COC「傀逅」リプレイ   作:又左衛門

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6日目-3

 その巨体で街を蹂躙する邪神の前で光は停止し、瞬時に膨張した。シリンジから解放された莫大なエネルギーが、質量を持つ実体へと変化していく。

 有史以前から口伝、或いは文書で連綿と語り継がれてきた、それは神とも悪魔とも呼ばれる人ならざる超常の存在。ハスター=クトゥグア。

 羽星市に、2体目の超巨大生命体が顕現した。

 空中でその姿を実体化したハスター=クトゥグアは、重力の作用に従い着地、その足下でアスファルトは陥没し、衝撃で町全体が振動した。

 その身は、左右で違う形状をしていた。

 左の半身は燃え盛る紅蓮の炎に包まれ、もう半分は四肢の代わりに幾本もの長い触手を生やしている。その姿を見る者がいれば、2つの異形を無理やり1つに合わせた姿は目の前の邪神と同等、いやそれ以上に悍ましい何かであるように映っただろう。

 その巨体の中で、小笠原の意識は消し飛びそうに翻弄されていた。

 嫌悪感と万能感。苦痛と快楽。相反する感覚が人格を真っ二つに裂こうとしている。自分が何者なのか自分でも分からない、確かに自分であるという確信がどんどん失われていく。千々に乱れる意識の中で確かに在り、またその存在感をいや増していくものは、他でもない、破壊への衝動。それは止められないほどの欲求だった。

 壊したい。

 壊してしまいたい。

 握りつぶして、引き千切って、灰になるまで跡形もなく燃やし尽くしたい。

 何を?

 誰を?

 そんなもの、探すまでも無い。

(お前じゃ! こんくそボケ!!)

 邪神に向かって、もう1体の怪物が地を蹴った。

 そこは奇しくも羽星中心街の目抜き通り。片道2車線の車道に、申し訳程度の緑が添えられた中央分離帯。

 およそ500メートルほどの距離を隔てて相対する2体の怪物を、周りのビル群を、黄昏前の夕陽が焼けつくような茜色に染め上げる。

 アスファルトを砕き、礫を巻き上げながらハスター=クトゥグアは突進する。

 だが、邪神とてただ踏みつぶすだけが能ではない。夕陽に照らされてなお真っ赤に燃える瞳は、その3対全てが明確な敵意をたぎらせている。

 ハスター=クトゥグアは、助走を付けて跳び上がり、全体重を掛けた燃えたぎる左拳を邪神の頭部に叩き付けた。

 重い弾性のある手応え。僅かに後ろに傾ぐ巨体。

 だが、それだけだった。

 しなる様な触手の1撃がハスター=クトゥグアの胴の真芯を捉え、跳んできた距離をそのまま吹き飛ばされた。

 辛うじて触手を数本間に滑り込ませたが、そのすべてが芯からひしゃげてしまった。もんどりうって倒れ、吹き飛ばされた勢いのまま中央分離帯を数十メートルにわたってめちゃめちゃに破壊してようやく止まった。

(こいつ、めっちゃ強いぞ!?)

 慌てて起き上がったハスター=クトゥグアは、寸前までそれに気づくことが出来なかった。邪神がアスファルトに潜り込ませている幾本もの触手、そしてそこから自身の足元まで伸びゆく亀裂に。

 足下の裂け目から、信じがたいほどの水量を持って垂直方向に冷水が噴射された。それはハスター=クトゥグアの胴体に直撃、2キロトンは下らない目方の巨体が、軽々と宙に浮くほどの衝撃だった。水柱は僅か数秒で治まったものの、辺り一帯は俄かに洪水に見舞われた様な有様となる。

 ハスター=クトゥグアは大きく後退を余儀なくされた。

 稼がれたのは時間と、何よりも距離だ。AIbotが死力を振り絞って教えてくれた最終防衛ライン、ポイントシータ。現時点でまだ数キロの余裕は残しているものの、この巨体と歩幅をもってすれば余裕があるとは言えない。

