時系列は多少前後しますが、今回は主人公の視点がめいんです。
東京、光が丘にある一つの病院。
「……う……ん……ぁ、れ……」
その病棟の一つのベッドの上で、沙綾はゆっくりと目を覚ました。
「! 良かった……目が覚めたんですね……」
「……ヒカリちゃん……?」
彼女が目を開いた時、まず始めに写ったのが白い天井と、安心したような優しい笑みを浮かべて自分を覗き込むヒカリの顔。だが彼女の『視界』はまるで片目を閉じているかのように右半分が狭い。
意識が覚醒したばかりであるためか、沙綾は横になったまま、ぼうっとした表情で口を開いた。
「……此処は……?」
「お台場の病院よ……」
「……病院……?」
ヒカリの返答に沙綾は疑問を浮かべる。
『何故自分が病院に?』と首をかしげながらも、彼女は取り合えず自分の腕を支えに体を起こそうとした。
直後、
「痛っ!」
ズキリと、両腕に鈍い痛みが走り、沙綾の表情が苦痛に歪む。
その様子にヒカリは慌てて彼女の上半身を支え、その体をやさしく横に倒した後、今度は心配そうな顔を見せた。
「動かないで……沙綾さん、全身に怪我してるのよ……その目だって……」
「……えっ?」
視界が狭い原因、沙綾は先程のような痛みが走らないよう、恐る恐る右手を動かして自身の顔に触れる。
自身の額から右目に掛けて感じる包帯の感触。
それだけではない。布団を被っていたため気づかなかったが、その右腕にも同じような包帯が巻かれているのだ。
まどろんでいた彼女の意識が息を吹き返すかのように覚めていく。同時に『自分が何故此処にいるのか』という点を、彼女はハッキリと思い出した。
「……そうだ……私、あの時…………」
「目蓋の上を切ってたみたい……目は無事みたいだけど、暫くは開かないって……体の方も、骨は折れてないけど、擦り傷と打撲が酷いから、動かさないようにって、お医者さんが……」
「はっ!アグモンッ!」
「えっ……?」
ヒカリが簡潔に沙綾の容態を説明するが、全てを思い出した以上彼女の頭の中は今それどころではない。先程とは違い、沙綾は痛みを堪えてガバッと上半身を起こす。見れば彼女の服も今まで着ていた物とは異なり、ワンピースのような"入院患者用の病院服"に変わっているが、沙綾は気に止めることもなく、唖然とするヒカリへと即座に問いかけた。
「ヒカリちゃん!私、どれくらい此処に居たの!?」
「ちょっと、沙綾さん落ち着いて……安静にしないと……他の人もいるんだし……」
「いいから答えて!」
その鬼気迫る表情にヒカリは一歩後退る。
「そんなに長く眠ってた訳じゃないよ……だいたい"三時間"ぐらいだと思うから……」
「さっ……三時間……!」
その言葉を聞いた沙綾の顔が引き吊る。
三時間。
それは現在のデジタルワールドの時間に換算して約半年。いや、だがそれはあくまで"沙綾が此処で眠っていた時間"。過去の現実世界へと渡り、襲撃に合ってから病院に運ばれて治療を受けるまでの時間も含めると、もう既に向こうでは"一年近い"時が流れている筈である。
病室の窓に目をやると、意識を失う時には真上にあった太陽が、今はもう半分以上は傾いて見える。
「た、太一君は!?」
「お兄ちゃんは……えと、向こうの世界に……」
「わ、私も行かないと! 痛っ」
沙綾は布団を勢いよく上げ、ベッドから飛び降りるような勢いで降りた所で、ガクンとその場に崩れ落ちた。
文字通り"全身"包帯だらけなのだ。その足も例外ではない。打撲と捻挫によって傷ついた今の沙綾では、恐らくまともに走る事さえ困難だろう。
「行くって……そんな体で何処に行くの……?」
「何処って……」
"デジタルワールドに決まってる。"そう言いかけた所で、沙綾の口が止まった。体を巡る痛みが、逆に暴走ぎみの彼女の頭を落ち着かせたのだ。
(……ちょっと待って……)
彼女は出来るだけ冷静に考える。
そもそも、どうやって"向こう"に戻るのか。
沙綾自身が『選ばれし子供』でない以上、彼女は"太一に付いていく"という方法以外で向こうの世界には戻れない。
この時代には、まだパソコンからデジタルワールドにアクセスするシステムなどはないからである。
そしてもう一つ。
沙綾の持つ『小説の知識』によれば、子供達は現実世界へと侵攻したヴァンデモンというデジモンを追って一度"こっち"へと帰って来る筈なのだ。
現実世界で三時間、デジタルワールドの時間にして半年もの時間がたった今、果たして子供達とアグモンはまだ向こうの世界にいるのだろうか。
(いや……いくらなんでも流石にそんなに時間は掛かってない筈……という事は、みんなはもうこっちに戻って来てる……?)
