COC「傀逅」リプレイ   作:又左衛門

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6日目-1

 突き上げるような縦揺れに、小笠原は意識を取り戻した。

 薄く目を開けると、カーテンの隙間から西日が目を刺した。どれだけ意識を失っていたのか。

 べりっと音を立てて畳から顔を離し起き上がる。悪心は去っていたが、頭がまだはっきりしない。

 今のは地震か、それとも悪い夢か、とぼんやり思う間に、再度縦揺れが襲う。

 間違いなく、現実だった。安普請のアパートが骨組みごと軋み、蛍光灯の紐が揺れる。

今度も、揺れは一瞬で終わった。

 テレビ台のデジタル時計を見ると16時半。随分長い間意識を手放していたらしい。

 何か速報が流れているかと、習慣的にテレビを点けた。

『緊急生中継です。信じられません。市民の皆さん、落ち着いて聞いてください』

 画面の中で、キャスターが何事かをまくし立てている。

『只今市内で超巨大』

 その言葉に、乾いた連続音が割り込んだ。

 銃声だ。

フルオートで放たれた弾丸は、仕事熱心なニュースキャスターの業務の完遂を永遠に不可能なものにした。身体中を血塗れにして倒れるキャスター。カメラの近くにいたスタッフも被弾したのか、画面が血に染まる。

 銃声はなおも続いた。

 悲鳴が止まらない。カメラは倒れ、横倒しになった画面には薄汚い色のローブを羽織った男たちがサブマシンガンを乱射する様子が映し出されている。銃口は斉射の度に小刻みに触れ、イジェクターから空薬莢が次々と排出された。1人の男が画面に銃口を向け、次の瞬間には画面は砂嵐となった。

 小笠原は、ただ呆然とするしかなかった。思えば昨夜のベース壊滅の際、その地上階である警察署は妙に静かではなかったか。あの時はそれどころではなかったと言えばそれまでだが、その意味をもう少し真剣に考えるべきだったと、今にして思う。

 今突然始まった事では、ない。羽星市の司法は、少なくとも昨日の内から、既に正常に機能していない。

 あっけにとられていると、ズン、とまた大きな揺れが建屋を襲った。先ほどから一定の間隔を置いてやってくるが、地震というには長く続きすぎる気がする。それに、窓ガラス越しに微かに聞こえてくる音。それは途切れることなく続き、窓ガラスを微かに震えさせている。

 連想したのは、昨夜のゾス人。その悍ましい低周波の咆哮だった。

 反射的に、窓に駆け寄り勢いよくカーテンを開けた。

 

 ホテルの窓から見える光景に、現実味はまるでなかった。

 海岸線近くまで伸びたビジネス街。高層ビル群のただ中、茜色がかった西日の逆光に黒々と浮かび上がるシルエット。ビル群に肩を並べる大きさの、それは紛れもない生物だった。

 蛸のようなのっぺりとした頭部に、蝙蝠のような翼膜。緑と青が斑に混ざったような、ゼラチンを思わせる質感の肌を夕陽が照らす。

時折気まぐれに、黒い翼を大きく煽る。その片翼だけで、ジャンボジェット機を覆い隠せそうな大きさがあった。

 カーテンを握りしめたまま甲斐はその場に硬直し、ののは言葉もなくその腕にしがみ付いている。

 その怪物は、海からやってきた。それはその足跡として続く破壊の痕が、まざまざと物語っている。

 沿岸部の港はあちこちが破壊され、船の残骸と思しき破片が転がっていた。歩を進める度に足元で家々が砕け、アスファルトが陥没し、その破壊のもたらす振動がホテル全体を揺らした。一見ゆっくりとした歩みだがそれは錯覚に過ぎず、長大な歩幅からすると移動速度は並みの車よりは余程早い。その証拠に、逃げ遅れた自動車が次々と平らに潰されていく。

