その性質上、「傀逅」のネタバレを多分に含みますので未プレイの方はご注意ください。
地獄の釜が開いたような、あの6日間。
この地には、3人のヒーローがいた。
「さっきの店はイマイチやったな」
「じゃあ、あのお店はどうかな?」
その日小笠原造一は、弟の鈴太と買い物に来ていた。
駅にほど近いアーケード街である。東京近郊都市の休日、大手チェーン店や個人店が競うように店を開いており、辺りは道往く人で溢れている。
時期は3月の中頃、1年を通して比較的温暖な気候を保つ土地柄であることに加えて今年は過去類をみない暖冬と言われており、日中陽が差すところであれば防寒着の類は必要ないほどの陽気である。例年には少し早いが、彼らは春物服を買い求めに来ていた。
駅前のビルの屋上には電光掲示板が最新ニュースの字幕を流している。現職国会議員の汚職、消費税増税の経済への影響、某国大統領のスキャンダル、どれも兄弟の関心を引くものではない。
それは全国区のニュースだけではない。例えば今この羽星市を騒がせている奇病、通称「霊憑き病」で死亡症例が30名を超えたという旨のテロップが流れたが、小笠原兄弟を含め往来の人々はまったく気に留めていないように見える。人口30万を超える都市の中とはいえ、特定の疾病による死亡者数30名となれば、現代日本においては異例とも言える事態である。しかし感染源も感染経路も不明、そもそも感染性かどうかも分からないとなれば当該ニュースの締め文句は判を押したように「原因究明が急がれる」と繰り返されるばかり、物騒だなとは思いつつ何に気を配れば良いのか分からない、というのが住民たちの本音だった。
「あの店な……まあ、行ってみよか」
小笠原は、普段弟に窺いを立てたりすることはない。それどころか自らの決定に口を挟むことがあれば鉄拳制裁を躊躇わないのだが、こと衣服についてだけは鈴太が「似合う」と評するものだけを購う傾向がある。鈴太はどれを見ても「似合うよ」とは言うのものの、それぞれに確固たるニュアンスがあるのだ。
「こういうのはどう?」と鈴太が持ってきたのはワインレッドの開襟シャツだ。春物かと問われればそんなことは全くないのだが、そういった拘りのある男でもない。
「ほな、着てくるわ」と受け取って店の片隅にある試着室に入っていく。当然のように店員には何の断りも入れず、後ろで鈴太が小声で店員に謝っている。
暫くして「どうや?」とカーテンを開け、腰に手を当てる小笠原が現れた。
「うんうん、良いと思う」
もうワンサイズ大きい方がいい? 着心地はどう? と気を回す鈴太。
「サイズはこれでええわ。ま、スズがええ言うならこれにしょうか」
「うん、兄ちゃんにすっごく似合ってるしカッコいいよ」とニコニコしながら鈴太が言う。
小笠原も満更ではない様子だった。
店員がこのやり取りを見ていれば、奇異に感じたかもしれない。
歳の離れた兄弟は珍しくもないが、方や弟は従僕然として振る舞い、片や兄はこの辺りでは珍しいきつい訛りの関西弁を話し、振る舞いも相貌もどう見てもカタギのそれではない。顔立ちも振る舞いもまるで異なる少年が年長者を兄と呼ぶのはヤクザの上下関係としての呼称に過ぎないのではないか、というのはそう穿った見方ではない。しかし、事実として彼らはれっきとした兄弟である――正しくは異母兄弟であるが。小笠原は再婚した父の連れ子で、彼にとっての継母と父の間に生まれたのが鈴太だった。きつい関西弁は彼が生まれ育った地で幼少期から少年期にかけその身に染みついたものだった。
両親に棄てられ、孤児院で育った二人のうち、兄の方は手の付けられないほどに荒れ、他方弟は陰湿な苛めを受けて他人の顔色を窺わずにはいられない内気となった。
彼らは今、二人きりで市内の安アパートで生活を共にしている。
学歴も人脈もない小笠原はやがて暴力団事務所に籍を置くようになり、曲がりなりにも収入を得られるようになって、孤児院から鈴太の身元を引き受けたのだ。心身を蝕む苛めからは解放されたものの、いかなる口答えも暴力という『愛の鞭』で封殺する兄との暮らしが以前の生活よりマシか、と問われると何とも言えないところではある。おどおどと相手の顔色を覗うことには変わりないが、それでも鈴太自身、兄との二人暮らしに満足はしていた。
苛めとは違い、兄の暴力にはきちんとした理由がある。殴られる時は、殴られるようなことをした自分が悪いのだ。この世にたった二人の家族なのだから、兄の機嫌を損ねないように、仲良くやっていかなければ……
そう自分に言い聞かせて、今日も鈴太はニコニコと兄の後ろに付き従っている。
「俊亮、今日の晩御飯は何にする?」
「んー、何がいいかなあ。ののちゃんは何が食べたい?」
「えっとぉ……ハンバーグかなあ。チーズの入ってるやつ!」
「分かった分かった、じゃあひき肉とチーズと……」
甲斐俊亮と藤塚ののは、夕食の材料を買い出しに来ていた。
駅前のアーケード街、その一角にあるスーパーマーケットである。二人は同棲中のカップルで、今日のように休みの合う日は二人でよく買い物に出かけている。
甲斐の人となりを知る者は十人中十人、彼を「穏やかで誠実」と評する。大型で人懐こい草食動物を思わせるような見た目は、その人柄を如実に反映している。大柄な体格も威圧感よりむしろ「優しそう」「食べるのが好きそう」といった無害な印象を見る人間に与えた。後者の印象は特に当を得ており、食べるのも好きで、おまけに料理をするのも大好きといった手合いだ。どちらかといえば料理が不得意なののに代わり、休日や早上がりの日は甲斐が食事当番となるのが常だった。
「付け合わせはぁ……ポテトサラダにする?」とのの。間延びした喋り方をするのが抜けきらぬ癖だ。お蔭で甲斐と同い年でありながら、彼と並ぶと幾分幼い印象を持たれてしまう。
「いいね。じゃあジャガイモとキュウリも」
「そう言えばねぇ、テレビでリンゴを入れると、美味しくなるってやってたんだけど、試してみる?」
「そうなんだ。じゃあ、やってみようか?」
「うん!」
まるで幼子のように甘えているののであるが、これで中々気の強いところもある。同僚や知り合いなどの前では決して甲斐に甘えた態度を取る事はないし、甲斐にとってみれば理不尽と言うほかない態度で責められケンカになることも珍しくはない。勿論大抵は甲斐が折れるが、そこから更に「どうして謝るの、何を悪いと思ってるの」方式で詰られるのもままあることだった。一度などはそれが過ぎて破局に至った事もあるが、そこはお人好しの甲斐である。1年とたたないうちに復縁を受け入れ、あっさりと自他ともに認めるバカップルへと帰り咲いた。
その件について友人らに問い詰められても、「まあ、そういうこともあるよ」とニコニコ顔で躱しざま惚気話に繋げる有様である。まさに暖簾に腕押し、口の悪い友人などは「あいつは何年付き合っても胸焼けする話しかしない」とくさしている。
確かに、甲斐とののは『長い』。恋愛関係となったのが高校の同級生時代であるから、もう9年になる。一度離れ離れになった期間があるとはいえ、それだけの長きにわたる付き合いを経て未だに蕩けるような愛情を語れる所に、甲斐の人柄が現れていると言えるだろう。
この2人、小笠原造一と甲斐俊亮の耳に、か細く今にも消え入りそうな声が届くところから、この物語は始まる。