病室の床に座り込んだまま、沙綾は思考を巡らせる。
(闇雲に動いちゃダメ……今回だって、それで失敗してるんだから……もしアグモンがみんなと行動してるなら、もう一回太一君と合流すれば会える筈……なら、私が今しなきゃいけない事は……)
「あの……沙綾さん、大丈夫……?」
「えっ……」
不意に、沙綾の真正面から声が上がる。
床に座り込んだっきり動かなくなった彼女を心配し、ヒカリが腰を落として覗き込むように沙綾を見ていたのだ。
確かにヒカリのいう通り足を始め全身が悲鳴を上げてはいるが、沙綾は努めて平気そうにゆっくりと立ち上がってみせた。
(………っ!)
「……うん……ごめんね、ちょっと取り乱しちゃったみたい……」
痛々しい全身でも、沙綾はヒカリににこりと笑顔を見せる。そんな彼女の内心を知ってか知らずか、ヒカリは会って間もない沙綾へと優しく抱きつき、呟いた。
「……沙綾さんのアグモンは、絶対にお兄ちゃんが見つけてきてくれるわ……だからお願い、無茶はしないで……沙綾さんに何かあったら……きっとお兄ちゃんが悲しむから……」
「…………ヒカリちゃん……」
沙綾は少し困り顔になる。
兄の事を信じ、また、兄の事を想い服をぎゅっと握る健気なヒカリの手をを振りほどく事など彼女には出来ない。だが自身の目的を踏まえれば、何時までも病院のベッドにいる訳にはいかない。『無理をするな』というヒカリの意見に簡単には頷けないのだ。
「………………心配しないで……『今すぐ』デジタルワールドに行くなんて言わないから……」
「……ホントに……?」
「う、うん……」
やはりヒカリは沙綾がすぐにでもデジタルワールドに戻ろうとすると感じていたのだろう。上目使いに安堵の表情を見せた。
嘘はついていないものの、その優しい笑みに沙綾の良心はチクリと痛む。しかし今そこを気にしている訳にはいかない。沙綾が"今するべき事"のために。
「……だけど、えと、私病院って苦手だから……あの、ヒカリちゃんのお家の方が……なんていうか、リラックス出来るかな……って思うんだけど……」
うるうるとした瞳を向けるヒカリにバツが悪くなったのか、沙綾にしては珍しく少し強引に話をかえた。
だが現状、これが恐らく彼女に出来る最善の行動。
アグモンが子供達と共にこちらの世界に来ているのならば、彼らの内誰かと合流出来ればその居場所が分かる。
小説の情報では、子供達は今夜にでも一度それぞれの自宅へと帰るため、そこで待機していれば確実に会えると沙綾は判断したのだ。
(……もしアグモンが戻って来てなかったら…………ううん、あの子は絶対に私のいる所に来てくれる……)
「それは……先生に聞いてみないと……」
沙綾から離れ、今度はヒカリが困った表情を浮かべた。
それでも"デジタルワールドに行く"と言われる事に比べれば遥かに安心出来るためか、反対するような素振りは見せてはいない。そして、
「じゃあ私が聞いてくるから、ヒカリちゃんは此処で待ってて!」
間髪入れずに沙綾は悲鳴を上げる足を引きずるようにして歩き始めた。片目が塞がってしまった事で遠近感がうまくとれないが、ゆっくりならば歩く事自体は可能のようである。
しかし、それをさせまいとヒカリは通せん棒をするように両手を広げて彼女の前へと回り込む。
「……ダメ、私が行くから……」
「これくらい大丈夫だよ!ヒカリちゃんも風邪引いてるんでしょ、ゆっくり休んでて……」
「えっ……」
沙綾は微笑を浮かべてヒカリの頭をポンポンと優しく撫でたあと、彼女を避けて再びヨロヨロと歩き始め、ヒカリの次の言葉を待たずにそのまま病室を出た。
勿論、沙綾は医者に外出許可を取るつもりなどない。
ただヒカリにそれを任せ、もし許可が下りなければ面倒な事になる。それを避けるため、適当に時間を潰した後再びここに戻ってくるつもりなのだ。
しかし、沙綾は気付いていなかった。
今、一つだけ些細な、それでいて致命的なミスをしたことを。
『小説の知識』があるからこそ、彼女はそのミスに気付くことすらなく、『それ』が"当然"であると疑う事もしなかった。
だが、それはおかしいのだ。
何故なら、『それ』は『変わってしまったこの歴史では、彼女が一言も口にはしていない事』、沙綾が今知り得る筈のない情報。
本当に些細な、しかし家族以外は誰も知らない筈の彼女の『状態』
「……沙綾さん……何で私が"風邪引いてる事を知ってるの"?」
沙綾がいなくなった病室の中、ヒカリはポツリとそう呟いた。
時は少し遡り、デジタルワールド、ヴァンデモンの城周辺
「彼処がヴァンデモンの城か……」
