COC「傀逅」リプレイ   作:又左衛門

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1日目-3

 刺した瞬間、甲斐は腕に激痛を覚えた。極太の針を根元まで刺したのだから当然だ。

 しかし、不思議なことに痛みはすぐに消え、次いで金属製のシリンジがまるで手品のように腕の中に埋まっていく。肉体に埋もれていくにつれシリンジは心臓のように拍動し、やがて目を見張る2人の目の前で、完全に埋没した。傷跡は何処にもない。

 埋没と同時に、凄まじい頭痛と吐き気が甲斐を襲った。眩暈もする。見当識を失った自分の身体が、しかし自分のものではなくなるような名状しがたい感覚。同時に頭の中に知識が流れ込んでくる。それは超常的な宇宙の真理であり、人類がくぐるべからざる禁断の扉であり、また神と呼ばれる存在にまつわるもの。自分たち人間は、それらの前では塵芥に等しい……。甲斐は、自我を保つので精一杯だった。

 だがそれも一瞬の事、その後に訪れたのはえも言われぬ快感である。3大欲求の充足を凌駕する、今まで味わったことのないほどのそれが、甲斐の精神を満たした。体の隅々まで力が漲り、無尽蔵のエネルギーが約束されたような万能感を得た。

 それは錯覚だったかもしれない。

 しかし、甲斐と小笠原は確かに見た。

 差し渡し2メートルはあろうかという隕石が、燃え盛りながら頭上に迫る姿。

 反射的に小笠原は飛び退ったが、隕石はそのまま甲斐に直撃したように見えた。奇妙なことに、やってくるはずの衝撃波がない。ひたすら甲斐を中心とした炎が舞い上がるのみ。

 いや、甲斐ではない。炎の中から姿を現したのは、紅蓮を身に纏う戦士だった。

 全身を斑に彩る、赤熱したマグマのような質感。シリンジの刻印に似た紋様が上半身を覆い、火炎がそこかしこから噴き出ている。

 最も異彩を放つのは頭部だ。口は肉食獣のように大きく裂け、その上に裂け目を思わせる眼が左右に4対。黒目はなく、どこを見ているのかも定かではない。頭には水牛のような湾曲した角が大小10本ほど生えている。

 唯一背格好だけは元のままだが、全身を紅に染めたその姿のどこにも、最早甲斐の面影はない。

「マジか!」

 それを見て目を輝かせたのは小笠原だ。実の所、特撮番組には目がない。日曜の朝などは決まって鈴太と並んで特撮ヒーローものを鑑賞している。

「兄ちゃん、聞こえとるんか!?」

「ええ、はい、聞こえてますよ」どうやら会話は普通に成立するようだ。しかし怯えきっていた先ほどまでとは打って変わって、声に興奮が漲っている。

「ちゃんと変身できとるがな……」

「これ、凄いですよ。力が漲ってくるみたいで……」

「兄ちゃん、あいつらいけるか?」小笠原は顎でローブの男達を示す。突然の事態に戸惑っているのか、剥き出しの敵意はそのままながら、男たちは距離を保ったまま相対している。

「はい、今なら何でも出来そうで……いや、何でも出来ますよ」

「おっしゃ、行って来い!」発破をかけるのみで自分は見にまわる辺りが、小悪党たる所以である。

 それが合図となったように、男たちが殺到した。

 彼らにしてみれば弱い方から狙おうという意図があったのだろう、男の1人が小笠原に殴りかかる。しかし、大きく振りかぶった拳の直撃を許すほど小笠原は呑気ではない。難なく一足飛びに回避しざま、「おい、こいつからいったれ!」と甲斐をけしかけた。

 拳を避けられ、たたらを踏んだように体勢を崩した男に向けて、甲斐が殴りかかった。残像のように焔を流しながら、恐るべき熱量を込めた拳が男の一人を襲った。

 命中と同時、およそ何かを殴ったとは思えない音と肉の焦げる臭いを残して、男の上半身がごっそりと焼失した。肉の残骸がどさりと崩れ落ちる。

「すげえ……」

「いや、これ貴方も変身した方がいいんじゃないですか?」

「せやな……」思い切って針の突き出たシリンジを振りかぶる小笠原。狙いは自分の腹部だ。まるで切腹のような姿勢で腹に突き立てる瞬間、

「あ、刺す時痛いですよ」

「はよ言わんかい!」最早手は止まらぬが、それでも小笠原は叫ぶ。「変身!」

 

