「風谷伸幸事件の?」
警視庁本部捜査一課で、河野と北条は互いにデスクに向かいながら会話を交わしていた。そんな中でふと飛び出した北条の発言に、河野は思わず眉をひそめた。
「ええ、そうです。あれから何か進展はあったのかと思いましてね」
「進展って言われてもだなあ。そもそもお前、あの事件には興味がなくなったんじゃなかったのか?」
河野の言葉に北条は噛みしめるように頷き、答える。
「ええまあ。しかし、何故でしょう。先日のアンノウンらしき者、そしてアギトを目撃した今となって、蘇るのはやはりあの事件なんです。三年という期間を開けてもし再びアンノウンが動き出したのだとすれば、もしかすると五年前のあの事件も……」
「おいおい、まさかお前までアンノウンの仕業だとでも言うつもりか?」
「いえ、まだ分かりませんよ。犯人は一体、人間なのかアンノウンなのか……それとも」
本当にあの結末が正しかったのか、北条はそんな思いをこめて宙を見上げた。やはりあの結末には疑問が持たれる。本当にただ沢木雪菜の犯行であるという結論だけで、あの事件を終わらせてしまって良かったのか。
河野は不思議そうに北条の表情を眺めてから、
「まあ、そこまで言うのならな。もういっぺん、一からはじめて見ても良いが」
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もう午後を周りかけた頃、翔一はようやくレストランAGITΩへとバイクを止めた。案の定、店はもう開いている。おそらくは加奈が一人で開けてくれたのだろう。まだふらつく足で、翔一はバイクを降りるとレストランの扉に手をかけた。
それと同時に、中から聞き覚えのある懐かしい声が聞こえてきた。
「そうか、すまないな。あいつがいないんなら仕方ない。また来ると伝えてくれ」
ぶっきらぼうで愛想がないが、どこか穏やかで暖かみのあるその声に、翔一は思わず顔をあげる。と、声の主が扉の向こうから現れて、あやうく翔一と鉢合わせになる所だったが、間一髪、翔一が後ろに飛び退いてそれをかわした。
出て来たのはやはり、翔一の見覚えた顔。かつて翔一と共にアギトとして戦った男、葦原 涼だった。加奈もその後ろから顔を出す。
二人はお互いに顔を確認すると、少し驚いたように目を丸めた。
そしてまず、翔一が口を開く。
「葦原さん? 葦原さんじゃないですか! 久しぶりですね、どうしてたんですか!」
驚いた表情はやがて満面の笑みへと変わり、翔一は涼を中へ引き入れようとする。
「まあ中に入ってくださいよ。今日はどうしたんですか? 最近全然この店に寄ってくれなくなっちゃったじゃないですか」
翔一がなおも笑顔でまくし立てるように言うが、それとは対照的に涼は喜びを分かち合おうという表情にはならず、愛想のない表情で言った。
「津上、お前……その服を脱げ」
「え?」
「はい?」
唐突な涼の言葉に、翔一どころか側に立っていた加奈まで一瞬、呆然とした表情をする。それから加奈は何かを察したように口元に手を当て、そして逃げるように店の奥へと去って行った。
翔一はどうしていいかも分からず、逃げ去る加奈と、未だに真剣な表情で翔一を見る涼とを交互に見交わして、
「あの、え? や、やだなぁ葦原さん。冗談ならその辺に……」
翔一がその言葉を言い終わる前に、涼は翔一に組み付き、シャツを捲り上げた。そこには涼の思った通り、まるで岩にでも打ち付けたかのような大きな青あざが残っていた。涼は自分が扉を開けた時、翔一が飛びのきながら無意識の内に腹を抱えて庇っていたのを見逃さなかったのだ。
「津上、これはどうした?」
「ど、どうって……」
翔一は思わず言葉に詰まった。
翔一の前に立つ彼、葦原 涼もまた翔一と同じくアギトの力を持つ者だった。アンノウンが再び現れたということを、ここで彼に言ってしまうべきなのか。しかしそうすれば再び戦いの渦に涼を、自分以外の者を巻き込んでしまうことになるだろう。いずれ彼にも解ってしまうかもしれない事とは言え、今の翔一にはやはり、それを涼に話そうという気にはなれなかった。