「なに、あれ」

 ののが、ようやくそれだけを口にした。

 防災サイレンがけたたましく鳴り始めた。目の前の光景からすればいっそ長閑ともとれる淡々としたアナウンスが繰り返し流れる。

『こちらは、羽星市役所です。只今市内に、超巨大生物が上陸しています。テレビ、ラジオを点け、落ち着いて行動してください。こちらは、羽星市役所です……』

 窓の下の通りでは、パニックに陥った市民が紛糾していた。逃げ惑う者はまだ正常な方で、腰を抜かしてその場から動けなくなる者、正気を失い怪物の巨体に自ら向かっていく者すらいた。

 この光景を何と呼ぶか、甲斐はずっと昔から知っていた。

 地獄だ。

「夢、だよね、これ……」

「藤塚さん、早く逃げよう!」

 呆然とするののの手を引き、甲斐は着の身着のままでホテルの部屋を飛び出した。部屋は5階だったが、エレベータを待つ間も惜しんで階段を駆け下りる。ホテルの正面玄関を出た所で、ののもようやく我に返った。逃げ惑う市民がめいめい発する悲鳴や怒号に負けじと声を張り上げる。

「アレと反対の方に、山の方に逃げましょう!」

「わかった!」

 ののの手を引きながら走り出しつつ、空いた手で指笛を吹く。楽観主義者の甲斐とて、ベースが壊滅した今まともなサポートを受けられるとは思っていない。殆どダメ元の思い付きではあったが、2~3分ほど走ったあたりで道なりに向かう先から聞き覚えのある排気の唸りを轟かせ、無人のバイクが猛スピードでやってきた。搭乗者がいないのを良いことに、目を逸らしたくなるほどの無茶な機動で障害物を躱し相対距離を縮め、甲斐の目の前で停止する。

 スタンドもなしに直立するそれを、ののを始め他の通行人も目を丸くして見ているが、説明している暇も体面を気にしている暇もない。半ば抱え上げるようにしてののを後部シートに乗せ、躊躇いなくアクセルを開けた。

 

 スピーカーから延々と繰り返される市役所のアナウンスが、室内まで聞こえてくる。情報インフラに耳を傾け落ち着いて避難行動を取れと、繰り返しせっついてくる。

 やかましい。大きなお世話じゃ。

 半ば開いたカーテンもそのままに、小笠原は鈴太の拘束を解いてゆく。まずは意識のない鈴太を安全な場所に避難させなければならない。巨体はまだ市街地の方角、霞がかって見えるくらい遠くにいるが、確実にこちらに向かっているように見える。このアパートが絶対安全であるとは、到底思えなかった。

 布団で簀巻きにしていたせいか、鈴太の寝間着はじっとり汗ばんでいた。だが、呼吸は心なしか落ち着いているようだ。

「おい、スズ」

 何かを期待して声を掛けた訳ではない。だから鈴太が突然目を大きく見開いた時、小笠原は心臓が口から飛び出るかと思った。

 数瞬の間天井を見つめたかと思うと、鈴太は跳ねるように飛び起き、小笠原を無視して窓際に駆け寄った。窓を大きく開け放ち、身を乗り出して怪物が向かってくるその方向を見つめている。

「おい……」

 戸惑いながらも声を掛けるが、鈴太は振り返りもしない。

 やがて、のけ反りながら鈴太は大声で笑い始めた。いつもの柔和な態度が嘘のように、腹の底から、時折その声を裏返しさえして。

「大いなる神は! ついに顕現した! いあ! いあ! くとぅるふ! ふたぐん!」

 謎の呪文なような文言を叫ぶ合間にも、気が触れたように笑い続けている。

「大いなる神! 今、私も御身の傍に!」

 そのまま窓枠を乗り越え階下に身を投げ出そうという段で、ようやく小笠原は我に返って後ろから小さな身体を抱き止めた。

「待て待て何しとんねん!」

「邪魔をするな!」

 体格も力も大きく劣るはずの鈴太が、信じられないような力でもがく。

 それを必死の思いで引き摺り、窓枠から引き離した。そのまま担ぎ上げて、玄関を出る。

 息を切らしながらやっとの思いで階下に降りたあたりで気付くと、鈴太は再び静まり返っていた。顔を覗き込むと、目を瞑りぐったりしている。また気を失ったようだ。

(クソ、どないしたらええねん……)

