リムルの分身体を喰ってから一週間ほどが経過した。
ユニークスキル『
それにしても、リムルから受け取った魔素は大量だった。隔離魔素として『天外空間』に蓄えた中から必要な分を砂に変え、当初の目的である砂の調達は達成している。
それじゃ、次に俺がすべきことは…………
「家にまで押し掛けてごめんな、ソウエイ」
「いえ。このような場所へ足をお運び頂き恐縮です」
和室の机の上に、そっとお茶が差し出される。お構いなく。
ここは町の北側にある幹部用住居区画の、ソウエイの家だ。幹部達には一軒家が与えられているが、皆はほぼ執務館にある各々の私室で寝泊まりしており、自宅に住んでいる者はあまりいない。
今回は人目を忍ぶ話があるので、ソウエイの家を提供してもらうことにした。俺の部屋にはヴェルドラが好き勝手に出入りするようになった所為で、危険すぎて使えないのだ。
「それでレトラ様、お話とは」
「実は……この前、またリムルを喰う機会があったんだ」
砂を補充するためにと、リムルの魔素を込めた分身体を喰わせてもらった出来事を話す。(リムルに抱っこでベッドへ連れて行かれて押し倒されて抱き付かれて)初めてリムルを砂にする前に"風化欲求"が出てしまったこと。欲求自体は(リムルに沢山撫でてもらって喰いたいって感覚を最高潮に高めた上で喰ったので)比較的すぐに治まり、その後一週間ほど様子を見たが、再発もしていないことを。
まあ……細かい所は省きながら。言えるかこんなの!
「でも俺、前より酷くなってるだろ……
「お言葉ですがレトラ様」
机の反対側に正座して話を聞いていたソウエイが、俺を遮る。
「そういった御事情でしたら……俺ではなく、リムル様にご助力を頂くべきかと存じます」
「それは出来ない」
キッパリと切り捨てた。
ソウエイの物静かな目が、理由を問い掛けてくる。
「リムルは……俺を甘やかしすぎるから……」
「……?」
リムルは優しいと思うよ……以前から俺に喰われることを何とも思ってなさそうだったけど、俺に喰いたいと思われていても平気らしいことがわかった。心が広すぎる。
たぶんリムルは、いくらでも俺に分身体を喰わせてくれるだろう。気にしないで喰えって言うのが想像付くし、今回みたいに無理矢理喰わせようとしてくるかもしれない。
だけど、欲求なんてエスカレートするものだ。与えられることが当たり前になってしまったら、際限なく膨らんでいくだけ……もし俺が、『強化分身』だけでは気が済まなくなったらどうなる? もしリムルが、自分には『無限再生』があるからって本体を喰わせてくるようになったら、俺はどうなる……!?
絶望感に耐えられない。
机に突っ伏し、ダン、と拳で天板を叩く。
「リムルを喰わないと生きられない身体になったら困る……!」
そこまでは……そこまでは望んでないんだ……!
甘やかされることが怖い。底無し沼に嵌まるように戻って来られなくなる予感しかしないのに、きっとリムルは俺を止めてはくれない。だったら俺に歯止めを掛けるのは、俺でなくてはいけないのだ。
ソウエイは俺の嘆く様子に沈黙し、ではレトラ様、と口を開く。
「リムル様と番になられては如何でしょうか?」
「……? 番になったからって、喰って良いわけないだろ?」
「…………」
全く意味の通らないことを言われたので、眉を寄せながら顔を上げる。
いつもクールなソウエイではあるが、反応が薄いなりに微妙に戸惑う気配があった。
あ、ツッコミ所を間違えたかな……?
