き勝手されちゃあ、俺たちの立つ瀬がないってもんだ」
「あぁ、アンノウンね。最近、ずいぶんと酷いらしいじゃないですか。大量殺人、でしたっけ?」
「うん、そうなんだが……いつまで経っても慣れないもんだ。人間が死ぬっていうのはなぁ」
爪の先をいじりながら、河野はボソボソとこぼす。疲弊しきっているその姿に、おやじは肩を竦めた。
「まあ、そういう仕事をやっていちゃあねぇ。犠牲者の人は気の毒なもんだ」
「うん……いやね、今日も現場に駆けつけたんだがぁ、人がたくさん入り乱れていて……。そんで色んなところでな? 子供が泣いているんだわ。現場で家族とはぐれたんだか、それとも……」
その先の言葉を想像に任せて、河野は胸にし舞い込む。おやじもすぐに察して頷き、肩を落とした。
「なるほど、そりゃあきつい仕事ですね」
「現場の被害者には一家まるごと、なんてのもいてなぁ、そりゃあ気分が滅入ったもんだが、馬鹿な後輩の中にはこんなことを言うやつもいるんだよ」
河野は苦虫を噛み潰したように言い、おやじは目で続きを促す。
「『これじゃあもし、両親だけ死んで子供だけ生き残ってもこの先大変なだけだ。ある意味この方が幸せだったかもしれない』なんてな」
「はぁ〜、そらひどいね。冗談でも言っちゃいけませんよ、死んだ方が幸せだなんてね」
「まあなぁ。だが、こんな仕事をやっていると、そういう現場をたくさん見てきてなぁ」
三年前のアンノウン事件の時もそうだ。それ以外にも、何かの災害や、ただの事件や事故でさえも、警察という仕事についている傍ら、そうしたケースを目の当たりにすることは決して少なくない。
死んだ者と取り残された者。両者の関係はあまりにも切ないことを河野はよく知っている。後者はその後の人生に傷跡だけを残し、それを抱えたまま生きていかなければならない。そんな人々の涙を幾度となく目にしてきた。まして親をなくし、子供一人残された、など一体どうしてその現実と向き合って生きていけるだろうか。そこに介入していくだけの力は河野にはなかったが、それはあまりにもやるせないことだった。
「やっぱり、どんな状況でも生きている方がいいもんかねぇ?」
河野は下を向き、柄にもなく考え込むようにそんなことを問いかける。そんな漠然とした問いかけに対しておやじは気さくそうに笑った。
「難しいけどね、生きてる人間が「生きること」について疑問を持つもんじゃないですよ。そらぁ勿体ないってもんだ。ラーメンの味が分かるうちは、生きてても損はありませんからね」
そう言いながら、おやじは「へいお待ち!」と出来たてのラーメンを河野に差し出す。それを見て河野も嬉しそうに笑みを零し、割り箸を手に取った。
「そりゃあ間違いないな。死んじまったら、おやじさんのラーメンも食べられないもんな」
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氷川が目を覚ますと、彼は病院のベッドの上で横になっていた。どうやらすっかり気絶してしまっていたようだ。氷川は体の痛みを堪えながら何があったのかを思い出そうとした。
そうだ、アンノウンとの戦いに敗北したのだ。全く、手も足も出ずに。
氷川は悔しさを噛み締めるように歯を食いしばった。そして、無情そうに天井を見上げる。
「あら、目が覚めた?」
と、そこに聞き慣れた声がかけられた。
見れば、G3ユニットのオペレーターで自分の上司でもある小沢澄子が、病室の入口からこちらを眺めていた。
「ダメージは負ってたみたいだけど、どうやら平気そうで何よりだわ」
「はい……」
氷川は落ち込んだ声音で答える。小沢がその様子を見て、彼に近づいてきた。
「悔しそうな顔ね」
氷川の顔を見下ろしながら、小沢は複雑そうな表情でそう言う。氷川は拳を握りながらそれに頷いた。
「……全く、太刀打ちできませんでしたから」
「仕方ないわ。今回の敵は想定外、G3の現状の装備では対処できない相手だったんだから」
「だから……」と小沢はさらに続ける。
「もっと強くなるしかないわね。次は目にものを見せてやりましょうと」
「そう……ですね」
しかし、氷川の表情はパッとしない。小沢は首を傾げた。
「どうした? まだなにか不満なの?」
「ええ……Gトレーラーでの報告には今回も多勢の被害者が出たとあったのが気になって……。自分がこんなに情けないことでいいのかと」
なるほど、と小沢は妙に納得したように頷く。それから氷川の肩を優しく撫でた。
「気にしてるのね、事件のこと。でもアンノウンに人間が殺されて、そこに多いも少ないもないわよ。どっちにしても許せない、だからあなたが頑張ってるんでしょ? やつらを倒すために」
まるで子供をなだめるかのような声音で小沢は氷川をさとす。
「でも今は限界よ、あなたもG3も。限界を超えてはダメね。……だから、次こそは絶対に倒すのよ! いい?」
彼女の言葉に少し励まされたのか、氷川は唇を噛んで頷いた。そして、自身に力を込めるように息を大きく吸い込んだ。
「はい、頑張ります!」
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すっかり夜もふけたころ、警視庁本庁に一組の来訪者があった。使用されていない会議室を大々的に使い、警察幹部のお偉方達と対面しているのは三人の男女だった。
一人は顎下くらいまでの短髪を揃えた女性、一人は長い黒髪の身長の低い女性、そしてもう一人は長身で口ひげを生やした三人の中では一番歳上にみえる男性だった。三人は一様に幹部らの前で背筋をはって姿勢をただし、見るものに見せれば一発で身分を知らせることの出来る緑色の制服とつばのついた帽子を被っていた。
「やあ、噂には聞いているよ。君たちが今回、警察に派遣された陸上自衛隊八王子駐屯地所属のエリート達か」
「既に聞き及んでいると思うが、我々は今後、増大するアンノウンの脅威に対抗する目的で、必要に応じて協力体制をとることとなった」
「君たちは言わば、その架け橋のような存在だ。近く、警察組織のアンノウン対策班にも紹介する予定でいる。よろしく頼むよ」
老幹部たちが重々しくそう語ると、対面する彼らの真ん中に立った長髪の女性がニコリと微笑む。整った顔立ちだが、どこかミステリアスで達観したような雰囲気があり、それが彼女の姿を実年齢よりも幾分か大人びて見せた。
「わかりました。こちらこそよろしくお願いします」