 風が起こった。

 その起こりは極めてささやか、誰もそれとは気付かない。風の起こりも、向かう先も。

 しかし程なくしてその場にいる誰もが気付く。風が吹いている。そしてその風は、確かに小笠原に向かって吹いている。いや、それは確かに、小笠原を中心に渦巻いているのだ。

 かの男を中心としたつむじ風は剥き出しの地面から塵を巻き上げるが、塵芥だけではない、風そのものの勢いがその向こうを、小笠原の姿を隠している。局所的ながら、信じがたい勢いの暴風だった。完全に小笠原の姿が消えてから程なくして、風のベールの向こう側から片腕が突き出され、旋風を横に薙ぐ様に一振りされる。

 荒れ狂う暴風が嘘のように辺りが凪ぐと、そこに現れたのは人ならざる名状しがたき姿。

 『それ』は、フードの付いた袷と、膝上までの長靴を纏っていた。フードの下は顔を半ば陶器のような質感の仮面で隠しているが、更にその下にある素肌は艶のない漆黒、そしてシリンジの意匠に似た戦化粧が施されている。

 その姿に泡を喰ったように、ローブの男たちが殺到した。

 が、男たちの拳は当たらない。それどころか、その姿は残像を残してかき消えた。『それ』の、小笠原の初動が、ローブの男たちの動体視力を凌駕したのだ。

(何やこれ……ほんまに力が溢れてきよる)

 人が到達しうる速度を遥かに超えた初速で、異形の男がステップを踏む。

 尋常ならざる速度の踏み込みと同時に繰り出された左拳が、手前に居た一人の顎に炸裂した。しゃくり上げるように顎を跳ね上げた男は、散々に脳に打撃を負いその場に崩れ落ちた。

 小笠原はまだ止まらない。踏み込みの運動量だけでなく旋風がその動きを、小笠原の意図するままにアシストしている。返す拳が斜め下からしなるように、最後の一人の顎を叩く。ぐりんと頸椎がねじ切れたかと思うほどの勢いで首を傾がせた男の身体は、しかしゆっくりと支えを失った棒切れのように倒れた。

「こらすごいわ……」

 

『任務完了。お疲れ様でした』

 無機質な機械音声が、おざなりに2人を労った。

 甲斐はどうもと会釈しているが、小笠原はまるで聞いてはいない。生身よりも遥かに強化された聴覚が、不自然な物音を捉えたのだ。

 それは、ローブの男達が現れた方の路地から聞こえた。異形の男がこうべをそちらに向ける。

 びくりと震えた人影は、それらの視線の先にいた。

それはひどく興奮した様子の女性だった。角から頭とスマートフォンを突き出して、恐らくは二人と、その戦闘の様を撮影していた。艶のある黒髪。まだ若い。

 異形の視線が自分に向けられていると悟るやびくりと身体を震わせ、角の向こうに消えていった。逃げられたのは明らかだった。いくら何でも追いつきそうにはない。

 

 目撃された。しかも恐らくは撮影まで……

 しかし、今はもうどうしようもない。

 変身の影響か、二人ともが軽い躁状態にあった。それがどういう結果をもたらすのか想像が及ばないというのに、『どうにだってなるさ』という極めて楽天的な方向に思考のバイアスが掛かっている。

 甲斐に至っては、先ほど初めて人――人間かどうかも怪しかったのだが――を殺めたというのに、その事実をまるで真剣に捉えることが出来ていない。彼の実直な性格からすれば本来考えられない事だった。

「ねえ、この変身って、どうやって解いたらいいの?」

『変身解除、と思って頂くだけで十分です』

 2人の姿が、一瞬霞んだかと思うと元の人間の姿に戻った。服装も元のままだ。

「お、戻った」

 

