COC「傀逅」リプレイ   作:又左衛門

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3日目-1

 朝、ベッドで目を覚ました甲斐は、視界に現れる違和感に気付いた。

 まさかと思って目を何度も擦るが、気のせいではない。頭の中がクリアになるにつれ、はっきりと状況の深刻さが認識できた。

「おはよー」

 起き上がる気配を感じたののが、ひょっこりとダイニングに繋がるドアから顔を覗かせる。

「あ、うん、おはよう……」

「ちょっと、何処見てるの? おーい」

 生返事のままきょろきょろと落ち着かなげに視線を彷徨わせる不審さを、ののが咎めた。だが甲斐はそれどころではない。

 視界の半分が、ごっそり、抜け落ちていた。

 甲斐の利き目、右目がその機能を完全に喪失していた。明暗の区別すらできない。

「おーいってば。どうかした?」

「あ、ごめん。何でもないよ。まだ寝ぼけてるのかな、目がちょっと見えにくい気がして……」

 流石に言葉を濁さざるを得なかった。ののは不審げに「ふぅん」と口を尖らせる。

「そっかぁ。もし体調悪いんだったら、ちゃんと病院行きなよ?」

「うん。ありがと」

「朝ご飯、出来てるからね」

 ののも甲斐も職場は近いのだが、出勤はののが幾分早い。その為、朝食はののが担当するのが常だった。

 献立は大体トーストとサラダ、日によってはヨーグルトなどが添えられる。今朝も、パンの焼けるいい匂いが開けたドアから漂っていた。

 もそもそとベッドから起き上がる甲斐。

 ちょっとトイレに……とドアに向かおうとした矢先、身体の右側を思い切り壁にぶつけてしまった。

「いてっ」

「ちょっと俊亮、本当に大丈夫? いつもより寝ぼけ過ぎじゃない?」

 甲斐は「そんな、いつも寝ぼけてるみたいな……」と誤魔化しながら笑うが、内心は冷や汗ものである。やはり全く右側が見えない。

 食卓に着いた後も、卓上の箸を取りそびれるようなケアレスミスが何度も続いた。片目のせいで、距離感が全く掴めない。

「……疲れでも貯まってるの?」

「大丈夫大丈夫。それより、時間は大丈夫?」

「あ、ヤバいかも!」

 時計の短針は八時を差そうとしていた。ののは既に食事も身支度も済ませていたが、慌てて席を立った。

「私先に出るね。行ってきまーす!」

「行ってらっしゃい……」

 いつもであれば甲斐もジムへ出勤の準備に勤しむところ、しかし昨日からはそれも一変した。職場には、身内の不幸でしばらく休むと伝えてある。

(まあ、今日も九時ぐらいに署に着けばいいだろ)

 そう決め込んで、ぬるくなったコーヒーを啜りながらテレビを点ける。

『羽星ニュースの時間です』

 丁度、ローカルニュースが始まる時間だった。お馴染みの女性アナウンサーが淀みない口調で原稿を読み上げる。

『このところ話題となっている謎の2体の生命体について、更なる映像情報が市民より提供されました』

 野暮ったいテロップと共に映し出されたのは、火事で今にも焼け落ちそうになっている2階建ての家屋と、その前の道路に立ち尽くすハリケーンの姿だった。スマートフォンによる撮影と、撮影者の動揺によるものだろう、画面のブレが酷い。

 漆黒の肌に羽織った滑らかな素材のフードローブ姿は、見ようによってはアフリカ大陸あたりの民族衣装のようにも見える。しかし、極小範囲に強く巻き起こる風が輪郭を所々不確かにぶらしており、それが単なる衣装であることを明確に否定していた。

 程なくして、情報からコンバスチョンの巨体が降ってくる。路面に散りばめられたガラス片をものともせず、地面に片膝と掌を突いて着地した。

 こうしてカメラ越しに自分の変身後の姿を観るのは初めてである甲斐は、マグカップを中途半端な位置に持ったまま、画面に見入ってしまう。

 全焼する家屋よりなお紅い炎を体中からたなびかせ、赤熱する皮膚を露わにした異形の怪物。客観的に見て、それが自身の姿であると、甲斐は遅まきながらようやく認識した。

『市民の間では、これらの生命体はベアリルと呼ばれ、恐れられています。映像に映されている住宅火災との関連は未だ不明とされ、警察の対応の遅さも市民からの批判を受けています』

 画面は切り替わり、モザイクと音声処理のなされた市民へのインタビュー映像となった。

 内容は散々なものだった。

 大火事はベアリル達のせい。

 フードの方が抱えて降りてきた人影はきっと奴らの戦利品に違いない。

 早く自衛隊でも呼んで駆除して欲しい。

 甲斐は、急に胸が悪くなった。手探りでリモコンを持ち上げると、苛立たしげに画面を消した。

 

 同時刻、小笠原はようやく蒲団から起き上がるところだった。二日酔いもなく、いつにない快適な起床だった。

 リビングに向かおうとしたその時、視界の右にある箪笥がふと揺れたように感じた。

 何かの予感があった訳ではない。ただ何とは無しに降ろした視線の先で、小指があらぬ方向に曲がっていた。それだけではない。根元の方で、骨が皮膚を突き破り飛び出していた。

(何や、これ……?)