 何としても、ここを割らせる訳にはいかなかった。

 のけ反るような体勢から何とか着地し、途轍もない衝撃と共に踝半ばまで埋まった足を力任せに抜き出し、突進していく。

 突進の勢いもそのままに邪神へと見舞うのは、運動量をそのまま威力に代えた、渾身のぶちかましだった。単純な破壊力だけなら戦略兵器の一撃にも匹敵するそれが、邪神の胴体にまともに炸裂する。

 手応えは十分にあった。戦艦の主砲のような大音が響き渡り、さしもの邪神も数歩後退する。

 しかし、胸部に当たる部分は確かに凹み一部は裂けて体液を流しているものの、とても決定打には見えない。

 事実、たたらを踏む様な体勢から持ち直したかと思うと、すぐさま邪神は前進を再開した。

 次なる前進は、その二足によるものだけでは無かった。

 背中に畳んだ薄い膜の張ったような翼を一度はためかせ広げたかと思うと、地を蹴るようにその身を前傾させ、信じがたい事にその図体で低空を滑空し始めた。

 頭から突っ込んでくる邪神を、ハスター=クトゥグアは必死の思いで受け止めた。しかし物理法則を無視するかのように、ハスター=クトゥグアの巨体すら持ち上げて邪神は宙を滑りゆく。

 ハスター=クトゥグアとて、なすがままではない。身体を持ち上げられながらも触手を絡み付けしがみ付き、空いた拳で何度も殴りつけ、邪神の頭を無理やり下に曲げて地面に擦りつけようと躍起になっている。

 これ以上の滑空は無理と判断したのか、邪神が地に足を着ける。ほっとしたのも束の間、あっという間に邪神は軸足を確保し、左腕による大振りの一撃が、ハスター=クトゥグアの顔面を直撃した。

 これがまた効いてしまった。被弾個所を中心に何本もの亀裂が硬質な音をたてて蜘蛛の巣のように走った。

 今度は、ハスター=クトゥグアが大きくよろめく番だった。こんな身体になっても、痛いものは痛い。滅茶苦茶に痛い。もしその身体に血が通っていたなら、噴水のような血を鼻孔から噴き出していたことだろう。

 明らかに、彼我の耐久力と攻撃力に差がありすぎる。

 何よりも厄介なのは、重量の差だった。お互いの大きさは殆ど同じだが、身体を構成する組成が大きく違うのだろう、ぶつかりあった手応えではその目方は倍半分ほども違う。おかげで、たった数撃の応酬でこちらは多大な損傷を負ったというのに、向こうはぴんぴんしている。

 このままではジリ貧は明らか、更にポイントシータまでの距離を考えれば、勝敗の帰結は既に覆しようもないもののように思えた。

最前までの全能感が嘘のように萎み、代わって絶望感が成り代わるように浮上してくる。

(クソ、ここまでやっても勝たれへんか)

 絶望というより、それはむしろ諦観に近い。

 出来る事はやった。

 死力を振り絞った。

 それでも及ばなかったのだから、諦めるほかは無い。

ふ と走馬灯のように思い返す。思えばこの数日間、あの路地裏の出来事からこっち、ひたすら痛みと苦しみに苛まれ、それでも歯を食いしばって耐えてきた。

 もう、ええやろ。休ませてくれ。そう思わずにはいられない。

 

 だからそれは、死を受け入れた1人の男が見た、ただの幻であったかもしれない。

 

 アーケード街、辺りはパニックに逃げ惑う市民たちが人の流れを作っていた。

 それを無視し、流れのただ中で足を止めてスマートフォン越しに誰かへと語り掛ける、1人の年若い娘の姿があった。

「みんな、聞こえる?」

 照井明日香だ。動画投稿サイトへの、ライブ配信の最中だった。

「生き残れるか分からないから、今の内に皆に伝えておきたい事があるの。私は今、羽星市に居る。あの怪物のすぐ傍に……見える?」

スマートフォンを向け、邪神の姿を映す。邪神の肩から上が、ビルの向こうに覗いている。かなり近い。

「あれは神さまなんかじゃない。車も街の建物も、滅茶苦茶に踏みつぶしてる。私たちも私たちの生活も、お構いなしに」

 目には涙を浮かべている。その姿を滑稽であると捉える人間もいるかもしれない。だが、明日香とて決死の覚悟でここにいる。自分には伝えなければならない事があると信じているからだ。自分たちはほかの誰かの献身によって命を永らえさせているのだと。それを知るべき人間はきっといると。