「その前に、リムルとは兄弟だから結婚しないけどさ……」
「差し出がましいことを申しました。お忘れ下さい」
そう言って頭を下げるソウエイ。
リムルに頼めないという事情はわかってくれたようだ。
「それで、いつも悪いとは思うんだけど、ソウエイに頼みたくて」
「…………」
「ソウエイ?」
何だか、ソウエイの様子が変……のような。
相手の感情を察知しやすいという魔物特有の性質は、俺にも多少備わっている。何となくソウエイが迷っているというか……マズイことになった、と思っていそうな空気を感じた。
「あのー……嫌だったら、断ってくれてもいいからな?」
「有り得ません。喜んで拝命致します」
だから喜ぶ必要はない──っていうか、ソウエイはまた俺の力になってくれるだろうと勝手に思っていたが、上司の俺に頼まれたら断れるわけがないんだよな。やってしまった、これがパワハラ……!
本当にいいの? 大丈夫? と、しつこいくらいに確かめたが、ソウエイからは堂々とした肯定しか返って来なくなってしまった。それもどうかと思う。うーん、嘘を吐いている感じはないので……まあ、大丈夫って言うんだったら。
「じゃあいつも通り……そこ座ってくれる?」
「はい」
畳敷きの部屋に砂を敷き、『分身体』を用意してもらう。
欲求が出ていない状態でソウエイを溶かすのは初めてなので、緊張する。いつもは俺が限界近くて余裕がなかったけど、どうやってたっけ? 確か……膝に乗って抱き付いてたよな……?
冷静な頭で考えると結構つらいものがあるが、俺が尻込みしていてはソウエイに失礼だ。でも向かい合わせに乗るのは無理だったので、横向きに腰を下ろす。これでもいいだろう。
後は、溶かすだけ──……うおっ?
抱き付こうとして顔を上げると、目を閉じた分身体の顔がやけに近くにあってビビった。ぶつかりそうだ。こんな距離感じゃなかった気がするけど……そうか、俺が成長したからだ!
以前は縮こまればソウエイの胸元にくっついていられる程度の大きさだったが、俺はまた背が伸びたからな。えぇ、じゃあどうしよう……ここしかないか、と行き場の無い頭をソウエイの肩の上に凭れさせて抱き付くと、ちょうどよく収まった。分身体が僅かに身を揺らしたが、反応はそれだけだった。
よし、やるぞ……リムルに散々やってきたことだけど、素面で人に『風化』を使うのは怖い……はあ、せめて俺の欲求が、誰かを害するものでなければマシだったのに。
「…………ん?」
妙な感覚があった。
あれ? 何だ? 俺は『風化』しようとしてるのに、何だこの……変な感じ?
「ソウエイ……? なんか、いつもと違う……?」
「……っ」
え、何だこれ? なんて言ったらいいんだ?
硬いっていうか、堅いっていうか…………
「──あ!」
ようやく、俺は違和感の正体に気付いた。
頭を上げて振り返り、背後で控えているソウエイ(本体)へ顔を向ける。
「もしかしてソウエイ……『風化耐性』付いた!?」
「……お分かりですか」
どん底のような暗い声が答えた。
あ、あるんだ『風化耐性』……そりゃ『風化』があるなら、対応する耐性くらいあるよな……って、それでソウエイは、さっきから気まずそうな態度を取ってたんだな!? 『風化耐性』があると、俺に抵抗するみたいな感じになるから……!
「……レトラ様、俺には決して、レトラ様に手向かう意思などございません」
「やっぱりか! 大丈夫だよ、わかってるから!」
申し訳ありませんとソウエイは言うが、謝る必要はない。本当にない。むしろこれ、俺に溶かされてきた所為で耐性付いたんだろ……俺が犯人だろ……
……いや待てよ? この前、リムルに『風化耐性』は付いてなかった。溶かされた回数を考えるならリムルの方が多いのに、ソウエイにだけ耐性が付いたのは何でだ? 俺に対してじゃなくても、『風化』への抵抗はあったってことかな……?
「あの、でも……出来れば正直に言ってくれた方が嬉しいんだけど……」
「……どうかお許し下さい」
ソウエイ(本体)は膝を突いて畏まった体勢で顔を伏せ、苦しげにそう零した。
許す許す! 無理言ってるのは俺なんだから、謝るのは俺……!