 恐ろしいのは、これだけの怪我を負って何の痛みも感じない事だ。ショックで痛覚が麻痺しているとかいうレベルではない。本当に何の感覚もなかった。虫の知らせで下を向かなければ、きっと何にも気付かなかっただろう。

流石に思考が停止した。

「凄い音がしたけど、大丈夫!?」鈴太が顔を覗かせた。

「おう……向こう、行っとれ」

「そ、そう……僕、もう時間だから行くね」

 行ってきます、という鈴太の声に、小笠原は何の返事も返せなかった。

「そうだ、朝ご飯ラップ掛けてテーブルの上に」「ええから行け」

 それだけを返すのに精一杯だった。

 鈴太が出て行った後も、小笠原はずっと自分の足先を見つめていた。

 

『本日の調査場所を決定してください』

 昨日と同じく、ベースのミーティングルームでAIbotが中空にマップを投影していた。調査前のミーティングである。警察署のアイコンに被さるように、安っぽいチェックマークがでかでかと表示されていた。

「あの、その前に……」

 おずおずと甲斐が挙手した。

「今朝から、右目が見えないんだけど……」

 小笠原の眉がピクリと動いた。

『ジャックに報告します』

 すぐに通信が繋がった。頼佳の声が聞こえる。

『コンバスチョン、片目が見えないと報告を受けたが』

「そうなんです、朝から右目が全く見えなくなってしまってて……」

『そうか、いくら適性があるとはいえ、何がしかの影響はあるようだな。分かった、すぐに手配しよう』

 目的語を完全に欠かした発言だったが、すぐに部屋のドアが開き、スタッフの1人が水泳ゴーグルのような装置を持ってやってきた。水泳用のそれと一線を画しているのはバンド部分で、側頭部から後頭部にあたる部分には、不格好な機械部品が幾つも取り付けられている。

