ファルムス王国での和睦協議を終えて、ディアブロが戻ってきた。
和睦協定締結の証書と、賠償金の一部である星金貨千五百枚と共に。
「うお……流石にファルムスは大国だな。よくぞこれだけ貯め込んだもんだ」
黒塗りの箱にきっちりと収められた星金貨に、リムルが感想を漏らす。
人型のリムルが座る椅子の後ろには第一秘書のシオンが控えており、執務机の前には姿勢良く立って報告を行うディアブロの姿。ちなみに俺はソファの上だ。
ファルムスが選んだのは、やはり王の退位と魔国への賠償金支払い。
世に出回っている星金貨はそもそも一万枚あるかどうからしく、一万枚の支払いなど初めから不可能な話だったのだが……王家の財産となっていた分も含めて、千五百枚もの星金貨をかき集められたのは大国ファルムスだからこそだろう。星金貨の国家的価値は一枚一億円相当で、ディアブロが受け取って来た分だけでもざっと千五百億円という、桁違いの金額なのだ。
エドマリス王は、近く王位を弟エドワルドへ譲って隠居する手筈となっている。
こうなると新王エドワルドは残りの賠償金支払いを免れるために、前王エドマリスの命を狙って必ず行動を起こす──というのがディアブロの読みだ。
エドマリスはヨウム達が本拠地にしているニドル・マイガム伯爵領の近辺に移り住むため、すぐにヨウム達が駆け付けられるし、テンペストからも援軍を送る計画だし、何から何まで計画通り。
俺の知っている知識と比べてみても、その辺りの流れには問題がなさそうだ。
現状説明を終えたディアブロが、ふと改まってリムルへと問い掛ける。
「リムル様。西方聖教会がレイヒムに、本部への帰還命令を出したそうです。魔国とファルムス王国の戦争状況を知りたがっているようですが、如何致しますか?」
「当然そうなるよな……よし、レイヒムにメッセージを持たせて、教会側の反応を見よう。教会には真実を話すようレイヒムに伝えておいてくれ。わかってると思うがディアブロ、奴らに付け入る隙を与えるなよ」
「心得ております、我が王よ。敵対する者あれば、燻り出してみせましょう」
「じゃあシオン。クレイマンの城から押収した、記録用水晶の用意を頼む」
「はい、リムル様! ただ今持って参ります!」
元気良く返事をしたシオンが、早速リムルの執務室を走り出て行った。
そのやり取りを眺めながら、俺は内心首を傾げる。
なんか今…………
リムルとディアブロが、俺の知らない話をしてたぞ…………?
いや、意味ならわかる。レイヒムを聖教会本部へ帰すことによって、魔国の不利益を招くことのないよう気を付けろってことだけど……な、何でリムルがそれを言うんだ? ディアブロも阿吽の呼吸で答えていたし……え? まさか二人とも、これから起こる出来事に気付いてる……?
「リムル?」
「ん? 何だレトラ」
「それって、レイヒムが殺され──」
「レトラ? どうした?」
あ、これは……聞こえてないな。
どういうわけか俺は、『転スラ』という原作の存在や、知識として知っている未来の出来事を、ウィズを含めた皆に伝えることが不可能なのだ。口頭、思念、筆談問わずに。この世界では『転スラ』という概念が隠蔽されているとか、存在が許されていないとか……何かの強制力が働いているようにも思えるが、詳細は不明だ。
言葉を選びながら、再度リムルに向かって口を開く。
「レイヒムを帰すと、何かマズイことになるの?」
「ああ、ファルムス王国にはもう俺達に楯突く力は残っていないが、西方聖教会の方はまだわからないからな。魔物の殲滅だなんて千年以上続いた教えがあるんだ、そう簡単に態度を変えられるとは思えない。ヒナタは俺と戦って手応えを感じただろうし、今度こそ討伐をと考えるかもしれないだろ」
その時、俺は見てしまった。
執務机の傍に立つディアブロの表情が、スッと温度を失くすように変化したのを。
うわ、怖いもん見た……リムルの討伐なんて聞かされたら、ディアブロが不快に思うのはわかるけどさ。前にリムルに、ヒナタを成敗するのはやめなさいって言われてたろ……?
