「あれ……またお客さんだ」
翔一は顔を上げ、玄関の方を見る。それから首を傾げて立ち上がった。
「はーい?」
翔一が玄関のドアに早足で駆け寄り、そう言いながら鍵を開けてドアを開くと。
「あれ……北条さん?」
そこには、かつて幾度となく翔一も目にした男、北条 透が立っていた。彼は三年前、執拗にアギトを捕獲することに執着し、二度にわたるアギト捕獲作戦を立案したり、翔一の身柄を拘束しようとしたこともある男だった。
しかしながら、翔一のその性格の故もあり、別段彼がこの男に対して悪い印象を持っているということはなかった。
「お久しぶりです。会わない間にあなたがこちらに引っ越したと聞きましてね。それと……」
北条は軽く頭を下げると、翔一の部屋の中を覗き込む。かつて彼も捜査に加わった『風谷伸幸事件』の関係者である真魚の姿を確認すると、そちらにも会釈した。
「いやぁ、今日は懐かしいお客さんばっかりだなぁ」
翔一は突然の来客、北条 透を部屋の中へ案内すると、笑顔で彼にもお茶を入れて差し出した。
「それで、今日は何の御用なんですか? あ、もしかしてまた、手品やります?」
「あ、いえ、今日は是非、津上さん、あなたとお話をと思いましてね」
北条は、首に巻いたネクタイを緩めながら言う。と、真魚がそれを聞いて慌てて立ち上がった。
「あ、じゃあ私、邪魔ですよね。もう帰りますんで」
真魚はそう言って、北条に頭を下げる。
「え、もう帰っちゃうの? 別にいいんじゃない? 聞かれて困るような話でもないだろうし」
ねえ、と翔一は北条に目を向ける。が、北条は微妙そうな顔をしてそれに答えた。
「いえ、できれば、外していただけると助かる話題なのですが……」
北条の言葉に、翔一は思わず「あらら……」と口を開ける。
「ほら、北条さんもこう言ってるし。それにおじさんに黙って来ちゃったから、もう帰らないと」
そう言って立ち去ろうとする真魚に、北条は頭を下げ、翔一は笑顔で手を振る。
「じゃ、また来るからさ」
真魚は笑顔でそう言って、部屋を出て行った。
真魚が出て行くと、北条は改めて座り直し、翔一と視線を交わす。
「津上さん、実はあなたにアギトの事について聞かせてもらいたいのですが」
「アギトの事、ですか?」
翔一は顔をしかめて頭をかいた。
「ん〜、なんか難しい話じゃありません?」
「いえ、あなたの考えを聞かせてもらいたいのです」
「考え?」
「はい。あなたはかつて、アギトとしての力を使い、氷川さんらと共にアンノウンと闘った。そんなあなたは、アギトであることを、果たしてどう思っているのか。アギトとして闘う事をどう感じていたのか? 私はまず、それをあなたに聞くべきだと思いましてね。いえ、これは何の気ない気まぐれなのですが」
「う〜ん、アギトであること、ですか」
翔一は両手を頭の後ろにやる。それから、少し考えた後に首を振った。
「何も思ってません。何も感じてません」
「……は?」
ふざけたような答えに、北条は思わず聞き返す。
「そういうの、考えないようにしたんです。俺がアギトだからって、俺がアギトになっちゃダメじゃないですか」
「……は?」
北条は意図せずして、同じ言葉を繰り返してしまった。翔一は腕を組んで難しい顔をする。
「何って言えばいいのかなぁ〜。俺はアギトだけど津上 翔一だぞーって。前にアギトの力が暴走した時とか、真魚ちゃんのお父さんがアギトになった姉さんに殺されたのかもしれないって聞いた時とか、なんかすごい考え込んじゃって。なんで俺、アギトなんだろうって。それで色んな事が頭の中で混ざりあって、わーってなっちゃって。だから、考えないようにしたんです。俺がアギトになったからって、俺が俺でなくなるわけじゃないんだって、俺の居場所がなくなるわけじゃないんだって。だから、アギトだからどうとか、そういうの考えないようにしたんです」
翔一は全部言い切ると、スッキリしたような笑顔を浮かべて北条を見た。北条は唖然とした表情を浮かべてかたまっていたが、やがて頷きながら口を開く。
「はあ、それは……その」
と、北条が言葉を探しているところに、彼の携帯へ着信がかかってくる。北条はポケットを探って手早く携帯電話を取り出すと、「失礼」と言って電話に出た。
「はい。はい……はい。……え!?」
突然語調を変えると、深刻な表情で何度も頷き、やがて電話をきると、携帯を閉じて翔一に言った。
「すいません。緊急の用事が出来ましたので、私はこれで」
北条はそう言って立ち上がると一礼し、翔一の言葉も聞かずに、さっさと部屋から出て行った。
──────────ー
夜の街。眩しい夜景に照らされるネオン街を遠くに見下ろす高層ビルの上に、一人の男が降り立った。まるで闇の中から現れたように忽然と姿を現したのだ。
その容姿は、女のように長い茶髪に白い肌。感情の無い表情に溶け出したような微笑を浮かべ、全身を灰色の服に包んでいた。
その右手の甲には奇妙な紋様がタトゥーのように刻まれている。
男は眼下の街にそっと微笑みかけると、サッと右手をかざした。すると甲に刻まれた紋様が強い輝きを放つ。男はその顔に浮かべた笑みをより一層深めながら、更にその右手に力を込めた。
──────────ー
帰宅ラッシュの電車を乗り終えて、今日も帰路についた男はふと、違和感を感じた。誰かに見られている、そんな気がしたのだ。男は辺りを振り返るが、誰の姿もない。道の傍には深い藪があったが、そこに誰かがいる気配もなかった。男は首をかしげて、また歩き出す。
少し行ったところで、足取りがおぼつかなくなるのを感じた。体が妙に重く感じ、男は思わず膝をつく。
と、軽くついただけのはずのその膝が、なんと地面にめり込んでしまったのだ。男は驚きのあまり悲鳴をあげようとするが、肺までもが固まったように動かず、声を出すことすら出来なかった。全身がまるで鉄の塊になったように重く、そのままその場に倒れこむ。
やがて遂に、自分の体の重さに耐えられずに内部から肉が崩れ落ちる音が、男の耳に響いた。
物陰から、その様子を満足そうに眺める者がいた。
灰色の硬質な肌に、鼻の頭に生やした二本の角。衣装も、装飾ではなく堅硬な鎧のようなものを身に纏い、そして左の肩には羽型の飾りを着けていて、頭上には青白い天使の輪が浮かんでいる。
サイ型のアンノウン。ライノロード・トラクレンタ・コーンである。
コーンは男が力尽きたのを確認すると、頭上の輪を消失させてゆっくりとその場を後にした。