 カメラは更に、邪神に向かい合うもう1体の巨人を映し出した。

「彼は、彼らは……ベアリルなんて呼ばれるような悪魔じゃない」

 ドン、と逃げる住民の1人が明日香にぶつかる。悲鳴と共にカメラごと倒れ伏すが、それでもお構いなしに、明日香はカメラに向かって語りかける。

「私の、命の恩人よ……悪魔なんかじゃない……お人好しな人たち……」

 それ以上、続ける言葉は無かった。涙を拭い、洟をすする。

(もう逃げえ、姉ちゃん。おれはおれの好きでやっとるさかいに……でも、おおきにな)

 

 海岸沿いの国道、コンクリート堤防の脇の路側帯に、1台のバイクが止まっていた。

 そのシートの上へ器用に胡坐をかいて座り、1人の男がゆっくりと煙草を燻らせている。

「随分苦労してんじゃねえか」

 百目鬼だ。

周りに人はいない。語り掛けているのは、その視線の遠く先、邪神の前に膝をつくハスター=クトゥグアにだった。

「お前らがいなくなっちまったら、俺をしょっ引ける奴ぁもうこの街にはいねえなあ」

 紫煙を深く、胸いっぱいに吸い込み、口の端から潮風に薄くたなびかせる。

「聞いてんのか小笠原。俺以外に負けるんじゃねえぞ、兄弟」

 短くなった吸いさしの煙草を指で摘まんで、ピンと弾く。

 その瞳は、かの巨人から逸らされることはない。

(相変わらず口の利き方を知らんやっちゃな。呼ぶなら兄貴と呼ばんかい……ま、あのパチキは悪うなかったし、根性だけは認めたってもええ)

 

 高層ビルのオフィス、一面のガラス窓から見えるのは目抜き通りを足場にぶつかり合う2体の怪物だった。

「部長見てくださいよヤベエっすよアレ!」

 危機感のまるでない、嘲笑を滲ませた軽薄そのものの声で男が言った。きっと、自身の身に迫る危険にも、自らの死の直前まで気付くことのできない想像力をしか持ち合わせていないのだろう。

「おお、すごい迫力じゃないか。あいつら何してんだ?」

 年かさの男が、やはりのんびりとした態度で答える。

「仲間割れとかすかね、頭悪そうだし。潰しあえーって感じっすね。あ、どっちに賭けます?」

 俺はタコのほう……という言葉に被せるように、叫ぶ声があった。

「ふざけんな!」

 根墨だった。

フロア中に響き渡る声で、拳をわななかせ、自分ではない何者かの為に怒りを剥きだしている。

「謝れ!」

 掴みかかる根墨の手を、「ンだコラ」と同僚の男は難なく払いのけ突き飛ばす。だが根墨は怯まない。

「謝れよ! あの人たちは、僕らの為に戦ってるんだぞ! 命を懸けて! 謝れ、あの人たちに謝れ、お前ら!」

 それを言うのに、どれだけの勇気を必要としただろう。

(へなちょこが、やりゃ出来るやんけ。そんだけガッツがありゃあ、あとは鍛えるだけや。そんなカスども、すぐに畳めるようになるさかい)

 

 意識が戻った。

 再び、あの巨体に。ハスター=クトゥグアに。

 うつ伏せに倒れた体勢から、触手と拳を支えにして立ち上がる。

 身体が軽かった。力が戻っていた。

 いや、変身直後にもまして力が漲っている。

 まだ出来る事はある、やるべき事は残っている。

 短距離走のスタートを思わせる姿勢から、渾身の力で地を蹴った。

 それが邪神の油断であったとは言えない。それほどの、鈍重なはずの巨体が嘘と思えるほどの初速だった。200メートル余りの距離を瞬く間に詰め、巻き上げられるアスファルトの欠片が再び地に落ちるよりも早く、その拳は邪神の胴体に到達していた。

