恐れる者
「そういえば、翔一君は今頃どうしてるかな?」
名門城北大学の教授を長年勤めてきた美杉教授はふと、自宅のリビングで新聞を読みふけりながらそんな事を呟く。それに真っ先に反応したのが、義理の姪である真魚だった。彼女はとある理由があって、この美杉家に置かれている。
「翔一君? どうしたのいきなり?」
「ああいや、大した理由はないんだが、何と無く気になってね」
美杉教授のそんな言葉に、続いて息子の太一が反応した。
「翔一なら気にすることないって。どうせ今ごろ呑気にやってるよ。あいつが上手くやれてない所を想像する方が難しいって」
「ああ、しかしだな。彼も今でこそああしているが、一時期は大変だったこともあったじゃないか。翔一君のことだ。もしかしたら、また大変な事に巻き込まれていないとも限らない」
美杉教授はそう言って、新聞をたたむ。真魚はふと、壁にかかったカレンダーに目をやった。
「翔一君がうちに来てからの一年間、色んな事があったよね」
「ああ、早いもんだな。あれからもう三年が経つ。翔一君がうちにいた時間の、三倍の時間が過ぎたことになる。思えば、翔一君と過ごした時間は長かったようで、実はとても短かったのかもしれないな」
そんな空気に耐えられなくなったのか、太一が読んでいた漫画をほっぽり出して言う。
「ああもう、どうしたんだよしんみりしちゃって。そんなに気になるなら会いにいけばいいだろ。別に外国に行っちゃったわけでもないし」
しかし、太一はすぐにこんな言葉を口にしなければならなくなる。
「うえー、本当に行くのかよ」
太一の苦虫を噛み潰したような表情に、真魚は返す。
「何言ってんの、太一が言い出したんでしょ」
「うん、いい案だ。翔一君と会うのも、もうしばらくぶりだからな」
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「アギトが犯人の可能性?」
警視庁内の自動販売機で「コーンポタージュ」缶を買いながら、河野は思わず同輩のセリフを反復する。すぐ近くに並べられた、背もたれのない椅子に座った北条はそれに頷いた。
「はい。その可能性が高いと私は考えています。今日の午後、土手で見つかった死体を覚えていますか?」
「ああ、お前が発見して通報した奴か」
「そうです。実はこの事を話すのは河野さんがはじめてなのですが、私はその死体を最初に発見したとき、アギトも同時に目撃しているのです」
「アギトも? ほぉ〜、そりゃ大したもんだが、なんたってアギトはそんなところにいたんだ? だいたい、アギトだってアンノウンが現れなくなってから、パッタリと姿を見せなくなったじゃないか」
「ええ、それはまだはっきりとは分かりませんが、私の推察では、アギトこそが一連の事件の犯人ではないかと思うのです」
みてください、と北条は証拠品保管用の真空ビニールに入った潰れたコーヒー缶を取り出す。
「この潰れた空き缶に残っていたタイヤの跡が、津上 翔一の乗っているバイクの型と一致したのです。そしてその津上 翔一こそ……!」
そこで、北条は口を閉ざす。河野が困ったような表情をして聞き返した。
「津上 翔一こそ、なんだ?」
「あ……」
北条は言葉に詰まった。それからゆっくりと首を振る。
「いえ、なんでもありません」
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「翔一君がいない?」
夕刻も五時を周り、太一、真魚と共にレストランAGITΩへとやってきた美杉教授は、思わず顔をしかめた。三人を出迎えた加奈は頷き、心配そうな口調で言う。
「はい。戻ってきてすぐに、今日は体調が悪いから帰る、って」
「うーん、そうか。翔一君がいないとは、それは残念だが、しょうがないな」
「翔一の奴、まさか本当にまた変な事に巻き込まれてるとか!」
その言葉に、加奈が反応する。
「変な、事?」
そして思い出したように言った。
「そういえば津上シェフ、店を飛び出す前にこんな事を言っていたんです。「俺、行かなくちゃ」って」
「え!?」
加奈の言葉に、思わず真魚は聞き返した。それから小さく呟く。
「それって……」
そして、ハッとしたように突然、太一と美杉教授に言った。
「私、ちょっと翔一君の様子、見てくるから」
真魚はそう言って、一目散に駆け出した。突然のことに驚く美杉教授。
「え、おい! 様子を見るってどういうことだ! おい、真魚! 真魚ぁ!」