俺の視線に気付いてか、ディアブロはすぐに怖い雰囲気を引っ込めてくれたので、俺も特には触れずにリムルの話の続きを聞く。
「聖教会が俺達を滅ぼしたいと思っているなら、奴らが今一番欲しいのは大義名分だ。俺達を国として認めてくれている各国の協力で、世論は確実に俺達に傾いてる。この状況を引っ繰り返したければ、何か騒ぎを起こしてその罪を俺達に着せるってのが手っ取り早いんだよ」
「それが……レイヒム?」
「極論だけどな。俺は和解を望むと伝言を送るつもりだけど、教会側にとって到底認められないものだった場合、レイヒムから余計なことが漏れる前に口封じ……なんてことにもなりかねない。そしてそれを魔物による暗殺だと世間に広めれば、奴らには都合の良い展開になるんだ」
え、すご……リムルの読みの精度が高すぎる…………
ここまで未来予知っていうか、未来予測が出来るもんなの? していいの?
「じゃあその、レイヒムの暗殺……が起こるとしたら」
途中でリムルの反応を窺うが、今度は『レイヒムの暗殺』のくだりは届いたようだ。リムルが言ったことなら、俺もその話題に乗っかって発言出来るんじゃないかと思ったが、アタリだった。
恐らく、原作知識というわけのわからない根拠を元にした一足飛びの結論を口に出すのは封じられていても、この世界で実際に見聞きした情報を元にして推論を口にすることなら出来るんだろう。
「暗殺を防ぐ方法は? 聖教会本部って言うくらいだから、厳重に結界が張られてるんだろ? その中で手を出されたら、俺達には防ぎようがないと思うんだけど……」
このままレイヒムを帰せば、西方聖教会の最高指導者だという伝説の存在、"七曜の老師"の企みによってレイヒムは殺される。味方に裏切られる最期は少し可哀想だけど……町の住民達を虐殺した首謀者の一人であることを思えば、積極的にその生死に関わろうという気にはなれなかった。
ただ、ディアブロが暗殺犯の濡れ衣を着せられることになるのは気に入らない。
みすみすそんな事態を招くくらいだったら、何か理由を付けてレイヒムの帰還を先延ばしにするのも手だと思っていた。その結果レイヒムが命拾いしようと、それはそれで悪いことじゃない──
「だから、こっちから仕掛けておくんだ。そうだろディアブロ」
「はい。レイヒムを使って、新王エドワルドが協力を求めている、と教会へ報告させるのです。ファルムス王国を脅かす悪魔を滅するため、大司教レイヒムを通じて秘密裏に連絡を求む、と」
リムルに促され、ディアブロは打ち合わせ済みだったかのようにスラスラと語る。
それは…………
えっと…………
「ディアブロが囮になるってこと!?」
「何ら問題ございません」
ニッコリと、ディアブロが微笑む。
原作では罠に嵌められる形で起こった悪魔の討伐作戦を、こっちから起こさせる気か!?
ディアブロの正体が悪魔であることも最初からオープンにして行くんだ……まあ、魔王の配下に悪魔がいても不自然じゃない、というリムルの言い分は正しいと思う。
「聖教会が内政干渉を避け沈黙を決め込むのなら、教会にはレイヒムを謀殺する理由はありません。愚かにも我らと事を構えることを望むのなら、すぐにレイヒムを殺すよりもまずは新王との結託を優先するでしょう。そうなれば、後は如何様にも」
お、お見事…………これ、いけるんじゃないか?
