『喜びなさいラーゼン。我が魔国より、恐れ多くもレトラ王弟殿下が直々にお越し下さいました。レトラ様はお前に話を聞きたいと仰せです。理解しているとは思いますが、僅かの粗相もないようくれぐれも気を配りなさい。ああそれと、城の者には決して気取られぬように』
ファルムス王国現王エドマリスの退位と、新王エドワルドの戴冠の儀を間近に控えたある日の午後、ディアブロからの『思念伝達』を受けたラーゼンは、突然の呼び出しに硬直する。
悪魔の下僕となった身では迂闊に疑問を差し挟む余地もなく、ただ従順に了承を返すのみ。だがその通達は、そう簡単に納得出来るものではなかった。
魔国の弟王が、ファルムス王国へ……来た、と悪魔は言っただろうか。
何故、いつ、どうして、どうやって、何のために。
ファルムス王国の守護者と謳われる王宮魔術師長ラーゼンの力を以てしても、結界の張られた王都マリスに魔物が侵入した痕跡など感じられない。しかし、悪魔の言葉が事実ならばまさに今、魔物達の主の一人が城内に居ることになる。それを感知することも出来ない無力感がラーゼンを襲った。
"魔国連邦"王弟レトラ=テンペスト。面識こそなかったが、その者が魔国にとって絶対不可侵の存在であることは、身の毛もよだつ恐怖と共にラーゼンの心身に刻み込まれていた。今回の愚かな侵攻により、かの砂の魔物が傷付けられたことで、兄である魔国の王や配下の鬼女はあれほど怒り狂ったのだ。下手を打てば今度こそ、ファルムス王国そのものが滅ぼし尽くされるだろう。
(何としても、弟王の不興を買うことだけは避けなければ……)
人目を避けて城内を進み、目的の一室に辿り着く。
そこは魔国の使者である悪魔に用意された客室で、入室を許可する声に室内へと足を踏み入れたラーゼンは──部屋の中央で肘掛椅子に腰掛ける、一人の少女の姿を見た。
まだ幼さを残しながらも、美しく整った顔立ち。何の感情も浮かばぬ、静かに凪いだ琥珀の瞳。非現実感が際立つばかりの、瑞々しくも妖しい艶を秘めた美貌がラーゼンの思考を奪う。
流れ落ちる
「何をしているのです? 跪きなさい」
悪魔の冷ややかな一言に、ラーゼンは己が立ち竦んでいたことを知る。
迷わずその場に膝を突き、頭を垂れた。
「許可無く顔を上げることのないように」
「ディアブロ……いいから」
そっと発せられたのは、穏やかな澄んだ声。
少女の背後で恭しく礼を示した悪魔に命じられ、ラーゼンは対面の椅子へと座る。
「初めましてラーゼン、俺がレトラ=テンペストだ。突然で申し訳ないが、確認したいことがある。正直に答えてくれればすぐに済む話だ、少しの間協力して欲しい」
「は……御意に」
元より、逆らうという選択肢はない。
魔物の主への叛意は、その配下である悪魔への叛意と同じなのだから──
「ファルムス王国軍は神殿騎士団と連合を組み、魔国へ侵攻して来たな。その中で、お前達が俺を討伐するつもりだったことは知ってる。どんな理由で? 何か俺の情報を得ていたのか?」
「…………」
早くも、ラーゼンは死を覚悟した。
何故今になってそんなことを、という思いが胸中を駆け巡る。
この不可解な訪問の意図は、己の命を狙った者達への報復だろうか。言い逃れをしようにも、魔物の主は既に断定の上で話している。無駄な問答は不要だ、と言わんばかりに。
「レトラ様がお尋ねです。速やかに答えなさい」
悪魔の口調に混ざる、明らかな苛立ち。
沈黙は状況を悪化させるのみと悟ったラーゼンは、冷たい汗を流しながら口を開く。
「町に住む一万もの魔物達が、全て進化個体であるとの調べはついておりました……これは偶然では起こり得ぬ、未曾有の事態にございます。我々は、魔物の町を束ねるという御二方が……魔物達の名付け主なのではないか、と推測するに至ったのです……」
「ああ……それで、俺を殺そうと?」
