第五章 秋雲編
マズイ。ともかくマズイ。私の目の前にあるのは真っ新な原稿用紙。そして頭の中には何のネタもない。このままじゃ……まずい。
「……どうしよう。本当にどうしよう」
急いで描かないといけない。そうじゃないとわざわざ提督に無理言って休暇を貰った意味もないし、あのサークルにもバカにされる。早く、早く描かないと。
「秋雲、今日の晩御飯何に……」
「要らない、ほっといて!」
「え、でも、ちゃんと食べないと……」
「いいからほっといて!」
巻雲の声だっただろうか? そんなの関係ない。今は原稿を仕上げないといけないんだ。私は聞こえてきた声に怒鳴り返すと、声は聞こえなくなった。
「クソッ……。どうして思い浮かばないんだもう……」
それから私はズッと原稿の前に座り続けた。二日、三日、流石にお腹が空きすぎた時には栄養ドリンクやゼリーを飲んだりはしたけど、それ以外の時はずっと原稿とにらめっこだ。だけど、ネタが思い浮かばない。辛うじて浮かんだネタで描こうとしても、途中でうまくいかなくて破り捨ててる。だめだ、こんなんじゃ、ダメ……だ。だめだだめだだめだだめだ。
「……ああもう! もう!」
思わず机に拳を叩きつける。でもそれでいいネタが思い浮かぶでもなく、ただ手が痛いだけで、それが更に秋雲を苛々させる。
「……秋雲、なにやっとるんよ」
不意に後ろから声が聞こえてきた。でも、そんなのどうでもいい。私は早く原稿を描かないと。
「……秋雲、おーい、聞いとるんか。秋雲」
「……ウルサイな。ほっておいてよ」
しつこい声に私が後ろを振り向くと、そこに居たのは黒潮だった。なんでいるんだろう? でもどうでもいいや。
「なによ黒潮。私は今忙しいんだから、さっさと出てってよ。邪魔」
「そう言うわけにもいかんで。巻雲から聞いたんや。今回の秋雲は普段よりも荒れとるって。なぁ、ホンマどうしたんや? もう碌に食事もしとらんのちゃうん?」
「栄養ドリンク飲んでるから大丈夫。それより邪魔だから」
「いやいや、それ流石にマズイで。それにこんな遠目でもわかるほど隈できとるやん。このままじゃ倒れてまうで」
「あーもう! しつこい! 秋雲は大丈夫だから放っておいてって言ってるでしょ! 邪魔なの!」
しつこい黒潮に私は思わず手元にあったペンを投げつける。それは黒潮の顔に当たって床に落ちた。……それには血が付いていた。
「え……? あ、え……?」
顔を上げるとそこにある黒潮の顔。そこにはペン先で傷ついたのか、頬から血が流れ出ていた。
「イツツ……マジかいな秋雲」
そう言って秋雲を見る黒潮の顔は、……しかめっ面になりながら頬を抑えてる。あき……あきぐ……あきぐものせい……せいで……。
「ご、ごめ……な……ごめんな……」
必死に謝ろうとする。でも、口がうまく回らない。そんな私に黒潮が近づいてきて……私の両肩に手を置いて……。
「……秋雲、ええんか?」
「へ?」
あまりにも予想外の言葉に私は口を開けてしまった。
「なぁ……秋雲。ウチはあんたとは姉妹艦ってぐらいしか繋がりはあらへん。それも、元々夕雲型や言われてた秋雲からしたらうっすい繋がりかもしれへん。でもな、繋がりがあるんは確かやで……、あんた、わかっとるんか? 秋雲は今、その繋がりのあるウチをケガさせたんやで」
「わか……わかって……るよ……ごめ……なさ」
「違う。秋雲……あんた、ヘタしたら他の……もっと大事な艦娘にも同じことしかねなかったんやで、それ、わかっとるん?」
その言葉に秋雲は気づいた。さっきの癇癪が……もしかしたら他の艦娘にしてたかもしれない。そしてその時投げたのがもっと大きいものだったら? もし投げたペンが目に当たっていたら? そりゃ入渠すれば傷は治る。でも、痛いのには変わらない。それに失明なんかしたら……治るの? 治せない……かも……。
「……わかったか秋雲。ウチやない。あんたにとってウチよりもっと大切な人に同じ事したかもしれへんって事……。なぁ秋雲、あんたにとってその同人誌を作ることが大切なことやのは知っとる。でも、それは誰かを傷つけるかも知れへん状態になってまでやらなアカン事なんか? 秋雲自身を傷つけてまで作らなアカンもんなんか? なぁ、教えてーや、秋雲」
「そん……な……そんなわけ……な……い……」
気づけば私の目から涙がボロボロと零れ落ちていた。誰かを傷つけてまで作って……そんなの、私が作りたい作品じゃない。そんなの……ファンの人に見せたりなんてできないよ……。
「……ほな、一回ゆっくり休もうや。な、今の秋雲は疲れとるんやから。一回ちゃんと休みぃ。な?」
そう言って微笑む黒潮の顔は、まるでお母さんのようで……秋雲は泣きながら黒潮の胸に顔を埋め、ただごめんなさいと叫んでいた。