リムル達はまだ"七曜の老師"っていうかその裏側にある狙いを知らないし、知る方法もないけど、それでもこの仕掛けは相手の上を行っているように思う。ここまで先を読めるってのはすごいぞ……俺も納得してしまったが、それにしても腑に落ちない点がある。
「話はわかったんだけど、もう一つ……何でそんなに慎重なの?」
だってこれ、石橋を崩落寸前まで叩いてから敵を誘い込んで落とそうってくらいの警戒度だろ……原作でもリムルはレイヒムの口封じを危惧していたものの、ここまでの対策は取っていなかった。
俺達が危機を回避することに異論はないけど、俺の知っている知識と比べてこんなに差があると……また俺の知らない要素が絡んでるんじゃないだろうなって不安になるんだよ……
俺の質問に、はあーっ、とリムルが大きく溜息を吐いた。
「あのな。お前は忘れてるかもしれないが、俺達は情報戦の真っ最中なんだぞ」
「え?」
「魔国の評判が落ちることで、今一番影響を受けやすいのは──レトラ、お前なんだよ」
「……あっ」
……違う違う、忘れてない。忘れてたんじゃなくて、世論誘導は第三者であるフューズやガゼル王達に頼るしかないっていうか、当事者の俺が何を言おうと逆効果だろうし、信頼出来る人達にお任せしておけば上手く行くに違いないと思ってました! 忘れてないよ!
「せっかくここまで良い感じで来てるお前のイメージが覆されたら、教会は世間の声を味方に付けてお前を討伐対象にするかもしれない。そうなったら俺達は徹底的に戦うが、今後のお前への風当たりは強いままになるだろう。人間達との交流を本気で頑張ってくれてたお前に、そんな理不尽な話があってたまるか……俺はそんなこと絶対に許さないからな」
リムルの顔は真剣そのもので、思い掛けず判明した事実に俺は愕然とする。
ま、また俺……これも俺が原因…………でも、そういうことだったのか。
人間達を殺した俺の罪は、ともすれば簡単に魔国を貶め、脅かす要因となる可能性を持つ。それを防ぐために多くの協力者が動いてくれているが……リムルやディアブロは国益ばかりではなく、そんな危うい立場にいる俺を守るために、全力で警戒してくれているのだ。
「リムル、ディアブロ……あ、ありがとう……」
「自分を抜きにして考えるのは悪い癖だぞ。まあ、だからこそ俺達がこのくらい慎重になるべきなんだが」
「あの……俺ももっと、リムルや皆を守れるように、三倍頑張るから!」
「いや、お前もう頑張ってるよ……お前の三倍返しって嫌な予感しかしないぞ……」
リムルが苦笑いを浮かべ、ディアブロが胸に手を当てて一礼する。
俺が魔国のために頑張るのは当然なので、それはいい。しかし最近、俺のしてきたことが誰かに影響を与える例が、嫌に目に付くようになってきたな……?
アダルマンの信仰度とかそういう内輪の話は別として、他国とのやり取りにも俺の存在が加味されるとなると……そのために大きく歴史が歪むようなことがあったら、"時の輪廻"から抜け出せなくなる危険性が高まるんじゃないか?
皆と一緒に生きてきたこの時間を、失敗のループにはしたくない。
もしまた俺の知らないことが起こった時は、とりあえず全部俺が原因だと思った方が良いかもしれない……何としても、魔国にとって致命的な出来事が起こらないようにしなければ。全てを完璧に把握しろというのは不可能な話だが、やれるだけやるしかない。頑張ろう。
ディアブロはまたファルムス王国へ戻って行った。
王都を離れることになるエドマリスやレイヒムへの指示が必要だし、政権が交代すればファルムス国内も慌ただしくなってくる。戦が起こっても民衆にはなるべく被害を出さないように、というリムルの命令を遂行すべく、ディアブロは新王側の動きに目を光らせておく仕事があるのだ。
ファルムス王国だけでなく、西方聖教会すら罠に掛けて操ってみせようという作戦にはビビったが……この件には俺が口出しする必要はなさそうなので、ディアブロに任せておくとしよう。
俺はリムルの執務室を出て、自分の執務室へと戻る。
(なあウィズ、
専用の大きな椅子に座って、早速ウィズに呼び掛けた。
保留にしていたスキルチェックを依頼すると、俺の頼れる先生はすぐに答えを返してくれて……
《解。超高等爆炎術式、対人転送魔法術式、"
(最後! 最後! なんか増えてる!)