「これは……?」

『見えなくて困るようなら着けておけ。装着している内は普段と変わりなく見えるようになるはずだ』

「じゃあ、今は取りあえず気持ちだけ貰っておきます……」

 頼佳は何とも思っていないようだったが、正直これは悪目立ちが過ぎる。使うかどうかはともかくとして、今は受け取るだけに止めておくことにした。

「小笠原さんの方は、何もありませんか?」

「……」

 小笠原は、その問いを黙殺した。ただ、まだ通信が繋がっている頼佳に向かって問いかける。

「何か異変があったとして、それは治るもんなんかいな?」

『分からん。前も言った通り、今のところお前らが最適合体だ。今起きていること、これから起きること全てがリーディングケースになる』

 気休めは言わんが、こちらでも最善は尽くす、とだけ頼佳は言った。

「アテには出来んちゅうこっちゃな」

『否定はしない。身体に致命的な異変が起きないうちに、敵の本拠地を叩くことを優先しろ』

 小笠原が小さく舌打ちした。目先の札束に目を奪われたかと思ったら、その実自分の身体を人質に取られていたとは。

「あの、もしかして小笠原さんも?」

「おれの事はどうでもええ」

 大したことあらへん、と跳ねのける。

『では、今日の調査もよろしく頼む』

 そう言って通信は切れた。

「気遣いの言葉一つなしかい。きっついのう、姐さんは」

 どこかとぼけた様に小笠原がこぼす。明らかに、問い掛けへの回答は拒否していた。

 だが苛立ちは隠すことなく、今にも殴り掛からんと刺々しい口調でAIbotに詰め寄る。

「こらポンコツ。労働者サマが今から出動しようっちゅうんやぞ、愛想のひとつも言えんのかい」

『おはようございます』

 溜息ひとつ、小笠原が黙って煙草に火を点けた。最初のひと吸いを大きく肺に入れ、AIbot目掛けて吹き掛ける。

 音もなくAIbotは煙を避けた。

「けっ」

「きょ、今日はどうしましょうか……?」

「この苛々をどこにぶつけるかやな。やっぱり、バイパスの暴走バイクかのう」

 あの特攻服を捕まえてタコ殴りに……と完全に趣旨が変わってしまっている。

「いやいやいや! 不審者の調査ならたこ公園じゃないですか!?」

「不審っちゅうならバイパスの方かてそうやんか」

 食い下がる甲斐だが、小笠原も譲らない。

「大体昨日はお宅の言う事聞いたんやから、今日はおれやぞ」

「それは関係ないじゃないですか……怪しいのはそもそも」

「いーや、おれに言わせりゃそもそも180キロで走るってのが怪しい!」

 元不良少年の小笠原からすれば、それは真実でもあった。一般道を時速180キロ超の速度で連日暴走するなどと言う行為は、常人のなせる業ではない。

「まあ、怪しいのはそうかもしれないですけど……」

「せやからやな、ぶん殴って正座させてお説教して、すっきりしようや」

「なんすかその動機は」

「動機はどうでもええ。とにかく怪しいもんは怪しい!」

 とにかく怪しい、の一点張りである。

『では、羽星バイパスに向かいますか?』

「モチのロンや」

「ええ……」

 押しに弱い甲斐は、結局小笠原の剣幕を前にして退いてしまった。

 

「で、ここで指笛を吹けてか?」

 そこは羽星署の地下駐車場である。一昨日と同様、辺りに車は殆ど停まっていない。

 AIbotがこの場所に誘導したかと思うと、『指笛を吹いて下さい』と指示したのだ。

「指笛って言われてもなあ。僕吹けないんだけど」

「……口笛じゃあかんのか?」

『指笛を吹いてください』

 AIbotのしつこさに負け渋々形だけは真似する2人。綺麗な音とは程遠い、不安感を煽る不協和音の掠れ音が、悲しく空間に木霊した。

 なんだよもう、と惨めさにも似た気持ちでふてくされたのも束の間。駐車場の隅、ずっと闇に隠れていた一角が2つのヘッドライトで照らされた。同時に唸るようなエンジンの排気音が響き渡る。

 それは、2台のバイクだった。あろう事か、無人のままこちらに向かってきている。目を見張る2人の目の前で、バイクは減速しスムーズに停車した。スタンドを立てることなくバイクはピタリとその場に直立し、大型並列気筒エンジンに特有の低く力強い排気音が響いている。その姿は、主の騎乗を待つ従順な競走馬を思わせた。

 どちらも概形は、メガスポーツと一般に呼ばれるフルカウルの大型スポーツモデルに似ていた。1台は薄闇の中にあってなお鮮やかな、炎色を思わせる赤。もう1台は、極限まで磨かれたような、艶めかしい光沢を放つ黒。メーカーや車種を示すエンブレムはどこにもない。そもそも、自立するバイクなど2人とも聞いたことがなかった。

「これに、乗るの?」

 嘘だろ、と言いたげに甲斐がバイクを指さす。原付スクーターなら経験はあるが、そもそもバイクの免許など持っていないし操作法も知らない。

「うわ、シフトチェンジとかもう忘れてしもたわ」

『心配は無用です』

 珍しく、AIbotが太鼓判を押すような発言をした。

『出力250kW、最高時速400km/h超。パワーウェイトレシオは0.8kg/PSで、加速開始から二秒以内に100km/hまで到達できます。ですが、電子制御シフトを採用しておりクラッチ操作は必要ありません。また、傾斜角センサを用いたオートバランス制御に加え、車体サイドスラスタからの圧搾空気噴射により停止状態でも最大バンク角60度から自立状態への回復が可能です。更に高機能AIが操縦者の操作、車体の状態及び前方対物センサからの情報を処理し最適なフィードバックを』

「ええから、そういうのええから」

「要するに、どういうこと?」

『猿でも乗れます』

「舐めとんか!」

 小笠原が怒り心頭に発した。

 早い話が、滅法速くて小回りが利いて、なおかつ誰が乗っても玄人はだしのライディングが出来る上に転倒しない、という完全にコストを度外視した最新技術の粋だ。

「本当に僕でも乗れるの?」

『試乗してみますか? この区画へ一般人が立ち入る心配はありません。存分にどうぞ』

 地下駐車場出入り口のゲートを操作したようだ。

「そんないきなり無理無理」「段取り悪いんじゃポンコツ」などと何だかんだと文句を垂れつつも、その15分後にはバイクに跨ってきゃっきゃとはしゃぐ男子たちの姿があった。20メートル径ほどの円を描いて走行しつつ、思い思いのポーズを取っている。

「すごい。これってウィリーっていうんでしょ、見てみて」と甲斐。

「おっしゃ。次はシートの上立ってみるわ」と小笠原。

『そろそろ現場に行きましょう』

 痺れを切らしたようにAIbotが言った。

「ってか、おれそっちの赤い方がいいんやけど」

「確かに、そっちの黒い方って、何だか」

「言うな! 皆まで言うな!」

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