「いや〜、ちょっとバイクで事故っちゃって」
翔一は頭をかきながらそう言って笑う。しかし涼は仏頂面で、
「相変わらず嘘が下手な奴だ。まあいい……」
冷めたような声でそう言い、扉に手をかけた。
「お前に話す気がないのなら、無理に聞こうとは思わない」
そう言い残して涼は扉を開け、出て行ってしまう。翔一は慌てて、
「あれ、もう行っちゃうんですか? 葦原さん! 葦原さーん!」
とその背中に声をかけたが、彼がこちらを振り向くことはなかった。
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北条は河野からの一報を受け、新たな殺人事件が起こったという現場に駆けつけた。当然、辺りには鑑識やら警官やらが忙しく立ち回り、彼にはもう見慣れた光景の中で、河野がブルーシートの前に立っている。
「また犠牲者が出たとか?」
北条は辺りを見回しながら、河野の元へ歩み寄った。河野は頷きながらブルーシートを捲り、凄惨な現場を北条に見せる。
「また随分と酷いですね」
「ああ、どうやら骨と内蔵の重みに体が耐えられなくなったことが直接の死因らしい。こりゃあ本格的にアンノウンの仕業と見て間違いなさそうだな」
「そうなると、一般市民への勧告と被害者の親族の護衛が必要になりますね」
「ああ。それにしても奇妙なもんだ。なんでまた三年も経ったこの時期に再びアンノウンが現れたんだか」
河野は困ったように首を傾げた。北条はそれに頷きつつも、心の中では全く別の事を思い返していた。
あの風谷信幸事件のことを……。
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陽も大分傾いて来た頃、涼は自身の住まうマンションへと帰ってきた。自分のバイクを駐輪場に止めてエンジンを切ると、涼はマンションの階段を昇り、借りているアパートの一室の前で立ち止まった。ポケットを弄ってキーを取り出すと、ドアの鍵穴に差し込み回す。ガチャリと音がして扉が開いた。
「おっ」
と、部屋の中に踏み入ろうとした涼の足元に、何者かが駆け寄って彼を出迎えた。
「ワウッ!」
それは小さな彼の友人、彼があの長い戦いを終えて出会った一匹の柴犬だった。川の土手で路頭に迷っていたこのチビを拾い上げて、涼はそれ以来、この小さな同棲者と共に暮らしてきた。
以前までは自分には広すぎると感じていたこの部屋も、今では少しだけ、場所が埋まったような気がする。涼はチビを見下ろして小さく笑みを浮かべると、わしゃわしゃとその頭を撫でた。
しかしすぐに真剣な表情に戻り、顔をあげる。翔一の事を思い出しながら、涼は歯を食いしばった。
「まさか……な」
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「津上さん」
見事な重役出勤を果たし、大慌てで準備をしていた翔一は、加奈に声をかけられ、振り返る。
加奈は少しだけ浮かない顔をして、翔一の事を見つめていた。翔一は持ち前の笑顔で加奈に聞き返す。
「どうしました?」
「はい……あの、余計なお世話かもしれないんですけど。さっきのこと、何かあったんですか?」
「なにか?」
「ええ、津上さんが無断で遅れてくることなんて滅多にないし、それにさっきの人も」
加奈の顔に不安げな色が浮かぶ。彼女もまた翔一が自分と同じアギトであり、そしてかつてアンノウンと呼ばれる未知の怪人達と戦ってきた戦士であることを知っているのだ。もしかしたら、という思いは彼女の胸中を穏やかなものではなくさせていた。
「ああ、あれは本当、つまんない事故を起こしちゃって」
翔一はそんな加奈に、笑みを絶やさずにそう返す。しかし加奈は、
「翔一さん!」
柄にもなく声をあげ、翔一を見つめた。
「本当に大丈夫なんですか? それに、その怪我の手当ても……」
それでも翔一は、満面の笑顔でそれに答えるのだった。
「大丈夫大丈夫! こんなもん唾つけとけば治りますって!
それよりも、早く支度しましょう! 俺遅れちゃったから!」