周囲を警戒するように茂みの中に身を隠しながら、太一は静かに呟いた。
暗い雲が空を覆い、悪魔のようなデジモンが上空を舞う巨大な城。
先日その城の主、ヴァンデモンによって苦しい戦いを強いられた選ばれし子供達だが、今度は自ら敵の拠点へと乗り込むため、周囲に生い茂る草木の中に一纏まりに身を潜め、その期を伺っていた。
「早くヴァンデモンを見つけないと、沙綾ちゃんが……」
「落ち着け空……今は待つんだ……」
焦りの表情を見せる空をヤマトが制止する。
だが、そういう彼自身も早る気持ちは同じなのか身を隠しながらも、その手にはしっかりとデジヴァイスが握りしめられていた。
彼らが焦る理由、それはヴァンデモン達からの逃走に成功した数日後の事。
久方ぶりに子供達の前に現れたゲンナイが語った『ヴァンデモンの目的』がその原因である。
『ヴァンデモンはお主達の世界を侵略しようとしておる』
『現実世界にいる8人目の選ばれし子供の命を、ヴァンデモンは狙っておる』
その言葉が、太一達をこの場所へと突き動かしたのだ。
「ねえ太一さん……私達、ヴァンデモンに勝てるの……向こうにはまだメタルティラノモンだって……」
一度ヴァンデモンの技を間近で受け、一撃でパートナーを戦闘不能にされたミミは、少し自信なさげに後ろから太一へと声をかけた。元々戦いを好まない彼女は、先日の戦いの壮絶さから不安を隠せないのだろう。
「ミミちゃん……」
それに対し彼は振り返り、『決意』の籠った目で力強く口を開いた。
「……確かにヴァンデモンは強敵だ……だけど、このまま何もしなきゃ沙綾がやられちまう……俺達の大事な『仲間』が!……それだけは絶対にさせない!」
そう、今の子供達にとって8人目の選ばれし子供とは『沙綾』を置いて他にはいないのだ。
見ず知らずの誰かではない。今まで何度も危機を助けられ、また太一にとっては一度は"助けられなかった"少女の命が狙われている。
自信を喪失するミミとは対照的に、彼の8人目を助けようとする『決意』は、本来の歴史よりも遥かに重い。
「ええ、それに今度こそ、メタルティラノモンを説得出来る筈です」
自前のパソコンを叩きながら、太一に続くように光子朗が口を開いた。先日の戦いでのヴァンデモンとのやり取りとメタルティラノモンの様子から、光子朗を始め皆はもう『ヴァンデモンがアグモンに何を吹き込んだのか』をある程度推察出来ているのだ。
「沙綾君の無事を証明して、ヴァンデモンの野望を話せば、きっとメタルティラノモンも分かってくれる筈さ!」
「ええ、恐らくヤツは、『沙綾さんが太一さんに殺された』とでも吹き込んだんでしょうから…………」
メタルティラノモンの説得さえ出来れば、状況を一気に変えることが出来る。ヴァンデモンを倒す事も不可能ではない。
「……うん、そうよね……ごめんなさい……私も頑張る!」
彼らの意見に鼓舞されたのか、ミミも不安そうな顔付きを真剣なものへと変え、静かに頷いた。
しばらくして、
「あっ、皆さん出ました! この位置、敵の守りが手薄です!」
カタカタとパソコンを叩いていた光子朗が声を上げる。
「見せてくれ」
その声に、太一を始め皆は彼の回りへと集まり、覗き込むように彼のパソコンの画面に表示された城の周囲の地図を見た。正面の正門と裏口からの進入を警戒してか、地図上に赤い点で表示された警備の敵デジモンは、その二ヶ所に大きく集中しており、城の側面にはほとんど写ってはいない。
結果、彼らはそこから城内へと進入することを決める
。
「……みんな、準備はいいか……」
光子朗がパソコンをリュックへと仕舞い立ち上がった所で、太一は皆へと問いかける。
「ああ、勿論だ」
「沙綾ちゃんのためにも、此処でヴァンデモンを倒しましょう」
勿論、沙綾を助けたいと願うのは太一一人ではない。
ヤマト、空を始め先程まで弱気であったミミも、そして他の子供達もそのパートナー達も、その場にいる全員が力強く頷いた。
「よし、行くぞ!」
ヴァンデモンを倒すため、そして敵の手に落ちたメタルティラノモンを救い出すため、選ばれし子供達とそのパートナー達は一斉に茂みから飛び出すのだった。
次回は『episode of CHAOSDRAMON』を更新しようと思います。
原作ではヒカリが『風邪を引いている』と自分から申告していますが、この小説ではそのセリフは喋らせていません。
『歴史の流れ』にも引っ掛からない本当に些細な歴史の変更ですが、この一言を喋ってるかどうかってかなり大きいですね。
こんな誰も気付かないような伏線が、この物語の随所にあります。
未来編、ファイル島編には特にそんなのが多く書かれています。