「戦では、少しでも相手の戦力を抑えることが肝要なれば……ま、魔物の主を討伐することで……名を与えられた魔物達は拠り所を失い、町の制圧も容易になると、…………っ!」
心臓を握り潰されるかのような息苦しさに、ラーゼンは言葉を途切れさせる。
その原因は、少女の後ろに控えた悪魔から感じる殺気。悪魔の機嫌が降下していることはわかっていたが、迫る死の気配を感じながらも、ラーゼンには為す術がなかったのだ。
「ディアブロ」
落ち着き払った美しい声が、悪魔の名を呼んだ。
背後へ視線の一瞥もくれることなく、ただ肝が冷えるほどの厳粛さで。
「静かに」
悪魔は立ちどころに殺気を消すと、微かな焦りを滲ませた動作で深く頭を下げた。
まるで、主の意にそぐわぬ失態を犯した己を悔いるように。
圧迫感から解放されたラーゼンは、安堵と同時に、更なる絶望に見舞われる。
"ディアブロ"なる原初の悪魔の一柱が……己に名を与えたという魔王リムル=テンペストの他にも、こうして傅く相手が存在するという事実。それは悪魔のもう一人の主、レトラ=テンペストが──たとえ魔王ではなくとも、魔王たる兄に匹敵する絶対者であることを意味しているのだ。
「他には? 魔国や俺について、どんな情報が寄せられた?」
重ねて問われ、ラーゼンは包み隠さず全てを語る。
町を統治する主の一人が
悪魔に忠誠を誓った今では、虚偽の証言をしようものならそれは叛意として悪魔に伝わり、その瞬間にラーゼンは命を奪われることになるだろう。それを知っているのか、少女は何度も問いを繰り返してラーゼンが知る全てを聞き出した後、小さく頷く。
「ラーゼン、もう一度確認する。お前達は、町を
◇
ウィズに頼んでファルムス王国へ空間転移し、ディアブロの気配を探してもう一度。
高級そうな調度品が揃えられた王城の一室で、机に資料を積み上げて何か調べ物をしていたディアブロが、俺を見るなり絶句したのも無理はなかった。
真面目に仕事してたところ、アポ無しで来てごめんな……
「レトラ様……!? な、何故このような所へ……!?」
「エドマリス、ラーゼン、レイヒムに聞きたいことがあって……今はディアブロの部下なんだろ? こっそり取り次いで欲しいんだ」
俺の唐突な命令に、ディアブロは戸惑いつつも「畏まりました」と一礼する。
そしてラーゼンとレイヒムはすぐに呼べるが、エドマリスは王という立場上、城の者達の目があるため少し時間が掛かると申し訳なさそうに告げられた。それは全く構わない。
「あの、リムル様は……このことを御存じなのですか?」
「後で言うよ。ディアブロが伝えてくれてもいいけど」
情報が足りない。今はまだ、リムルに何か伝えられるような状況じゃない。
リムルと話をするためにも、俺には情報が必要だった。
まずラーゼンを呼んでもらうことにして、その間に準備をする。
ラグランTシャツにカプリパンツという普段着丸出しの格好で来てしまったことは反省しているが、そこは俺だ。サラリと『創造再現』し、懐かしの白いローブをサイズ調整して身に纏う。これはなかなか神々しい雰囲気が出るので、こういう場面には向いているだろう。
俺の座る肘掛椅子の傍に立ち、ディアブロが心配そうな顔をする。
「レトラ様。王宮魔術師長ラーゼンは、町を襲撃した"異世界人"の肉体を利用しています。もしその姿を目にするのがお辛いようでしたら……」
「ああ……平気だよ。ありがとうディアブロ」
「よろしければ、姿形がわからぬよう肉塊に戻しますが……?」
「その配慮は要らないです」
NO! とディアブロの提案を断り、ラーゼンの到着を待つ。
やって来たラーゼンは、ショウゴそのものだった。本人の肉体だからな。だが重厚感ある魔法使いのローブを着ているし、ラーゼンとショウゴが別人なのはわかっている。
こいつは、ゴブゾウを殺したショウゴじゃない……
「何をしているのです? 跪きなさい」
……いや、ディアブロこそ何してんの?