 まだ霊憑き病は確実に鈴太の精神を蝕んでいる。そうである以上、小笠原に逃げるという選択肢はなかった。逃げた所でいつ鈴太の命が尽きるとも知れない、明日は無いに等しいのだ。

 だが、これから何をするにせよ、意識のない鈴太が大きな足枷となる。かと言って慌てて逃げ惑う有象無象に弟を押し付けてそれで良しとするなど、断じて出来ない。

 途方に暮れる小笠原の耳に、聞き覚えのある排気音が届いた。

 

 甲斐は道の真ん中に誰かを負ぶって立ち塞がる小笠原の姿を認めると、慌てて減速した。小笠原も、こちらを見つめていた。

 素通りは出来なかった。バイクを止めて、急かす様に叫ぶ。

「小笠原さん、何してるんですか!? 早く逃げないと……」

「スズが……弟が発症した」

 小笠原は、あくまで静かに言った。

「発症って……まさか、霊憑き病ですか」

 甲斐は慌ててバイクを降り、小笠原の肩に顔を埋める少年を覗き込む。意識はなく浅い呼吸を繰り返す姿は、昨夜本拠地で見た物言わぬ研究員たちの成れの果てを思わせた。

 小笠原は何も言わない。沈黙だけが甲斐の問い掛けを肯定していた。

「もう、逃げられへん」

「逃げないって……あんな奴とどうやって戦うんですか!?」

「分からん、でもあいつを何とかせないかん」

「何とかって……」

「見たら分かるよ、この街、出るんやろ?」突然話題を変えるようにそう言って、甲斐とののを見やる。ののは警戒しているのか、バイクを降りて甲斐のシャツの裾をそっと摘んでいる。

 甲斐は恥じ入るように目を伏せたが、掛けられる小笠原の声はいっそ優しかった。

「ええよ、かまへん。でも、頼むから、スズを連れてってくれへんか」

 頼む、と懇願を重ねる小笠原の顔を、甲斐はようやく真っすぐ見つめた。

 小笠原は、泣いていた。

 不遜で露悪的で、俗悪が服を着て歩いているようなこの男が、見開いた両目から涙を流しながら頭を下げている。恐らくはたった一人の肉親の、その身の安らかなる事だけを案じて。

 甲斐は思わず息を呑んで、自身でも思いがけず詰問するような口調で問いかけた。

「小笠原さんは、行くんですか?」

 どこへとは言わなかったが、小笠原はただ静かに肯定した。

「こいつが起きたら、謝っといてくれ」

「……無理ですよ。あんなの無理です」

「こういうのは、残される側が一番辛いんや。だから今から謝っとくわ……俊亮くんにも」

 すまんな、と言って背中の鈴太を降ろし甲斐に押し付け、小笠原は背を向けて怪物のいる市街地の方へ歩き出した。

 その背に、どんな掛ける言葉もあろうはずがなかった。

 たった1人の、肉親を除いては。

「待って、兄ちゃん……」

 いつの間にか意識を取り戻していた鈴太が、掠れた声で呼びかけた。

「行かないで……どこに行っちゃうの……? 怖いよ……一人にしないで……」

「大丈夫や、そこの兄ちゃんと姉ちゃんがおる」

 半身だけで振り返り、小笠原が答える。

「嫌だよ……兄ちゃんがいないと」

「兄ちゃん強いさかい、あんなヤツすぐしばき倒して、帰ってくる」

 せやから大丈夫や、と言葉を重ねる。そして突然、おどけたような調子で、

「あのニュース観たやろ、スズ。ベリアルやかベアリルやか言われて暴れ回っとったヤツ。あれな、おれやねん。ちゃんと倒して帰ってくるから。な」

「ほんとに、ほんとに帰ってきてくれる……?」

 鈴太も、ぼろぼろに泣いていた。

「おお、約束したる。せやから、スズもええ子で、」

「約束守らなかったら」

「うん?」

「僕、ボクシング始めるから……もし約束守らなかったら、僕が兄ちゃんを殴ってやるから……!」

 それが、鈴太の精一杯だったのだろう。小笠原は黙って口の端で笑い、鈴太の頭を撫でた。

「帰ってくるの、待ってるからね……」

 もう、言葉は無かった。

 今度こそ、小笠原は振り向かなかった。

 

