俺がイフリートを『捕食』したことで、シズさんは呪いから解放された。
だが、あれから一週間経ってもシズさんが目覚めない。
「レトラ」
シズさんを寝かせたベッドの傍に、レトラが浮かない顔で座っている。あれからレトラはずっと人の姿を取り、昼も夜も付きっきりで、シズさんの介抱を続けていた。
カバル達はあの戦いで火傷やら打撲やらを負ったが、俺の回復薬が効果を発揮した。すぐに目を覚ましたし、怪我も体力もすっかり全快したようだ。三人とも、心配そうに体調を尋ねてくるレトラの美少女ぶりにビビって大慌てしていたな。
「まだ気にしてるのか? お前は何も悪くないだろ」
「……」
どうやらレトラは、イフリート達の攻撃から三人組を守り切れず怪我をさせてしまったことを、自分の力不足だと、シズさんに申し訳ないと思っているようだった。
俺からすればレトラは充分に働いた。レトラがいなければイフリートやサラマンダーの炎攻撃にあそこまで抵抗することは出来ず、今より大惨事になっていたに違いないのだ。
「お前はちゃんとあの三人を守ったよ。よくやってくれたって、シズさんも言ってくれるさ」
「……違う、それは……俺がいてもいなくても…………」
余程ショックが大きかったようだ。前世が人間だからだろうか、いや元々の性格によるものか。魔物に生まれ変わった今でも、レトラは戦いには向いていないのかもしれないな。
「…………スライムさん」
か細い声が俺を呼んだ。
良かった、シズさん。気が付いたのか。
「君は……砂のスライムさん……?」
「……うん。レトラだよ」
「驚いた……あんまり綺麗だから」
ふふ、と零れる柔らかい笑み。
いつものシズさんだった。
「二人とも……ありがとう。私はまたこの手で……大切な人を殺してしまうところだった……」
シズさんは弱々しい声で、これまでのことを語ってくれた。
魔王の一人に召喚され、イフリートを憑依させられ、友達を殺めてしまい……勇者と出会って一緒に旅をしたこと。その人もどこかへ行ってしまったこと。それから人々を助けたいと、強くなろうと決意して、英雄と呼ばれるようになり、何十年も頑張って……冒険者を引退した後は、学校の先生として異世界人の子供達を指導したこと。
長い時を生きるにつれてイフリートの制御が難しくなり、シズさんは最後の旅に出た。自分をこの世界へ召喚した魔王を探すために。そしてシズさんは三人組と出会い、俺達と出会ったのだ。
「ねぇスライムさん、本当の名前は何ていうの?」
「俺はリムル……いや、そうだな……俺は悟。三上悟だよ」
「砂のスライムさん……君は?」
「藤馬、泉……」
「私は、静江……井沢静江」
シズさん──静江さんは、お願いがあると言った。
俺に、その身を存在ごと食べて欲しいと。
「この世界が嫌い……でも憎めない。まるであの男のよう……だからこの世界に取り込まれたく、ない……」
「シズさん……! 俺は……」
「本当に優しい子……いいんだよ、君は君の人生を、幸せに過ごして……」
言葉を詰まらせながら、レトラがシズさんの枕元に縋り付く。
心の内を声に乗せられずにいるようなレトラに、シズさんは全てわかっていると言いたげな笑みを湛え、細い手でレトラの頭をそっと撫でた。
「優しい君が傷付きませんように……若くして命を落とした君が、幸せになれますように」
レトラの瞳から零れた涙が、頬を伝う。砂で作られた身体だろうと、そこに宿る感情が本物であるならば、人間だった頃の反応を心が覚えていても不思議はなかった。
そしてシズさんは俺へと視線を向ける。
「お願い……私を、君が見せてくれた故郷の景色の中で……眠らせてくれないかな……?」
「……いいよ」
叶えてやりたい。それが彼女の望んだ最期なら。
シズさんは涙を流し微笑んだ。
リムル=テンペストの名において、約束しよう。
心残りである教え子達のことも、そして魔王レオン・クロムウェルのことも。
シズさんの思いを、必ず俺が受け継ぐと約束しよう。
ありがとう、と小さく呟き、シズさんは眠りに就いた。
ユニークスキル『捕食者』を発動させる。
安らかに眠れ、俺の運命の人。
俺の中で、永遠に覚めることなく幸せな夢を見られるように────
「そうか、シズさん……逝っちまったのか」
「お別れくらい言いたかったな……」
カバル、エレン、ギドには申し訳ないことをした。
仲間のこいつらに断りもなく、シズさんを俺の中に取り込んでしまったからな。思うところもあるだろうに、三人はそれがシズさんの望みだったのならと言ってくれた。
それから、あの時は誰それの所為で危なかっただの、そこでシズさんが助けてくれてだの、三人は口喧しくケンカしながら騒ぎ出す。
まったく、シズさんが心配するのも頷ける危なっかしさだが…………
「シズさん、ありがとうございました!」
『擬態』を用いて、シズさんによく似た顔立ちの子供姿となった俺に、カバル達が一斉に頭を下げた。急な別れでシズさんに伝えることが出来なかった感謝と決意が、口々に告げられる。
「俺、あなたに心配されないようなリーダーになります!」
「あなたと冒険出来たこと、生涯の宝にしやす!」
「お姉ちゃんみたいって、思ってました……!」
涙を浮かべて俺に抱き付くエレンの頭を撫でてやる。
四人が一緒に旅をしたのは、ほんの短い間の出来事だったのだろうけれど。
こいつらがシズさんの最後の仲間で、本当に良かった。
「リムルの旦那には世話になっちまったな。ここのことは、悪いようには報告しないぜ」
「旦那も何か困ったことがあったら、頼ってくれていいでやんすよ」
「ああ、そうさせて貰うよ」
町を発つ三人には餞別として、カイジン達の作った防具を贈ってやった。今までの装備はイフリートとの戦いでボロボロになってしまったようだしな。
カイジンやドワーフ三兄弟と言えば、カバル達でも知っている有名な鍛冶職人だったらしく、想像以上に大喜びされることとなった。いい土産になったと思う。
静かな風の吹く見晴らしの良い丘に、シズさんの墓を建てた。
亡骸はないが、墓標代わりの石積みの前にレトラの摘んできた花を添え、手を合わせる。
「レトラ、俺は必ずレオン・クロムウェルとかいう野郎をぶん殴りに行く。その時は一緒に来るか?」
「うん。俺も行くよ」
「よく言った。じゃあお前も元気出せ、いつまでもメソメソしてるとシズさんが悲しむぞ」
不意を打たれたように、琥珀の瞳が瞬く。
ここ数日レトラは大人しかった。塞ぎ込んでいたわけではなかったが、シズさんの死が堪えたのだろう。せっかく会えた同郷の人でもあるし、レトラはだいぶシズさんを慕っていたようだし。
「そうだな……うん……シズさん、優しいもんな」
ああ、優しい人だった。
最期まで教え子達やレトラの未来を案じ幸せを願う、高潔な人だった。
俺達はシズさんを忘れない。悲しむのはここまでにして、その思いを受け継いで生きていこう。
凝り固まった余計な力を解すかのような溜息の後、レトラの口元が緩む。
「リムル、俺もっと頑張るよ」
「おう、頑張れよ!」
何を頑張る気かは知らないが、元気でいてくれるならそれでいい。
お前のことは、きっと俺が守ってやるから。
※シズさんは聖域