声を掛けられるなり跪いたラーゼンも、本格的にディアブロの下僕であるらしい。
顔を上げるなとディアブロが言うのは、ショウゴの姿を俺に見せまいとする気遣いなんだろうか……だったらあまり咎めるのも悪いなと思いながら、ラーゼンを椅子に座らせるよう指示した。
話を聞くと、ラーゼン達は、俺とリムルが魔物達の名付け主であると勘違いしたようだ。そりゃあね、リムルが全部一人でやってるなんて普通は思わないから、勘違いもするだろう。
主を失った
それはそれとして、俺は焦っていた。
俺の後ろから、激しい殺意の込められた妖気がラーゼンに向けて放たれている……ヤバイ、めっちゃ怒ってる。ディアブロが。怖くて振り向けない。俺に止められるのコレ?
(ウィズ……どうしよう……?)
《告。部屋には既に魔素を遮蔽する結界を展開済みです。個体名:ディアブロの妖気が室外へ流出することはありません。城の者達が
(それも大事だな、ありがとな! なんか違うけど!)
ウィズにばかり頼ってないで、ディアブロの主である俺が何とかしなければ……!
大丈夫大丈夫、ディアブロはわかってくれる──と腹を括って一声掛けると、それだけでディアブロは大人しく怒りを鎮めてくれた。良かった……!
うーん……ディアブロって俺のことでも怒るんだ? 「じゃあお前達はリムルのことも殺すつもりで、聖騎士団長ヒナタを当てにしていたんだな?」とかラーゼンに言ったら、ディアブロがキレるかもしれないと思ったので触れないようにしたのに……まあそうか、怒るか。ディアブロのリムルへの忠誠心がぶっ飛んでるのは事実でも、俺もちゃんと主の一人ってことなんだろう。言うこと聞いてくれたしな。
ラーゼンに話を聞き終え、次はレイヒムを呼んでもらった。特に話を聞きたかったのは、聖教会の大司教であるレイヒムなので、ルベリオスへ出発してしまう前に間に合って良かった。
「町を包囲した神殿騎士達を指揮していたのはお前だな、レイヒム。四つの魔法装置は作動しなかったそうだが、あれはお前が用意したものなのか?」
「い、いえ……あの魔法装置は、"
恐る恐る話すレイヒムは、嘘を言ってはいなかった。ユニークスキル『
レイヒムは魔法装置に"
「その言い方だと、"
「え? え、ええ……どちらも、古くから聖教会に伝わる対魔結界でございます。実力の劣る神殿騎士達でも結界を扱えるよう、先人達が研究の末に編み出した秘術だと……」
この世界の聖教会って、妙に優秀なんだよな……?
いくら何でもこんなことまで俺の所為ではないはず……ノイローゼになるわ。これは人類が魔の脅威に対抗してきた成果ってことだから、過去に魔王や魔物がどのくらい活発だったかに左右されるだろう。原作知識を鵜呑みにすると、相手の実力を見誤るという良い教訓だ。
じゃあ話を進めよう。
魔法装置に入っていたのは"
ちなみに先程、ラーゼンもレイヒムと全く同じ反応を見せた。ファルムス王国の王宮魔術師長と聖教会の大司教……この二人が知らなかったなら、やはり連合軍は"
「"
そんな強力な結界が魔物の町に張られていたらどんな結果を齎したか、想像は付いたようだ。
動転したレイヒムが、慌てて俺に言い募る。
「ご、誤解でございますレトラ様! ま、まさかそのようなものが……私は何も……そ、それに我らは、町を滅ぼそうなどとは決して思っておりませんでした……! そんなことをして、何の利がありましょうか! 魔物達を殺してしまえば、奴隷にすることも叶わぬというのに──……!」
は、とレイヒムが言葉を切り、その顔はみるみるうちに蒼白となる。
自分が今、何を口走ってしまったのかに気付いて。
「……奴隷に、ね」
胸の内が冷えていく。
魔物達の主の一人である、俺の前で堂々と。
町の住民達を、奴隷に、なんて。
「い、いえ、違……お、お許しくださ…………グッ……!」
聞きたくない。
指一本動かすことなく、『質料操作』が機能する。
襲い掛かった砂の帯が蛇のように喉元を締め上げて、強制的にレイヒムを黙らせた。
「……許せって? 何で? 何を?」
皆を奴隷にするつもりだったことを? それとも、失言してしまったことを?