 拳は邪神の表皮を突き破り、体内深く達していた。

 初めて、邪神が悲鳴を上げた。

 粘性の体液と共に臓器を引きずり出す。邪神は身を捩って振り払おうとするが、この機会を逃す訳がない。拳を抜いた端から反対側の触手を、2本まとめて胴体の穴にねじ込んでやった。

 ハスター=クトゥグアが足を止めているそこは、当然邪神の間合いの内でもある。痛みに耐えかねてか叫び声を上げながら出鱈目に振り回す両の鈎爪は、ハスター=クトゥグアの肉を容赦なく抉っていく。

 それらは決して浅くは無い。赤や黒の体液が、傷口から勢いよく吹き出す。

 だが、ハスター=クトゥグアは手を離すことなく、逆に身を寄せて邪神に組み付いた。腕で、触手で、自身の倍もある目方の巨体を持ち上げる。

 もう、どれだけ暴れようが逃げられない。

 肩に担ぎあげ、踏ん張るように大きく腰を落とし、全身全霊の力をもって、邪神の身体を真上に放り投げた。反力で、踝ほどまでが地面に沈んだ。

 宙に投げられた巨体が落ちてくる事は無い。

 巨大な竜巻が、ハスター=クトゥグアを中心に発生し邪神を宙に止めていた。その旋風の中に2体は取り残された形になる。地上にはハスター=クトゥグア、空には邪神。

 これで最後や。

 左手を頭上に掲げ、その掌の上に火球を発生させる。

 可燃ガスと燃焼学上の定義では爆薬に分類される液体燃料を、触手を通してたっぷりと体内に送り込んでやった。今や、あの図体丸ごとが風船爆弾のようなもの、あとは火種をくれてやるだけだ。

 成り行きを察したのか、大口を開けて咆哮する邪神。だが、悍ましく大気を震わせるはずのその声は、弩級の暴風に遮られ地上に届くことは無かった。

 ハスター=クトゥグアの掌からいっそ静かに放たれた火球は、邪神に届くや否やその全身を炎で覆った。

 間を置かず、可燃ガスに着火した。

 その巨体全体を1個の気化爆弾とした邪神の身体は内側から粉々に爆散し、細切れになった肉片は、灰すら残さぬまで滅却された。

 

 竜巻が止み、羽星の地に静寂が戻った。

 その中から姿を現したのは、ハスター=クトゥグアのみ。

 腕を降ろし佇みながら、視線は邪神が消滅した上空に据えられたままだ。

 だが、もう何も起こらない。邪神は跡形もなく消滅した。

 すべてが終わった。

 ようやく警戒を解き、知らず力の凝っていた肩から気を抜いたその時、背中に激痛が走った。

 何かが、ハスター=クトゥグアの背で爆ぜたのだ。

 その正体はすぐに知れた。我が身を中心として、複数の戦闘機が遠巻きに円を描いて周回していた。

 警告も何もない。飛び交う機体から何対ものミサイルが蒸気の雲を引いて打ち出されては次々と着弾していく。

(痛え)

 それだけでは終わらない。斜め下方から肉を抉るのは、戦車部隊の放つ砲弾だ。

 現代兵器による容赦ない波状攻撃は、着実にハスター=クトゥグアの身体を破壊していく。最後の触手がもげ、ついに右肩から先には何もなくなった。ズズンと音を立てて市街地に千切れた触手が落ちる。

(クソ痛え)

 ベアリル、民衆の敵。忘れていたそんなフレーズが頭をよぎる。

 反撃するのは簡単だったろう。戦車を踏みつぶし、戦闘機を火の玉にして……

 だが、それが何になる?

 ようやく、正しいやり方で命を使い切った。その実感があった。

 後は、終わらせるだけだ。

 心残りは、たった1つだけ。それは、約束を果たせない事。

(俊亮くん、スズ、ごめんな)

 もう、痛みすらが遠い。

(おれ、先に逝くわ)

 棒立ちのまま、意識が暗転していく。

 黄昏時の少し前、暮れなずむ街の真ん中。

 半身を朱く照らされ立ち尽くす1体の巨人が、その短い生涯を終えた。

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