先日、ファルムス王国で行ってきた情報収集。現在までに得られる情報は集まったが……まだ駄目だ。ヒナタの出撃を確認してからでないと、聖騎士達との戦いについてリムルに話すことは出来ない。それまでは、俺だけで警戒と準備を進めておくしかなかった。
差し当たっての問題は…………
砂が足りない、ということだ。
俺の『天外空間』にある砂がずいぶんと減っていた。
その原因は……この前、リムルとヴェルドラと俺の専用風呂を作った所為だ。
全てを一日で仕上げるため、砂を湯水のように使った覚えがある。露天風呂や脱衣所の建物以外にも、手桶に椅子に、湯船に浮かべるリムル型おもちゃ……そういう備品まで『創造再現』に砂を注ぎ込んで作ったもんなあ。あの時はまだ、こんなことになるなんて思ってなかったから……!
砂を補充しようにも、俺の魔素を砂にするだけでは時間が掛かる。ウィズは俺の魔素を大幅に減らすことを許してくれないし……出来れば急いで砂を調達したいんだけど…………
《案。ユニークスキル『
そうか! 俺が
その権能は、『精神介入』と『精気吸引』。恐らく夢魔は精気……この世界で言う魔素をエネルギー源としていて、そのために魔素を取り込むスキルを持ってるんだろう。俺は『風化』でまるごと砂にして魔素を奪うような化物だったけど、少しはそこから抜け出せたかな?
《夢魔は対象者の精神に干渉し、望む夢を見せて懐柔するか悪夢を見せて屈服させることで精神支配を行い、魔素吸引を可能とします》
(化物じゃん)
全然抜け出せてない!
何で俺はいつもそんな感じなんだ……魔物って全体的にそういうものなのかもしれないけど……
(怖いこと言うなよ……そんなんだったら、やらないよ俺)
《それ以外にも、対象者の了承が得られれば『精気吸引』は可能です》
あ、前にそんなこと言ってたな。
じゃあそれ、今度試してみようか。
その夜、俺は執務館にあるリムルの私室で、担当業務の見直しを行っていた。
リムルは時間外労働というものが好きではないが、『思念伝達』だけでデータのやり取りをするのは味気ないとか何とかで、こうやって顔を合わせての情報交換をしたがるのだ。
「レトラ、農作物や特産品の生産量、町での取引量諸々のチェックはお前に任せる。俺は建設関連と、街道沿いの店舗の運営を中心に見ておくから……えーと、相談案件は」
「リグルド達が仕分けしてくれてるよ。もうすぐ報告が上げられるって言ってた」
「じゃあ今決めとくのはこのくらいか。遅くまで付き合わせて悪かったな」
「いいよ、っていうか、こんなの仕事のうちに入らないし」
ここはリムルのプライベートルームなので、来客用のソファではなくL字型のカウチソファが置かれていた。俺達は情報の参照や記録を脳内で行うため、持ち込むような資料もない。小さなテーブルの角を挟んで柔らかなカウチにゆったりと座り、シュナが淹れて行ってくれた紅茶を飲みながらのんびり話す俺達は、めちゃくちゃ寛いでいた。どう見てもリラックスタイムのこれを、仕事と言うのは気が引ける。
とにかく仕事の話は終わった。
リムルが空のカップを置いたのを見計らって、俺は切り出す。
「あのさ……ちょっと俺、リムルに頼みたいことがあって」
「俺にか? どうした?」
「リムルの魔素に余裕があったらでいいんだけど、少し分けて欲しいんだ」
「え? それって……」
リムルの傍に『強化分身』が現れる。
「アレをやるってことか? お前から言い出すなんて珍しいな」
「違う! 分身体は出さなくていいから! しまって!」
今日はリムルを喰いに来たんじゃない!
しっしっと手で追い払うジェスチャーすると、リムルは分身体を消した。
「俺がリムルの分身体を喰ってたのは元々、スキルを貰うためだっただろ……もうスキルはほとんど貰ったし、アレをやる必要はなくなったと思うんだ! 今までありがとう!」
「おう、どういたしまして。流石に究極能力は無理だもんな……でも魔素が欲しいなら、やっぱり分身体を喰うのが早いんじゃないか? 他にどうするんだ?」
俺が
「俺の魔素を蓄えておけるなら、もしもの時に役に立つだろうからな。いいぞ、いくらでも分けてやる」
ワア太っ腹。いくらでもはちょっと……リムルは俺を甘やかしすぎる。
その辺の交渉は先生同士でやってくれるそうだけど、リムルが良くてもラファエル先生がダメって言えばそれまでだよな。どうなるんだろう?