どんな意味にせよ、死にたくないと言っているようにしか聞こえなかった。結局のところ、自分達が愚かなことをしたとは思っていても、それだけなのだ。反省はしているかもしれないが、振り掛かった被害と絶望の大きさに慄いてのことでしかない。
「グ……、こ、殺さ、な──」
「……殺さないよ」
スルリ、と砂を解いてレイヒムを解放する。
つい手が出てしまったが、殺す気はない。そんなことをする意味はない。
情けない。偉そうにディアブロに注意しておいて、この様だ。
ラーゼンもレイヒムも、俺を恐れている。それはきっと、リムルや魔国に対してもそう。あれだけの報復を受けたのだ、彼らが俺達を信用出来ないのは当たり前だが──それを言うなら俺も同じ。俺は彼らを信用していないし、信用に足るとは思っていない……今はまだ。お互いに。
だからこそ俺は、この怒りを飲み込む努力をすべきなのだ。
最後はエドマリス王。
公務の合間に一人で書斎に籠らせ、俺とディアブロが転移するという方法を取った。
静まり返った室内で、同じように尋問をする。相手は大国ファルムスの王だが、ディアブロの下僕でもあるということで、礼儀作法には適当に目を瞑ってもらうことにした。
エドマリスの話にも嘘はなく、ラーゼンとレイヒムの証言が補強される結果となった。
連合軍内部で共有された作戦は、魔法装置の"
「……余を恨んでいるだろう。当然だ、余は私利私欲に目が眩み……人類のためなどという大義を盾に、そなた等の事情も考えず貴国を踏み躙ったのだから」
かつて強欲と呼ばれたエドマリス王は、すっかり覇気を──あるいは邪気を無くした様子で言う。
憔悴し切った、絞り出すような言葉だった。
「余を許さずとも良い。許さずとも良い……ただどうか、我が民にこれ以上の災禍が振り掛かることのないようにと……今となっては、それだけが余の望みなのだ」
王は国のために在るという。
己のためではなく、国の、民のために生きること。
そして王に連なる者──王族にも、その責任と義務がある。
俺には、魔国のために生きる権利がある。
「新しく生まれる国家の民として生きて行くことになる人々が、何の苦労も背負わないとは言えません。ですが兄は……リムルは、未来を望む人々の安寧を害することはないでしょう」
俺も、許されようとは思わない。
俺は俺の選択を後悔していないし、これからもそうだ。
再び魔国に危険が及ぶなら、俺は何度でも戦うだろう。
エドマリス王達から話は聞けた。
これくらい情報が集まれば、リムルに話せることも見えてくるはず。
そろそろ魔国へ帰ろうとしたところ──
「レトラ様、もうお帰りになってしまわれるのですか? 遠い所をお越し下さったのです、お疲れではありませんか? 少し御休憩されてからでも……そうだ、今すぐにお茶をお淹れ致します! よろしければどうか、もう少々ここでお寛ぎ頂けましたら……!」
ディアブロが、何だかものすごく必死に引き止めてきた。
じゃあ少しだけ……と頷いた俺に、ディアブロはいそいそとお茶の用意を始めたのだった。
※次回はティータイム