「もう、二十年近くも前になるかな。義兄さんの奥さん、つまり真魚の母親にあたる女性が亡くなったのは」
美杉は、遠い過去を思い出すような目付きでそう語り始める。北条は頷きながらも思い返す。
その話しならば自分も知っている。確か、並木という氏の同輩の教授から聞いた話では、錯乱状態に陥って自殺同然に亡くなったとか。
「とても優しくて、美しい女性だった。誰に対しても明るく接し、偏見を嫌い、世の中の悲しい出来事にも胸を痛めるような。……真魚にも会わせてやりたかったが」
そうだ、風谷真魚の母親は、彼女を産んで間もなく、死亡したということになる。真魚は母親をほとんど知らないのだ。
「実を言うと、彼女、名前を朱美というんですがね、朱美さんも真魚同様、特別な力を使えたんです。当時の私にはまだ信じられなかったが、とても強いサイコキネシスの力を持っていてね」
その言葉に、北条は息を呑む。初めて聞いた情報だ。だが、超能力は血縁によって遺伝するという法則を考えると、もしかしたらそれは自然な帰結かもしれない。
「真魚さんの、母親が……ですか」
「ああ。それを知っているのは私と、それに義兄さんが特に信頼している何人かの教授だけだったが、彼女は『この力がいつか、人々を救えるかもしれない』と、嬉しそうだった。途方もない話でしょう?」
懐かしむように、美杉は笑う。北条は静かに続きを待った。
「だが、彼女は……死んだ。真魚を産み落として、すぐに」
「一体、何故です?」
「それは……私にもわからない。義兄さんも教えてはくれなかった。だが、それ以来義兄さんは、様子がおかしくなってね」
「様子が……?」
美杉はそこで躊躇いがちにため息をつき、拳をにぎりしめた。
「彼女の死について、どこか現実逃避しているような……。いや、そのうちに彼女の存在そのものをあまり語らなくなった。当時は、真魚の存在もあってのことだろうと思い、私たちも朱美さんのことは忘れるようにしていた」
「なるほど」
「そして、それと同時に彼は、取り憑かれたように「超能力」というものへの研究にのめり込んでいったんです。『超人を作ってみせる』なんて言いながらね」
下唇をかみ、目を細める美杉。
「その熱意は、明らかに異常だった。彼はその「超人」のために、いかなる実験をも、理論をも打ち立てた。一人の人間を……翔一君のお姉さんを狂わせるほどの呪われた研究をね。……そう、今思えば、あの時義兄さんはきっと、死んだ朱美さんを……その幻影を追っていたんです。呪われていたんですよ……ずっと振り払えずに……。あの日、私があのバーで義兄さんと口論した日。あの日、義兄さんが死んでしまうまで、ずっと……」
もう暗くなった窓の外を眺めながら、美杉は肩を落とした。北条は何も言えずに、ただ押し黙り、美杉のしぐさを見つめるばかりだ。
「きっと、何か。何かあったんです。義兄さんが、変わってしまうほどの何かが。それが彼をつき動かしていた。一体それがなんだったのか、それを考える度に私はね、刑事さん」
救いを求めるような目で、美杉は北条を見つめる。そこにはどこか恐怖と、そして苦悩が混じっているように思えた。そして、震える声で絞り出した。
「なぜだか恐ろしくてたまらなくなる」
────────────ー
「悪ふざけ?」
涼は思わず呆れ返って相手の言葉を反芻した。
「そう、ちょっとワルぶってる奴らをさ、からかうのよ。そういうおふざけ」
目の前にいる少女に怪我のことについて聞いていた涼は、彼女の全く悪びれない様子に思わずため息をついた。なんというか、あまりにも後先を考えないやつだ。
「じゃあ、この前のは……」
「そうそう、その悪ふざけの途中だったのよ。あたしああいう半端な奴らが嫌いでさ」
ベッドの上であぐらをかきながら、さやかは髪を耳の後ろにかきあげ、斜め上を見あげる。
信じられないものを見るような目で涼は首をかしげた。
「ま、ほんとに時々だけど「本物」に当たっちゃうこともあるんだけどね。そん時は悪いなって思う」
「いや、そもそもだな……」
唇を噛み、涼はかぶりを振る。
「どうするんだ。それでもしそいつらに捕まりでもしたら」
「大丈夫よ、絶対。そんなヘマしないし」
「何故そう言える。その怪我は」
「これは転んだのよ。逃げてる時に急に頭が痛くなって、土手から転げ落ちちゃって」
それから、得意げに口角を上げて鼻を鳴らす。
「ま、おかげでマけたからよかったけど」
結果的に怪我をしているんだから何もよくはないだろう。いや、そもそもやっていることが無意味で無謀すぎる。というか、その謎の自信はどこから来ているのだ。
ツッコミどころがあまりにも多すぎて、涼は言葉に窮した。どこから何を言ってやればいいのだろうか、と。
すると、さやかの方から涼が反応に困っていると見て、悪戯な笑みを浮かべてくる。