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もう既に日の暮れきった青山霊園の墓地を、男は歩いていた。あるいは亡くなった家族への弔いか。あるいは何か他の理由があったのかは分からない。どちらにしろ、その男が不幸な犠牲者であった事に変わりはないだろう。
男はふと歩みを止めて、目の前の地面に目をやる。下に窪んだ地面の辺りから、何やらチョロチョロと可愛らしく水が吹き出している。男は顔をしかめて、その湧き水の近くまでやってきて、覗き込むように身を乗り出した。
その途端、まるでそれを待っていたかのように、激流のような水が一気に吹き出した。男は驚いて悲鳴をあげ、その場に尻餅をつく。見る見るうちにその水は、辺りに小さな池を作ってしまった。男は慌てて逃げ出そうとするも、水に手足を取られて上手く進めない。そんな男の背後に、銀色の異形が現れた。
艶かしい体皮に、長く尖ったような頭。クロウロードと同じく鋭い目つきと、牙の並んだ口を持ち、胸の辺りには羽飾りをつけ、背中には退化した羽のあとがある。垂れ下がるような装飾品に身をまとい、その人差し指は触手のように長かった。
スキードロード・モリペス・デシムペスである。
デシムペスは左手を胸の前まで持ってくると、その甲に死のサインと呼ばれる、ゼット字を描いた。
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翔一は、レストランAGITΩ近くのアパートの自分の部屋のベッドの上で座り込んでいた。彼は、あの数年ぶりの変身にとてつもない疲労感と、そして僅かな快感を覚えていた。それが翔一を恐ろしくさせている理由でもあった。翔一はグッと膝を抱えて、ベッドの上でうずくまる。
何かに怯えるように、小刻みに自分の体が震えているのが分かった。
そんな時、自分の部屋のドアをノックする音があった。
『翔一君……?』
懐かしい声に、翔一は思わず立ち上がる。それから、まだ痛みの余韻が残る頭を押さえながら、玄関に向かった。
カチャリ
扉が開き、中から現れた翔一の姿を見て、真魚は安堵する。翔一は笑顔を見せて言った。
「あれ、どうしたの? 真魚ちゃんじゃない。いやぁ〜懐かしいなぁ。あ、もしかして、また身長伸びた?」
そんな事を言って、なはは、と笑う翔一に、真魚は苦笑いで返す。
「うん。それで、翔一君……」
「まあまあ、良いからさ。ちょっと上がってよ。今、お茶とか入れるから、ね?」
そう言われ、真魚は半強制的に部屋の中へ引き入れられる。翔一は笑顔で、コタツ机と座布団の置かれたリビングルームに真魚を通すと、
「ちょっと待っててよ」
と言ってキッチンの方に向かって行った。
フンフンフーン、と翔一の鼻唄が聞こえてくる。それからすぐに、翔一がトレイの上にティーセットを乗せて戻ってきた。
「いやぁ〜、真魚ちゃんにお茶をいれるのも久しぶりだなぁ。で、今日はまたどうしたのよ」
翔一は机の上にティーセットを並べると、お茶をいれる準備をはじめた。その様子を見て、真魚は何と無く不安げに聞く。
「翔一君、何か良い事あった?」
「良い事? どういう意味よ、それ?」
「ううん、でも、何だが今の翔一君、嬉しそう」
それに対して、翔一は首を傾げる。
「そうかなぁ。良い事なんて別にないけど。悪いことならあったけどさ」
「悪いこと?」
「うん、まあちょっとね」
「ふうん……」
そうは見えないけど、と真魚は心の中で思う。それからふと、
「もしかして、その悪いことって、アギトに関係すること?」
「アギト?」
お茶をいれていた翔一が、思わず顔を上げる。
「どうして、そう思うわけ?」
「どうしてって言われても、何と無く、かな」
「なんとなく?」
真魚が無言で首を縦に振る。翔一はお茶を入れながら、気丈に笑った。
「当たりかな」
「え! 当たりって、一体どういう……?」
「うん」
翔一は一言、頷くとしばらくの間、黙りこくってお茶をいれていた。そして、最後に紅茶の入ったティーカップを真魚に差し出すと、改めてそれに答えた。
「また、あいつらが現れたんだ」
「あいつらって……」
真魚の脳裏には、何体もの異形の怪人たちの姿が浮かんだ。下を向き、唾を飲み込む。ティーカップの取ってにそっと触れた。
「どうして?」
「それは、分からないけど」
翔一がそう答えた時、再び、玄関の呼び鈴が鳴った。