「何やったんや、今のは……」

 小笠原は、一連の出来事に着いていけないという思いに、呆然としている。

「あの、どうしますか……?」

 おずおずと甲斐が尋ねる。変身の解除とともに精神の高揚も今は元に戻っている。

「どうするもこうするも、あるかいな……」

「あの、勿論そうなんですけど……自分たちの事も含めて、あの……この現状をというか」

 まるで要領を得ない問い掛けであるが、言わんとすることは小笠原にも分かる。しかし小笠原もまた、現状に対するどんな答えも持ち合わせてはいない。

「おい、そこのポンコツ」と小笠原はドローンに水を向けた。「何ぞ説明したらんかい」

『会話能力……正常。意識の混濁……無し。クイックバイタル診断……正常範囲内。適合体の可能性、95パーセント。データを本部に転送』

 問い掛けをまるで無視し、ふよふよと浮かびながら変わらず緊張感のない機械音声を発するドローン。

 そして、複数の足音が2人に迫る。

 ダークスーツを着込んだ男たちが広場に駆け込んできた。どいつもこいつも甲斐と同じかそれ以上の体格、人間というよりも殆どゴリラのような体躯をしている一方で、足取りは驚くほど素早い。

『適合体候補、発見。本部からの指示有り。この2人を厳重に警護し、ベースへ帰投する』

 ドローンは黒服たちの方にカメラレンズを向け指示を出すと、2人の方に再度向き直った。スピーカーが無指向性なので、機首を向ける方向によって会話の対象を明らかにしているようだった。

『貴方がたに拒否権はありません。手荒な事はしたくない。我々に着いて来てください。これは命令です』

「そ、そんな事を言われても困りますよ……」

 眉を八の字にして難を示す甲斐だが、ドローンも黒服のゴリラ達も、当然ながらその意図を斟酌することは無い。

 小笠原も、まさか甲斐の要求が通るとは思っていない。そしてこういう時にこの男がとる選択肢は、今までの人生において小気味良いほど一貫していた。

(暴れるか……)

 しかし、問題はこのむくつけき黒服達だ。一見して2人を上回ると分かるフィジカルに、油断のない身のこなし。恐らくは、何らかの武器も携帯しているだろう。

「何やお前ら、でかい面しよってからに。何が拒否権じゃ」

 唾を飛ばして強がってはみたものの、自分1人でどうにかなる戦力差では、明らかにない。だが、こんな一方的な物言いをされて諾々と従う程物分かりの良い男でもなかった。

「わしゃお前らみたいな奴らが……」

 大っ嫌いなんじゃい、と叫ぶが早いか小笠原は膝を撓め、渾身の力でもって跳躍した。

 アドレナリンの作用もあってか、驚くほどの高さまで飛び上がった小笠原が掴んだのは、頭上を飛翔するドローンだった。

「よっしゃ!」

 流石に80kgを超える小笠原の体重を支えることは出来ず、ドローンは掴まれるがままに落下した。

 人質(?)に取ってこの場を切り抜けようと考えた訳ではなく、どうしても一矢報いたいという単なる反骨心のなせる業である。

 しかし、結果はどうあがこうが変わる事は無かった。意表を突くことが出来たのは一瞬だけ、すぐに我に返った黒服達が、即座に小笠原の身柄を押さえにかかる。

 甲斐が止める間もない、流れるような連携だった。1人が小笠原に掴みかかったかと思うと、瞬時に体を崩し寝技の体勢に持ち込み、もう1人が速やかに手錠を填める。更にもう1人は油断なく甲斐を警戒している。無駄な声を上げず、暴力をさえ振るわない、荒事に縁のない甲斐の目から見ても見事なプロの業だった。ドローンはとっくに解放されている。

『貴方を同じ目に遭わせたくはありません。大人しく指示に従ってください』

 無言で首を縦に振り、無抵抗の意志を示す甲斐。

「くそっ。ヤクザがこんな処でイモ引いて堪るかい!」

 小笠原はもがきながらなおも喚いているが、最早単なる虚勢でしかないのは誰の目にも明らかだった。

(やっぱりヤクザなんだ……)