《告。
(あ、許可出た……って、俺が何かすんの?)
他のスキルみたいに、ウィズに頼めばやってくれると思ってた。確認不足だったな。
えーと、今ウィズは何て言った? けいこう……?
(ごめん、もうちょっと細かく手順教えて)
《了。個体名:リムル=テンペストに隣接する位置へ移動して下さい》
カウチから腰を浮かせ、リムルの隣に座り直す。
リムルはこちらに顔を向け、俺のすることを見守る体勢に入ったようだ。
《
(こうしん……ああ、口唇か)
えーっと、口唇部ね…………
つまり俺の口を、リムルの口に…………
接触…………
ウィズの指示通りにそれをやろうとして、すっとリムルに近付けた顔。
不思議そうな表情の中の、薄く色付いた唇が目に留まる。
接…………触!?
(ウィズ────ッッ!?)
恐ろしいことをやらかす寸前で止まった俺は、『思考加速』を使って絶叫する。
しーん。ウィズからの返事は無い。
(『
《はい》
(何これ!? 『精気吸引』って、キスすんの!?)
先に言っといてくれよ……!
間違ってリムルにキスするところだったんだけど!?
《解。『精気吸引』は、対象者を支配するか承認を得た上で流出させた魔素を吸い取る行為であり、魔素の拡散は対象者のエネルギーロスとなります。それを防いだ上で魔素に一定の指向性を与えるには、口唇接触を介した狭い範囲での授受が最も効率的です》
(却下ッ! もっともらしい理屈を並べても駄目だ! 俺は断固拒否するからな!)
大体こんなの、ラファエルだって許すわけ──
《告。究極能力『
(ラファエル先生ー! 気にする所そこじゃない! もっとちゃんとリムルのこと守ってあげて!)
リムルにキスされるの許しちゃうんだ……ラファエル先生とも思えぬガバガバっぷり……いや、まだラファエルも成長途中だしな、本当にただの作業としか思ってないんだろうなあ……
じゃあ、俺が抵抗するわ! キスは無し!
「リムルごめん! 中止! 今の全部聞かなかったことにして!」
「どうしたいきなり!?」
『思考加速』を終え、俺はバッと身を引いてリムルから距離を取る。
ほらセーフ! 俺にキスされる危機だったなんてリムルは全然気付いてない! 良かった! 気付かれてたら気まず過ぎて顔合わせられないだろこれ……!
「レトラ? なかったことにってお前、魔素はどうするんだ?」
「い、要らない……」
「何言ってんだよ……じゃあやっぱり、いつものアレだな」
再び現れる、リムルの『強化分身』。
もう一人のリムルが、カウチソファの傍に立っている。
「嫌だ──!!」
一難去ってまた一難。
泣き崩れる勢いで叫んだ俺の気持ちを、誰かわかって欲しい。
「お前なあ、毎回そう全力で嫌がるなよ……俺だって傷付くんだぞ」
「俺は騙されない! 喰いたくないって言われて傷付く方がおかしい! アレには覚悟が必要なんだって……今日は心の準備してないから無理!」
「今日と明日で何が変わるんだよ……ったく、お前はいつもいつも……頭来た。絶対に喰わせるからな」
面白くなさそうな顔で呟いたリムルが、パチンと指を鳴らした。
無表情の分身体が、すっと膝を折る。
「……え」
分身体は俺の肩に腕を回し、もう片方の腕で俺の両脚を攫って──俺の方には、ふわりとした浮遊感。唐突に抱え上げられ、俺が呆気に取られたのは数秒間だけだったが、その間にリムルの分身体はスタスタと歩き出していた。部屋の奥に置いてある、大きなベッドへと。
以前、精神体を激しく損傷し亜空間に逃げ込んでいた俺が戻ってきたのは、この執務館にあるリムルのベッドの上だった。何故か俺の砂に埋もれていたので、ベッドごと『風化』させて砂を回収し、後でちゃんと元に戻したけど……そのベッドにそっと俺を下ろし、顔の横に手を突いて、分身体が俺を見下ろす。
「えっ……あ……?」
身体が動かないし、言葉も出ない。
分身体の表情は平静そのもので、淡々とした動作には迷いもなく、それが俺の現実感を狂わせている。いやその、うまく言えないけど……これって、相当おかしくないか……?