《解。個体名:クレイマンが種族名:
ああ、あの時の……俺は砂の盾でクマラ(仮)を守ったという認識の方が強かったが、『万象衰滅』で破壊したってことは、そりゃ『天外空間』に取り込んで構成情報をゲットするところまでやってるよな。
でもこれって俺にも効かなかったし、使い道ある……?
《解。ユニークスキル『
なるほど、無駄にならないならいいか。
で、超高等爆炎術式は、エラルドの詠唱を解析して構成情報を作って……対人転送魔法術式は、ラファエル先生を手伝って術式展開を見たんだから、ウィズなら作れるだろう。
(じゃあ、"
俺はまだ実際に"
その代わり、リムルが『思念伝達』で皆にヒナタとの戦いを見せて、この結界に気を付けろって注意喚起してたけど……まさかウィズは、あれだけで作ったとか言わないよな? それって、録画映像を元にして原子配列まで同じコピーを作り出すみたいな話になるんじゃ……?
《解。情報密度が一定以上の記録映像であれば、不可能ではありません。『解析鑑定』と『自然構想』の実行に時間は掛かりますが、構成情報を構築することは可能です》
(ええ……マジかよ……今回もそうやって作ったってこと?)
《個体名:リムル=テンペストより提供された映像も参考にしましたが、主体としたのは四つの魔法装置から読み取った解析情報です。それらを組み合わせ"
何でもないことのようにウィズは言った。
ウィズにとっては単なる事実だとしても、俺にとっては、それは。
「…………今、何て言った?」
口を衝いて出た問い掛けだった。
対してウィズは、一言一句違わない答えを繰り返しただけ。
「…………あの魔法装置から、"
それはおかしい。そんなはずがない。
町に張られたのは"
《否。四つの魔法装置を用いて完成する結界は、"
(は……?)
ウィズが何を言っているのかわからない。
だって、それが正しいなら……
《是。
待て、それは……
俺がたまたま魔法装置の存在を知っていて、壊しておこうと動いたからそうなっただけ……
じゃあ何か?
もし俺が、全てを原作通りにしなければという義務感で──
起こる出来事を漫然と見守っていれば、最終的には皆が救われるからと──
魔法装置の作動を見逃していたら、どうなった?
浮かんだ光景に、背筋が凍り付く。
皆、皆、死んでいた。
恐らく、耐えられたのは幹部達だけ。
一万にも届こうかという住人達のほぼ全員が、死んでいた……
今回被害を受けた八十名の蘇生でさえ、ラファエルとウィズが精一杯やってくれてギリギリだったのに。それが一万人規模となれば…………救えない命があったに違いない。
俺の所為で、取り零す命が──
「…………っ、う」
圧し掛かる現実が不快感となって込み上げ、咄嗟に口を覆う。
吐くものなんか体内に持っていない癖に、前世の経験が勝手に反応する。
『魔法装置を壊してくる』
あの時、俺は分岐点に立っていたのだ。
そうとは知らずに。何も疑わずに。
魔法装置には"
知らなかった、で済まされるのか?
少なくとも俺だけは、それを疑うべきだったんじゃないか?
防げたのはただの偶然でしかなく、次を防げる保証なんてどこにもない。
そして──西方聖教会には、俺達を皆殺しにしようとする明確な殺意があったということ。
それは、魔国を支配下に置きたかったファルムス王国の思惑とは異なっている。
何故違う? 原因は何だ?
一体何が、魔国へ殺意を向けさせた?
(俺の、知らないことが起こった時は…………)
手が震える。怖い。
考えたくない、でも駄目だ、考えろ。
この歪みを見過ごしたら、俺はまた必ず後悔することになる。
(全部…………)
──俺が、原因だと思った方が良い──
今年もよろしくお願いします。