「いや全然気にしなくてい──」
「あの日、戦場からお戻りになるリムル様を待つ間、トレイニー殿と内談を行った場で……レトラ様の内に眠る災厄が解き放たれる事態となれば、レトラ様は自ら亜空間へ赴かれる御覚悟と伺い……」
あ、うん? その話をしたのは覚えてるけど……それ、今関係ある?
畳に押し付けられた拳に力が込められているのを眺めながら、続きを聞くことにする。
「このような想定は不謹慎と存じますが、もしその時が来てしまった場合……レトラ様の『風化』に抵抗出来たなら、俺も亜空間へお供することが叶うのではと……愚考致しました」
「え? ……」
その言葉の意味を呑み込むまでに少し掛かって、そして。
ハッと理解した俺は、衝撃を隠せず叫ぶ。
「ついて来てくれるつもりだったの!? 亜空間に!?」
ええええ……!? すっげえなソウエイ……!
俺が『
「そ、その時って俺もう正気じゃないから、来ても楽しくないと思うよ……」
「我らのためにレトラ様お一人を犠牲にするなど、断じて許せることではありません。せめてもの忠義として、御傍に控え続けることが出来ればと」
知ってたけど、ソウエイの忠誠心には凄まじいものがあるよね……『風化』を
「ご、ごめんソウエイ、そんなこと考えてくれてたなんて知らなくて! でも大丈夫だから! あの後、亜空間に閉じ籠るのは意味がなさそうだって判明して、しないことになったんだ!」
「それはどのような……?」
俺の進化に伴って『
やっと顔を上げたソウエイに、同じ内容を説明する。
「では……レトラ様が全てを背負われる必要は無いのですね。喜ばしい限りです」
「でも『
「そうでしたか。なるべく耐性が発動しないよう心掛けてはいたのですが……未熟の身故にレトラ様を煩わせてしまいましたこと、お詫び申し上げます」
《告。個体名:ソウエイの『風化耐性』では、上位権能となる『万象衰滅』を
ああ、俺の『風化』は『衰滅』になってるからな。
申告してきたウィズには一旦実行を保留とし、改めてソウエイに問う。
「耐性あっても大丈夫だよ、そこまで俺のこと考えてくれてありがとう。じゃあ、ちょっと強めに溶かすけどいい? これ痛いとか苦しいとかないよな?」
「問題ございません。どうぞ、御随意に」
ソウエイ(本体)がそう言ってくれたので、俺は再び覚悟を決めて、分身体に抱き付くのだった。
◇
その夜、話があるとレトラ様に持ち掛けられ、俺の自宅へレトラ様を招くことになった。
幹部達一人一人には自宅が与えられているが、俺を含めた多くの者が執務館の私室で寝起きしている。リムル様やレトラ様は、執務館の寝室かその近くに建てられた庵で寝泊まりされるので、出来る限り御傍に待機していたいとは誰もが考えることだ。
レトラ様が人払いを御所望だったことから察していたが、話とはやはり"風化欲求"の件だった。ただし今回は欲求に苛まれているのではなく、欲求を抑える手立てを探るための風化実験がしたいとのこと。レトラ様が御自分から俺にご相談下さったことは初めてで、それは身に余る光栄なのだが──リムル様に御協力を頂いては、という俺の提案を、レトラ様は拒絶した。
「リムルを喰わないと生きられない身体になったら困る……!」
謙虚なレトラ様は、その欲求がリムル様の御負担となってしまうことを恐れているのだろう。
リムル様が最愛の弟君であるレトラ様を苦に思うわけもないが、レトラ様が不安だと仰るならば方法はある。そもそも、砂を取り込み自身を増やす行為であるそれは──平たく言えば
「ではレトラ様……リムル様と番になられては如何でしょうか?」
そこまでリムル様を求めているのなら、それが最善だろうと俺は思う。
御兄弟という間柄ではあるが、リムル様の隣に立つ伴侶として、レトラ様は誰の目にも疑問の余地のない御方ではないだろうか。だからこそ、浮かんだ案だったのだが……