「何だか、俺が苛めてるみたいになってて悪いんだけどな」
後に続いてやって来たリムルが、広いベッドの縁に腰掛けた。
感情の無い分身体だけでなく、本体も涼しい顔で。
「言っとくけどお前も、俺を喰う時は毎回こんな感じだぞ」
「!? そ……そんなわけないだろ! 俺はリムルを抱っこなんかしてない……!」
「そこじゃなくて……扱いがやたら丁寧っていうか……お前、あれ無自覚でやってんだな」
まあいいや、と呟いたリムルが足を組み直す。
そして、悪戯でも思い付いたように無邪気に笑った。
「で……何だっけ? お前は触れたものを溶かすんだったか?」
リムルの言葉を合図に、分身体が身を沈めた。
覆い被さる身体と腕が心地良いくらいの重みで俺に圧し掛かり、寄せられた手が頭を撫でる。
俺の『衰滅』の発動条件は"捕捉"となったが──中でも"接触"は、最も確実な捕捉と言えた。この砂の身体が触れていれば、俺は何も考えなくてもその対象を溶かせるんだから。
硬直する俺の傍で、リムルが笑う。
「どうだ? 喰いたくなったか?」
「う、うあ……」
落ち着け、焦るな、落ち着け俺。
この段階じゃ"風化欲求"は出ない、まだ大丈夫だ、溶かしてしまうまでは──
ズクン、と。
奥底で疼いた、身に覚えのある衝動に血の気が引いた。
(な、何で……!?)
俺の"風化欲求"の根底にあるのは、砂と『融合』したい
実際にリムルを砂にすることをトリガーとして、そこで初めて「一つになりたい」と湧き起こり、「まだ足りない」と後を引く迷惑な欲求だったはずなのに……『風化』する前からソワソワすんのやめろ……! 本当にだんだん酷くなってるぞ俺……!
そしてもう一つ、俺の中で──『
この『衰滅』の力を使えば、リムルを溶かせると。そうすれば、リムルの砂と『融合』出来ると……
究極能力に進化してから、俺に呼応して簡単に外へ出て来ようとする『
(ウィズ、"
《……否。"
あああ……!? こんなところで"
ウィズが『精神介入』と"
俺の中では、『衰滅』の気配が今にも溢れ出しそうに強まっている。
ぞわぞわとした期待感が、頭の芯を侵してゆく。
駄目だ、やめろ、我慢しろ我慢、我慢…………あれ? 違う? 今我慢してどうするんだ?
そうだ、逆じゃないか? ここはサクッと終わらせた方が……? 『万象衰滅』を使って一瞬で分身体を喰ってしまって、その後はまた治まるまで耐え切れば──
不意に分身体の力が緩み、俺の肩口に伏せられていた頭が持ち上がる。
金色の瞳に覗き込まれ、釘付けになる。逸らせない。
「……レトラ、お前ってさ」
視界の外から、リムルの声が俺を呼んだ。
「本当は……俺を喰いたいんじゃないのか?」
「……っ!」
突き付けられた言葉の衝撃に、更なるパニックに叩き落とされる。
何で、どうして、リムルはそんなことを言うんだ?
違う、俺は、そんなはず、でも……
「リム、ル…………」
否定? 肯定?
目が回る、混乱する、俺は何て言えばいい?