 再び腕の中で気を失った鈴太を抱えながら、甲斐は狼狽えていた。自分はただこうして相棒の背を見送るしか出来ないという現状に歯噛みしていた。

 もう、認めてしまおう。

 小笠原と共に戦いたかった。態度だけは勇ましい癖にどこか抜けたところのある相棒の、その背を守りたかった。

 例えその先に死地が待つばかりだとしても。

 その躊躇いを感じ取ったのか、シャツの裾を握る手に、ぐっと力が込められた。

「ねえ……もしかして、俊亮も行こうとしてるの?」

 甲斐は、答えない。肯定こそしなかったが、否定もまた出来なかった。

「なんで? なんで一緒に居てくれないの?」

 ののは、殆ど泣き叫ぶように激昂した。

「いつも私の言う事聞いてくれないし、相談してくれないし、信頼してくれない……それで、最後は行っちゃうの? 俊亮、こんなにボロボロじゃない!」

「でも1人じゃ、無理だよ……」

弱弱しく甲斐が呟く。

「だから何なの!? 私は俊亮にヒーローになんかなって欲しくない、戦って欲しくない! ただ一緒に居てほしいだけなの、それだけなのに……」

 泣きながら、ドンと拳で甲斐の胸を叩く。

「どうして、なんで俊亮がベアリルなのよ!!」

 そのまま、両の拳で何度も分厚い胸板を叩き、叩き、叩いたところで顔を埋めて泣き崩れた。

「藤塚さん……」

「お願い……行かないでよ……」

 掠れ声で懇願するののの肩を、ついに甲斐は抱くことは無かった。

 ただ、拳を握りしめて、身の内の激情をつゆとも出さず、一言だけ漏らした。

「逃げよう。3人で」

 

 意識のない鈴太を前後から挟み込むようにして、それでも危なげなく紅蓮のバイクは巡航速度で走る。

 殆どステップの上に立つようにして操縦する甲斐は考える。思いを馳せる。

 ごめんなさい、小笠原さん。最後まで一緒に戦えなくて、見捨てるような真似をしてごめんなさい。2人を送り届けたら、きっと。きっと、僕も向かいますから、相棒。

 涙は、流れた端から風に乗り、夕陽の照らす街並みに消えて行く。

 

 小笠原は漆黒のバイクに跨り、街を駆けていた。思うのは、先ほど別れを告げたあの人の好い大男だ。

 またぞろ変なこと考えとるんちゃうやろな。戻ってくるなんぞ考えるなよ。お前にはお前にしか出来んことを頼んだんや。こっちはおれが何とかするから、だから。だから、頼んだで、相棒。

 タンクに身を伏せるようにして、ことさらにアクセルを捻り加速する。

 

 2人はそれぞれ、文字通り別々の方角へ向かって駆けてゆく。

 これ以降、2人の道が交わる事は無い。

 甲斐俊亮は逃げる道行きを、自身の記憶に居場所のない、たった1人の女性を守り通す道を選んだ。そうでなければ、きっと相棒と運命を共にしていただろう。

 小笠原造一は戦う道行きを、たった1人の肉親の命を永らえる為に、自身の寿命を縮める道を選んだ。さもなくば、恐らく弟を連れて逃げ出していただろう。

 どちらも、与えられた状況にただ流されるのではなく、あくまで自分自身の選択として、血を吐く思いで行く先を選んだ。

 もし仮に。

 いち個人に過ぎない誰かが、ヒーロー足り得るための資格が存在するのだとしたら。

 2人がそれを得たのは、今この時であったと言えるのかもしれない。

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