 今更ながら小笠原の柄の悪さに合点がいった甲斐だが、ともかく現状に釈然としない思いがあるのは一緒だった。

「……抵抗はしないんですけど、せめて何か説明をして頂けませんか?」

『本機に、その質問に回答する権限はありません』

 縋るように黒服を見るも、黙ってこちらを見つめ返すのみだ。

「お前ら、ツラぁ覚えたからな!」と喚く小笠原にさえ、同じ沈黙と視線で接している。

 勿論3

3人とも顔つきは異なるのだが、人間と言うよりはまるで量産された工業製品のような印象を抱かずにはいられない。甲斐の背筋が、恐怖に震えた。

「あの、せめて身内に連絡を取りたいんですが」

 駄目ですよね……と甲斐が懇願すると、『スマートフォンの使用を許可します』と、拍子抜けするほどあっさりと許しが出た。

 取りあえず、何は無くとも、とののに電話を掛ける。ののも連絡を待っていたのだろう、2コール程で電話はとられた。

「あ、もしもしー、大丈夫?」緊張感のまるでないののの第一声だった。

「うーん、何というか、思ったより大丈夫じゃないかもしれない……」

 何と説明したものか、と歯切れの悪い回答にならざるを得ない。

「ホント? そっちに行こうか?」

「ううん、それは大丈夫。えっと……こっちでも警察を呼んでて、事情聴取っていうか、説明をしなきゃいけないみたいだから、しばらく帰れないかもしれないんだけど……」

 苦しい説明だったが、ののは納得したようだった。

「そっかあ。私、ヘタクソなりに、ハンバーグ頑張ってつくってみる」

「じゃあ、出来るだけ早く帰れるようにするよ……」

 出来ますかね……? という態度でドローンと黒服を恐る恐る覗うが、勿論何の反応も返っては来ない。そうと知らぬは電話口の向こうのののばかり。

「そうねぇ。中のチーズが冷めないうちに帰ってきてね」

「どうだろう……絶対に食べるから、遅くなったら冷蔵庫に入れといて貰って、いいかな?」

「分かりましたーぁ」

「ごめんね。ありがとう。出来るだけ急ぐよ」

 電話を切ろうとする甲斐に、後ろ手に拘束された小笠原が声を掛けた。ようやく無駄な抵抗と悟ったのか、最早大人しく地面に胡坐をかいている。

「兄ちゃん、そこにスズがいるか聞いてくれるか?」

「さっき一緒にいた男の子ですか?」

「弟や」

 嘘だろ似てねえ、とは流石に言えなかった。

「あ、ちょっと待って。そこにすず君? ……っている?」

「ああ、さっきの子? いるよ?」

「良かった、お兄さんにちょっと替わるね」

 替わるとは言ったが、小笠原は手が使えない。仕方なく、甲斐がしゃがみ込んで耳元にスマートフォンを当てがってやった。

「も、しもし……?」

 電話口の向こうも既に鈴太に替わっており、恐る恐るの伺いが小笠原の耳に届く。

「おれや」

「に、兄ちゃん大丈夫……?」

 甲斐とのののやりとりを聴いて、事のあらましを察したのだろう、既に心配声だが、「気にせんでええ」と小笠原は一蹴した。

「仕事でちょい離れないかん。先帰って宿題でもしとけ」

「あ、うん。分かった……」

 もうええぞ、と目顔で伝える小笠原の耳から、スマートフォンを離す。

「ごめんね、彼女に替わってもらっていいかな?」

「あ、はい」ごそごそという気配が電話口から聞こえてくる。「……はい、替わりました。それじゃ、気を付けて帰ってきてね」

「うん、ありがとう」

 電話を切ると、『ご協力感謝します』と、さして感謝の感じられない声でドローンが謝意を述べた。

『残っている仕事があるので、少々お待ちを』

 そういうと高度を下げ、本体の下部からUFOキャッチャーを思わせるアームを伸ばし、器用にジュラルミンケースの蓋を閉じてから把手を掴んで持ち上げた。意外に高機能である。

『積み荷、回収完了。では行きましょう』

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