「……? 番になったからって、喰って良いわけないだろ?」
心底訝しげなレトラ様の表情に、己の愚かさを思い知る。
盲点だった。肝心のレトラ様は……"風化欲求"に関するそれを、生殖行為とは捉えていないのだ。リムル様を害する可能性のある破壊衝動として、そのような欲求を抱く御自分に怯えているレトラ様に、俺の尺度で測っただけの結論を押し付けるべきではなかった。
レトラ様がリムル様を求めているのは確かなことだ。だがレトラ様はまだ幼く、突然降り掛かってきた衝動と感情に上手く整理が付けられていないのだろう。レトラ様が"風化欲求"を制御可能となり、余裕を持って己の状況を見極められるようになった暁には──リムル様への思いを正しく理解し、御自身で答えを出されるはずだ。微力ながら、俺はその御役に立てるように努めよう。
「それで、いつも悪いとは思うんだけど、ソウエイに頼みたくて」
「…………」
レトラ様へ『分身体』を献上することに、躊躇いなど微塵も無い。
俺は誓ってそう言えるのだが……今回ばかりは、とある懸念事項が胸中に引っ掛かる。
リムル様が"真なる魔王"へ覚醒された際、"世界の言葉"によって告げられた
心当たりはある。レトラ様がその身に宿す災厄から我々を守るため、悲壮な自己犠牲の決意をされていると知った時から──俺に出来ることが何もないのなら、せめて御傍にと。そう願ったことで、俺の中にはこの耐性が根付いたのだろう。
だが……『風化』への耐性を備える俺は、まるでレトラ様を嫌忌しているかのようではないか?
一瞬でもレトラ様にそのような誤解を与えることを考えただけで、目の前が暗くなる。こうなれば本体である俺が分身体を操り、『風化耐性』の効果を極力抑え、無事に事を済ませるしかない。
レトラ様は分身体の膝に乗り、軽く身を捻って抱き付いてきた。
だが俺は『風化耐性』に気を取られる余り、失念していたのだ。レトラ様がまた少し御成長されていたことと、分身体との感覚共有が繋がったままであることを。
もう俺の胸元に寄り添えなくなった頭が肩の上へ凭れ掛かり、ほっそりと伸びた腕が首と背に回り……今までになかった形での接触に集中が乱れ、『風化耐性』の制御が利かなくなった。
既に『風化』を試みていたレトラ様は、俺の肩に頭を預けたまま不思議そうな声を出す。気付かれてしまう。耳元を擽る声に平静を保てない。そして──
「もしかしてソウエイ……『風化耐性』付いた!?」
とうとう、気付かれてしまった。正直に話すようにと下命され、俺は忸怩たる思いで自己満足に近い心情を吐露する。レトラ様は当然驚かれていたが……俺が危惧していたような、不審を抱いた様子ではなかったことは僥倖と言えるだろう。
良い知らせもあった。レトラ様と共に問題の『
「……んん…………んっ」
少しずつ、柔らかく、形を無くしてゆく独特の感覚。
俺の砂が身体を滑り落ちる度、聞こえてくる小さな声が、レトラ様の忘我の心地を物語っている。俺の首元に米噛を擦り付け、ぎこちなく身動きしては、欲求の逃げ道を探しているかのようだ。
やはり"風化欲求"は、溶かした砂に対して表面化するもののようだが……これがリムル様を溶かす前に発生したと言うのだから、レトラ様にとってリムル様が特別な存在であることは明らかだ。その点も踏まえて、レトラ様がリムル様に"風化欲求"を打ち明けるには、まだ時間が必要だろう。
では『
「……っう、……あぁ……」
触れる境界が溶け合い、零れた砂が混ざり合う。
相変わらずレトラ様の『風化』には、痛みも苦しみも存在しなかった。それどころかこんなにも安らかな、まるで慈悲を与えられているにも等しい至福さえ感じると言うのに。
これは本当に、災厄と呼ばれる破壊の力なのだろうか?
※漫画版20巻の発売日は3/9(水)らしいですね