「あたしね、絶対捕まらないの。不思議な力を使えるんだ」
それから思い出したように「まあ」と付け加え、続けた。
「あんたほどじゃないけど」
「不思議な力だと?」
「それについてはヒミツ。言うなって言われてるし」
もしや、彼女の言う不思議な力とは超能力のことだろうか。風谷真魚や、あの暁号の人間達が使っていたような。
「まあいい。とにかく、具合が良くなったなら帰れ。……とは言っても、もうだいぶ遅いな」
面倒なことに関わるのはごめんだ。この少女が改める気がないのならば、なにも自分が更生させてやる必要も無い、彼女自身がしたいようにすればいい。涼はそう思ったが、窓の外を見ると生憎と彼女を帰すには日が暮れすぎているようにも思えた。
と、その時だった。
「くう──ん」
どうしたことかキッチンの方から、おもむろにチビ助が顔を出した。何かを嗅ぎつけた、というわけでもなかろうが、さっきまではそこで大人しくしていたのに。
涼としてはこのチビ助の存在をあまり他人に知られたくはない。このマンションでこいつを飼っていること自体が、なかばギリギリ、親切な隣人たちから見て見ぬふりをされて成り立っていることなのだ。ともなると、この少女がチビ助を見てどんな反応を示すものか……。
「きゃあ!」
ところが、突然に飛び出すハイトーンのボイス。驚きと喜びのような感情が入り交じった声音。面食らった涼が一瞬ビクッと肩をすくめ、それから顔をしかめて見やる間もなく、さやかはベッドからはね起きてチビ助へと駆け寄った。
「へー! うわぁ〜」
その目に喜色をたたえてチビ助を眺めるさやか。どうやら随分とご機嫌で夢中な様子だった。チビ助の方も別段警戒した様子もなく、小首を傾げながら見知らぬ客人のことを見つめ返している。
これはしばらくかかりそうだぞ。
涼はうんざりした様子でため息をついたのだった。
────────────ー
「氷川くん、本当にもう大丈夫なの? 一晩くらい、休んだ方がいいんじゃない?」
「いえ、大丈夫です。もう十分休養しましたから」
先程の戦闘から半日と経っていないにも関わらず氷川は既にいつもの制服姿だった。彼は意識が戻ってほとんどまもなく半ば強引に退院し、即座に現場復帰したのだ。彼の体も無傷というわけではなかろうに。
小沢は氷川のことを心配そうに見つめるが、いかんせんこういう時の彼は頑固だ。恐らく自分が何を言ってもこれ以上休む気にはならないだろう。
そして、それくらい今回の敗戦は彼に悔しさを与えたのかもしれない。
「そう。じゃあ、また頑張りましょう。一緒にね」
小沢の言葉に、氷川は強く頷く。あまり彼に「頑張る」ことを勧めたくはないのだが。
「ああ、そうそう。あのアンノウンの攻撃の正体が大方分かったわ」
「!」
氷川が目を見開いて、小沢の方に身を乗り出す。
「それは本当ですか!」
「ほ、本当よ。なにも逃げ出しはしないんだから落ち着きなさい」
小沢はズイっと距離を縮めてくる頑健な氷川の図体を何とか押し戻しながら、説明を始める。
「被害者達の状況と、G3システムの解析結果を照らし合わせたの。恐らくG3を攻撃したものと被害者達を殺害した凶器は同じ……」
そこで一度、何か引っかかったように小沢は腕を組んだ。
「凶器……と言っていいのかしらね。まあ、間違いではないんでしょうけど」
「どういう意味ですか?」
「ええ、驚かないで聞きなさい。今回のアンノウンの攻撃の正体は恐らく、空気よ」
「……空気?」
空気とはなんのことか。まさか自分たちの身の回りにある、この空気のことだろうかと、氷川は眉を顰める。
ま、最もな反応だわな、と小沢は頷きつつ続けた。
「そうよ、空気。というのもね、現場では凶器が発見されてないのよ。被害者達は何者かによって狙撃されたかのような外傷を負って死に至っていたのにもかかわらず、ね」
凶器の見つからない狙撃、など普通に考えればありえないだろう。それこそ不可能犯罪だが、しかしそれが奴らアンノウンのやり口なのだ。
「で、G3システムの演算が割り出した予測によると、氷川くんを襲った武器の正体が……」
「空気……だったんですか?」
「恐らくは、ね。アンノウンの何らかの能力で高密度に圧縮され、熱、つまりエネルギーを帯びた空気を高速で射出したと考えられるわ。原理としては、ダンボールで作る空気砲と同じね」
「まさか、そんな……」
氷川は唖然として、言葉をなくす。だがなるほど、それならばその攻撃が氷川の目には正体不明と映ったのも頷ける話だ。しかしまさか、空気を使って攻撃してくるような敵が現れるとは……。
小沢も氷川に釣られるように視線を落とした。
「全く参ったわね。アンノウンにかかれば空気も凶器ってわけ。それに私たちの武器が届かないことについてもどうにかしないといけないし」
とにかく、と小沢は拳を握り氷川に諭すように言う。
「苦しい戦いになるわよ」