ああ、『
「…………もっと、撫でて…………」
転がり落ちたのは、弱々しい一言だった。
ベッドに座るリムルが、ん? と首を傾げて、分身体に指示を出す。
「それじゃあ……こうか?」
「ん、っ……」
再び頭を撫でられて、その感触に身を竦める。
砂の身体は頭でも髪でも、どこで触れても、どこに触れられても気持ち良い。触れる獲物を捕まえて溶かして飲み干して良いのだと、自分勝手な期待が快感となって身を駆け巡る。
リムルはしばらくの間、俺のリクエストに応えて優しく手を動かし続けた。
頭を撫でてばかりでは芸がないとでも思ったのだろうか、たまに指先で俺の髪を梳いてみたり、指の背で頬の輪郭をなぞるように撫でたり……う、あぁ……気持ち良い…………
「……っあ、リムル……も、いい、ありがと……」
「大丈夫か?」
「うん……」
ぼうっとした頭でリムルを見上げる。
「じゃあ……喰うけど、いい……?」
「そう言ってるだろ。いつもな」
平然とリムルは言う。笑ってしまいそうになった。
下手すると俺に喰われたがっている節すらあるけど、リムルは優しい。
『
俺の魂に根付いたスキルに、誤魔化しなど利かないのだから。
『
両腕を伸ばして、分身体を抱き締める。
耐えられるギリギリまで抑え付けていた『
◇
今回もまた、レトラに俺の分身体を喰わせた。
たっぷり魔素を渡したので、何かあった時には予備の魔素として役に立ってくれるはずだ。
もう夜も遅いしここで寝て行けよと言ったのだが、レトラは絶対に御免だと主張する笑顔を見せて、さっさと俺の部屋を出て行ってしまった。あいつはちょっと俺を袖にしすぎだと思う。
いつまで経っても俺を喰いたくないと言い続けるレトラに、つい意地になってしまったのは認めよう。
俺の出した『強化分身』に抱え上げられ、抵抗らしい抵抗もなくベッドへ運ばれてしまったレトラには、大丈夫かこいつと思わなくもなかったが……混乱して固まってしまったレトラは少し可哀想でもあった。だが分身体を喰う話になる度、手加減なしに嫌がられてきた俺も可哀想なのでイーブンとする。
そして、俺は思ってしまった。
分身体に圧し掛かられたレトラの顔が見え辛いな、と。
そこで初めて試してみた、分身体との視界共有。
もし呼吸をしていたらそれも憚られるような距離からレトラの顔を覗き込んだ俺は──見てしまったのだ。まるで喉が渇いたような、物欲しそうな顔をして、俺を見ているレトラを。
だがレトラは身を硬くして、焦りと動揺を押し殺しながら、じっと何かに耐えていた。我慢していた。それなのに、目の輝きだけは欲しい欲しいと全力で訴えていて…………
俺はレトラを誤解していたのかもしれない。レトラがあんまりいつもキラキラしているから、俺はてっきり、その瞳は常に明るい感情だけを宿すものだと思い込んでいたが……そんなわけがなかった。正でも負でも、感情は感情だ。レトラが強く何かを思うなら、あの琥珀はそれを如実に映し出すだろう。
レトラが日々のほとんどを幸せそうに過ごしているという驚くべき感性の持ち主であるために、俺はそんな当たり前のことにも気付いていなかったのだ。
「レトラ、お前ってさ……」
気付いてやるべきだった。
レトラが俺を喰うのを嫌がるのは、嫌なんじゃなくて。
「本当は……俺を喰いたいんじゃないのか?」
「……っ!」
いや……レトラ、お前。
何でそんな、世界の終わりみたいな顔をする……?
まあわからんでもない、誰かを喰いたいだなんて、元人間の倫理観からすると道を外れた感覚だもんな……でもほら、俺達はもう魔物なんだし。
レトラは
それなら俺は、あいつを満たす何かの一つでいてやりたいと思う。俺には『強化分身』があるし、何なら『無限再生』もある。別にそう怯えなくても……レトラだったら、俺は許すぞ……?
少し長い沈黙の後、結局レトラは俺の問いに答えなかった。
その代わり、小さな声で言ったのだ。
もっと撫でて、と。
これは……甘えてくれた、ということでいいのか?
言いたくないことを無理に答える必要はない。でも、俺には甘えて良いぞとレトラに伝わったなら、一人で頑張り過ぎる癖のあるレトラにとっては良い兆しだろう。
妙な満足感と達成感に気分が良くなる。
レトラはくすぐったいのを堪えるように身動ぎしながら俺に撫でられ続けていたが、しばらくして、喰っていいかと尋ねてきた。ああ、レトラに分身体を喰わせるって話をしてたんだったな。
俺が当たり前のように返事をすると、ふ、と小さくレトラが笑った。
レトラの両腕が背中に回り、そっと引き寄せられる。
さらり、さらりと零れる砂に溶かされて──俺の視界は、暗転したのだった。
そういえば、と考える。
じゃあ俺は?
今まで特に思ったことはなかったが……
何かを喰らって満たされるということが、スライムの俺にもあったりするんだろうか?
※リムルはここまで